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バッテリーはオヤツですか

作者: 虎の介


たぶん、一目惚れだった。


高校三年の春、桜も終わった中途半端な時期に現れた転校生。そんな俺の自己紹介に、真っ先に手を叩いてくれた一番後ろの席の君。


あの日からずっと君のことが好きだ。



五十嵐さんは不器用だ。


(あ、落ちた)


問題用紙いっぱいの机から落下した消しゴムは、点々と跳ねてどこかへ消えた。

手をあげるべきか、いや試験でピリピリムードの中、転校早々目立つのは避けたい。


(このままいくか)


諦めたとき、どこからか消しゴムが飛んできた。

絶妙なコントロールで机に着地したのは、長方形の消しゴムを真ん中で綺麗に割った、小さな正方形。


お礼代わりに小さく咳払いをして、そのまま試験はなにごともなく終わった。


「五十嵐さん。ありがと、助かったよ」


休み時間、消しゴムを片手に話しかけるが、彼女は素知らぬフリだ。


「なんのことやら」

「このままもらってもいい?」

「いいんじゃない」


そういうと彼女は立ち上がった。


長身の俺が見上げるほど高い上背には、翼のような双肩に挟まれ小さなフェイスがのっている。

まったく見事な特撮体形である。


彼女は首を回して俺の落とした消しゴムを見つけると、アームを伸ばし拾い上げた。


「テッテレー」

「なにそれ」

「ゲーセンのBGM」


そういうとクレーンゲームの真似をしながら、俺の手のひらに落とす。


「バイバイ、マタネ。バイバイ、マタネ」


クルクルと回転するその手は、銀色に光る十字タイプで。


試験中、消しゴムをこんな綺麗な切り口で半分にできるのは、彼女しかいないのに。




五十嵐さんは、人気者だ。


朝早く登校しては、校務員さんに頼まれて黒板の上の埃を払ったり、鳥に呼ばれて巣を保護したりしている。


今朝は、校庭の花壇に水をあげているところだった。


俺の視線に気づいたのか、五十嵐さんが振り返る。


「五十嵐さん、おはよう」

「いかん、心優しい美少女ぷりがバレてしまったな」


彼女は照れくさいのか、ミサイルを発射するようにホースを振り回した。


「どっちかってと、人類が滅びたあとの植物を愛でる番人的な風情が……」

「それなんて金曜ロードショー」

「なんか手伝うよ」


カバンを下ろすと、彼女は首をぶるんと回転させた。


「もう終わるし、大丈夫」

「じゃあここでみてる」

「なんで?」

「ひとりじゃ寂しいだろ」

「え、なにこのイケメンこわい」


器用に身をよじる彼女は、いつもより少し身軽な気がする。


「あれ。五十嵐さん、衣替えした?」

「夏は熱がこもりやすくなるからラジエーターをちょっとね」


スカートように腰のひだをパタパタと換気させる彼女から、なんとなく目を逸らす。

紺色の学生服に合わせてか、彼女のボディにも紺色のカラーリングが入っている。


「君こそ今日から半袖か。なかなか似合ってる」


彼女の何の意味もない言葉に、胸がときめくのはどうしてだろう。



「あのさ。そんなジロジロみたら失礼だろ」


昼休み、クラスメイトの中島が二つめの弁当を食いながら俺の上履きを蹴る。

どうやら気づかないうちに、また五十嵐さんのこと目で追っていたらしい。


「悪い、無意識だった。どうしよう、俺」

「まぁ男はみんな大好きなシルエットだからな」

「そんな目で見るなよ!」


にらみつけると中島の箸を持つ手が止まる。


「おいおい、まさか」

「五十嵐さん、恋人とかいるのかな」

「いやぁ聞いたことねぇけど」


五十嵐さんを中心にした女子の賑やかな集団は、ペチャクチャと楽しそうにしている。

俺と目が合うと、五十嵐さんはやれやれという顔で、肩を回転させてくれた。

別に可動域を確認したいわけではないのだが。


