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第5話:指先に宿る奇跡

 「名無しの祭り」当日。放課後の家庭科室には、これまでにない熱気が満ちていた。

 僕の指示のもと、4人はそれぞれの役割に没頭していた。海斗はハンカチを失った悲しみを振り払うように力強く生地を練り、陽向はお菓子に命を吹き込むように明るい声を出し続ける。凛は、僕の助言を聞きながら、4人の絆を象徴するような、温かみのある形を丁寧に整えていった。


「影は、一方的に奪うだけの化け物じゃない。島を守るための契約の相手なんだ」

 中村先生が教えてくれた言葉が、僕の胸の中で繰り返されていた。


 夕暮れ時。4人は中村先生に見守られ、山の入り口にある古いほこらへと向かった。

 空は燃えるような朱色に染まり、山の稜線から深い紫色の影が静かに滑り降りてくる。かつての恐怖はない。それはまるで、長い一日を終えた子供を包み込む、大きな毛布のような穏やかさを持っていた。


 凛が作った菓子を、海斗が震える手で供える。陽向が祈るように手を合わせた。

 影がゆっくりと伸び、自分たちの作った供え物に触れた、その時だった。


(何だろう……この温かみは……)


 僕の車椅子の影が、山から降りてきた影と静かに重なった。

 突如、右手の先にじんわりとした熱が広がる。それは自分の筋肉が収縮する感覚ではなく、まるで誰かが優しく手を取って引き上げてくれるような、不思議で柔らかな浮遊感だった。


 気づけば、いつもだらりとアームレストに預けていた僕の右手が、ふわりと持ち上がっていた。

 僕は驚き、その感覚に身を委ねた。

 右手がゆっくりと動き、隣で祈っていた海斗の肩に触れる。強張った指先が、影の力を借りて、トントン、と優しく海斗の背中を叩いた。


「……藤雅くん?」 「……海斗、伝わってるよ。影が、受け取ってくれたんだ」


 僕の目から、自然と涙が溢れた。これは、山を巡る「影」が、海斗の喪失を認め、そして「お前もこの島を守る一員だ」と僕を肯定してくれた証のように思えた。

 奇跡はほんの一瞬で、指先の熱は静かに引いていった。右手はまた元の位置に落ちたが、その重みは、さっきまでとは全く違う「確かな自分の体」としての重みに変わっていた。


 帰宅後、家の中は相変わらず騒がしかった。

 母は妹の着替えに追われ、父は夕食の準備でバタバタとしている。いつもなら「ごめんね」と縮こまっていたはずの僕だったが、今日は違った。


「……陽、こっちおいで。宿題、見てやるよ」

 部屋の隅で拗ねていた弟が、弾かれたように顔を上げた。

「お兄ちゃん、手が動かないのに?」 「手は動かなくても、口と頭は動くんだ。一緒にやろう」


 弟が嬉しそうにノートを持って駆け寄ってくる。

 自分にできることは、まだ小さい。けれど、一方的に迷惑をかけるだけの存在ではない。影と島がそうであるように、自分も家族と、代償と感謝を交換しながら生きていける。


 窓の外、夜の闇に溶け込んだ幸江山のシルエットが、どこか誇らしげに僕を見守っていた。

 僕は、動かない右手を左手でそっと包み、微笑んだ。  この不自由な身体と共に、この島で、みんなと一緒に生きていく。その覚悟は、今、本物の「自立」へと変わっていた。

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