第十三話 竹屋のファイアー
今話から第二章です。やっと物語が動くような、動かないような。
今回のタイトル難易度
★★
そこは暗く、狭く、黒い世界。
光はどこだろう。ここはどこだろう。
私は一体誰なんだろう。
化け物のレッテルは生まれたときからあった。
望まぬ力。
誰もが私を恐れ、避け、やがてそれはいたぶりの形で私の身を襲った。
天涯独り身。天性の孤独。
姿形は皆と同じはずなのに、同じように生きているのに、人とは違って、死にたくなった。
自殺の願望。脈動の放棄。
始めは周りが私の力を恐れていたのに、いつの間にか私の方が私の力を恐れていた。
地獄に似た闇。
入り口も出口もない迷路に迷い込んだ私の行く先なんて、たかが知れてる。幾度となく見た常闇は、私をも包み心の中に侵入した。
見えてたものが見えなくなった。
見えないものは見たくないと思った。
見たくないものしか、私にはないと気づいた。
そこは冷たく、静かな、痛い世界。
光を探すことを止めた。居場所はないと知ってしまった。
自分を知ることを諦めた。
誰も気付きはしない私の痛み。気付こうともしない。
誰も。
だから、私から遠ざかろうと決めた。そして見つけた孤独の枷。
これさえあれば、闇から出なくて済む。
逃げいていられる、理由を持っていられる。
迷路の支配は私だけ。誰も近づかせはしない。
何もなければいい。思い出などなくてもいい。
死ぬ勇気がないから、生きる恐怖にも勝てない。
これでいい。これでいい。
日が昇って、落ちて。
月が昇って、落ちて。
ここは辛く、苦しく、泣き出しそうな世界。
それが心地いいと私は信じた。
信じるからこそ、信じたくないのだと知った。
*** *** ***
ここはカルマ魔術学園。当時の名残から、能力学校という名称を使わないでいる。
全寮制。中高一貫。編入も可能。
一般的な大学並の施設と、能力学校としては最古を誇る伝統が特徴である。
また、入学試験はない。そうなると倍率がとんでもないことになりそうだが、生徒の死亡率が最も高かったことで有名であり、行きたがる者は多いとは言えない。近年はゼロに止められているが、相変わらず事故等は多い。
「能力を行使するのに必要なのが『テキスト』だ。中等部で習ったと思う」
季節は春。入学式も終え、高等部最初の授業が行われていた。
「テキストの数値からは、三角関数と同様なグラフが得られる。その周期にあたるものが『テキスト周期』。振幅はテキストの効力数値を表す」
流石に新入生だ。誰一人として居眠りなどしていない。
全員せっせと先生の書く文字や図を、ノートに写していく。
「テキスト周期が規則的に一定な者が能力者。不規則な者が異能力者に分類される。またこの分類を、位相という。まぁつまり君達の位相は能力者、ということだな」
一組から五組までが能力者のクラスで、六組から九組までが無能力者
のクラス。そして零組が異能力者のクラス。という風にカルマ学園では
能力者の位相によってクラス分けがなされている。
「さらにー、テキストには属性が存在する。皆知っているように、火、水、風、土、雷、の五系統だな。その属性に関して、詳しいことは選択教科で各々学ぶことになる」
ここは一組。イケメン優等生こと、辻崎がいるクラスだ。辻崎は、頭がくせに顔もいい。運動もできるし優しいし、何より紳士だ。教員陣からの評判も良ければ、期待も辞書なみに厚い。
「でだ、こっからが高等部の授業だ」
中年の教員が、黒板の前をうろうろ歩きつつ、髭を撫でながら言った。
教卓の上に、学園共通の教科書を開いたまま置く。
「ユニゾン。能力系統の合成だ」
徐に、教員が両手を前方にかざした。
まず、右掌の少し上で、炎が燃え上がる。黄色い影を教室に張り巡らし、赤色に立ち上る火の塊が生徒達の眼にとびこむ。
そして、左掌には球形の水を出現させた。
「火系統と水系統。混ぜると何系統になるか、分かる奴はいるか?」
「湿系統です」
すっと手を上げ解答したのは辻崎だった。中等部からの辻崎のファン共はキャッキャッと騒ぎだす。普通でしゃばりは嫌われるが、辻崎の場合はなぜか当然のごとく思われ、まぁ辻崎なら、と黙過されていくのだ。