「五十嵐さんは、食事はしないの?」

「ん?充電してるよ」


話しかけると、背中に刺さっている専用の充電スタンドを見せてくれる。


「そっか。せめて電池なら交換できたのにな」

「は?誰と誰が?なんのために・・・?」

「都会の奴って変わってるよなぁ」


訝し気な五十嵐さんに周りも同調しているが、そんなの気にならない。


君が何が好きなのか、何を考えているのか、もっと知りたい。

多分この気持ちに名前をつけるなら、恋だ。



五十嵐さんはかっこいい。


時々メンバーが足りないとサッカーのキーパーを頼まれては、ガシャンガシャンと大きな音を立て、サッカーゴールごと反復横跳びをしている。


「あれ、今日は見学?」

「ちょっと暑くてね」


木陰で汗をふくまねをする彼女は、今日も愛くるしい。

真夏日とあって、灼熱のグラウンドには人もまばらだ。


「明日、中島たちと海に行くんだけど五十嵐さんもどう?」

「いいねー。ただ、海水はサビがなぁ。ビニール袋張り合わせて水着でもつくるかな」

「ダメだよ、そんなの透けちゃう!!」

「男子高校生の妄想やべぇなおい!」


俺にドン引きしていた五十嵐さんが、突然立ち上がる。

彼女の視線の先を追うと、グラウンドで走っていた生徒が倒れていた。


「俺、先生を呼びに行ってくる。五十嵐さんはここにいて」


先生を連れて戻ると、倒れた生徒を心配する人の輪から少し離れたところに、五十嵐さんは立っていた。


「熱中症ね。だれか運ぶの手伝ってもらえる?」


先生の言葉に自然と皆の視線が五十嵐さんにいくが、彼女は一歩も動かない。


「俺が運びます」


ぐったりした生徒を背負い、グラウンドを横切って、保健室へ向かう。

五十嵐さんはその後ろを、一定の距離を保ったままジリジリとついてくる。


「五十嵐さん、ありがとう」


校舎に到着したところで、振り返って礼を言う。

彼女は背を向けたままサムズアップし、何も言わず去っていった。

不思議そうな顔をしている先生たちに説明する。


「日陰につくってくれてたんです」


彼女は、自分の身体で倒れた生徒を陽ざしから庇っていたのだ。

自分だってヒートする可能性だってあるのに。


「それと五十嵐さん、外気温のせいで体が熱くなってて夏は人に触れないんです」

「あ、そうなのね」


保健室に送り届けたあと、すぐに五十嵐さんを探したがすでに姿はなく。


そのまま夏休みに入り、五十嵐さんとは会えないままひと月が過ぎた。

久しぶりに教室に現れた彼女は、なんだか少しマットな艶が出ていた。


「あれ、メイク変えた……?」


見惚れる俺に、五十嵐さんはいつものクールな視線を浴びせる。


「高温防止のコーティングをちょっとね」

「そっか、なら手をつなげるね」

「は?」


彼女はギギギと、ぎこちなく急停止した。

俺の気持ちを知っているクラスメイトたちは、その様子を微笑ましそうにみている。


「五十嵐さんのことが、好きだ」


こうして夏も終わりのある日、俺は彼女にお付き合いを申し込んだ。



五十嵐さんは黙らない。


「明日、五十嵐さんをデートに誘いたいんだけど」

「ちょうどいいイベントがあるよ」


彼女の親友である田町さんに相談すると、スマホの検索画面を見せてくれる。


「ロボコン?」

「そう。毎年3月に世界大会やるんだけど、来週はその代表を決める予備選があるんだ」

「結構盛り上がるよな」


横で弁当を食っていた中島も同意する。


「こういうの、五十嵐さん好きかなぁ」

「興味はあるんじゃないか?」

「君たちさ、本人を目の前にしてその会話する?ねぇどう考えても視界入ってるよね」


五十嵐さんは不満げに巨体で貧乏ゆすりをする。


「というわけで五十嵐さん、明日十時にここで」

「フン。まぁいい、真実の愛を試しに行こうじゃないか」


