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英雄の終わった物語

作者: きのじ

 雪に埋もれた街道を、ボロ布のような外套を被った旅人が歩く。

 齢は30程度。落ちくぼんだ眼と、顔に刻まれた皺、短めの髪、無精髭をはやしており、一般的に言って小汚い様相をしている。

 服も汚れた布の服と黄ばんだ毛皮の服であり、ところどころホツれており、破れた部分には適当に縫い付けたであろうあて布だけがされている。

 男は腰に剣を差しているが、その鞘はボロボロであり、剣のフォルトには安っぽい包帯が巻かれ、その包帯には血が滲んだのか、それともカビか分からないが赤い染みのはん点が見られる。

 金のない浮浪者が、拾った剣を差している…と言えば誰もが信じるであろう…惨めでみすぼらしい、見るべきところもない、ただの中年の男。

 男は雪に足を取られながらも、深々と雪が降り積もる道に自分の足跡を付けてながら進み続ける。

 彼の足跡は、降り続ける雪によってやがて消えてしまう。

 彼は何も残せない…そう言っているように雪は降り続ける。

 彼が街道を歩き続けるも、空は雲に覆われ月明りもない。

 それでも彼はただ歩き続けた。

 目的もなく、使命もなく、ただ、歩くしか彼には出来なかいからだ。

 

 旅人が歩き続け、小さな海岸にへばりつくように作られた漁村についたのは、もう間もなく深夜になる頃だった。

 雪の中、仕事をしている者は殆どおらず。惰性という名の職務で警備をしている当番の自警くらいだった。

 その自警団達も、動物だけでなく魔物も出歩かない夜に凍えないように、仲間達との談笑での暖を楽しむ為に、小屋に引きこもり『バンディッツ(※カードゲーム)』をし、酒を飲み、時折外を見るだけだ。

 旅人は自警のいる小屋の窓を軽くノックしたものの、自警の男は窓も開けず、笑顔で手を振った。

 それが、寒いの御免だ、なのか。それとも言葉はなくても、ようこそ、なのかは分からない。

 旅人が口を開こうとしたところで、自警が笑顔で村の奥を指さす。

 旅人が指を刺された方向を見ると、少し大きめの木製の建物が見えた。

 旅人もそれが宿屋だとすぐに気付いた様子で、自警に笑顔で軽い会釈を返すと共に、お礼として大銅貨を1枚窓の縁に置いた。

 旅人が大銅貨を置いたところで、小屋の中にいる自警が窓をノックし、窓の外にある大銅貨を指さし、続けて窓の下の方も指さした。

 旅人は小さく笑い、大銅貨に指を添える。それを確認した自警が窓を小さく開ける。それと同時に旅人は大銅貨を指で弾き、自警のいる部屋の中へと放った。

 コインは綺麗な放物線を描き、奥の壁に当たった後に床に落ちた。

 その大銅貨を目掛けて数人の自警が飛びつく。

 大した額でもないが真剣に取り合い、掴み取った自警は「どうだ!」とでも言わんばかりに破顔して勝ち取った大銅貨を掲げた。取れなかった男達は本気で悔しそうにしながらも、これは傑作だとばかりに手を叩きゲラゲラと笑う。

 旅人はその姿に苦笑しながらも、明るく楽し気な雰囲気に口元を綻ばせる。

 

 旅人が雪をかき分けながら宿屋へと行き、その扉をノックする。

 ノックをしたところで「ここは厠じゃないよ。入ってるけどね」と勝ち気な女性の声が帰って来た。

 旅人は扉を開け、中に入る。

 中は外見通りの古い木造の酒場であり、兼業として宿を開いているようだった。

 大広間のような入口に繋がる場所には、奥にはカウンターがありその奥には女将らしい恰幅の良い女性。カウンターの前には数席が設置されており、よく見る酒場の形をしている。

