第十四話 孤独の枷
少しエグイですが、まぁこういうのも書く必要があるんだと思います。
「あぁぁーもうくったくたやぁ」
「余計な邪魔も入ったしな」
「……」
破門と討窪は昼休みのみならず、放課後まで屋根掃除をやらされ、疲労困憊のまま闘技場を後にした。それに飽きもせず千宮もよく付き合ったものだった。
「コンビニ行くか、千宮」
「……うん」
「何や、学食行かれへんのか」
「今夜は定休日だろうが」
「あ、そか」
外はすっかり暗くなってしまった。太陽は西の空へ沈んでいき、微かなオレンジと夕闇のパープルが溶けるように混在している。
星は雲に隠れ、ぬるい風が少しだけ吹いていた。
この時間に出歩いている生徒は少なく、破門達三人から見えるのは木や芝生、ハイテックな設備だったり、外灯だったり。人影はあまり見受けられない。
こんな時ふと、破門は螺子はずれのことを思い出していた。
急に襲いかかって消えていったあいつ。
「……なぁ破門?」
「……」
「破門?」
「ん? あっ、ああ。な、何だ?」
「何ボケッとしてんねん」
「いや、何でもない」
討窪は破門の顔色を伺った後で、また何かを話し始めていた。
こいつがいると沈黙がなくていい。
度が過ぎる、ということもあるが、まぁそれはその時ってことで。
「おっ、姫鉈からメールや」
討窪が制服のポケットから携帯電話を取り出す。
『思いの外0組のアドレスを手に入れられない(>△< ;) 知ってる限りで、他のメンバーのアドレスを教えてほしいm(_ _)m』
「・・・・・・ほぉ・・・・・・なんや意外と普通の女の子っぽいやん。もっと業務連絡みたいなん来ると思てたわ」
破門と千宮も討窪の携帯の液晶をのぞき込んだ。
確かにそれは否めない。初めて携帯に触れたおっさんのようなメールだろうとは三人とも思っていたが、その辺は普通であるらしかった。
「知ってる言うたら、御角がおるやん」
「え、あぁ・・・・・・そういえば」
討窪と破門の視線が同一直線上に並ぶ。
そして討窪はニヤニヤと笑い出して、千宮のそばにつけた。次に千宮の肩に手を置いて。
「知っとるか? 破門な、中等部のとき、その御角ってやつに告られてん」
「ス、ストォップ!!」
千宮は表情を少しも変えず、破門を見た。そして、そう、と呟くだけで、特にこれといったリアクションは見せなかった。
破門にとっては、恥ずかしい過去でもないが、あまりその手の噂は広まってほしくない。御角の面子に関わる問題であっても、恋愛沙汰は自分の沽券にも関係する。歯がゆく、どうもこうもないわけである。
「ほんまもったいないことしたもんや。なぁ?」
「その話は止めろといつも言ってんだろうがっ!!」
「なんで? 誇ってええと思うねんけど」
「違うんだよっ! 誇るとか誇らないとかの話じゃなくてっ! えーあー、えっと、あれだよ。え、あ、も、もぉーっ!!」
「どわぁっ!!」
誤魔化し。かまし。猫だまし。
大きな両手の紙でパァン、と。
討窪は仰け反って、そのまま芝生に尻餅をついた。
「うっさいわっ!!」
「黙れっ!!」
討窪は指で耳に栓をし、理不尽な言動に腹を立てる。
一連の件を終えたと思ったのか、千宮は一人で道を歩きだした。それを破門は視認してすぐ千宮を追いかけた。ちょ待ちいや、と討窪もそのすぐ後を駆けた。
三人で、まぁ実質二人で騒ぎながら、やや歩くこと十五分。コンビニに到着した。
カルマ学園内にはコンビニもある。ここにしかない弁当や菓子等があるため、学食もさることながらこちらもそれなりに盛況しているのだ。
三人は入店する。
「唐揚げ食べよかなぁ。チャーハンにしよかな。あっ! 麺類もええな」
「うるせぇ討窪」
お日様はさようならしているのに、なぜ討窪はこうも活発なんだろう。ハイエナかよ。破門は独りごちてそう思う。
千宮はお菓子コーナーにおわして、トッポにしようかポッキーにしようか悩んでいた。ぶっちゃけたところ愛らしい。小さくしゃがんでいる姿勢が可愛らしくて仕方ない。
「さぁて、と」
破門が、比較的隅の方に位置する紙パックの飲み物コーナーまで差し掛かった辺り。
少し見覚えのある姿が、そこにあった。
「……ん?」
カルマ学園の制服と仕様は同じだが、形が微妙に違って。ポンチョみたいな、カッパみたいな、少しだぼついたそれ。
パステルブルーの髪色に、精気が抜け落ちているかのような白い肌。
「お前……」
破門は瞑想、黙思、沈思黙考して、カオスに広がる記憶の破片を紡いでいく。
えー……っと。
確か、結構最近見たような……。
あっ!