五十嵐さんはクックックと高笑いをした。


秋風が気持ちの良い休日、待ち合わせ場所の県立体育館につく。準備に手間取ってしまい集合時間ギリギリになってしまった。

五十嵐さんはすぐに見つかった。


「いけー!パンチだ!」

「ヴぃぃイイン」

「走れー!」

「ガシゃン!ガシゃン!ガシゃン!」


妙な効果音を発しながら、子どもに操作されていた。

どうやらロボットごっこに付き合っているようだ。いやまぁ、ロボだけど。

終わる様子もないので、仕方なく声をかける。


「五号、緊急出動だ!」

「フぉンフぉンフぉン~」


俺の背後に回り込み、ランチャーポーズを決める五十嵐さん。

瞳を輝かせた子どもに敬礼され、そのまま見送られる。


「ふー、やれやれ助かったよ。操縦される側も意外に疲れるもんだな」


五十嵐さんは肩を伸ばしながら、実にロボットらしい感想を述べた。


体育館に入ると、多種多様なロボットたちで会場は妙な熱気に包まれていた。

二本足だけの旧式ロボが、中を案内してくれる。


『ハイスクールカップルとかけましてロボットとときます、その心はハイ熱でアッチッチ!なんつって!』

「山田君、座布団もってって~」


二階席の後ろの席に並んで座ると、女子高生の二人組から声をかけられる。


「おっきいロボですね!それ開発したんですか?すごーい!」

「よかったら一緒に観戦しませんかぁ?」

「今日は彼女とデートなんだ」


誘いを断ると、女子高生たちは目を剥く。


「え、あれリアルなやつ?リモートロボ?」

「顔出せないのってメンタル?ブス?どっち?」

「クスクス…中は実はオッサンだったりして」


二人組はこちらへ聞こえるよう、悪口を言う。


立ち上がりかけた俺の横で、五十嵐さんの口から機械音声が流れ始めた。


『差別発言を録画中。リモートロボット利用者への公然での侮辱は、遠隔者参画社会基本法で禁じられています。通報します。』


ウィーンと赤く鳴り始めたサイレン音に、二人組は逃げていく。


「カッカッカッ!喧嘩売る相手考えろってんだ!」


五十嵐さんは手首をギュルギュル回転させ実に楽しそうだ。


「五十嵐さん、通報機能なんて持ってたの?」

「あー、ただの自作ギミックだよ」


どうやら酷いことを言われるのは、初めてではないらしい。こわばる俺の顔をみて、五十嵐さんがポリポリと頭をかく。


「私たちは新しい人類活動だからね、ズルいって感じる人もいるさ」


少子化による深刻な労働力不足を背景に、遠隔者参画社会基本法が施行されてから10年が経つ。長期の引きこもりや身体的理由等から外に出ることが難しい人々が、社会へリモート参加することができる権利を定めたものだ。


これにより公的機関等は、リモートロボットへの合理的調整を行うよう義務づけられている。

例えば遠隔操作可能な通信網の整備、充電スポットの設置、ロボットが就労可能な環境整備など。

しかしロボット人権については、まだまだ課題も多い。


「なんもズルくないだろ」


言いたいことはたくさんあるのに、それしか言葉が出てこない。

黙り込んだ俺の横で、五十嵐さんは飄々としている。


「ここらじゃ遠隔ロボはまだ珍しいからな。東京ではそうでもないかい?」

「んー、そうだな。前の学校では何人かいたし街中でも時々すれ違うくらいには」

「そうか。私みたいなタイプも?」

「どうだったかな」


隣にいるだけでこんなに穏やかで、満ち足りて、温かい気持ちになれるのは、五十嵐さんだけだ。


「五十嵐さんみたいなタイプは初めてだよ」

「まぁちょっと日常生活送るには大きすぎるな」


機体タイプと勘違いしたのか、五十嵐さんは続ける。


「ちょうど遠隔法が制定されて私も小学校に入学できることになってね。一番大きいやつにしてくれと親に頼んだらこれになったんだ。当時はまだ機種も少なかったからね、重量労働仕様だと知らなかったらしい」