 部屋の中央には石で囲まれた囲炉裏があり、その囲炉裏の周りにも席が設置されている。

 主に酒を飲む場所は火を囲んでなのか、囲炉裏の周りの席には数人の初老の男性達が酒を飲み、声をあげて歌っている。

 旅人はどうするべきか、と数舜考えた様子だったが、囲炉裏の周りにいくのも憚られたのか、カウンターへと向かった。

 旅人が席へ着くと、女将らしき女性は、茶化すように笑顔を見せながら、コップに入っていた酒をあおり、

「やぁ、旅の人。一杯飲んでいくかい?」

 飲みながら接客を開始した女将に、対して旅人はクスリと笑い。

「ええ、あなたの言う通り旅の身ですが…いえ、私は…酒は偉大なる神よりも大の好物なのですが、いかんせん素寒貧でしてね。懐はこの宿の外よりも寒々しく、あいにくですが水と、そうですねこの店で一番の上手くて安い料理をお願いしても宜しいですか?」

 旅人が茶化すように注文すると、女将はコップを置いてから、にやりと笑って見せた。

「それならいいネズミ肉があるよ。今日、裏の小屋を荒らしてた。獲れたてだから美味しいかもね?あたしは食べないけど。病気になるかもしれないわね。美味しくて、一生ネズミ肉しか食べられないような、虜になるような病気に」

 ネズミ肉…と返された旅人は口元を歪め、困ったように眉を曲げながら、

「手厳しいですね。では、その上の料理で」

「あたしのウマを一頭焼いてあげるよ。大金貨10枚でね」

 旅人は提示された金額に項垂れながら両手を挙げ、

「降参です。銀貨…いや、大銅貨5枚で食べられるものをお願いしても宜しいですか?」

 女将は言い負かしたことを誇らしそうに胸を張り、ケラケラと笑うと、

「あいよ。財布の紐が堅いね。ついでにウマの小便でもどうだい?」

 と旅人に尋ねた。

 ウマの小便というのは、この辺りで好まれる酒『黄金酒』を水で薄め、ハーブを混ぜた安酒のことであり、大陸の中央にある首都で好んで飲まれているものだ。

 『黄金酒』を好み、それを飲むことを誇りであるとしている北方の民達にとっては、忌み嫌われるもので”物乞いとなって、無一文になっても飲まない”とすら言われている。

 最も、首都に住む者達にとっては、『黄金酒』は味は良いのだが、すぐに酔ってしまう上に、独特の臭みがあるので、首都に住む者達に合わせた飲み方が”ウマの小便”なのだが。

 旅人もそれを分かっているようで、大銅貨を机に並べてから、

「どうせ飲むなら、ウマい小便をお願いしたいですね。」

 旅人の冗談に、女将は酒をあおりながらも、皿を用意し始め、

「それは贅沢だよ。あたしの主人の小便でも分けてあげようか?」

 そう言いながら囲炉裏の付近にいる初老で頭頂部が寂しい男性を指さした。

 頭頂部が寂しい男性もそれに気付いたようで、席から立ち上がると、ズボンに手を掛け膝を上下に動かし始めた。

 その珍妙な動きに他の客が笑い、「おいおい、お前の臭くてしょっぱい黄金酒なんざ誰も飲まねぇよ」、「粗末なもん出すんじゃねぇぞ!」とお互いに笑い合い小馬鹿にしあい始めた。

「…魅力的ですね」と旅人は目を細め、まるで微睡でも来たかのように微笑み、小さく呟いた。

 女将は剛毅に笑い、「じゃあ、厠に案内するよ」と手に持つおたまを、廊下の先へと向けた。きっとその先に厠があるのだろう。

「比喩の話ではなかったですか」と旅人。

 女将はそんな旅人を笑い飛ばし、

「あんた面白いね。こっちの者じゃないんだろ?だけど、気に入った。例え、ロイド(※主神)の回し者だとしてもね」

 旅人は「私もです」とその顔に刻まれた皺を幾分か和らげて女将に同調し、続けて。

「旅をしていると、色々と話を聞けますので。気に入っていただけたのも、ただの聞きかじりの小粋な言い回しでして。まぁ、あなたには負けますが。ここが賑わっているのは、あなたの…少々下品ながらも、まるでトロルのような魅力…その虜なのですかね」

