第十二話 ビリペクト
久々の更新となります。
読んでくれる方、本当にありがとうございます。
タイトル難易度
★★★★
何かもう凝りすぎてる
黒から白へ、視界の彩色が変わっていった。
しかし強い光で、再び闇へと引き返す。
小さな瞬きを何度も繰り返し、やっとのことで僅かながらに明るさを手に入れた。
「……ん、んん」
ここは……確か、えっと、どこだっけか。
「やっと起きましたかー? もー夕方ですよー」
破門は声のした方へ顔を向けた。
声の主は壁に正座している。
いやいやそうじゃない。
破門が横になっていたから、そう見えただけだった。
「えー……あぁー」
若干思い出してきた。
変なコウモリらしき物体を斬って、斬って、斬って、デカいやつに思い切り頭突きを食らわして。
疲労がピークに達していたのか、頭突きによる衝撃のせいか、それともそのどちらでもあるのか。
原因はそれなりだが、結果的にはぶっ倒れたわけだ。
ほらもう傷もこんなに。
は、ない。
「ん? あれ?」
破門は自分の体を見た。それはかなり不可解なもので、服は破けているのに、傷口はない。血痕はあっても、出血はしていない。まるでボロ着を単に着ただけ、のように思える。
自分の体の正常さ、ともあれ異常さに気づいた破門に、保健医はそっと声をかけた。
「あーそれはですねー、私が治療したんですよー」
「……治癒能力って、こんな進歩していたっけか」
破門は頬にあったはずの傷が無いことを確認しつつ、そう言った。
本来、治癒能力は傷を完全に癒すためのものじゃない。せいぜい、応急処置程度。大人数で行えば手術並のこともできるが、患者に対する負担も大きい。起きるのに3日はかかる。
「これは治癒能力じゃなくて、私のラジオンスペルですー」
「ラ、ラジオ?」
「ラジオンスペル。カルマによる能力創世記よりも前の、古代魔術のことですよー」
「魔術って……」
「まぁ詳しくは授業で習って下さいー。さぁさ、傷は治ってるんだし、帰宅されたらどうですかー」
破門は生返事をした。
納得しきれないこの状況と、さっきまで殺しにきていたにも関わらず、現在のこのケロッとした対応。
腑に落ちない面もちで、破門は立ち上がった。
「すみませんねー。新しい制服をそんなにしちゃって。事情を話せば、学校側で支給してくれますんでー。これ、その証明書ですー」
「はぁ……」
破門は紙を受け取り、ポケットにしまった。
そして、出口へ向かって歩を進めた。途中途中のコウモリの残骸を足でどかしつつ、一回くしゃみをしてから検査室を後にした。
保健医は、扉が閉まるのを確認して、不敵に笑ってこう言った。
「いい加減出てきたらどうですかー。校長先生」
「……バレてたか」
保健医から向かって反対側の方向で、床の色が、白から茶色へとグラデーションしながら変わっていく。厚みも出てくる。少しずつ盛り上がって、粘土のように人の形をつくっていった。
吟斗は床にメタモルフォーゼしていたのだ。
青白い光が粘土的なソレを包みこみ、中から吟斗が姿を現した。
「いつから気づいてかのう」
「破門君の『桜紙』のときですかねー。ドサクサに紛れていたのが分かりました」
「流石……」
「私の耳を、舐めないでくださいー」
ピコピコ。
吟斗は、じゃぁワシはこれで、と言ってその場から立ち去ろうとしたが、保健医はそれを言葉で一時的にくい止める。
「しっかし、なんでこんなところにー」
「……猫ばば先生の能力測定は度が過ぎますからのう。少しだけ心配したんです」
「……それは、生徒を心配したんですかー? それとも、破門君を心配したんですかー?」
吟斗は足を止めた。
なかなか鋭いことを聞く。
見た目は子供でも、伊達に歳をくっていない。
不穏な雰囲気に、空気が黙り込んだ。
「……」
保健医は微かながら、何かを察したようだった。
しかしそれについて言及し続けるのもちょっと、アレだ。
回答を待たずに保健医は言葉を紡いだ。