「なんで大きいのがよかったの」

「正直、人々を見下ろすのは気分がよいね」

「なるほど」

「そのせいで小学生の頃は皆と遊ぶのに苦労した。かくれんぼもできやしない」

「おかげで俺は見つけやすいけどな」

「本当に君はマニアだな」

「今思うと、一目惚れだったのかも」


俺の告白に五十嵐さんは鼻を鳴らし、しばらくそのまま二人で競技を観戦する。

よく見ると人型アンドロイドもいれば、アーム特化の昆虫型やぬいぐるみ型もいる。


「結構バリエーションあるんだな」

「へっへっへ、旦那、好みの子はいましたか?」


五十嵐さんが隣で揉み手をしながら尋ねる。何の真似だ。


「あのハイビームはいいな、盗撮防止になるんじゃないか」

「ん?」

「あのカッター機構も、触られる前に手首を切り落とせるな」

「んん?」

「いや、そもそも触れないようにあの剣山みたいなトゲで武装しておくか」

「何の話をしてるんだ」


彼女は呆れているが、会場に入ってから理系男子たちの熱視線を感じる。

まったく、五十嵐さんはしっかりしているようで、無防備だから困る。


「五十嵐さんはさ。どういう人が好みなの」

「そうだね。荷物が大きい人はちょっと」

「え」


胸に抱きかかえたリュックを隠そうとするが時すでに遅し。


「それ40キロぐらいあるんじゃないか」


どうやら替えのバッテリーをいれてきたのはお見通しだったらしい。


「だってオヤツは必須でしょ」

「バッテリーはオヤツに入りません。どうせなら自分のオヤツ持ってこいよ」

「俺の食べてる姿、見たい?カワイイよ」

「本当になんなんだこのイケメンは」


苦い声で唸る五十嵐さんの尖った双肩に、着ていた制服のブレザーをかける。


「これは?」

「いいから」

「ロボ的には適温なんだけど」

「羽織ってて。俺は製作者じゃなくて、恋人候補なんだから」

「へいへい」


五十嵐さんはそっぽを向き、なにも話さなくなった。



五十嵐さんは、よく笑う。


天高く馬肥える頃、近くの海辺で恒例の花火大会があるらしい。


「五十嵐さん。明日、花火みに行かない?」

「人混みは苦手でね。花火は大画面高画質でみることにしている」

「フフフ、そんなお姫様にはこちら!」

「なに言ってんだコイツ」


一歩下がった五十嵐さんへ、手作りのビラを差し出す。


「秋祭り?学校の屋上でやるのか」

「そう。クラスみんなでやろうかって」


いつも長身を気にして後ろに座る彼女のことだ。

花火会場に行っても、楽しめないだろうと思ったのだ。


「動きやすい格好できてね!」

「ご親切にどうも」


彼女は器用に十字アームでビラを挟み、ヒラヒラと振った。


翌日、屋上に各自で食材やら飾り付けを持ち寄るはずが。


「こういうことじゃなんだけどな……」

「そうか?結構、豪華じゃん!」


笑顔の中島に、肩を落とす。

ビニールプールにヨーヨーとアヒルが浮かんでいるのはいいが、季節外れの流しそうめん器にはクリスマスの電飾が光り、ひな壇にアイドルの写真やら参考書が飾ってあるのはいかがなものか。