「入学式の時のっ!!」
彼女の瞳に破門の人差し指が浮かぶ。
「……え、あ、あの……えっと」
入学式の時に破門の眠りを覚ました彼女だ。
何度か知覚はしたものの、名前すら知らない。
しかしどうやら互いは互いを認知できているようだ。
入学式で起こしてきた奴だ、と、入学式で起こした人だ、とで。
「んー?」
しかし今は、そんなことより気になる点があった。
それは彼女がカゴに入れているパン類だ。パンの種類じゃなくて、その量。五、六個はある。
そもそもパンだけでカゴを使う者も少ないだろうし。
「お前大食いなんだな」
女の子にそんなことを聞くのもどうかと思うが。破門の無神経は顕在だった。
彼女は俯いて、何も言うことはなかった。照れるわけでもなく、嘆くわけでもなく、ただ、ただ、床と向き合っていた。
そして無言のまま、パンの入ったカゴを落とした。滑り落としたんじゃない。意図的に手を離したのだ。
「っ!!」
彼女は早歩きで、破門と目を合わせることなくその場を去った。破門が彼女を目で追うも、すぐにコンビニの棚のせいで視界からはずれてしまった。
討窪も千宮も彼女には気付いていない。
破門の前に残るのは、カゴとパンだけだった。
「……!? ……ん!?」
一部始終を見ていたコンビニの店員が、破門を見て、やっちゃったな、だの、それは無いよ、だの、もっと言葉を選べよ、だの。冷たい視線を破門に送るばかりだった。
頭をかく破門。
ときに、千宮が呟く。
「……うん、トッポにしよう」
*** *** ***
ちょうど、教室棟の裏口。
「ちょっとルイカァ。パンはぁ?」
眉毛は薄く、髪色はブラウン。女子高生なりの化粧と短く整えたスカート。強面の、いかにもヤンキーと思しき女子生徒が苛立ちながら言った。
彼女の名前は忌村桐子。
忌村の周りには、他に二人ほど女子生徒がいた。こちらも同様に不良風情だ。
「……」
「おいっ! 黙ってちゃ分かんねぇだろ!?」
ルイカは顔を俯けたまま、口を開かなかった。今にも泣きそうな表情で、忌村の吐くヘドロのような言葉を受け入れていく。
裏庭に、甲高い声がうねり続ける。
「パン買ってこいっつったよなぁ!?」
「っ!!」
忌村は、ルイカの薄青の髪を鷲掴みにした。そして顔を一ミリほどまで近づける。
忌村の幾重もの香水がルイカの鼻を突き刺した。黄色い歯が剥き出しになる。
「てめぇ舐めてんのかこらぁっ!!」
「ひっ!!」
女とは思えない言葉と声色でルイカを責め立てる。無論、責任どうこうはルイカに発生するものではない。これが理不尽という。
忌村は強くルイカの髪を引く。何百個の痛点がルイカの頭部を襲う。
「……これは、おしおきが必要かぁ?」
忌村がそう言うと、後ろの二人はケラケラと笑い始めた。不気味な笑みが月明かりに反射し、どくろのピアスがキラリと光る。
カバンから取り出せれたものは……。
「さぁてと……」
銀にかがようカッターナイフだった。
「今日はどこにすっかなぁ……」
キャハハハ、と槍のような笑い声がする。黒色に塗られた爪を備える忌村の手が徐々に近づく。
涙をこらえ、ルイカは唾を飲んだ。
「や……やめ……」
次第に大きく見えてくる銀色。今にもアヘりそうな忌村の顔面。興奮という砥石が彼女らのドスを鋭くさせた。
一人がルイカを押さえる。もう一人がルイカの袖をまくる。
そして。
「あっ!! あ、が……」
「あははははっ!!」
尖った先端が白い皮膚に突き刺さる。
ゆっくりと。ひたすらにゆっくりと。
血球がにじみ出た。暗がりだったため、流れる血は、黒を呈しているように見えた。
ルイカは悲痛に顔を歪める。
「うぅ……ぐ、ああぁ、が……」
「声出すなよっ!!」
「ふぐっ!!」
ルイカの袖をまくっていた女子生徒が、ルイカの腹部を膝で蹴飛ばした。痛みは背中まで貫いた。
カッターナイフは腕から手のある方向へと移動していく。ルイカの細胞を無理矢理に引き裂きながら。