「……だいじょーぶですよー。私のラジオンスペルは『死』をも治せますからー。校長先生もご存じでしょうー?」
「しかしそれは、猫ばば先生の負担も大きい」
「私の『退化』はもうここで止まりましたよー」
保健医は両手を下方向に広げて、自分の姿を吟斗に見せつけた。
「それに破門なら、戦いへのトラウマも、まったく生じないと思いますよー」
ピコピコ。
死を経験しかけた者は、かなり大きなトラウマを抱えることになる。しかしながらカルマ学園では、中等部から精神訓練を実施しているため、そうなることは少ない。
そう意味も含めて、保健医は「まったく」と敢えて言ったのだ。
「……そう、か。ふむ……。まぁそれを聞いて安心したよ」
吟斗は振り向いて、保健医に一礼した。保健医も、それを返した。
コウモリの残骸を足で払いつつ、一回くしゃみをしてから部屋を出ていった。
似たもの同士。
「……なんだったんでしょー……」
ピコピコ。
保健医は独り呟いた。
*** *** ***
「何だぁ千宮のやつ……」
破門は第一寮149号室、とどのつまり自分と千宮の部屋にいた。
ボロ着を身に纏ったまま。
千宮からのメールを見て、残念がっていたところだった。
「今夜は用事が入った。」という、よもや女子の文面ではないようなメールが、破門の携帯の液晶に映し出されている。
「大浴場遠いんだよなぁ……」
第一寮には風呂が無い。だから自動的にここの寮生はカルマ学園内にある大浴場まで足を運ぶ必要がある。
ただ、至極遠いんだ。これが。
だいたい徒歩二十分。
いつもなら辻崎の部屋に行けばいいものだったが、いかんせん怒らせてしまったばかりだ。到底入れてもらえる思えない。
「はぁー……」
実は千宮のテレポートに頼っていたのだ。彼女の異能力を以てすれば、「あっ」という間なのだから。
破門は重い腰を起こして、寝間着つまるところ中等部のジャージに着替えた。
バスタオル、ハンドタオル、シャンプーとリンス、洗顔料。一式をプラスチックの桶に入れて、サンダルに履きかえ、扉の方へ向かった。
「さて、と……ん?」
ところで。
ドアノブの下辺りに、うっすら何かが書いてあるのを破門は見つけた。正しく言えば、彫ってある、だろうか。かなり弱い力でなぞっただけ、みたいな。
破門は訝しげに顔を近づけてみる。
「何だこれ?」
網膜の筋肉を引き延ばし、眉毛を「ル」の字にして、凝視した。
手で影を作ってみたりして、僅かな溝を映し出そうとしてみる。
若干だが、文字が見えてきた。
「み、右……? よ、四十、五? 右四十五度、か?」
右四十五度。確かにそう書いてあった。
破門の頭はこれを落書きと判断。暗号っぽくしてみた、なんとなくの記述であろうと解釈し、そのまま見過ごそうとした。
しかし「右四十五度」の下に、興味深い文字、いや溝が。
「大、浴場へ……」
右四十五度。
大浴場へ。
間違いなくそう在る。
破門の脳内会議は散会寸前だったが、議長の破門が破門を呼び止め、再び開会された。
議題は、四十五度って何。意見が飛び交う。
体温じゃね。高すぎだろう。
回数か。何の。
じゃぁ角度だ。だから何の。
「四十五度……」
なぜドアノブの下にこんなものが書いてあるのか。わざわざこんな低い位置に書く必要があるのか。
ドアノブ。四十五度。大浴場へ。
「いや、まさか、な」
部屋番号が吹っ飛ぶ寮だ。一階が二階になる部屋だ。
ありえないことじゃない。
半信半疑だったが、破門は静かにドアノブを握り。
四十五度だけ右に回して、前へ押した。
するとどうだ。
目の前に飛び込んだのは、古びたボロ廊下ではない。
「え……ええぇぇ!?」
「お? 破門やないか。何してんねん。そないなとこで」
破門は、大浴場にいた。
ちょうど受付の前。男と女の暖簾が左右に位置している。
端から見れば、どうやら破門は道具庫から出てきた者のようであるらしい。
確かにそこから出てきたのだけれど。
「う、討窪。ここは、大浴場、だよ、な……?」
