とびきり甘いけど、時間と共に溶けるもの
「この風習は面白いよね」
肩にかかるつややかな黒髪をマゼンタのシュシュで留めた少女が笑う。
どことも判断できないが、学校の制服だとは分かる紺のブレザー、リボンが彼女を十代半ばだと主張する。
「様々な選択を内包していると思わないかい?チョコレートを贈る、貰うというのは」
ふと前に傾けた身体と肩から香りと髪がこぼれる。
人工的なツバキの香料が女性らしい身だしなみである、という一種の緊張感を生む。
「本命か義理かにどぎまぎし、チョコなら何でも美味しく食べ、様々な受け取り方がある」
そのまま夕陽差す教室に落ち着いた少女の声がしっかりと、しかしたおやかに流れる。
「あげる側は受け取る相手に合わせ、ミルクビターホワイトどれが好ましいのかを考える必要がある。義理でも本命でも、受け取ってひと時の甘い時間を過ごしてもらう事が目的だから」
彼女は指を自分の唇に当てて顔をゆらりと傾げる。
「……聞いてる?」
所作の一つ一つがわざとらしく、それでいて清廉な彼女は意地悪そうな上目遣いをこちらにやる。
「ああ、そうか、そうだったね」
わかっていた、と言わんばかりに唇の人差し指を離し、代わりに握った手へ顔を預ける。
考える人のようなポーズで固まってしまった彼女に掛ける言葉はない。
ここには、彼女しかいない。
考えている”自分”は考えているだけで、あくまでこの世界でしかない。
所謂、ここは妄想上だ。
「ちょっと表現を変えよう」
夕陽が橙を訴えている窓辺に彼女は腰を預ける。
風が彼女を揺らす。髪がなびいて笑顔を艶やかに彩る。
「君は何のチョコレートが好きかな? もちろん、答えられないのを知って質問をしている」
彼女は言い終えて五秒ほど待つ。
「うん、五秒待ってみた。どう? 伝える器官がなくても君の中に『強いて言うならこのチョコレートがすき』という像くらいはうっすらと浮かんだんじゃないだろうか」
そう言うと、ポケットから包み紙で丁寧にラッピングされた青い箱を取り出す。
「君が想えば、このチョコレートはそういうものになる。ハッピーバレンタイン、君よ」
差し出した箱を受け取る手はない。
彼女は一人で語り続ける。
「嬉しいと思うかな?果たして。ここに現れた、君が絶対好きなチョコレート、君が選んだチョコレートを、例えば君の世界で君が受け取ったとして」
コトリと音を立てて学習机に添えられる青いラッピング。
「嬉しいかも知れない。美味しいかも知れない。けれど、甘くありたい今の私はもっと欲張って君に甘味を伝えたいと思ってしまうね」
よくわからない事を述べて、そのまま窓辺の逆光をものにする。
表情を隠したまま、彼女は言葉だけを調子崩さずに伝える。
「私は比喩表現が大好きでね、ちょっと回りくどい喋り方もする」
「けれど、同じくらいガツンとストレートな想いをぶつける事もする」
「一番重要視するのは君の心。どうやったら……」
髪を両手ですくって、顔を隠す。
「楽しませられるか、いっぱい考える」
「しかし同時に、こうも考える」
「私は都合よく在る訳ではなく、ただ私のしたいように、君を温めたり揺さぶったりしたい」
こちらから表情の見えない角度で、言葉の続きを述べていく。
「私は、君のことを考え、また、君に私の事を考えてもらいたいのだ」
「それが難しい事だとしてもね」
「……君、いや、読者であるあなたはこの小説に対して疑問を抱いている事だと思う」
逆光の影で表情が見えない中、風で舞う黒髪は綺麗に空を煌めかせる。
「私は何がしたい、誰なのか。この文はいったい何が言いたい、したいのか」
影から顔を上げた彼女は思いの他穏やかな笑みを浮かべていた。
ふと、くすりと笑う。くしゃみのような唐突さで、悪戯のような愛らしさで。
「私は、自分の中に入れるととびきり甘い、けれど時間と共に溶けるものを君に渡そう! と思っているんだ」
それから早足で歩いた彼女は、見る。
この目を手に取る。
自分へ干渉する。
もう少し話さないかな、と思った。
どう? これから先は君の口の中で
すこしだけお話しないかい。
空想の中の少女は思った通りの形通りじゃなくても、きっと甘い筈
いいだろう、君の為の特別な一品ものだ。
いつか忘却の熱で溶け切ってしまうけれど、だからこそ。
いまここは、とっても甘ったるくて暖かいんじゃないかな?
一時の思い出になるまで、少しだけ時間を共にしよう。
ハッピーバレンタイン。
義理か本命か、ミルクかビターかホワイトか。
それくらい、食べてみれば分かる事だろう?
もう少しだけ、この心を受け取っていておくれ。