「へい、らっしゃい!」


元気に屋上に登場した五十嵐さんは、頭にねじり鉢巻きよろしく浮き輪をはめ、ラジカセを肩に担いでいた。


「おいおい陽気なヒップホッパーがいるぞ……」

「やんちゃな五十嵐さんも可愛いな!」

「どうだ、風情があるだろう」


そういうと、五十嵐さんはカセットテープで懐かしの音頭を流し、ノリノリで踊りはじめた。

つられて同級生たちや先生たちまで踊りはじめ、屋上は中々の盛り上がりだ。

男子も女子も皆ゆかた姿ということもあり、それなりに祭りっぽくはある。


ぼんやりとその光景を眺めていると、いい匂いがする。


「まぁ食えよ」


バーベキューグリルの前にいた五十嵐さんが、気前よく焼きそばを差し出してくれた。


「俺も一緒に焼く」

「やめとけ。制服にソースが跳ねるぞ」


五十嵐さんの警告を無視し、隣に並んで焦げたキャベツを食べる。

彼女の首には戦利品らしきヨーヨーがぶら下がっていた。


「似合ってるね」

「案外、ヨーヨーってのは難しいもんだな。君は浴衣を着ないのか?」

「お揃いだから」

「は?」

「五十嵐さんとお揃い」


自分の紺ズボンと、五十嵐さんの紺色のカラーリングを指さす。


「ほら、ペアルック」


唇をとがらせた俺に、五十嵐さんの動きが一瞬止まる。


「はっはっは!!」


彼女が身をよじって爆笑すると同時に、花火が打ちあがった。


ドーン、ドーン


皆が一斉に空を見上げたのに、俺はなぜか五十嵐さんから目が離せなくて。

彼女のフルフェイスマスクに映った、すこし間延びした花火を見つめていた。


「……綺麗だね」

「あぁ。祭りは随分と久しぶりだ」


五十嵐さんが小さく笑う。


「焼きそばをつくるのも初めてだよ」

「その割に見事なヘラさばきで」

「うちは中華料理屋だからね。ただ厨房に立ったことはない。こう見えて私は箱入り娘なんだ」

「それ笑うとこ?」

「だから、まぁあれだ。ありがとう」


照れくさそうにヘラを鳴らす五十嵐さんを、思わず抱きしめる。

胸のあたりから鈴虫のような、高く細いモーター音が聞こえた。


「おいおい、どうした」

「あ、ごめん!!」


慌てて身体を離し謝ると、彼女は鷹揚にアームを広げた。


「フン。でかい蝉だな」

「五十嵐さぁあああん!」


その巨大な胸に再度抱きつこうとすると、五十嵐さんは俺の背中のリュックに気づく。


「おい。もしやまたバッテリー入ってるんじゃなかろうな?」

「五十嵐さぁあああん!」

「なんだ。またあいつらやってんのか」

「私も五十嵐さんにハグするー!」


みなが面白がって群がりはじめる。

大量に湧いた季節外れの蝉たちに、五十嵐さんは呆れたように喉を鳴らした。



五十嵐さんが、いなくなった。


怒涛の受験シーズンも終わり、静かな海を眺めていたときのことだった。


「冬の海でランデブーもいいもんだね、五十嵐さん」

「おいおい、卒業スピーチの練習するっていうから付き合ってんだぞ」

「緊張するよぉ」

「自分で思うほど、誰も見ちゃいない」


誰よりも注目を集めてきただろう五十嵐さんは堂々としている。


「五十嵐さんのほうが成績いいのに」

「ロマンチストな君の方が得意だろう」

「ふふ、実は三日三晩費やしてね」


五十嵐さんと過ごした日々を綴った原稿をリュックから取り出した瞬間、白い影が浚っていく。


「あ!」


海鳥だ。高く飛んでいった鳥は食べられないことに気づき、ペッと吐き出した。

そのまま原稿はバラバラと海へ落ちていく。


