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この水を口にしないでください

作者: 知性植物
掲載日:2026/06/13

この世界において、あらゆる『水分』が貴重であった。

二○××年。最後に雨が降ってから三年が経過した。原因不明の地殻変動に伴い地下水は完全に枯渇。緑色だった山や水田が全て「焦げ茶色」へと変わり果て、触れるとカサカサと音を立てて崩れる。

どこにでもある緑豊かな農村だったこの村も例外では無かった。

以前まで住んでいた人々も飢えによって多数が死亡。今の村民はたった十人。

この村にはもう清潔な水など一滴も残っていない。

最初こそプライドによって飲み水を確保出来るまで絶水すると意気込んでいた人達でさえ、生き延びるために泥水や排泄物でさえ飲む始末である。

食料は時折訪れる旅の商人から購入する他方法は無かった。

支払う硬貨は何一つなく、変わりに『液体』を使って支払う。水質や血液の鮮度が高くなるにつれて価値は上昇する。

カラン、コロン。

遠くからでも目立つ白い布の屋根。

ラクダの首元に付けられた鈴の音は甲高い音をかなで、重い荷物を載せた幌馬車からは木製の車輪が軋む音が響いている。

行商人が来たと気づいた人々が次々と集まり、ものの数分で先程までガラガラだった村の中心部には村民の多くが参集していた。

「バージェス!」

痩せ細った体の少年が、まるで行商人の到着をずっと待ちわびていたかのようにこちらへ駆け寄る。喉の乾きで声は掠れ気味だが、その瞳は力強くこちらを見つめていた。

「生きていて良かった。今週も沢山の食料を持ってきたぞ」

そう言うと彼は後ろの荷台を解く。何重にも巻かれた太い紐が乾いた音を立てながら自重で落ちていく。途端に、乾燥したスパイスの刺激的な香りと燻製の匂いが一気に溢れ出す。

スパイスをたっぷりと刷り込まれた赤黒い干し肉に、砂漠のあちこちに落ちていそうな歪な小石に見えるドライフルーツ。シワくちゃで何重にも重なっている皮の塊や砂漠で大量に採れる昆虫や小動物を乾燥させ挽いた粉末等、様々な物が並べられている。

値札には貨幣の表記はなく、代わりとして『液体二○○ミリリットル』のように曖昧に書かれているものがある一方、『血液一○○ミリリットル』と指定されているものさえある。

 彼がこの村を初めて訪れたのは数カ月前のことだった。貯蔵していた食料が枯渇し、己の尿でさえ煮詰めて飲まざるを得ない厳しい状況に陥っていた。そんな村人たちの前に現れたのがバージェスだった。

あの日も同じ甲高い鈴の音が響いていたが、誰もが酷暑と空腹による幻覚だと思い込んだ。

しかし彼が最初に行ったのは商売ではなかった。

 衰弱しきって身動きの取れない老人の前に膝をつき、懐から小瓶を取り出す。

「さぁ、これを飲むんだ。今より少しは楽になる」

中には無色透明な液体が入っている。泥水でも排泄物でもない、清潔な水。

 体力のほぼ残っていない体をゆっくりと起こして静かに飲み干した瞬間、周囲の村人たちも嘆くように助けを求める。

 すると彼は冷徹な声で告げる。

「荷台には少しだが水のストックは残っている。だが、すべてタダと言う訳にもいかない。生き延びたいという意思があるのならば、その体に流れる血液を少し分けてもらう。質が良ければ食料でも分けてやる」

 その言葉を聞いた村民たちは生き延びるためならば。と腕を突き出し、彼の持参したガラス瓶に己の血液を注ぎ込む。

 それから数カ月もの間、定期的に持ってくる食料と水によって辛うじて生命線を維持することができた。

「おじさん、これ……」

 人だかりの隙間を縫って一人の少女が前に出る。傷だらけの指から差し出されたのは布の端切れで包まれたサボテンの破片。鋭いトゲは一本残らず丁寧に削ぎ落されているが、カサカサに乾きかけたサボテンの肉片。中に含まれている水分など知れたほどであり、売り上げの一部にさえならないだろう。