「せやけど、だから何してんねん。掃除のバイトか?」
破門は慌てるように振り向いた。
後ろは薄暗い倉庫。カビ臭い。目の前に討窪がいるから、偽物の大浴場ではなさそうだ。
破門は理解をしてきた。
なるほどどうやら、扉同士が繋がるみたいだ。ただ一方通行ではあるらしかった。
「ボケっとしてんなや。入るんやったら、さっさと行くで」
「ん、あ、ああ」
まるでお化け屋敷に入るかのように、破門は注意深く進んだ。恐る恐る前払いの料金を受付で支払う。受付のおじいさんは眠たそうな顔して、釣り銭を渡してきた。
ここまでは順調。
破門の次に討窪が支払う。
「はぁ? 釣りが足らんてどーいうことやねん!?」
討窪は受付のおじいさんに向かって叫んでいる。何やらお釣りがしっかり返ってきてないようだ。
「先行ってるぞー」
破門は討窪をおいて、暖簾を左手で払いのけた。
ツルツルの床を、木目に沿って進んだ。飲酒禁止とか喫煙禁止などのポスターが、視界の中で奥から手前へ動いていく。
真っ白な壁にシミなどの汚れは無く、清潔感漂う香りもする。
第一寮とは大違い。
「広いなぁー」
脱衣所はさながら、プールのそれのようだった。
ロッカーがいくつも整頓されて並び、窮屈というほどでもない通路。サウナもあるし、個室のシャワーまで完備だ。
しかし、不可解な点が一つ。
破門以外に、誰もいない。
「……」
時計に目をやれば、針はちょうど八時を指していた。
他の生徒がいたって、何らおかしくない。むしろ混むくらいではないのか。
破門の足音だけが、脱衣所の音響を支配した。
引きずるようなサンダルの音が空しく響く。
「討窪早く来いよー」
ちょっとだけ寒気がして、破門は両手でそれぞれ逆の腕をさすった。前かがみになりながら、サンダルを脱いだ。
ロッカーに手を差し伸べ、開けようとした、その時だった。
「ん!?」
寒気なんてレベルじゃない。
それは悪寒だった。
冷たい気配が、電流のごとく背中を伝り、首の後ろの方で弾けた。
「何だ、これ……」
破門は右を向く。誰もいない。
後ろを振り向く。誰もいない。
そして、左の方へ視線をやった。誰か、いる。
しかし討窪じゃない。風貌からして、カルマ学園の生徒ではない。教員、とも違う。
「だ、誰だ」
「アアァ……アァ……ァアア……」
群青色の服を纏い、深々と帽子を被った、その者。
袖は指の先まで覆い隠し、服全体には不思議な文様が刻まれている。絵ともとれるし、文字ともとれる。
下を向いているため、顔は確認できない。
だが、この声は。
どこかで耳にしたことがある。
「……アァァア……ァ……」
「お、お前……」
その瞬間、目が合った。
睨むような奴の目の色は、白目と黒目が逆転していた。
間違いない。
螺子はずれだ。
旧校舎で見た、あの気味の悪い奴。
「な、なんで、ここに……?」
「……ァァァアアアア!!」
螺子はずれは大きく右腕を振りかざし、一気にその腕を突き出した。
刹那、巨大な青い腕が出現。それは高速で破門まで伸び、破門の体を丸飲みにして、瞬時に壁まで追いやる。
「ぐはぁっ!!」
「アァ……アアァ……」
強く打ちつけられる。
破門の体は壁に固定された。微妙に透けている青色が、離れた螺子はずれと破門を結んでいる。桶が、シャンプーやらをぶちまけた。
巨大な五本指が破門の体を締め付ける。
「が、がぁっ!!」
ミシミシと、体から嫌な音がした。
破門は息が出来るように、首元にかかった指を退けようとした、が。
すり抜けてしまう。
(な、何だコレ……!!)
確かに破門は掴まれているのに、こちらからは掴めない。何度やっても半透明な青色の中に、破門の腕が埋もれるだけだった。
さらなる圧力に、破門は苦しまされる。
「ぐ、ぐうおぁっ……」
「アァァ……アア……」
目的が分からない。
そもそも、何であいつがここにいる。
あの体じゃ、歩くことすら出来ないはず。不老不死であるから、死んではいないのだろうけど。
(や、やばいぞ……このままだと……!!)