「よく分かったな。一組に十点! って、そんな制度ないかー!」
しーん。
あぁ、空気が痛い。
「う、うぅん!! で、では、ユニゾンするぞ」
水の球面に、烈火が揺れる。
右の炎は青色のテキストに縁取られ、左の水は緑のテキストに包まれた。
ゆっくり近づけ、青と緑の表面が触れたとき、白い光が教室の端にまで行き届いた。
シンバルの余韻のような振動が、空気の中をかけめぐる。
「おおぉぉ……」
生徒全員で、おおぉぉ……。
教員の重なる両手には、濃密に込められた蒸気の塊があった。
「これがユニゾンだ。火のテキストグラフと水のテキストグラフのエッジを一致させ、ユニゾンレートに合わせて、って、分からんか。これから説明する。テキストグラフというのは……」
「……ぁぁああああっ!!」
突然、ガッシャァン、とガラスをぶちまけて、何者かが一組の教室に乱入。というか特攻。
よからぬ侵入者はガランゴロンと机に弾かれ、誰かさんの筆箱とノートを吹っ飛ばし、教卓の横で鈍い音を立てて止まった。
「ぅっつー……いったいやないかー!! アホ破門!!」
「ざまーねーな討窪っ!!」
あいつら、と呆れるように辻崎は手で額を押さえた。さも他人のふりでもするかのように。またいつもの勝負なのだろうけど、周りに迷惑をかけるのは勘弁してほしい。
「ほんならぁ!!」
「のわっ!!」
討窪はマグネイドを発動し、破門に黒球を当てた。そして破門を教室に連れ込み、さらなる乱闘開始。
呆気にとられる一組ともどもを置き去りにして、ギャアギャアと騒ぎまくっている。
そこへ教員が、冷静に一言。
「これが、雷系統だ」
パシンと一つの拍手が聞こえた。それと同時に、破門と討窪の体は、糸を切られた操り人形のように動かなくなった。
*** *** ***
冬の寒さは通り過ぎ、春の陽気が世間に漂うこの季節。空は雲一つなく晴れ渡り、パステルブルーにのびた大空に、小鳥のさえずりが優しく響く。
現在カルマ学園は昼休み。他の学校と違って、カルマ学園は昼休みを長くとっている。たいていは三十分ばかしだが、ここでは一時間程度ある。
理由は諸々あるが、主な理由は、立地条件に関係することだ。全寮制であるため、生徒には家庭から持ってくる、お弁当というものはない。だから、購買及び学食は異様に混む。ある程度の大きさと規模はあるものの、流石に千人以上はさばききれない。そうなると自動的に混雑や待ち時間を避けて、学園外に繰り出す者が出てくる。しかしカルマ魔術学園の近隣にはファミレスが一つしかなく、そこもすぐ満席になる。以上の条件が重なり、生徒達は遠出しなければならない。
だから、昼休みが長いのだ。
「はぁー……」
「てめ討窪っ!! 休んでないでちゃんとやれよ!」
「……なんで、なんで、なんでっ! せっかくの昼休みに、掃除せなあかんねぇんっ!!」
「おめーがガラス割ったからだろーが!!」
破門と討窪の二人は屋根の上にいた。屋根といっても、ドーム上に広がる、闘技場の屋根だ。闘技場の様相は完全にスタジアムといったものであり、趣や伝統といったものは皆無である。
「ガラス割ったんは破門やないかーっ!!」
「実質吹っ飛ばしたてめーに決まってんだろっ!!」
二人はブラシを片手に今にも殴り合いでも起こしそうに、責任の擦り合いをしていたところであった。
サボタージュすればそれでいい話ではあるが、実のところそうもいかない。破門と討窪の手首には『束縛系術式』という、一種の枷のような術式がかけられている。これがある限り、屋上から降りようとしても術式が反応して二人を妨げる。
メロンパン状の屋根の上で、小さな口げんかは続く。
「もっとTPOを考えやがれっ!!」
「勝負に乗った破門にも非はあるやろっ!!」
千宮は『飲めるヨーグルト』をストローで吸いながら、二人の姿を見物している。日陰が無いので、いつになく三拍眼は顕著なものになっていた。
「もう、ちゃっちゃっと掃除した方が早いだろ」
「こんっな広いとこ、終わるかいなっ!!」