「ごめんな。こんなにも混じり気のない純水を貰っても、こんなものしか返せないんだ……」

 彼は目元を和らげ、荷台から油紙に包まれた小さな塊を取り出す。

 旅の杯給食であり、売り物にすらならない、わずかながらの堅焼きのパン。この世界の『水貨』に換算すれば、ほんの数摘程度で購入できるほどのささやかな食料。しかし、今の飢え切った少女にとっては何よりの御馳走であった。

 利益を削るだけでなく、自身の命綱でさえも削る苦渋の決断。

 それでも彼は水分を失いかけたサボテンの端切れを恭しく懐へと収め、代わりにその小さな食料を差し出す。

「ありがとう、おじさん!」

カサカサに割れた唇から、弾けるようなお礼の言葉がこぼれ落ちる。

少女は手に入れた食料を宝物のように抱きしめ、縺れる足取りで砂の街村を駆けていく。小さな背中が陽炎の向こうへと消えていくのを見届けると、ふぅ。と深くため息を吐いて荷台を整理したその時だった。

手元が狂ったのだろうか。ゴトッと鈍い音を立てて細長い容器が転がる。

液体自体が貴重なこの世界において、一際異彩を放つ合成樹脂。一昔前ならば何一つ違和感の無い物体――ペットボトルだった。

中には有り得ない程しっかりと入った液体。だが、ボトル越しに見える液体はただの水には見えない。内側では目に見えない小さな真珠のような泡が激しく暴れている。その様子を見た少年は乾ききった喉を鳴らして問う。

「バージェス、これって炭酸水だよね!」

王都に住む富豪でさえ簡単には口に出来ないはずの本物の炭酸水。期待に目を輝かせて行商人の顔を覗き込む。

「その炭酸水、いくら? ……僕の持っているもの全部出したら一口だけでも飲ませてくれる?」

しかし彼は了承することはなく、入手した経緯を語りだした。


――この村に向かう道中の出来事だ。

見渡す限りの砂海に佇む、異質なまでの漆黒の衣服を着た一人の男。

音もなく歩み寄ると、拒絶する隙すら与えず彼の乾いた掌にそのボトルを握らせた。

驚きに目を見張る中、男は感情の読み取れない平坦な声で告げる。

「この水を口にしないでください」

ただ一言。そう言ってボトルを渡すと、男は最初から居なかったのでは無いかと錯覚してしまうように砂の彼方へと消えていった。


「……とまぁ、これがそのボトルの正体。信じられないかもしれないがね」

 そこまで言うと、ふぅ。と深いため息をつく。先程までの真剣な眼差しが嘘のようにふっと和らいだ。その顔には、彼自身の抱く隠しきれない好奇心が歪な笑みとして浮かび上がっている。

「砂漠のど真ん中で出会った見知らぬ男。そして口にするなと忠告された液体。一体どんな味がするのか、実は気になっていたんだ……」

 彼の指先がボトルのキャップへと伸びる。

「やめた方がいいんじゃないか……?」

村民が心配して静止しようと声を上げたが今の彼には届かない。プラスチック製のリングがパキっと固い音を立てて割れ、キャップを回し開ける。

――プシュッ。

炭酸ガスが抜ける音とともに、細かい気泡がチリチリと湧き上がる。

「ほんの一口だけ。味見するだけさ」

 不敵に笑う彼を止める者はもう誰一人としていない。久ためらうことなくボトルを傾け、久々に飲む爽快感にゴクリと喉を鳴らす。

 強烈な刺激が喉を駆け抜けると共に、最悪の事態に身構える。なんせ『飲まないでください』と警告された水だ。何が起こってもおかしくない。

しかし、一秒、二秒と経っても何一つ変化は起こらなかった。

「……ぷはぁっ!」

 満足げに口元を拭い、拍子抜けした声を上げる。

「おい、大丈夫か?」

「あ、あぁ。驚いたな。……いや、驚くほど普通の炭酸水だ」

 信じられないといった様子でボトルを見つめる。ただのどこにでもある炭酸水をあれほどまでに恐ろしいもののように扱い、わざわざ手渡してきたのだろうか。

「あ、それ炭酸水でしょ! 一口でいいから飲ませてくれよ!」

 思考をかき消すように子供たちが前に出てくる。昔と違い、この機会を逃せば一生涯口にすることができない可能性すらある珍しいご馳走。

「おや、君たちはこれが何か知っているなんて物知りだね」

 先程まで考え込んでいた真剣な顔から一転、再び穏やかな笑みを浮かべる。

「子供にはのませるな」と止める者もチラホラ見受けられたが、自身が毒見をして何の変化もなかったのだから大丈夫だとなだめるように手で制し、躊躇なくボトルを子供たちに差し出す。