 旅人が女将を大柄の凶悪な魔物であるトロルと表現したことで、囲炉裏の方で飲んでいた男性達が笑い出した。

 女将の旦那らしき頭頂部が寂しい男性は傑作だとばかりに「聞いたか?俺はトロルを倒した英雄だぜ!」と剛毅に笑う。

 女将は「そのトロルにひぃひぃ言わされてるのは、どこのどいつだい?」と返され、男性も負けじと「今夜は俺がひぃひぃ言わせてやる」と下品ながらも楽し気に言い出した。

 それに対して、周りが、”やめとけ”、”腰が砕けちまうぜ”、”毛を抜かれて尻の毛までなくなるぞ”、と概ね女将さんの味方に着く客が多いようだった。

「おべっかばっか言っても槍は磨いてあげないよ。へし折る方が得意だしね」

 女将さんはワイワイと好き勝手に言っている男達をニヤリと見つめるが、男達も負けじと、

「槍なんかより、酒だよ!酒ならくれよ!」

 なんて口々に憎まれ口を叩きながらも楽しそうに言い返していた。

 旅人がうっとりとでもしているように、彼らを見つめていると、彼の前に深めの皿に注がれた煮込み料理と半切れの黒いパンが出された。

 白く混濁したスープに、白い簡単に避けそうな肉のようなものが浮き、他には赤い根菜や、元々は白いものであろう変色し透明感のある別の根菜も見える。

 旅人は料理から立つ湯気だけで嬉しそうに頬を緩め、女将が差し出したスプーンを受け取る。

 旅人が料理の香りを嗅ぎ、ほのかに香る磯の臭いを堪能したところに、小さめのコップが差し出された。

 コップの中は金色に透き通った液体…『黄金酒』が満たされていた。

 旅人が顔をあげると、女将はニヤリと笑い、

「おまけしとくよ。あたし達北方民族に、この黄金酒は血液であり、神と同等だからね。因みに、料理は大銅貨4枚だよ」

 言い終わると同時に女将は手に持つコップを旅人の方へと向ける。

 旅人は笑顔を浮かべ、自分に出された『黄金酒』の入ったコップを掲げ女将のコップと乾杯をする。

 コツン―と安い木の音がし、それと同時に二人は酒に口を付ける。

 旅人は一口を味わい。

 女将一口で飲み干す勢いで。

 酒を飲んだ二人は、旅人は食事へ。女将は囲炉裏を囲む男達へ酒を注ぎに。

 旅人はスプーンでスープを掬う。

 スプーンには白い白濁した部分と少量のスープが掬えた。白濁した部分を除いたスープは黄金酒のように透き通ったとは言えないものの、黄金色をしており、そのスープを口に運ぶときつめの塩味が舌に刺激を与える。

