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リターン

朱色の風呂敷を解くと、出てきたのは、小さな置時計でした。


大切に扱われていたことは、一目見てわかりました。時計の表面はよくみがきこまれてアメ色に光っています。


「とても大切な時計なんです。突然動かなくなってしまって。直るでしょうか」


白いワンピースを着た娘が、心配そうに私の顔をのぞきます。


「大丈夫。おじいちゃんは今はさえないけど昔は有名な時計職人だったらしいから」


隣から、孫のワタルが口をはさみます。


ちょっと口は悪いですが、ワタルは一人で暮らしている私を心配して、今日も店を手伝いにきてくれていました。


私の店は小さな時計屋です。昔はけっこう繁盛した時期もありました。しかし、長いあいだ、新しい時計は作っていません。一人暮らしの私には、もう誰かのために頑張って時計を作る必要がありませんでした。亡くなった妻が残してくれた貯金で、なんとか食べていくことはできましたから。


修理を頼まれたのも、久しぶりのことでした。しかし、私はその置時計に見覚えがありました。


「なつかしいな、この時計。十二時になると若者と花売り娘が現れて、ダンスを踊るのでしょう?」


「ええ。私、その仕掛けを見ると、一日幸せな気分になれるんです」


「私が初めて作った時計ですよ。とにかく中を見てみましょう」


私はなつかしい時計にそっと触れました。朱色のリボンがよくにあった、なつかしい少女の笑顔が心に浮かびました。

幼なじみのアヤ。これは、私がアヤにプレゼントした置時計にちがいありません。アヤは私の初恋の人でした。

おとなになって、そのアヤが結婚すると聞いたのは、ちょうどこの時計が完成した日でした。私は幼なじみの一人として、その時計を結婚祝いとしてプレゼントすることにしたのです。なのに、どうして見知らぬ娘がアヤの時計を持っているのでしょう。