破門は大きく手を広げ、空で屋上を包むようにした。
カルマ学園の闘技場はスタジアムと呼べるほどの広さと設備がある。その屋上、というより開閉式の屋根の上は、とんでもない面積をもっている。
高校生二人が、一時間で掃除を完了させるのは至難の技である。
「やるだけやるんだよバカ」
「はぁあーっ!! 破門が蹴らなければ、こんなことには……」
突然、うだうだ文句が垂れるこの空間に、扉の開く音が割り込んだ。
音のする方を破門、討窪、千宮は振り向いた。
「ふん、やはりここにいたか」
「っ!! 姫鉈……やったっけ?」
そこにいたのは、0組学級委員長の姫鉈だった。
健康的な肌色に、スラリと見事な曲線美。光も透かさない黒髪を揺らし、尖った眼の中には三人がはっきりと収まっていた。
「声が聞こえたものでな。お前らに用がある」
破門は、やっぱこいつ地獄耳だ、と思っていた。闘技場は基本的に立ち入り禁止であるから、人が寄りつかない場所である。しかもその屋上から声を聞き取るなど、常人には不可能だ。
破門の懸念も察さず、姫鉈は携帯電話を取り出し、三人にけしかける。
「学級委員長として、0組全員の連絡先を把握しておきたい。三人とも携帯を出せ」
「なんや、そないなことならお安い御用やで」
一番姫鉈の近くにいた討窪が、率先して姫鉈の要望に対応した。
討窪はシルバーフォルムの携帯電話をポケットから取り出す。
「俺が破門と千宮の分も送ったるわ」
「ふん。悪いな」
討窪と姫鉈は互いに携帯電話の先端を合わせ、赤外線通信を済ませた。姫鉈はカチカチとアドレス帳をいじり始めると、何かがに気付いたらしく、早まる手を止めた。
「破門……下の名前、愛、というのだな」
「っ!!」
プッツリと、その時だけ時間が止まったようだった。
破門の黒い殺気が地を這うように流れ出る。静電気を帯びたかのように、破門の黒髪はバラバラに逆上がりをし始めた。
「てめぇ姫鉈とかいったか。俺の下の名前を呼んでんじゃねぇ」
「何故だ? 良い名前だと思うぞ」
「どこがっ!!」
こんな、女みたいな名前など大嫌いだ。聞くだけで虫酸が走った。破門は、いたであろう両親をひどく恨む。
「愛。慈しみ、親しみ、大切に想う心。私は本当に良い名だと」
「黙れぇっ!!」
破門は血管を迸らせながら、できる限りに大きな声で姫鉈の発言を遮った。眼球には、赤い稲妻のような充血が浮かび上がっている。
姫鉈は、ふぅ、とため息をして。
「貴様には愛の欠片も感じないな」
「黙れと……」
「愛の名を持つならば、名付け親の気持ちをもっと汲み取って」
「言ってんだぁっ!!」
破門の堪忍袋の緒が切れた。破門は左腕を大きく引いて、一気に手のひらを姫鉈に向けて突きつける。同時に紙が腕を形作り、姫鉈に向かって迫りゆく。
「ちょ、ちょ、破門っ!?」
破門と姫鉈のちょうど間にいた討窪は、慌てて横っ飛びしてその巨大な腕を避けた。
しかし、姫鉈は避ける気配も見せず、仁王立ちのまま。
ふん、と鼻で笑い。
右手を紙に向けた。
「甘いな」
直後、ドパァン、と破裂するような音が響く。
紙の腕は散り散りに舞い、原型などもう途方の果てだった。勢いを失い、リズボルトの効果が消えていく。
破門は驚いた。
「なっ!?」
「まったく……。短気な異能力者ほど、質の悪いものはないな」
破門は一瞬、風系統の能力かと思ったが、どうやら違うらしい。
風系統の本質は「斬る」である。しかし破門が紙を介して感じたものは「斬る」ではなく、どちらかというと「弾く」。
火は「燃やす」、水は「潤す」、土は「割る」、雷は「痺らせる」。「弾く」はどれにも当てはまらない。
「少し教育が必要だな」
姫鉈が右腕を前方に翳す。
一気に、舞う紙達が空洞状の軌跡をつくる。
破門の視界に穴が開く。その先に見えるのは姫鉈の右掌。
しかしそれではもう遅かったのだ。
「ぐおぉっ!!」
体の芯まで衝撃が貫いた。首に大きなGがかかる。目玉が飛び出しそうな、そんな感覚に見回れる。
破門の体は後方大きく吹き飛ばされ、天の井の上を転げ回る。一転二転に止まらず、破門はドームの外に放り出された。
