第八話 アダート返し
今回のタイトル難易度
★★★
「そーいやさ、辻崎と同室の奴はどーしてんの」
「あぁ、不知火なら、気使ったのか知らないけど、他の部屋に行ってるよ」
「ふーん」
破門はプラズマテレビの前にある、真っ白いソファでくつろいでいた。両腕を横長の背もたれに乗せ、ついでに頭もだらしなく乗せ。そりゃもうこれみやがしに。なんせ、149号室ではまったく不可能なことだから。
食事を終え、すっかり部屋はのんびりモード。千宮は破門の横で一緒にバラエティ番組を鑑賞していた。
「おい討窪っ。前通ってんじゃねぇ」
「うるっさいなぁ。こんだけ画面でかいんやから見えんことはあらへんやろ」
「何だその言い訳! ってか、お前何してんだよっ!!」
討窪はテレビの下によくある、透明な扉で閉められた小物入れを物色していた。
どうやらゲーム機を引っ張りだしている辺り、ゲームをしたいようだ。
「おっ!! PS3あるやんっ!! これやろうやぁ!」
豪快に取り出されるは巷で噂のハードウェア。ギラリと光黒いフォルムは、丁寧に扱われている証拠だ。しかし討窪は、それにべたべたと指紋を張り付けている。
「おいおい勝手に触るなよ……俺のじゃないんだから」
辻崎が洗い物を終え、エプロンで手を拭きながら三人に近づいて言った。曰く、ゲーム機は基本的に不知火という、辻崎と同室の人のものらしい。
「えーやん。ちょっと借りるくらいさぁっ!」
「そうはいってもだな……」
辻崎がしかして渋っていると、破門の嫌ほどキラキラした目が視界に入ってきた。多くは望まない、だから、な? 俺もPS3やりたいよー、と眼力だけで語っている。
対して千宮はゲームよりテレビの熱湯風呂に興味があるらしく、目を側め、テレビが見えねぇ、そこどけ討窪、と音にならない声を発していた。
「……ちょっとだけな」
「よっしゃぁーっ!!」
破門は突然バケツをひっくり返したように機嫌が良くなり、討窪とともにゲームの準備を始めた。配線がどうたら、コントローラーはどうたら、俺が1Pだとかなんとか。
「千宮は、ゲームやる?」
辻崎は、少しテレビを見たがっていた千宮を心配するように質問した。
千宮は無言のままコクリと頷き、がちゃがちゃと並べられたゲームのコントローラーをその小さい手に取った。
「ふぅ……」
辻崎はエプロンを脱ぎ、それをイスの一つにかける。そしてヘアピンを取り、制服のポケットにしまった。そうして、保護者のような目で目の前の三人を見た。
こんなに広い空間なのに、一カ所に集まるということは仲が良いってことなのかもしれない。
「だーかーらー、そこは三本刺さないと意味ないっちゅーねん!!」
「うるせーなー。ゴチャゴチャ言うなら帰れよ」
「ここお前の家ちゃうやろがい!!」
喧嘩するほど仲が良い。誰かがそう言ってた。
言い得て妙な気もするが、的は得ている。
辻崎は千宮の横にストンと座り。
「俺は観戦に回るかな」
「……」
千宮は意識はしていないのだろうが、辻崎に対して結構な睨みを利かせている。しかしその視線に伏屈のような情はなく、単なる確認に過ぎなかった。
テレビの画面が切り替わる。その瞬間に現れる高画質という名の感動に、破門と討窪は心を奪われた。
「うほぉっ!! オープニングすげぇ!!」
「飛ばせやそんなのっ!! はよ対戦しようやぁ!!」
破門達が行おうとしているのは、現在売れ筋ナンバーワンの格闘ゲーム。一対一の対戦ではなく、多人数でできるパーティータイプだ。
ルールは至極シンプルで、自分の体力ゲージが0にならないようにして、最後まで生き残っていたプレイヤーが勝利だ。
「おっしゃー!! 俺このキャラ!!」
「おい討窪っ!! それ俺が選ぼうとしてた奴だぞっ!!」
「……」
ある程度の論争と闘争はあったものの、各々使うキャラクターを選択し終わった。
そして対戦開始までのローディングの時間。微妙に静まる居間には、水槽の酸素供給機のコポコポという音だけが響く。
待つこと数秒。画面には三人のプレイヤー。
「いっくでぇ!!」
そして、試合開始のゴングが鳴った。
と同時に。