「うぅ……」
「泣いてんじゃねぇよっ!! 汚ねぇな!!」
*** *** ***
ルイカは地面につくばり、痛みに震える体を抱きしめた。
「明日はちゃんと買ってこいよ。そーだな、明日はおにぎりコンビニにあるだけ買ってこい」
「……」
「返事はぁっ!?」
伏したルイカに忌村はつま先でキックをくらわせる。ルイカは吐きそうになったが、ここ最近はストレスで何も口にしていない。だから吐くものはない。
それでもこみ上げる胃液を、ルイカは必死に飲み込んで。
「……は、い」
「よーし、じゃ、また明日な」
死体のようなルイカを残して、三人は去っていった。
ピクリとも動かずルイカは俯せ、六つの足音が消えるのを待つ。
「……うぅ」
涙が、止まらなかった。
「ううっ……うっ……」
このいじめは、中等部から続いていた。
ルイカと忌村は元々ただの同級生同士だった。普通の付き合いと、普通の認知があるだけ。決してどちらが危害を加えるでもなかった。
むしろ、ルイカは恐れられているくらいだった。それは彼女の異能力に起因し、その点で言えば「普通」の認知とは言い難いかもしれない。
「うっ……くっ……」
恐怖は徐々に形を変えた。
ルイカの性格が暗い、というのもあったからだろう。
いじめとしての、恰好の的だったのだ。今まで恐怖していた相手の上に立つ、という一種の快感が忌村達の背中を押したのもある。
あの時からずっと、ルイカの涙は濁ってきていた。
「はぁ……はぁ……」
涙が芝生に伝う。血が大きな制服にシミをつくる。髪が土に汚れる。
手首に課せられた薄い腕輪。これがルイカの異能力を物語っていた。
ちょうど、切り傷が癒えてくる。血が固まるよりも前に、開いた皮膚が紡がれていった。
「こんな……こんな力のせいで……」
ルイカは自身の腕輪を眺める。
これが自分の力を制御してくれている。
しかし、まるで自分の異能力を象徴しているようで、憎かった。
ひたすらに、恨んだ。
「うぅっ……ひっ……」
なんで私だけ……?
いつまで耐えればいいの……?
思えば思うほどに胸は締め付けられ、涙腺が震えた。
今すぐにでも、こんな力は放棄したかった。
いや、むしろ。
こんな命。
「くっ……」
ルイカは静かに立ち上がった。
今まで以上に黙り込んだ世界の端っこ。助けの手は見えない。それがあることすら分からない。
至る場所を知らない痛みが、いつまでもルイカの心臓の周りをさまよった。
「……」
体の外傷は完治した。
それが本当にルイカの神経を逆撫でした。
切歯扼腕を繰り返す毎日。見つめるのは無限の天空ではない。手を伸ばせばそこで止まる、大地だった。
力を解き放てば忌村達は瞬殺できる。冗談ではなく、瞬殺だ。しかしそうしないのは、自分に勇気がないからで。
それを知っているから、なおのこと腹が立った。
「っ!!」
ルイカが立ち尽くしていると、横から足音がした。
一つの外灯が、その姿を照らす。
ピエロのような仮面。そして黒装束。
こちらの方を向いて、立ち止まっている。
「あ、あなた……は?」
「君が、ルイカちゃんだね」
籠もった声がする。声色からして女。
その黒装束はルイカをルイカと確認して、ゆっくり手を差し出した。ちょうど、相手の手を招くようにして。
「なん、で、私を……?」
「君の力が欲しい」
「っ!!」
ルイカは驚くとともに、怯えた。
突然現れたところで、何を言っている。
ルイカにとって黒装束は見知らぬ人物。しかし黒装束にとってはルイカはどうやら既知の人物らしい。
「あの、え、あ……」
「うーん……」
突然黒装束が自身の服の端を持ち上げた。
そこに覗ける暗黒から、一本の剣が飛ぶ。弓を引いたかのようなスピードで、ルイカまで一直線。
瞬きもできない間で、ルイカの腕に突き刺さる。
「ああっ!!」
「……ふむ」
黒装束はルイカには聞こえないような声で、貫通しないか、と呟いた。