「あーあ。ってちょっと、五十嵐さん!」


彼女は原稿を拾いに、ザブザブと海へ入っていく。

追いかけようと海へ足を入れた俺を振り返り、五十嵐さんは怒鳴った。


「馬鹿!浜辺で待ってろ」

「海は危ないよ。戻ろう」

「自信作なんだろ」

「五十嵐さんのほうが大事だ」


俺が伸ばした手を、五十嵐さんは振り払う。


「五十嵐さん……?」

「この身体は、私じゃない」


冬の凍てつくような冷たい海に浸かったまま、彼女は微動だにしない。


「この身体はなにも感じない。壊れても替えがきく」

「そんなこと言っても」

「事実だ。なぁ、ちゃんと現実を見ろよ」


なぜか五十嵐さんは悲しそうだ。


「卒業したら、君とはもう会わないつもりだ」

「無理です無理」

「即答すんな」


まずい、五十嵐さんは本気だ。


「どうしてそんなこと」

「理由は、一目瞭然だろ」


五十嵐さんは濡れた原稿を拾い、波打ち際で座り込んだ俺に押し付けた。


「達者でな」


彼女は水滴を滴らせたまま、去っていった。

手書きのスピーチ原稿は、ぼやけて何も読めなくなっていた。


翌週、卒業間近で賑やかな教室に、五十嵐さんはいつもと変わらぬ姿で現れた。

早速謝ろうと声をかける。


「五十嵐さん、」

「おはようございます」


こちらへ挨拶を返した彼女は―――別人になっていた。



「大変だ。五十嵐さんが乗っ取られた!!」

「は?いつも通りだろ?」


騒ぐ俺の横で中島はキョトンとしている。


「いや、全然違うよね?!」

「そもそも中の人が一人とは限らないわけでしょ。どうして本物ってわかるの?」

「そりゃあ」


田町さんに尋ねられ、口ごもる。

五十嵐さんは五十嵐さんだから、としか言いようがない。


そんな俺を、田町さんは腕組みをして睨みつける。


「君はあの子の本当の姿を知らないでしょう。あの子もそれを望んでなかった。それが全てだよ」


お前は信用されてなかったんだと言外に指摘される。


たしかに五十嵐さんが俺に本心を見せてくれることはなかった。

いつも素知らぬフリで、素気なくて、おどけてばかりで。


「君が好きな五十嵐は、架空の生き物だったんだよ」


田町さんの言葉が刺さる。


そんなはずない。

彼女は、たしかにいたんだ。

彼女の話し方を、ふるまいを、その存在を、俺は全身で覚えている。


「俺は、五十嵐さんがどんな姿になっても分かる」


そう断言すると、田町さんはため息をついた。


「仕方ない。チャンスをあげるよ」



指定されたのは、以前五十嵐さんと初デートをした県立体育館だった。


『ロボコン世界大会へようこそ』


横断幕を掲げた体育館には所狭しと数百のロボットがひしめきあい、案内ロボが忙しそうに駆け回っている。まるで古今東西ロボの展覧会だ。


「この中に、あの子がいる」

「この中って」

「五十嵐はいつもと違う機体に入ってる。どれか当てられたら、また会ってもいいそうだ」


そういうと、田町さんはニヤリと笑った。

心配してついてきた中島は引きつっているが、俺は彼女がどこかにいると思うだけで心が湧きたつ。


「絶対見つけ出すからな、五十嵐さん!」

「あ、あれは?手を振ってくれてるぞ」

「全然ちがう」

「全くわからん」


多種多様なロボットに中島は頭を抱えている。

おしゃべりしているロボットから、滑らかな社交ダンスを披露するものまで、よくみると動きにも個性がある。


(どこだ、どこにいるんだ五十嵐さん!)


