日が暮れる前に
あれこれと話を聞いているうちに、気づけば夕方になっていた。
空はすでに薄暗く、沈みかけた夕日が西の空を赤黒く染めている。
洋子さんを見送り、家の鍵を預かった雄介先輩は、眉間に深い皺を寄せたまま玄関先に立ち尽くしていた。
普段の飄々とした態度とは打って変わって、深刻な顔をしている。
無理もない。
この家に足を踏み入れた瞬間から、偶然とは思えない不穏な出来事が重なり続けている。
それは、俺も同じだった。
「日が沈む前に、さっさと機材配置しちゃわない?」
重い空気を振り払うように、日野さんが軽い口調で提案する。
俺たちがホームセンターから戻ってきたタイミングだった。
車の後部座席には、持ち込んだ機材の黒いバッグがずらりと並んでいる。
リビングの座卓の横にも、すでにいくつか積まれていたはずだ。
ざっと見ただけでも、かなりの量だ。
「ちょっと、雄介ちゃん。これ、さすがに持ってき過ぎなんじゃない?」
日野さんがタイルの上に屈み込み、黒いバッグのジッパーを一つずり下げる。
バッグの中には、小型カメラ、モーションセンサー、赤外線カメラ、調査用の道具がぎっしり詰め込まれていた。
「これ全部開いて設置するの? 冗談でしょ」
呆れたような声を上げる日野さんをよそに、雄介先輩は仁王立ちのまま、堂々と宣言した。
「日野。俺たちのモットーを忘れたのか?」
「……はい?」
「やらせを感じさせない、細やかな検証! それが心霊調査団『あやかし』のモットーだろうが!」
力強く言い放つと、雄介先輩は迷いなくバッグを二つ抱え、家の中へと消えていった。
日野さんは大きくため息をつき、うんざりしたように肩をすくめる。
「はー……もう嫌だー。うちの大将ってば、やる気ばっかで嫌になっちゃう」
そう言いながらも、結局四つほどのバッグをまとめて持ち上げた。意外と力持ちらしい。
一歩、二歩、と歩き出したところでふと思いついたように振り返る。
「……あとはこっちでやっとくからさ。君、えっと」
「谷山です」
「ああ、谷山君。ホテルに戻って、何か食べておいでよ。まだ会ってないメンバーもいるだろうし、長旅だったんだから、少し休んだら?」
そして、少し冗談めかした口調で続ける。
「ついでに、僕たちが帰るまで――雪ちゃんの機嫌を直しておいてくれたら嬉しいな」
日野さんは、人差し指を頭の後ろからひょこひょこと飛び出させながら、鬼の角を表現してみせる。
「雪乃さん、今こんな感じだからさ」
冗談めかして笑うが、その目はどこか怯えていた。
俺が「いや、手伝いま――」と言いかけると、日野さんはすかさず手をひらひらと振って制した。
「大丈夫、大丈夫。慣れてるし、すぐ終わる。それに、さっさと設置して早くホテルに帰りたいから、足手まといは御免なんだ」
にこやかに笑いながら、自分の肩に手をかけ腕をぐるぐると回して俺を促す。
なんとなく釈然としない気持ちで踵を返そうとした。
その時だった。
ガシャンッ。
鋭く響く破壊音。
「は?」
「え?」
俺と日野さんは、ほぼ同時に声を上げ、ゆっくりと振り返る。
玄関のたたきに、砕けた翡翠色の破片が散らばっていた。
その中央には、割れた香炉の本体が無惨な姿を晒している。
淡い薄緑色の陶器、表面には中華風の文様。
確かこれは洋子さんが「前の前の住人が置きっぱなしにしていたもの」だと言っていた。
けれど、誰も触れていない。
後ろに誰か――雄介さんがいて、ぶつかったわけでもない。
なのに、どうして──?
「バランスの悪いところに置いてたのか?」
日野さんが首をかしげる。
が、そう言った矢先、
「うわぁああああああああああああああ!!!」
家の奥から、耳をつんざく絶叫が響いた。
──雄介先輩だ。
普段の軽い調子の彼からは考えられないほど、恐怖と慌てた響きが混じった悲鳴。
俺と日野さんは、お互いに顔を見合わせる暇もなく、反射的に声のする方向へ駆け出した。