ルイカの激情は限界まで達していた。
また、傷つけられる……。
何もしていないのに……。
もう一人のルイカが、顔を見せ始めていた。
「やはり君の異能力は素晴らしい」
「……う……い」
痛みと怯えが、鬱憤にひき殺された。
ルイカの目が青から赤に変わっていく。額に迸る血管は稲妻のようだった。眉の皺は乾いた地割れのようだった。
腕に刺さった剣を勢いよく引き抜く。血が飛び散った。
「……うるさ……い」
「ん?」
震えた体が空気の塵を揺らす。
破壊の衝動。
知らない自分を、自分の体で感じた。
理性の絶壁。
喉の奥から体内の臓器全てが飛び出しそうだった。
「あああああぁぁぁっ!!! うるさぁぁいぃっ!!!」
「……これが『枷負い』か。いい感じに不安定だな」
ルイカの体からテキストが溢れ出す。
闇の中に二つの赤い眼光が浮かぶ。口内から冷たい息が漏れる。薄青の髪が逆立ち、牙が表に出てきた。
「う゛う゛う゛う゛っ!!!」
「そっちがその気なら、こっちも実力行使だ」
黒装束は両手を組んだ。指の間に指を埋め、互いに握り締める。
すると両手の間から青い光が漏れる。それを確認し、右手をルイカに差し向ける。その掌には輝く術式。
「はっ!!」
黒装束は眼前に人形を召喚した。その人形はひどく見栄えが悪く、木製の人型人形に汚い布を巻いただけである。
その人形に、黒装束はテキストの糸を各関節に繋いでいく。
気味の悪い操り人形の完成。
「小手調べといこうか」
糸で操り、人形の口を豪快に開かせる。そしてその中から数本のナイフを発射する。鋭い切っ先はルイカとの距離を縮める。
しかしルイカは臆することなく向かい合い、思い切り地面を踏みつける。直後、岩石の塊がルイカの壁のようにせり立つ。
梃子の原理から、地面が抉られたのだ。
「ほう……」
数本のナイフが持ち上げられた岩に突き刺さる。
黒装束が次のモーションに移ろうとした。
が。
「なっ!?」
ルイカはもう後ろにつけていた。
「がっ!!」
渾身の裏拳が仮面を破壊する。仮面をバラバラに飛び散らせながら、黒装束の頭を先頭にしてその体が吹き飛ばされる。首の向きが無惨にも回転し、あり得ないくらいに伸びきっている。
即死、と思われた。
「っ!!」
それでも人形は動いてきた。
手首からナイフを突き出し、振り向きざまルイカにそれを振り下ろす。ルイカはそれを腕輪で受け止め、カウンター。思い切り人形の顔面を殴り飛ばす。
バァン、と音をたて、粉々に木と化した人形の頭。それでもなおのこと人形の体は動いてくる。
「ちぃっ!!」
ルイカは人形のちょうど腹部を掌で押すように吹っ飛ばす。人形は関節をグニャグニャにしながら、さきほどルイカが起こした岩の壁の前で止まった。
赤い閃光を引っ張って、ルイカの俊足は彼女の体をもう人形の元へと運ぶ。
破壊しても向かってくるなら。
ルイカはそう考えた。
そしてそれを行動に変える。
つい前に人形が発射し、岩の壁に突き刺したナイフ。これを引き抜き、人形の各部位に突き立てる。
一瞬のうちに終わらせた。
これなら、人形は身動きがとれないはずだ。
「……」
「……やるねぇ」
「っ!!」
突然、黒装束の声が聞こえる。
ルイカが音源を特定する間もなく、奴は木の影から姿を現した。
とっさにルイカは確認する。攻撃した黒装束。首の骨まで折ったはず。しかしその疑問は左方で倒れている黒装束を見て晴れた。
つまり、あれも人形。
本体は最初から隠れ、様子を伺っていた。
「まだ戦い方に理性が見られるが、まぁいいだろう。今回のところは」
「がぁっ!!」
間合いはゼロで埋まる。拳は仮面と一ミリ未満。音が遅れてやってくる。
しかし、ブゥンッと空ぶった。黒装束は消え失せたのだ。
「最後にもう一度言う。私は君の力が欲しい」
雲に包まれた夜空から、声がする。
「君が……」
ルイカの目の色は、青に戻っていた。
「必要だ」
ぬるい風が強く、吹き荒れた。