金曜日の空席
「形は欠如によって現れる」と、偉い人は言いました。
恋の輪郭も「不在」によって現れるのでしょうか。
彼女は、カフェの角の席にいつも座っていた。
白いセーター。髪は肩まで。
ノートを広げて、何かを書いていた。何を書いていたのか、僕は知らない。
ただ、それを知りたいと思った。
僕は毎週金曜、決まって同じ時間に店に入り、コーヒーを頼み、斜め向かいの席に腰を下ろす。
そして、何も言わず彼女の存在を眺めていた。
彼女は僕に気づいていたのだろうか。
それとも、風景の一部になっていたのだろうか。
僕は声をかける勇気を持てなかった。名前も、声も、何も知らないまま、ただその人の気配を愛していた。
ある金曜日、彼女は来なかった。
その次の週も。その次も。
席は空いたままだった。いつも彼女が座っていた場所に、午後の日差しがかすかに差し込んでいた。
僕は、彼女のいない椅子に向かって、はじめて話しかけた。
「君は、誰だったんだろう」
数ヶ月後、僕はカフェを離れ、別の街に引っ越した。
だが、ふとした時に彼女を思い出す。名前も知らない、触れもしなかった誰か。
僕はたしかにその人に恋をしていた。
恋とは、誰かを知ることではない。
誰かの「不在」によって、心の奥に輪郭が浮かび上がることなのだ。
それは、言葉にならなかった問い。
触れられなかった衝動。
永遠に空席のまま残る、椅子ひとつぶんの記憶。
―――――――――
金曜の午後、私は決まってあの席に座る。
角の窓辺、壁の時計が見える場所。
白いセーターは、落ち着きのための儀式。
ノートは、ただのふり。書くふりをしているだけ。
本当は、毎週あの人が来るのを待っていた。
彼はいつも、三番目のテーブルに座る。
注文するのは同じブレンドコーヒー。何かを読むふりをして、ページはほとんど進んでいない。
視線は、ときどきこちらに届く。
私は気づいている。
けれど目を合わせない。
だって、目が合ったら終わってしまう気がしたから。
恋は、声をかけることではじまるものじゃない。
ときには、声をかけないまま終わることでしか成立しない恋だってある。
たとえば、彼がただそこに座っているという事実だけで、私はこの一週間を生きられるのだとしたら。
それだけで、十分じゃないだろうか。
ある金曜、私はカフェに行かなかった。
どうしても行けなかった。理由は、自分でもよくわからない。
行けば、たぶん彼がいて、私もいて、それでも何も起きなくて、それが怖かったのかもしれない。
そして次の週も、その次も、私は行かなかった。
彼がいまも、あのテーブルに座っているのかは知らない。
でも私のなかでは、あの午後の光に包まれた彼の横顔が、ずっと残っている。
人は「始まらなかった恋」を、もっとも美しい形で記憶する。
触れられなかった温度、交わされなかった言葉、伝えなかった好意。
私にとっては、それらが彼だった。
私は、たしかに恋をしていた。
そして、彼がそれに気づいていたなら、
それだけで、もう十分だったのだ。