ライブ配信
リビングの中央で、雄介さんが日野さんの方をじっと見ていた。真剣な表情だ。
俺は日野さんの左側に立ち、距離を開けてハンディカメラを構える。初めての撮影で、指先がわずかに震えているのがわかった。
「谷山くん、大丈夫。編集でどうとでもなるからさ、気楽にね」
雪乃さんが優しく微笑む。彼女は雄介先輩のすぐ斜め後ろに立ち、日野さんを見守っていた。
ライブ配信用のカメラは今回スマホで、手振れ防止機能が秀逸なジンバルに固定されていた。日野さんが満足そうな表情で、慣れた手つきで調整する。
彼は編集より撮影の方が得意だと聞いていたが、それは本当らしい。
画角を決めながら、指でカウントダウンを始めた。
三。
二。
一。
緊張で喉が渇き、ごくりと生唾を飲み込む。
静かに日野さんのゴーサインが出て、雄介さんがすう、と息を吸った。
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『どうもみなさん。おはこんばんにちは。心霊調査団「あやかし」団長のゆーすけです』
『隊員の雪乃です』
カメラの向こうで雪乃さんが小さく手を振る。にこやかな笑顔を浮かべ、その仕草がこの場に漂う張り詰めた空気をほんの少しだけ和らげた。
今日は土曜日の午前11時。
本来なら人の多い夜に配信を行いたいところだが、まずは昼間の様子を記録し、視聴者に現場の空気感を伝えることが目的だった。
配信に関しては、すでに家主である洋子さんには撮影許可を得ている。だが、外観や周辺環境が映り込むことは厳禁。この家の場所が特定されるような内容も伏せることを条件に、ライブ配信が許可されていた。
必然的に、撮影できるのは屋内の限られた範囲のみである。
『観に来てくださってありがとうございます!』
雪乃さんが自分のスマホをチェックしながら嬉しそうに、小さく飛び跳ねる。
どうやら集まってくれたファンのコメントに反応している様子だ。
その動きをズームで捉えながら、カメラをゆっくりと移動させ、今度は雄介先輩の表情を映した。
『今日はH県にある、とある一軒家にお邪魔しています』
家の歴史、そこにまつわる「曰く」。
雄介先輩が視聴者に向けて、事前に聞いた話を簡潔に説明していく。
雪乃さんの目の前を通り過ぎ、雄介先輩は対面キッチンへと移動し始めた。必然的にカメラもその姿を追う。
『この部屋は以前洋室で、先ほど背後に移っていた壁方向にピアノが置かれていたそうです。洋室だったとき、この位置。今はキッチンのコンロが置かれている部分にはクローゼットがあったようですが……』
そう前置きし、Tさんが幼少期に体験した「名前を呼ぶおじさんの声」の怪談が披露される。
雄介さんは「結局だれが、Tさんの名前を呼んだのかは、今もわからないままです」と話を締めくくった。
(流石手馴れているな)
『じゃあ次は、家主さんが黒い影を見たという脱衣所の方に移動します』
言いながら、雄介先輩がキッチンを移動し始めたので、俺は慌てて、カメラを背後の扉。脱衣所に繋がるホールへ至る扉に振り向けた。が、それより前に雪乃さんが無言で扉を開け、部屋を出ていく。
キィ、という音とともに、薄暗い小さな空間が露わになった。
ホールの左手には、階段下の収納の扉があり。真正面には廊下とすぐ右手に、雄介先輩が下敷きになった食器棚のある部屋がある。
そのほんのちょっと手前には脱衣所。そして、その奥に浴室が続いていた。
ホールは日中でも薄暗いらしく、湿り気と淀んだ空気が滞留しているようだった。心なしか肌寒い気がする。
俺は設置された三脚を一時的に横に避けながら、雪乃さんの邪魔にならないように、雄介先輩の導線を塞がないように廊下側に避難した。
カメラを雪乃さんたちの方向に向けると、雄介先輩の背後でピースサインをして笑う日野さんのお茶らけた笑顔が見える。俺はうっかり笑い出しそうになるのを頬を膨らませて押しとどめ、ぎゅっとカメラを持つ手に力を込めた。
『雪、どうした?』
雄介先輩の声が響いた。
カメラのレンズを雄介先輩に慌てて向けるが、ピンボケになってしまう。
慌ててピントを合わせる。
一瞬先輩の背後に日野さんが動いたことによって壁を這うように黒っぽい影が走った、気がした。
『ちょっとよくわからないんだけど……変な匂いがする……かな?』
雪乃さんが、鼻をひくつかせながら、低く呟く。左目の下の泣きホクロを人差し指ですっと触るようにしながら小首を傾げている。
『水回りが近いから、排水溝の匂いじゃないか?』
言いながら脱衣所の扉の奥を覗き込む雄介先輩の背中が映るように、カメラのレンズを向けた。
先輩が覗いている小さな部屋の奥には、扉が開け放されたままの風呂場が広がっていた。今も撮影用のカメラがセットされており、緑色のライトが小さく瞬いている。
『そうなんだけど。なんか、ちょっと違う匂いというか。獣臭い感じの、そんな匂いがするんだよねーー』
その時。
ガタタッ。
不意に背後で音が鳴り響く。
びくっと肩が跳ねた。
急いで振り向くと、日野さんが片手を上げ、申し訳なさそうに舌を出していた。
『ごめん、扉の敷居に引っかかっちゃって……』
『もう! 日野さんったら!』
日野さんは動画の中では「ちょこっと天然のカメラ担当」として親しまれているらしく、雪乃さんが笑いを誘うように少し尖った可愛い声を出した。
俺は安堵の息をつき、再びカメラをお風呂場の方へ向ける。
風呂場の窓はしっかりと閉め切られていて、窓からはまだ明るい光がなんとなくぼんやりと入り込んでいた。
(獣臭、か……)
雪乃さんが感じた香りを、俺も嗅ぐことができるのだろうか、と思ったのだが。
(何の匂いもしない。むしろほこり臭い)
――結局、この日は何も起きなかった。
少なくとも。
その時は、そう思っていた。