 それが、きつめの酒である黄金酒とよく合う。

 この酒を飲むために作られたであろう料理に旅人は満足そうに頷き、続いてスープに浮く白い肉にスプーンを刺す。

 スプーンで刺すと白い肉のようなものは簡単に裂け、ホロホロと裂けるように崩れる。

 それらをスプーンで掬い、スープと共に口に運ぶと柔らかく、そして甘い肉汁、磯の香が同時に生まれた。

 彼にとっては食べなれない味ではあるが、それが美味だとは彼の満足そうな頷きで分かる。

 黒いパンは混ぜ物のパンで、固く、味も薄く、小麦の優しい香りも薄い。

 首都では”北方の黒パン”と揶揄されているものだ。

 北方はその気候上、小麦はそれほど多くは収穫出来ない。

 だからこそ、小麦に芋の粉や、芋の皮、木の皮を混ぜて作っている。

 だが、そのパンですら旅人にはご馳走であり、また旨いスープに浸すと味の薄さも、その固さも気にならなくなる。

 恐らくこの味わいは首都で日常的に食べられる”白パン”では得られないものだ。

 旅人が食事を半分程進めたところで、女将がカウンターへと戻り「気に入ったかい?」と尋ねてくる。

 旅人は頷き、

「ああ…温まります。それに、この白身の肉はイワガニの身ですか?」

 そう言いながら殆ど食べてしまって、一部とも言えない白い肉のようなものをスプーンで差すと、女将は頷くと共に。

「そうだよ。この辺には余り来ないのかい?伝統料理の”イワガニをハーブでごった煮込み”だよ。知らないのかい?」

 旅人は「お恥ずかしながら」と女将の言葉に肯定しながら、

「生まれが南の方なので。イワガニは私の故郷にもいるのですが、如何せん臭い上に病気も持っているので余り食べないのですよ。ウミワタリイシガニは食べるのですが」

 そう返すと女将は少し驚いた様子で。

「ああ、オピルニアとかシュリフとかそっちの国かい?てっきり、西のアルトヘイムかと思ってたよ。アルトヘイムから追放された子も同じような言ってたけど、イワガニを食べる時に塩をケチって腐らせてんじゃないの?あたし達は外に置いておいたら勝手に凍って長持ちするからね。まぁ、獣が勝手に持ってったり、うちの主人が勝手に食っちまうのは問題だけどね」

 旅人は小さく笑い、「ここより南ならこの世界の全て、アルトヘイムも入りますね」と茶化すように返し、女将は「ここが世界の果て。つまり全てがここにはあるのさ」と剛毅に笑い飛ばす。