 先頭にいた少年が奪い取るようにして両手で受け止め、一気に吸い込む。

「ぷはっ! 痛い、けど美味い! ちゃんとシュワシュワする!」

「ずるいぞ、次は俺の番だ!」 

 次から次へと小さな手から渡されていく。

 子供たちがご馳走を喉に流し込む度に、ペットボトルの中身はみるみる減っていく。

最後の一滴が吸い込まれていくのを確認すると満足気に頷いた。

「さぁ、長居は禁物だ。なんせ、次の商売があるんでね」

どこか名残惜しそうに空のボトルを見つめる子供たちから目を逸らし、手際よく荷物をまとめ直し、商売を再開する。

やがて持ってきた品が全て売り切れると、彼は軽く一礼し、「また来るよ」とだけ言い残して歩き出す。


それから約二週間が過ぎ去った。この乾いた奈落のような村で、人間が正気を保てる限界の夜数。

 村長が不在の今、備蓄していた食料は底を突き、昨夜の正午には代理人から『共有水』の最後の一滴が支給され、この村には残っているものは何一つ無い。

 だからこそ、熱気に揺れる砂丘の向こうから響く鈴の音に、誰もが敏感になっていた。

 シャラン、シャラン……。

 集まった村人たちが一斉に足を止める。かつての行商人の鈴の音色とは明らかに違う固い音。

「バージェス! 遅かったじゃないか!」

 少年が一目散に駆け出すも、激しい砂吹雪の向こうから現れたのは全くの別人。

 純白の防砂外套をまとい、塵一つついていない姿の男。

「バージェス……じゃない……」

 一歩。また一歩と後退る。その小さな顔は恐怖に歪む。今目の前にいるのは、誰一人として正体を知らない見知らぬ男。

 周囲の村人たちは何かを察したかのように息を飲み込んだ。

怯えて声も出なくなっている少年に腰をゆっくり落として目線を合わせ、淡々と真実を語る。

「数日前、西の第三砂漠の先で、彼のラクダが砂嵐に呑まれたとの報告があった。隣町の王都から救護グループが向かったが、荷車は粉々に砕け、バージェスの姿はどこにもなかったそうだ。この広大な砂漠の中から遺体を見つけるのは不可能だと悟った救護班は捜索を中断。俺にこの村への食料供給の命令を下したというわけだ」

「いやだ……。そんなの嘘だ!」

 少年が叫ぶも、男は慰めることも突き放すこともせず、ゆっくりと立ち上がり、少年の頭上からまるで興味を失ったかのように告げる。

「バージェスの行方は分からない。だが私はここに居る。そして、お前たちの命を繋ぐ食料も持っている。いつまでも泣いたところで現実は変わらない。そんな暇があるのならば袋の一つでももってこい!」

 慣れ親しみ、信頼していたバージェスの死亡。絶望が村を飲み込むのも束の間、男が鉄の荷馬車の扉を開け放つと一変して空気間が変化する。

中には確かに食料が積まれていた。それはごく普通の『干しブドウ』や『乾燥させた名もなき根菜類』ばかり。

怪しい薬でもなければ、大都市の贅沢品でもない。砂漠の交易路を回る商人ならば何の変哲もない乾物の数々。

恐怖からその食料を「罠」だと言い張る者もいたが、背に腹は代えられない。

村人たちは我先にと乾物を口に放り込み、貪り始める。久々の食料に涙を流して感謝するものも数名現れた。

そんな光景に強い不信感を抱き、その場から少年は逃げ出すように廃屋へ向かう。きっとあの場所ならば、村で一番頼りになる青年・ネルソンがいるはず。すぐにでもこの異変を伝えなければならない。