 私はていねいに裏ぶたをはずしました。

久しぶりでしたが、歯車の配列をたどっていくと、気持ちがしゃんとしました。ここ数年悩んでいた手のふるえも、工具を手にすると、不思議と気にならなくなりました。

ふと見ると、ぜんまいの陰に薄い紙切れが一枚挾まっています。


「なるほど、この紙のせいで時計が止まってしまったのにちがいない」


そっと取り出して広げてみると、紙には一言、こう書かれてありました。


<リターン。 あの日、あの時にもう一度もどりたい>



気がつくと、私は雨の中に立っていました。手には中学生の頃使っていた黒い傘を持ち、故郷のあぜ道の端に咲きかけた宵待草を見ていました。


「あの日と同じ景色だ。五十年前、この先のくすの木の下で、アヤちゃんが雨やどりしていたんだった」


中学生のころ、私はアヤに一度だけ想いを告げようとしたことがありました。

不思議なことに、私の目の前に広がる光景は、あの日とまったく同じものなのです。

くすの木の下には、やはり朱色のリボンをしたアヤの姿がありました。

私はあの日と同じように通り過ぎようとして立ち止まり、アヤに傘を差しかけました。 一本の傘をさして歩く気恥ずかしさからか、二人はしばらく無言で歩きました。


そして、あの日と同じように、「実はぼく、アヤちゃんのこと―――」と言いかけた、その時です。


「だれかと思ったらカズトとアヤだ。あいあい傘なんかして、二人はラブラブだ-い」


追い抜きざまからかったのは、同じクラスの三人組でした。


 ああ、これはあの頃よく見た夢だと、私は思いました。

 この後の展開はよく知っています。気まずい思いを抱えたまま、二人が離れてしまう切っ掛けの言葉をアヤが言うのです。

 聞きたくない―――そう思った時でした。


「そうよ。だって私、カズくんのことが大好きなんだもの」


アヤはさらりと言いました。三人組はしらけた顔でブツブツ言いながら行ってしまいます。

 アヤの言葉は、私にとっても思いがけないものでした。


「本当ならあいつらにからかわれた後、君は『背の低い男の子は嫌い』と言うはずだった」


私は彼女を見上げて言いました。

 中学生の頃、私はなかなか身長が伸びませんでした。ぐっと伸び出したのは高校生になってからです。


あたりは薄暗くなりかけていましたが、宵待草の花が黄色い灯りのように、二人の回りをほんのり照らしていました。


「あの言葉、ずっと後悔してた。あの後カズくん、引っ越して、ずっと誤解されたままになって。なぜあの時、本当の気持ちを言わなかったのかと、死ぬまで後悔したわ」


 ―――引っ越し。

 その数日前に急に親に聞かされて、私はアヤに告白しよう、しなければいけないと思ったのでした。

 たとえ距離が二人を隔てても、二人の想いが繋がれば、ずっと繋がっていられるのでは……そんなささやかな願いのせいでありました。叶わなかったと思った願いでした。


「だから願をかけたの。あの日にもどって本当の気持ちを言いたいって。心残りがないように」


 アヤは、じっと私の目を見て言いました。

そして、じっと見つめ返す私に、私が好きだった片えくぼの微笑を浮かべました。


「さあ、カズくん、問題です。今から先の人生はどんなふうに生きたい? 私はカズくんと一緒に、もう一度人生やり直してもいいんだよ」


アヤが差し出した手を、私は思わずとろうとしました。その時です。孫のワタルの顔が脳裏に浮かびました。

ワタルは私の宝物です。でも、私がアヤと結ばれれば、彼は誕生しないのです。

思えば、時計職人として好きな仕事を続けてこられたのは、妻と子供たちのおかげでした。私はおだやかなこの五十年の日々を思いました。


「ぼくもアヤちゃんが好きだった。でも、一緒には行けない。ぼくを支えてくれたたくさんの愛情を忘れることはできないもの。それに、やっぱりぼくは時計を作るのが好きなんだ。久しぶりに工具をにぎって思ったもう一度人生をやり直せるとしても、時計職人として、同じように生きていくと思う」


アヤの笑顔がゆらりと揺れました。


「カズくんなら、そう言うと思ったよ。その気持ち、忘れないでね。大丈夫、カズくんにはまだ時間があるもの。今からでも遅くないよ」



次の瞬間、私の目の前には、アヤそっくりの笑顔がありました。


「おじいさん、ありがとう。大事な時計、直して下さって。これ、亡くなったおばあちゃんの形見なんです」


置時計は再び静かに時を刻んでいました。


「おばあちゃんって、もしかしてアヤって名前じゃ……」

「そうです。おばあちゃんをご存じなんですか」


 ―――アヤは亡くなっていた。


私は置時計をていねいに朱色の風呂敷に包みました。


「幼なじみでした。明るくて、物知りで、大事なことをたくさん教えてもらいました」


私は包みをアヤのお孫さんに渡しながら、心に引っ掛かっていたことを口にしました。


「アヤさんは、幸せだったのでしょうか」


アヤのお孫さんのびっくりしたような瞳に、私は自分の失言をさとって、


「いや、おばあちゃん思いのかわいいお孫さんがいるんだもの、幸せだったに違いないけれど」


と、あわてて取り繕いました。アヤのお孫さんはにっこり笑いながら言いました。


「祖母は死ぬ前、私にこう言いました。私の人生もまんざらじゃなかったって。 ただ、ずっと昔、大好きだった人を傷つけてしまったことがあって、それだけが心残りだって。その人が幸せであったかがずっと気がかりだって。そのあと、祖母はこの時計を私にくれたのです」


私の中に、熱い気持ちが込み上げました。

こんな私のことを心配してくれた人がいたのです。私の知らないところで。

仕事にも、生きることにも意欲をなくしていた私ですが、一人ぼっちだと自分で思い込んでいただけなのかもしれません。


「アヤさんの時計のおかげで思い出しましたよ。時計を作るのが何より好きで、新しい時計のプランで、いつも頭がいっぱいだった頃のこと。頑張って、もう一度心に残る時計を作ります。今度は生活のためではなく、自分のために。私にはまだ時間があるらしいし」


まだ言葉が終わらないうちに、ワタルが顔を紅潮させて言いました。


「やった。おじいちゃん、ぼくも手伝うよ。ぼく、機械いじり好きだし、おじいちゃんが教えてくれるなら、やってみたいと思っていたんだ。でも、その前にお客さんをそこまで送ってくるよ。雨が降ってきたみたいだし、小さくても、昔ながらの時計は女の子には重いだろうから」


おやおや、と私は思いました。


「おじいさん、本当にありがとう。また、遊びにきます」


アヤのお孫さんが傘をさしかけ、ワタルは朱色の包みをしっかり抱きかかえて、二人は雨の町に飛び出していきました。

その後姿が、あの日のアヤと私の姿にだぶって見えました。

私の心の中が、ふんわりと温かいものでいっぱいになりました。


私の店は時計屋です。古くて小さい店ですが、この春には職人が一人、増えているかもしれません。



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