「……ん?」
何だろう。辻崎の目の前を横切る、白い腕。
右から左へ。そして討窪の頬へ。
流れるように通過する破門の拳は、討窪の右頬にめり込んだ。
「ふぎょぉっ!!」
「おっしゃー!! 行くぞっ!!」
「待てやコラぁっ!! リアルで殴るのは無しやろぉ!! ちょ、ゲーム止めろぉ!!」
「うっせー!! 先制攻撃だっ!!」
和んだはずの空気が一変。一気にアナーキーな空間へトラベリングした。
辻崎の前をお次は黒球が横切る。ちょうどそれは破門のコントローラーに当たり、そしてそのコントローラーが辻崎の前を駆けていった。
そしてコントローラー争奪戦。参加者は破門と討窪。主催者も破門と討窪。
「てめ、返せ!!」
「誰が返すかいなっ!!」
本来テレビ画面内で行われるはずの戦闘が、現実世界に置き換えられ、漫画でいう、こう、モアモアとした煙の中での喧嘩が繰り広げられている。
リズボルトで討窪を牽制。隙を見て鳩尾。しかし討窪の渾身の蹴り。
いつまで続くのだろうと辻崎が、兄弟喧嘩でも見ているような気分に浸っていると。
「おらっ!!」
「いてっ!!」
討窪によって破門が突き飛ばされた。
ソファに尻餅をつく。バランスをとるため破門は腕を支えにしようと、ソファの地に手を踏み込もうとした。のだが。
「……ん?」
手に伝わる感覚は、決して「柔らかい」ではなかった。
むしろ「堅い」。少しゴツゴツしてて、何かちょっと動いている。それはちょうど、鼓動、のような————
「……」
————千宮の、胸だった。
「わ、わりぃっ!! 今肋ゴリッっていっちまったかも!!」
「……」
「お、おい?」
「……そこは、胸」
「え……」
破門は少々勘違いしている。
堅いからといって、肋というわけでもない。起状が無くても、一応そこは、胸という分類にあるものであって。
それを気にしている女の子も多いわけだ。
プライドとは言えない。悩みの種とも言えない。ただ何となく悔しい。そんな気持ちが千宮を衝動させた。
即座に破門の腕を掴む。
離せ、ではない。
「お前、貧乳だな」
離れろ、だ。
「どわぁっ!!」
三人の目の前から瞬時に破門が消える。それと同時に風呂場の方からザパン、という音がした。
千宮は少しだけ恥ずかしそうに、まな板の胸部へ両腕を持ってきた。
そして、今まで見たことないほどの剣幕で、風呂場の方を睨んだ。
しばし待って、玄関に繋がる廊下の方から、咳で噎せ返るような声。
「ゲホッゲホッ……せ、千宮ぁっ!!」
ビチョビチョの破門が、ビチョビチョの手で扉を開け、ビチョビチョのまま千宮達の方へ歩を進めていた。
玄関から繋がる廊下には、その途中の風呂場から水を引きずったような跡があった。
「胸触ったくらいで、ここまでするかぁっ!?」
「……」
破門は水を吸って重くなったブレザーを脱いだ。続いてネクタイを抜き取り、千宮の目つきに負けないくらい睨みを利かせて、三人の元へ近づいた。
討窪は腹を押さえて大爆笑。一方辻崎は、もし浴槽に残り湯がなかったらどうするんだ、と千宮に忠告していた。
破門は千宮に指を刺し、大きく一言。
「触ったところで大して得してないかんなっ!?」
「……」
千宮の怒りの炎はまだ消えていない。破門の無神経な発言によって、酸素を送ったかの如くさらに火の勢いは強まる。
千宮はさっきからうるさく説教をかましている辻崎の腕を掴む。
そしてそのまま、テレポートを発動。
「えっ?」
「あっ!?」
破門の額と辻崎の額が正面衝突。加えて、辻崎にとっては濡れたことで二次災害としても発展。
自由落下の勢いそのままに、辻崎は破門に覆い被さる。
「てめぇ辻崎どけっ!!」
「う、うるせー!! あ、頭がぁ……っ!!」
爆発的に広がる痛みに、辻崎は悶絶びゃく地していた。ただの衝突のはずなのに、毒のように痛みが拡散する。
たんこぶなんて目じゃない。凹んだんじゃないかと。骨の方までいってるんじゃないかと。辻崎は顔を歪めたまま、思った。
「辻崎っ!! 早くどけぇ!!」
破門が辻崎の髪を掴んだその時、ガチャリと、誰かによって玄関の扉が開かれた。