しかしそんな思いも虚しく、廃屋に着く頃には広場の「無骨な善意」をすべて台無しにする、本物の悪夢が広がっていた。

「あ……、あ、うあ……!」

 ネルソンが砂の上に膝をついて、激しく身悶えている。

その手には、ペットボトルが握られていた。青年の口元からは顎をつたって地面へとしたたり落ちているのは、ただの真水には見えない。

 シュワシュワと不気味な音を立て、白く沸き立つ泡。

パチパチと音を立てて肌を焼けるようにはじける泡は、どこか冒涜的で、おぞましい怪異そのもの。激しく悶えながらゆっくりと意識を失っていく。

「ひっ……!」

少年は砂に足を取られながらも、無我夢中で広場へと駆け込んだ。

 何も知らない村民たちは、相変わらず白い外套の男に群がって食料を貪っている。

 さっきまで「男の罠」だと思い込んでいた冷徹な瞳。しかし、本当の狂気を目にした今、少年にはこの光景が全くの別物に見えた。

 男が配っているのは、最も安全で堅実な『命の糧』。

 彼は罠を仕掛けに来たのではない。本当に、自分たちを助けにここへ来たのだと。

少年は大人たちの間をすり抜け、白い外套の男へとすがるように叫ぶ。

「おじさん……! 助けて、ネルソン兄ちゃんが……」

 悲痛な叫びに異変を感じた村民たちの食料を貪る手も止まる。

「シュワシュワって泡が弾けて……、バージェスの言ってた黒い服を着てて……」

 涙目で路地裏を指差すと、事態を理解した村民たちはその場所への案内を促す。

 しかし、廃屋の目の前に着く頃には誰一人としていなかった。

「誰もいないじゃないか」

「おい、見間違いか? 飢えすぎて幻でも見たんじゃ……」

 大人たちが口々に呟き、溜息を漏らす。中の様子を確認しようとするとする大人を外套の男が抑制し、地面を指差す。その光景に全員が息を飲み込んだ。

 屋内に入らなくても分かる。そこには、たしかに『痕跡』があった。

 骨まで焼き尽くすような熱砂の地面。一滴の水すら即座に蒸発するはずのその場所が、点々と黒く塗れ、僅かに炭酸特有の泡が残っていた。

この世界において、地面を無駄に濡らすなど簡単には考えられない。それは、少年の言った「弾ける水」が確かに存在した証拠であった。

「ただの水漏れじゃないか。人騒がせな真似はよせ」

大人の一人があえて突き放すように鼻で笑う。しかし、その声は微かに震えている。

少年たちが飲んだ時はなんの違和感もなかった。ただの炭酸水だと誰もが認識していた。

だからこそ恐ろしいのだ。無害のはずの炭酸水が今この状況においては『おぞましい怪異』へと変貌している。大人たちはその異常事態から、本能的な危機を感じて目を背けようとしている。

「……違う。僕らが飲んだ時はただの炭酸水だった! けど、ネルソン兄ちゃんが飲んだのはそんなんじゃない!」

絞り出すように叫んだ少年の声は、現実逃避をする大人たちの胸に突き刺さる。

「おい、それ以上は――」

 一人の大人が少年の肩を掴み、黙らせようと手を伸ばしたが、その手は届かなかった。

「……子供を脅かすもんじゃない」

 低く透き通った声が場を支配する。声の主は、白い外套の男。

僅かながらに残った独特なアーモンド臭が鼻腔に入り、男の脳裏には、一つの仮説がよぎる。

「青酸カリか……」

 ボソリと呟く彼の単語に、一人の大人があからさまに肩を跳ね上がらせた。

 先程までただの水漏れだと鼻で笑った男の顔からは、みるみるうちに血の気が引いていく。

「そ、そんなバカな。青酸カリなんてどうやって……」

 変貌しきった声に他の村民たちもざわつき始め、互いの顔を見合わせた。

「おじさん……、なんで、なんでネルソン兄ちゃんはこんな目に遭わなきゃいけなかったの?」

 少年が目に涙を浮かべて問いかける。

 男は少年の目線に合わせてかがむと、怯えている小さな手を優しく包み込んだ。

「……奴がなぜ彼を狙ったのか。申し訳ないが、その理由は私にも分からない」

 男の口から冷静なまでの真実が告げられる。しかし、少年の絶望の混じった声が廃屋に響き渡る。

「分からない……? そんなのってないよ……!」

 男はゆっくりと立ち上がり、怯える大人たちを冷静な目で見下ろす。

「一つだけ、確かなことがある。奴が何を目的としてこのようなことをしているかは分からないが、彼一人で終わるとは到底思えない。今日は彼だったが、明日はお前たちの誰かが犠牲になるかもしれない。あるいは子供たち全員かもしれない。理由が分からない以上、ここに居る全員が標的になりえる可能性がある!」