いつか座った、二階の一番後ろの席でフロア全体を見下ろす。


ロボットが有象無象に渋滞している中で、一体だけおかしな動きをするロボットがいた。


「みつけた」

「は?」


唖然とする中島を置き去りに、彼女のもとへ走っていく。


「五十嵐さん!」


入口でカクカクと機械的に動いていた二本足だけの案内ロボットへ、声をかける。


「ウぃーン」

「ロボットのフリしないでくれる」


怒りが伝わったのか、ロボットはおとなしくなる。


「どうして分かった変態め」


その口調はいつもの五十嵐さんだった。


「俺の愛をなめてもらっちゃ困るね」

「やっぱ警察かな」

「……どのロボットも人間らしさを追求してるのに、ロボットよりロボットらしいのは君くらいだよ」

「ちっ、近頃のロボットはどうも美学が足りん」


五十嵐さんは負け台詞を吐き、地団太を踏んだ。


「もう逃げないでよ。ガラスの靴つくってでも探し出すからね」

「それはやめてくれ」


五十嵐さんはため息をついた。


「三丁目の中華料理屋に来い。そこで待ってる」


彼女の指示通り、桜並木を全速力で駆け抜け、店ののれんをくぐると、年配の女性が出迎えてくれた。


「いらっしゃい!あら、同じクラスの子よね」

「はい」


含み笑いをされながら、二階へ通される。

そっと奥の部屋の扉を開けると、薬草のような香りがした。


「お邪魔しまーす」


一人の少女がベッドに横たわっていた。


(寝てる?いや、眠っているわけではないのか)


ベッドに大量の管で繋がれているのは、なんの表情もなく、指先は枯れ枝のように瘦せこけた少女だ。

年齢よりもずっと小さい身体は、俺が部屋に入っても身動きひとつしない。


(よかった、五十嵐さんが可愛い女の子で)


少女が薄目を開けると、目の前のモニターに文字が現れる。


『この状態で口説けるメンタルすげぇな』

「なんと。マザーボードは思念で会話ができるのか」

『さっきから全部声に出てるぞ』


安堵感から、思わず口にしてしまっていたらしい。


『いつも視線で文字入力や操作をしている』

「なるほど」

『おい』

「……もう会えないかと思った」


五十嵐さんは閉口し、部屋には俺のすすり泣きが響いた。


「もう俺が遠隔ロボットで、ここにいる」

『いやそれはちょっと』

「大丈夫、フェイスはこの顔にしておくから」

『君ねぇ』

「だって五十嵐さん、俺の見た目は好きでしょ」

『その自信はどこから』

「俺は五十嵐さんがはいってたら、何でも可愛くみえるのに」

『すごい性癖だな』

「うん。五十嵐さんがナカにいる限り、どんなガワでも愛せる。ゴツゴツでもシワシワでも」

『あのこれ本体なんだけどね』


そういうと、五十嵐さんはあきれたように目を細めた。


「俺は、五十嵐さんといるときの俺が一番好きなんだ」

『はぁ』

「君がいるだけで俺は幸せだから、心配しないで」

『心配も安心もできない』


五十嵐さんは目を閉じ、なにか考え込んでいる。その静寂すら心地よい。


『いつも君は変な気を回すから、君といると調子が狂う』

「そうかな」

『ときどき、なぜだか自分が小さく感じる』

「そう」

『君はいつも次の日の話しかしない』

「そうだね」

『それは少し気が楽だ』


五十嵐さんは薄く笑ったように見えた。

背中のリュックに乗っていた、桜の花びらをそっと入力モニターの上に置く。


「五十嵐さん、君が好きだよ」


その日、満開の桜が咲いた。



それから何度目かの春。

東京での一人暮らしはすっかり板につき、リュックに入れたままのバッテリーの重さにも慣れてきた。


それは彼女の体重と、同じ重さで。

五十嵐さんが知ったらきっと呆れるだろう。


暗い部屋に戻り、簡単な食事をあたためたら、小さなロボットを起動させる。


「ただいま、五十嵐さん」

「もうこんな時間か」


五十嵐さんは高校卒業後、システム会社で働いている。

学生の俺とは時間が合わないけれど、夕食のときだけは一緒にいる約束だ。


「さっさと食べてくれ。私は納期前で忙しいんだ」

「さみしいよぉ」


五十嵐さんは相変わらず、つれない。


でも不安はない、だって別れ際には必ずこういうんだ。


「バイバイ、マタネ。バイバイ、マタネ」



=おまけ=


「そういや学校で五十嵐さんのフリしてたの誰」

『あれは母』


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