「ごめーん、辻崎、忘れ……も、の」
辻崎の目に飛び込んだのは、ルームメイトの不知火だった。
目と目が合う。
この時点で確定。
二次災害に続く三次災害。
服が肌けた破門に、覆い被さっている辻崎。しかもタイミング悪く、不知火が見たのは、ちょうど辻崎が破門の胸に手をあてがっているシーンだった。
「つ、つじさ……なん……ひっ!?」
三次ではとどまらなかったようで。
四次災害発生。
辻崎達の向こう。つまり、居間の方から覗けるのは、いつの間にか服を脱いでいた、討窪の姿。さらにさらに、ちょっと恥ずかしそうに胸を腕で覆い隠している、千宮の姿。
それに気づいた辻崎は、自分でも血が引いていくのが分かった。
「ほ、ほんと、ごめん……じゃ、じゃぁ!!」
「ぅおおぉぉいっ!!! 待てっ!! 不知火、誤解だーーっ!!」
辻崎はダッシュで閉ざされた玄関の扉を開ける。破門は何も気にしない顔で、千宮に対するお咎めを再開した。
外から聞こえる、必死な弁明の声。
「不知火、あれはな、誤解なんだよ」
「え、いや、ほんと、俺今日ほかの部屋で泊まるんで……その、ごゆっくり乱交を」
「だから違うっ!! あれには訳が」
「うひゃぁ。止めてください」
「ちょ、不知火っ!! 歩くの速いぞ!?」
「い、いやマジ大丈夫だから。あの、辻崎はアレだろ。イケメンだから、女はもう飽きたってやつだろ」
違ぁぁうっ!! 俺は女好きだぁっ!! 五次災害を引き起こしかねない辻崎の声が、今夜はよく響いていた。
*** *** ***
「まだ怒ってるのかよ」
「……」
破門はカルマ魔術専門学校の廊下を歩きながら、千宮に尋ねた。
いつものような無言の返答ではない。そのまんまの無視だ。実をいうと、昨日の、辻崎の部屋での一件以来、ずっとこの調子だった。
「貧乳くらいどーでもいいじゃねぇか。誰もお前のなんて見ねーだろうし。大きいことが良いってわけでもねーだろぉ?」
まったくフォローになっていない。むしろ抉るようなドリブルだ。
女の子にしか分からない悩みなのだ。それは千宮も例外ではなく、何というか、『有ること』を望むわけでもないが、かといって『無いこと』は願い下げ。
言うなれば、『普通の思い出』のようなものだろうか。決して見せびらかす訳でもなく、しかし大事にしておきたい。で、たまにそれを分かり合える者とその話をしたりする。
似て非なるが、そういうものだろう。
「……ふん」
「だから、怒んなって」
微妙な空気漂う二人の間に、辻崎が通った。
まるで、幽霊のように。
「お、おお。辻崎。どうした」
「ははっ、どうしたもこうしたも、昨日の誤解解くのに、どれくらい苦労したか……お前に分かるかぁ!!」
「うおっ」
叫ぶだけ叫んで、辻崎は廊下の階段を駆け上がった。辻崎のクラスは0組の上の階であるため、一応これでお別れだが、非常に歯切れの悪い別れだった。
「何や何やー?」
破門達が振り向くと、そこには討窪がニヤニヤしながら立っていた。
あんまり関わりたく人第一号に出会った破門は、少しだけ溜息を漏らしたが、結局三人で0組の教室へと入っていくことになった。
破門は0組の扉を横凪に払う。
「……相変わらず変な奴多いよな。なかなか見慣れへんよ」
フードの男。ポンチョのような制服の女。
ノリノリヘッドホン野郎に、朝からお菓子の小太り。
破門のような黒髪もいれば、虹色の髪を持つ女もいる。
机の上で座禅を組む奴はいるし、天井に届きそうなくらいの巨人だっている。
あまり見慣れた風景ではない。
「異能力者の集まりなんだから、仕方ないんじゃねーの?」
この集団の中ではヤンキーのような討窪だって、三泊眼の千宮だって、左腕真っ白の破門だって、霞んで見えてしまう。
それだけ0組は色濃く、それこそ昨日のマックスが言ったとおり『何かが起こりそう』なクラスだ。
破門達が並んで席に着いた手前、担任のマックスが元気良くやってきた。
「はぁいっ!! 皆元気ぃ!?」
筋骨隆々な体をくねらせながら、ギャルのような体で教壇に立つのは、0組の担任マックス=トロール。紫色の短髪が、今日も不気味に色を放っている。