 旅人はしばし女将と談笑しながら、食事を終えた頃、宿の部屋を取ろうと懐から小銭入れを取り出す。その時にカチンと彼の腰の剣が椅子に当たった。

 旅人は剣を触ると、鞘を止めていた紐が一本切れていることに気付き、切れた紐を簡単にくくり直した。

 女将はその姿を見ながら、

「そういえば、あんた、剣重くないの?」

 旅人はその言葉に困ったように眉を潜め、

「ああ、失礼しました。旅が長いと酒場でもいきなり斬り付けられたりするもので…」

 そう言いながら剣を外套に隠すようにするが、女将は事も無げに、

「ふーん、ちょっと見せてよ。いい剣に見えるけど?」

 女将の言葉に旅人はポカンとしたものの、それが単なる興味だというのはこの短い時間だけで分かる。

「ええ、どうぞ」と旅人が鞘ごと剣を机に置くと、女将は軽く吹き出し、笑顔を浮かべながら、

「あんた、人がいいね。あたしが卑しい小人族なら、盗んで、駆け出して、跳びあがって、お空の高くにいっちまうよ」

 その言葉に旅人は肩を竦めながらも笑顔で返し、

「着地には注意して下さいね。雪深い地ですし、そのまま春を待たないといけなくなりますよ」

「そりゃいい。花と一緒にこんにちわ!我が神よ!そんなことより、まずは一緒に黄金酒を飲みましょう!ってね」

 剛毅に笑う女将に旅人もつられて笑顔になり、「その時は是非ご一緒に」と剣を掌で示した。

 女将は鞘に入った剣を軽く眺めてから「抜いてもいいかい?」と尋ねてくる。

 旅人が頷くと、女将は少しだけ鞘から剣を抜き、深き青色でありながら、時折七色に鈍く光を反射するの刀身を見て、

「へぇ、ローオリハルコンかい?珍しいね」

 その言葉に旅人は軽く頭を下げる。オリハルコンは珍しい鉱石で価値は高いものの、鉱脈は既にいくつか見つかっており、一部の富裕層向けの武器だ。

 しかし、混ぜ物の中でも素人が作る劣化品であるローオリハルコンは、高価な品々の中では比較的安価な偽物という立ち位置だ。

「ご慧眼で。やはり宿の女将をしていると目が肥えるのですか?」

 旅人がおためごかしのような言葉を告げると、女将は軽く自分のお腹に手を添え、

「肥えたのはお腹よ。幸せ太りでね」

 女将がお腹を添える手は優しく、包み込むようであった。

 旅人もそれを察したのか、

「十分にご自愛下さい」

 女将は微笑みのような笑顔を浮かべ、

「ありがと。これで三人目、あと七人は欲しいね」

 そう言いながら剣を仕舞い、旅人へと返すように押し出した。

 旅人は返された剣を腰には差さずに席の横へと立てかけてから女将に向き合う。

「その時はまたお邪魔してもいいですか?今の二倍は賑やかでしょうし」

 女将も頷いて返すと、

「いいよ。ただしあんたの飯があるとは思わないでね。勿論、値段は3倍で」

「手厳しいですね」

 旅人が困ったように笑うと「その時までには仕事を見つけてみます」と。

 女将は「しっかり稼ぎなよ」と剛毅に笑い、思い出したように、

「そう言えば、その剣はどこで拾ったんだい?あんたもしかして盗人かい?」

 いかにオリハルコンの製品の中では安価とは言え、ローオリハルコンの剣は仕事をしていない旅人が持つには分不相応なものに違いない。

 旅人はおとぼけるように、

「ええ。襲ってきた山賊が落としていったので、返す為にも今は借りているのですよ」

「成程ね。返すのがずっと先になることを祈ってるよ」

 旅人の言葉で察した女将はニカリと笑い、その旅路を祈る言葉を告げた。

 それに旅人は頷いて返すと共に、コップの底に少しだけ残った黄金酒を飲み切る。

「暖かな店で冷えた黄金酒というのもいいですね。心が温まります」

 旅人の気取った言葉に、「茶化しているのかい?」と言いながらも女将は、「お代わりいるかい?」と返したところで、入口の扉が乱暴に開かれた。

「ああ!寒い寒いわッ!」と高い慌てた声と共に、仕立てのいい外套とフードを被った若い女性が入店した。

 その女性の来店と同時に囲炉裏の男性陣は「やっと来たか!」、「待ってたぜ!」等と囃し立て、女性もそれに応えるようにフードを取った。

 フードから零れるように細やかな金糸のような髪が舞う。

 大きく、新緑のような透き通った瞳は、彼女の体躯の小柄で起伏の小さな体と相まって少女のようであるが、スラリと伸びた長い手足は彼女を十分に女性として魅力的なものとしている。

 肌の色は北方の民のよりも白く、日に焼けた跡すらない。

 だが、一番目を惹くのは、彼女の美貌よりも、その長い耳だ。

 それは、妖精を祖に持つ種族、エルフの特徴だ。

 入って来た女性は靡かせた髪を軽く纏め始め、髪は編み込んでから、器用に頭の後ろでお団子状にし、

「お待たせッ!いや~、もう首長が帰してくれなくて!」

 その言葉に囲炉裏の男性達は「イグレーヌはあんたのファンだからな」と口に出す者もいれば、「乞食にしないように、勉強させて貰ってんだろ。だったら頑張れ」と小気味よく、憎まれ口を叩くものいた。