「くっ!!」
破門はリズボルトを使ってもう一度腕を形成。スタジアムの端にしがみついた。
「急になんなんや……」
「……」
ポカンとする討窪と千宮を差し置いて、姫鉈はニヤリと笑った。
破門が紙を収束させながら戻ってきた。
「ちぃっ……!!」
「どうした? 愛」
「こ、こんのやろぉっ!!」
完全に挑発されて、破門の腹が全員起立のごとく立ち上がる。
姫鉈に向かって一直線に疾駆する。
「斬紙っ!!」
左腕の紙を発散させ、姫鉈の四方八方をそれらで囲む。全包囲攻撃に加えて、追い打ちを叩き込むつもりだった。
「破門本気やんか……」
姫鉈は足を踏み込んだ。俊足で前方で駆け出し、囲んでいた紙のマークを振り切る。
紙が先まで姫鉈のいた場所に突き刺さった。
破門と姫鉈が向かい合って、互いに距離を縮める。
「鷲津紙っ!!」
「ふん」
紙の腕を避けるため、姫鉈は前斜めに大ジャンプ。破門のちょうど上空につけて、破門に向けて掌を突き出す。そして、例の「弾く」を飛ばす。
「ちっ!! 盾紙っ!!」
亀の甲羅のような紙の盾をつくる。パァンと轟音を散らして、紙の層が弾け飛ぶ。今回は何とか防げたようだった。
次は破門のチャンス。
姫鉈は空中にいるため、回避自体が困難な状況だ。
よし、と破門は印を組んでテキストを引き出す。
先に使用した斬紙を再び姫鉈に向けて射出した。
「ふっ……まだ甘いな」
着地手前。
紙が地面と水平な方向で、姫鉈に襲いかかる。
しかし、当たることはなかった。
姫鉈が着地したのは地ではなかったからだ。
「何っ!?」
姫鉈が降りたのは、掃除用ブラシの上だった。
ブラシの棒の部分を縦にして地面に突き刺し、その上に着する。
紙はその棒の部分に突き刺さっていくばかりで。
(そういや、吹っ飛ばされた時、俺のブラシは消えてた……!! いつの間に……!?)
姫鉈が印を組む。
直後、キィンと音がして、破門の体がぐらついた。
「な、何だこ、れ……」
頭が揺れる。吐き気もする。姫鉈の姿がブレる。討窪の声が遠く聞こえる。
テキストが乱れ、紙達が力を失っていく。
姫鉈が何かしやがった。
「やはり本体をたたけば、こうなるか」
姫鉈はモップの上から「弾く」を飛ばす。
破門はどうすることもできず、またしても吹き飛ばされる。
綺麗になったばかりの制服がもう泥だらけだ。
「くっ!!」
破門の体はひきづられるように移動した後、俯せの状態で停止した。
なんて無様。自分から喧嘩を引っかけといて、惨敗とは。
姫鉈はよく通る声で、けれど単に大きい声というわけでもなく、破門に話しかけた。
「異能力者たるもの、もっと冷静に行動するべきだ」
「……ちっ」
姫鉈は腕を組み、破門に向かって歩き出す。
「異能力者を危険視している者もいる。そう短慮であれば、生き辛くなる一方だぞ」
偉そうに説教してんじゃねーよ。この言葉は喉に押し止めておいた。
それは短気であることの証明になってしまう上に、姫鉈にそれを察せられるからだった。
「これから三年間『家族』として共に協力していくんだ。いつ我々が戦争にかり出される分からない。そのような姿勢では死にいくようなものだ」
「……」
破門の目の前、というか上の方に姫鉈がつけた。
スカートの中にブルマが見えたが、ちっとも嬉しくなかった。
「私の異能力コードは『マエストロ』。波動を操る力だ」
なるほど。
「弾く」は単なる波動で、破門が起こしたふらつきは音という波を操って耳から脳へ攻撃していた、というわけだ。
「破門の異能力コードは何という」
「・・・・・・ルト」
「ん?」
「リズボルト!! 紙を操る力だっ!!」
破門は顔を背けるように、照れるように、叫んだ。
拳を交えて芽生えた友情か。いや違うな。
ただ『家族』っていう言葉が嬉しかっただけなのかもしれない。よくは分からないけれども。
「そうか」
姫鉈は破門に手を差し伸ばした。
破門はその手をとるか、少し迷ったが、渋りながらも掴んだ。
「これからよろしくお願いする」
「・・・・・・けっ、よろしく!」
昼休みは、まだまだ終わりそうになかった。