 恐怖のあまり腰を抜かし、砂の上にへたり込む大人たち。

 目的不明の男に、こんな小さな村が巻き込まれると誰が予想しただろうか。

 恐怖のあまり叫ぶ村民たちの声を一蹴するように外套を翻す。

 背後で未だに泣きじゃくる少年の声と、互いに縋り合う大人たちの醜態をそのままに、彼は踏み出した。

 無慈悲な殺人を許す訳にはいかない。


――しかしこの時、誰一人として気付いていなかった。

廃屋のすぐ近く、強烈な日差しが作り出す、崩れかけた土壁の濃い物陰。

日光が一切届かず、誰一人として見向きもしない常闇の空間に、「黒い服の男」が潜んでいたことを。

息を殺し、白い外套の男が放った警告をすべて耳にしていたのだ。

冷徹な一瞥を白い背中に向け、音もなくその場を去っていく。

 熱砂を踏む音でさえも一切立てず、気配を完全に消したまま男は追跡者に気づかれることなく進んでゆく。


◇◇ ◇


 それからどれほどの時間が経過しただろうか。

 黒服の男が向かったのは、砂漠の最果て。法も秩序も届かない『闇市』だった。

その喧騒から外れた地下へと続く階段の先にある、古びたバーだった。

ギィィ……。

錆び切った重い扉を開くと、濁った琥珀等のランプがカウンターをぼんやりと照らしている。

ドン。と鈍い音を立てて置かれた大きめの白い布袋。

ずしりと重い塊が木目を叩くと同時にじんわりと赤く染め上げていく。

マスターは感情の消えた目でそれを見つめ、それを引き寄せると袋の紐に手をかける。

カサリ。と乾いた布が擦れる音。僅かに残る生暖かさ。中にはある程度解体されたネルソンの遺体が入っていた。

「……相変わらず丁寧な仕事だな」

低い声を漏らすと、裏方から荷台に積まれた大きめの箱を持ってくる。

そこには丁寧に加工された大量の『乾物』とともに酒瓶に入った真っ赤な血液。

若い人間の血液はタンパク質が豊富であり、価値も比較的に高い傾向にあった。

「所詮は子供。手間賃を別途差し引いたところで、この程度しか残らない。悪く思うなよ」

 無造作にその中から、油紙に包まれた赤黒い干し肉と、若さゆえにシワ一つない、ピンと乾燥した皮が重ねられた塊を取り出す。

 それは、ほんの二週間前まであの村で弾けるような笑顔を見せていた少女の肉体から作られたものだった。

「しかし、子供の未熟な皮膚を傷一つつけず綺麗に乾燥させるのは骨が折れる。死亡していたとはいえ、時間が然程経って状態でこの娘を届けてくれたおかげだ」

 マスターがその言葉を口にすると同時に、黒い服の男はゆっくりと頭のフードへと手をかけた。

 乾いた布がこすれる音とともに素顔が照らされる。

 そこに現れたのは、砂嵐に巻き込まれ、死亡したはずの行商人――バージェスだった。

「当然だ。新鮮なうちに処理をしなければ、皮に余計なシワが寄って商品価値が下がってしまう」

 カサカサに割れた唇を歪め、不敵に笑う。その瞳には、村で見せていた温厚な光などみじんも残っていなかった。

 あの村の人間たちは、バージェスが砂嵐に呑まれ、死亡したと思い込んでいる。いや、村だけではない。外套の男が言っていることが正しいのならば、もともと所属していた王都にも死亡したと報じられているだろう。

 だがすべては彼が仕組んだ行動にすぎない。

 自身の荷車を粉々に破壊し、隊商の足であったはずのラクダさえも躊躇なく殺害して解体。そのまま闇市へと売り払ったのだ。

「しかしあのガキは傑作だったよ。俺が渡したパンを家に着くや否や待ちきれずに口にするなんて。……本当に哀れなほど簡単に引っかかってくれたおかげで余計な手間が省けた」