 その誰もが彼女への悪意はなく、気の置けない仲というのは、この場所に来たばかりの旅人ですら感じ取っていた。

 エルフの女性は囲炉裏の傍にいる男性達に挨拶のように手を打ち合わせ、手を叩き合っていたが、そこでも、

「冷たいな!早く酒持って温かくして来いよ!寒くて戦前でもマーズの酒が抜けちまうぜ!」

「言われるまでもないよ!それに、寂しいのはあんたの頭でしょッ!」

「言ったなこのメスエルフめ!お前みたいな”はねっかえり”は、男がよりつかねぇよ!相手してやってんだ、感謝しろよ!」

「誰がメスだよッ!私の美しさにはきっと、ヴィーネも舌を巻くよ」

「そのチンチクリンで何を言ってんだか!ヴィーネも舌を巻いて失笑するだろうな!」

 お互いに悪態をついては楽し気に笑顔を向けあう。

 お互いの身体的な侮辱を言い合うのは気の毒にも感じるが、むしろ気の毒になるのは、彼らの下品な引き合いに出される神々の方かもしれない。

 囲炉裏の男達とエルフが楽し気に話しているところに、呆れるように女将が声を掛けた。

「おーい、何も頼まないのかい?あたしの機嫌が悪くなったら飯も酒も出さないよ」

 声を掛けられたエルフは、おっと、とでも言わんばかりに話しを一旦止めて「お酒、取ってくる」と、子供っぽく笑い囲炉裏の男達に手を振ってからその場を離れた。

 エルフは楽し気な表情で、「女将さんッ!こんばんはッ!」と満面の笑顔と共に女将へ挨拶をした。

 女将が掛けた言葉の意味はきっと、早くお酒を飲みたいであろう彼女を思っての言葉だったのだろう。

 女将も「風邪ひかないようにね」とエルフの頭に残る水滴にタオルを差し出した。

 ものの、エルフが受け取らず笑顔と共に頭を下に向けたのを見て、女将が呆れたようにその頭を拭いていた。

「ったく、手が掛る癖に、お金は落としていかない嫌な客だよ」

 女将の悪態にもエルフは「商売なんだから、ちょっとは客を立てても十大神は怒らないよ」悪態とも、屁理屈とも取れるような言葉を返していた。

 まるで、年頃の娘が帰宅した時に、親に甘えるような一幕に旅人もクスリと笑う。

「エルフですか?」

 旅人がエルフに尋ねると、エルフは旅人の方を向き、

「そうだよッ!あら、よく見たら見ない顔ね!私は吟遊詩人のエリザ。一曲いかがかしら?」

 そう言いながら外套を脱ぎ、背中に背負っていたであろう小さな弦楽器である竪琴を取り出した。

 その表情は明るく、まるで始めからそう言うつもりであったようであった。

 旅人は困ったような表情をしながら、軽く手を降りお金を持っていないとジェスチャーを返しながら、

「私は旅の素寒貧です。お仕事は上手く行ってますか?」

 旅人の質問にエルフのエリザはにんまりと笑い、懐から小さく、恐らく殆ど中身がないであろう小銭入れを取り出し、

「ええ、あなたよりはッ!今、絶賛営業中よッ!女将さん!黄金酒と…ネズミ以外のお肉!ハーブは無しで!」

 エリザは虚勢を張れるだけの中身は決してない小銭入れから、大銅貨を探し数枚を並べると女将は受けとり、

「はいはい。あんたら”自然エルフ(ネイチャーズ)”も大変だね」

「そう思ってくれるなら安くしてよ!なんたってこの時期はお肉食べ放題なんだもんッ!春が来るまで食べるに食べてやるって決めてるの!お肉を好きに食べていいんだからッ!」

 エリザは頬を緩め、仕事道具である竪琴をカウンターに置いて、楽し気にカウンターに両肘をつき、料理と黄金酒を待っている。

 旅人は思い出すように、

「”自然エルフ(ネイチャーズ)”は確か…冬は植物を食べないのが決まりでしたね」

 エリザにそう聞くと、エリザも頷き、

「そうそう。死(冬)の季節は私達も、植物も耐える時。私達を活かし、時には牙を剥く自然。それと時に手を取り合い、時には立ち向かう。お互いを慈しむ為にも…」

 ペラペラと語りだしたかと思うと、自然な動きで竪琴を手に取り、指で軽く弦に触れる。

 そのしなやかな指が竪琴から高く、長い音を鳴らす。続けて、彼女は柔らかく弦に触れ始めると、落ち着いた音が弦から発せられ、それに続くように、

「”慈悲の心で…弱りし者へは~手を出さず、愛を~奏で~共に~活きる~”」

 高いエリザの声色が詩を美しく奏でる。

 その声と優しき竪琴の旋律に囲炉裏の男達も一度口を閉じた。

 竪琴のみが音を奏で、作り出した静寂の中が訪れたところで、エリザは弦に掌を添え音を切る。

 旅人は聞き入ろうとしていたところだったのか、驚きの表情を浮かべていた。

 それは他の客や、この宿の主人達もそうだったようだ。

 まだ聞き足りない…と誰も口には出さずともそう言いたげであった。

 旅人は肩を竦め、「上手い営業ですね」とエリザに称賛を送ると、エリザは悪戯っぽく破顔し、「どう?私を買う?」とその言動も揶揄っているのがよく分かる。

 旅人は乾いた笑いを浮かべながら。

「あなたより、その素敵な竪琴なら欲しいですね。旅をしていると、寂しくなるもので」

 エリザは口も減らない上に、冗談の言いなれているであろう旅人の口上に口元を緩め。

「あらら。これがなくなったら、私は生(春)の季節の前に餓死しちゃうな。そうなったらあなたが私を養ってくれるのかしら?勿論、詩でね」

 囲炉裏の男達にしていたような冗談を返すと旅人は「私の腕前を見ますか?」と言ってからエリザの答えを聞く前に軽い鼻歌を奏でる。

 先ほどエリザが詠ったであろう詩を真似ているようだが、テンポも音程もまるで違う。

 下手な鼻歌にエリザは小さく笑い、軽く人差し指を立てて振る。それが旅人の鼻歌へのテンポや、音程についての指摘だろうとは分かっていても、旅人にはどうすればいいのかすら分からない様子であった。

