玄関の前
磨りガラスの扉の前でぐずぐず固まっていても仕方がない。そう思ったのか、雄介先輩がオレンジ色の煉瓦模様の壁に取り付けられた黒い呼び鈴を、指で軽く押した。
「電気、通ってるんですか?」
住んでいない家なら、電気どころか水道もガスも止まっているのでは――当然の疑問だったが、雄介先輩は首を横に振る。
「依頼主の娘さんによると、取り壊しが決まったから整理のために一時的に通してるらしい。ガスも水道も、掃除用に使えるようになってるってさ」
「へぇ、そうなんですか。家の状態は悪くなさそうなのに、壊すんですね」
俺は玄関の天井を見上げた。白い天井はすっかり黒ずみ、端には蜘蛛の巣の名残がちらほら残っている。
さっき遠目から外観を確認した限りでは、大きなクラックも見当たらなかった。耐震的に問題がないなら、まだ住めるんじゃないか――そう思わせる佇まいだった。
「おっ、専門家。どう見る?」
突然、雄介先輩が俺の首に腕を回し、ガッと引き寄せる。至近距離で響くガハハという笑い声が、耳元で炸裂した。
「専門家じゃないです。ただリフォーム会社にいただけで」
先輩の顔を押しのけつつ、俺は本題を尋ねる。
「それで、家主の方は?」
呼び鈴を鳴らしたということは、中にいるのだろう。姿の見えない依頼人を探すように、磨りガラスの向こうの家の中に首を伸ばしながら尋ねた。
「いや、俺たちも今着いたとこでさ。ちょっと遅れちまったんだよな」
「そーそー。突然エンジントラブルでねー。サービスエリアのガソスタで見てもらったけど、バッテリーそろそろ替え時かもって言われたのよ」
じとり、と雪乃さんが雄介先輩を睨む。
そういえば、先輩の父親は自動車整備士で、車のメンテナンスには厳しいらしい。東京からの長距離ドライブ前に点検しておくべきだったのでは――と、言いたいのだろう。
「まぁまぁ、落ち着けって。帰りにホームセンターで新しいの買うからさ」
「そのお金、また私が出すんでしょ? ちゃんと経費で計上しますからねっ!」
ふん、と腕を組み、雪乃さんは大きくため息をつく。
その時だった。
ガラリ、と。
突然、雄介先輩の目の前で磨りガラスの玄関扉が横にスライドする。
「っ!」
「あのぅ。もしかして、『あやかし』の方?」
のっそりと姿を現したのは、どこにでもいそうな、ぽってりとした体型の女性だった。
四十代前半くらいだろうか。髪はうなじでひとつに結ばれ、丸眼鏡の奥の瞳はくりっとしている。ゆったりとしたジーンズに、腕まくりした薄灰色のトレーナーという格好は、いかにも掃除の最中といった風だった。
「あ、すみません。時間に遅れてしまって……! お忙しいところ申し訳ありません。心霊調査団『あやかし』の木村雄介です。こちらは妹の雪乃、メンバーの日野聡と谷山君です。本日はよろしくお願いします」
雄介先輩がぺこりと頭を下げ、それに倣って俺も帽子を取り、「よろしくでーす」という日野さんの声に重なる形で、雪乃さんが「よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げる。
「いえいえ、まさか本当に来てくださるとは思わなくて。さぁ、どうぞ。外は寒かったでしょう? お茶を淹れますから、まずは温まってくださいね」
そう言って、女性は扉を大きく開けた。