 バージェスは受け取った『サボテンの端切れ』を懐から取り出し、いとおしそうに眺めながら言葉を続ける。

「あの堅焼きのパンには、少量だが『テトロドトキシン』を仕込んでおいた。食べた者のナトリウムチャンネルを完全に遮断させ、意識を保ったまま指一本動かせない状態を作れるよう調整した、特殊な調合。親のいないあの子は、自宅で叫ぶことも、泣くことさえもできない姿はまさに滑稽だった」

 商売が終了すると、村から出発した風に思わせた。しかし、それは周囲の目を欺くための演技にすぎなかった。人知れず黒い服に着替え、皆が寝静まった夜を狙って再び村へ侵入。声も出せない少女を連れ去ることなど容易なことであった。

 実に気分よさそうに語り終えると、「ハハハ!」と下品な笑い声を店内に響かせると、先程まで愛おしそうに眺めていたサボテンの端切れを床へ投げ捨て、容赦なく踏みつぶすが、微かな動揺が滲み出ていた。

「……また、見られたのか」

 店主はすべてを察したかのような目で、静かに問いかけに対して静かに頷き、淡々と事情を説明する。

「ガキにそいつを殺したところを見られた。……それだけならまだ良かった。白い外套を着た男に助けを求め、村民に警戒するよう促しやがった。もうあの村は使い物にはならなくなっちまった」

「……相変わらず悪趣味な男だ」

 床の塵に一瞥を入れ、呆れたように、しかしどこか満足げに鼻を鳴らすと、バックバーに置かれたボトルを数本差し出す。

「ほらよ。お前が普段使っている『例の品』だ。いつも通り余計な成分は混ぜちゃいない」

そこには、ネルソンを殺した際に使用された炭酸飲料のボトル。

一見、何の変哲もないただの炭酸水。しかし中には高濃度の青酸カリ溶液が混入されていた。まともな水でさえそう簡単に手に入らないこの世界で、今後口にできるかも分からない貴重な炭酸水。渡す際に「口にするな」とでも念を押せば、カリギュラ効果も相まって違和感よりも先に迷わず口を付ける奴は多いだろう。

「すまない、何も入っていないやつも一本頼む」

普段ならば渡された数本で十分だが、今回は話が違う。犯行現場を見られた以上、あの村での警戒心は強くなる一方だろう。

次の場所で再び安心させ、警戒心が薄まるよう無毒の物を用意しておく必要がある。

 オーナーはその意図を察し、本物の炭酸水のボトルを一本カウンターに滑らせ、無毒のボトルに手を置いたまま、「このツケはでかいぞ」と低く凄むような声で言った。

親しい間柄ではあるが、ここは闇市。ただでさえ貴重である炭酸水をそう易々と渡すことは出来ない。

「分かっている。次の村でまた大物を仕留めてきてやるよ。お前の取り分もたっぷりとな」

 ニヤリと口元を歪め、ボトルを奪い取るように引き寄せる。

「新たな隊商は裏口に準備してある。この乾物と一緒に持っていくと良い」

 荷台に置かれていた乾物の入っている箱を積むと、懐へ狂いなくボトルをしまう。

「長居は無用だ。腹が減る前におさらばするよ」

 彼は振り返ることなくバーの重い扉を押し開ける。

 彼にとって殺人は快楽であり、それを仕事に生きている。もう彼を止められる者はいない。

 境界線の向こう側。まだ見ぬ次の獲物たちの村へと旅立つのだった。

 (了)


お読み頂きありがとうございます。

今作が初の執筆作品であり、GoogleのAIモードや友人のアドバイスを元に無事書ききることができました。

普段から小説を読んでいるわけではなく、映画ばかり見ているので文法や表現が正しいかは分かりませんが、作品を作成していく上で身に着いてもらえれば……。と甘い期待を抱いております。

自身の『小説家』という夢に近づけるよう、今後も精進する所存でございます。

プロフィールにもある通り仕事と両立して制作する都合上、次回更新がいつになるかは未定ですが現在執筆中の物が仕上がり次第投稿の方をできるよう頑張っています。

今後も温かい目で見守っていただけると幸いです。

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