呼吸が出来なくなってきた。圧力はなおも増していく。ふりほどくことすらできない。
だったら。
「この、やろぉぉっ!!」
破門は左腕にテキストを流し込んだ。
紙を手裏剣の形にして、硬質化。思い切り投げ飛ばす。
三つの手裏剣が風を切る。
しかし、螺子はずれの体に届きそうな瞬間に。
「何っ!?」
手裏剣のもっていた速度が一瞬でかき消され、回転もすることなく地面に落下した。螺子はずれの一歩手前で手裏剣は床に突き刺さる。
逃げることもできず、直接攻撃もダメ。
いよいよまずくなってきた。
「が、が、ぐぅ……」
「アア……アァァ……アァァア!?」
突然、螺子はずれの声色が変わった。空いている方の手で頭を押さえ、涎が汚く流れ出てしまっている。
「っ!?」
「アアァァ!! アアアアァッ!!」
奇声を上げるやいなや、螺子はずれの足下はおぼつかなくなった。
目玉が飛び出るかの如く強く開眼し、胸に掌をあてがう。
そして。
「……消え、た?」
消え去った。その場から。まるで何もなかったかのように。
しかし痛みは確かに現在進行形で在る。お風呂セット一式も散らかったままだ。
破門の脳内は混乱を極めた。
どうやってガラスのショーケースから出てきたのか。何故自分を襲ったのか。何故急に消失したのか。
そもそも、本当に奴は螺子はずれだったのか。
「何が、どうなって……」
「おやぁ? 破門ではないか?」
「おおぃ! 吟斗!!」
破門は一直線に前を凝視していたから気づかなかったが、真横に吟斗がつけていた。急遽受け取った空気の信号に、破門は軽く仰天した。
「……な、何じゃ?」
破門はヤンキーばりの突っ張り顔で吟斗を睨んだ。
「……てめーの管理がしっかりしてねーからじゃね」
「は? 何のことだ?」
破門はため息をつき、何でもねーよ、と続け、前方へ歩きだした。サンダルを拾い上げ、散らかったタオルケットやらを肩にかける。
破門の体は、まだ螺子はずれの感触が残っていた。
なんて冷たい。
まるで氷のように、奴に触れられた箇所は冷ややかであった。
「何かあったのか?」
「だから、何でもねーっての」
「手裏剣までつくって、何もないなんてこと、あるわけなかろうが」
破門は少しだけギクッとした。
ただ、いちいち説明するのも面倒くさい。どうせ、そんわけなかろうが、とか言ってアシラわれるのも目に見えている。
破門は紙を分解して、隠すように左腕にしまいこんだ。
「はぁ? 何言ってんだよわけわかんねぇ」
「……そうかの」
若干ピリピリした空気の中、それを斬り裂く特効隊長、討窪大和が駆け込んできた。
「だっはぁっー!! あのオヤジけちくさすぎやろー!! あら、校長先生やないすか」
星の点描があちこちに飛び交う。さっきの雰囲気とはうって変わってしまった。
討窪は子供のような目で陽気にやっている。
「校長先生も入るんやねー! ってか! 一番風呂かいなぁー!! よっしゃ破門、どっちが先か勝負や!!」
「うっせ! 討窪うっせ!」
破門の文句など気にせず、それー!! だなんて。
ある意味羨ましいよ。もう。
破門は討窪に遅れてロッカーを開く。その時、一瞬吟斗と目が合った。
吟斗はニヤリと笑って。
「いーやっ! 一番風呂はワシじゃぁー!!」
何だここ。
バカばっかじゃねぇか。
*** *** ***
破門は第一寮に戻り、討窪と別れ、今一四九号室の前にいた。
ドアノブを握る。
ガチャと音を立て、番が軋む。
「あれ? 外?」
第一寮の裏口につながる。
桜が綺麗だった。月明かりに照れされる桃色は透き通り、神々しさを放っている。
いやいやそうじゃなく。
破門はドアを閉め戻した。気を取り直して、もう一度開く。
次は、断崖絶壁。
「う、うはぁー……」
ドアを閉める。
一体いつになったら一四九号室に入れるのだろうか。
ホカホカしていた体も、帰りの夜道で随分冷えてしまったし、そろそろ部屋の布団にくるまりたいんだが。
破門は腕を組み、どうしたものか、と考えていた。
するとそこへ。
「……なにしてるの」
「ん? あっ! 千宮!」
廊下の暗がりを照らすような金髪と、大きな青眼。
千宮はのそのそと歩いて、ドアノブを握った。
そして、いつもの部屋に、つながった。
「あ、あれ……あれー!?」
「……」
異能力者達の夜は更けていく。