「皆、あはようございまぁすっ!! では早速、ホームルームを始めるわ。今日は、一から四限が簡単な学校案内と、クラスの役員決め。五から七限が身体測定と学力考査ということで、進んでいくわ。身体測定では異能力に関しても見るから、なるべく温存しておいてね」
「……ときに討窪」
「あ?」
「学力考査なんて聞いてねーぞ」
「入学案内に書いてあったやろ。見てへんのか」
そういえば、辻崎が言っていたような言ってなかったような。
破門の場合、テストの内容を忘れるのではなく、テスト自体を忘れる。攻撃系術式は得意だからその辺はいつも満点だが、他の分野がまるでダメである。
故に破門は、テスト時間は睡眠時間だ、と考えていた。
しかしあくまで過去形。
なぜなら、辻崎に高校からはちゃんと点数をとるよう言われていたのだ。もしまた0点などとったら、辻崎必殺ハイキックが飛んでくる。
「マジかー……」
「じゃぁ皆さん。科目選択の紙を回収するので、その紙を机の中央に置いて」
破門が頭を抱えていると、机の中央が黄色く輝いた。
これは、転移系固定型術式。三重円に転移系記号が八個。
0組の生徒達が各、科目選択用紙をそれの上に置き、教壇の方へテレポートさせている。
「やべ、忘れてた」
破門はリズボルトを発動。自身の紙に紛れた科目選択用紙を引っ張り出す。
そして、膠着。
何を書けばいいのか、分からない。だって、科目を知らないから。
「あ、千宮ちょっと待て」
「……?」
破門はとりあえず、千宮が書いたものと同じものを記入しておこうと考えた。
選択Aに、先端工学。選択Bに、魔術史。
系統選択は、火。
「よし、サンキュ!」
「……」
転移系術式の上に紙を置いた。そして軽くテキストを流す。
瞼が下りて、そして上がる瞬『間』。その『間』に紙は視界から消失。マックスの手元へと送られた。
「はぁい、全部集まったわね。優秀、優秀! じゃぁ次に、クラス委員でも決めようかしら? 毎年推薦だから、ホームルームのうちに終わるし」
マックスが出席名簿を開いた。学力考査も能力測定もまだ行っていないが、中学時代、及び中等部時代の成績や業績でクラス委員を判断できる。
この異形なクラスを束ねるに足る、優秀かつリーダーシップのある者でなければならない。
マックスが少しだけ考えて、名前を呼ぼうとした、その刹那に。
「立候補しますっ!!」
一本の腕が、挙がった。
ほぼ全員がそちらの方を見る。破門達も、もれなくその腕の持ち主を見た。
性別は、女。
整った輪郭。キリッと開かれた二重瞼。体の起状は大して無いものの、スラリと全身が伸びていて、姿勢も良い。
『凛』の字がこれほどまでに似合う者はいるだろうか。
「あら。立候補? 珍しいわね。何年ぶりかしら」
マックスは少し嬉しそうな顔で、両手を前で合わせた。
そして、他に立候補者がいないのを確認すると、マックスは『凛』の彼女に自己紹介をするよう命じた。
『凛』の彼女が浅い階段を下りる。シャンプーのCMのように鮮やかな黒の長髪は揺れ、コツ、コツ、と足音が教室の隅まで響いた。
マックスの横で、教壇に立つ。
横から漏れる朝日に、『凛』の彼女の肌が木霊した。
「じゃぁ、自己紹介を……」
マックスが促す。しかし、『凛』の彼女はおもむろに振り向き、黒板と対峙した。
そして、まだ卸したばかりのチョークを手に取り。
「……え?」
黒板の端から端まで移動しながら、何かを書き殴った。ガッ、ガッ、と手のひらに血管が浮き出るほど、強く。
渾身の力でチョークの粉末を黒板に擦った後、チョークは全てに消耗されていた。
もう一度『凛』の彼女は振り向き、0組の生徒の方を向く。そして呆気にとられているマックスを尻目に、叫んだ。
「私の名前は、姫鉈理香子だっ!!」
バックグラウンドの黒板には達筆で『姫鉈理香子ここに参上!!!』とだけ書かれていた。
「……何だ、あいつ」
破門は手のひらの上に頭を乗せながら、そう呟いた。
「スキルハーツ!」に日本とか中国などの現実世界での国は存在しませんが、漢字という概念はありますのであしからず。
さぁて次の更新はいつだろう。