 旅人も下手を承知しているようで鼻歌を適当なところで区切ると口元に笑みを浮かべ、「これで豪邸が建てられますかね?」とエリザに冗談を返す。

 エリザは小さく吹き出してから、「私の家は馬小屋以下だよ」と小気味よく返した。

 そんなエリザに向かって女将から杯が出される。

 エリザは杯を見るや否や目を輝かせ、

「待ってましたッ!お肉はまだッ!?」

 嬌声かのような声を上げ、女将もそれには「今、焼いてるところだよ」と軽く諫めるに留めた。

 エリザは黄金酒が満たされた杯を手に取り、さっそく口を付けようとしたところで、囲炉裏の男達が杯を高く上げ、

「おーい、エリザ!営業ついでに歌ってけよ!」

「こっちで乾杯しようぜ!」

 等と口々に言い、エリザもそれに応えるように杯を片手に立ち上がり、元気良く「はーいよッ!それより、たまにはお金出してよッ!」と悪態を付きながら楽し気に囲炉裏の方へと行く。

 旅人はエリザと囲炉裏の男達の方へと視線を向け、お互いが楽し気に杯を合わせ、

「ああ?酒飲み仲間と金、どっちが大事なんだ?」とこの宿の主人の言葉に、

「ちぇ!酒仲間には代えられないか!」

 エリザが楽しそうな声をあげると、周りも「仲間に代えられんだろ!最低な…吞兵衛仲間だがな!」等と楽し気に口々に語りだす。

 その内容はどれも取り留めのないもので、時には下品とも言える内容を、時には大真面目にとてつもなく下らないことを、時には馬鹿話か、天気の話でもするかのように街道の魔物に気を付けるように警句も。

 取り留めのない楽し気な言葉の応酬に旅人も頬を綻ばせる。

「…あんた良い笑顔するね」

 不意に女将に声を掛けられた旅人は、一瞬何かを考えるように視線を斜め上に向けた。しかし、すぐに肩を竦め、

「ええ。当然ですよ。本当に温かい…」

 その言葉に女将も、彼がそう言った原因である囲炉裏の男達と、それに交ざって騒いでいるエリザを見て微笑みを浮かべた。

 女将が思い出したようにカウンターを離れ、厨房へ行く。

 奥から「あちゃ~」と女将の弱ったような声が聞こえた。しかし、剛毅であろう彼女はすぐに開き直ったように「ま、肉なら炭でも食うか」と言いながら何かを皿に載せ始めた。

 それがエリザの頼んだ肉料理だろうとは想像に難しくない。

 女将は焦げが目立つ何かの肉を炙った物を皿に載せてカウンターへと戻ってくる。

 カウンターに戻ってくると、軽く塩とハーブの混ぜ物が入っているであろう小瓶を手に取るが、少し考えた結果、小瓶をカウンターの上へ置いた。

 その代わりなのか、拳大の大きさのある塩の原石を手に取り、適当に暖炉の角にぶつけ始めた。

 鈍い音がし、乾いた音がする。

 旅人には始め欠けたのがどっちかは分からなかったが、どうやら相打ちだったようで、これには女将も「う~ん、やっちまった」と小気味よく笑う。

 そのまま、砕けて粉状になった塩を肉へまぶし、ついでのように少し大きめの欠片を何個か皿に載せてエリザへと持っていく。

 エリザも焦げているような肉に驚いていたが、塩の欠片を見ると「これだけで3杯…いいや、300杯はイけるッ!」と歓喜の声を上げた。

 戦神マーズでも肩を竦めるであろう酒飲みだな―等と旅人は思ったものの、それはエリザ自身の口から、

「マーズだって塩さえあればいくらでも飲める―ときっと、多分申しておりますッ!」

 エリザが焦げた肉を口に運び、指に着いたであろう油を軽く舐め、続いて塩の欠片を口に放り込む。

 肉を嚙みながら、彼女は続けて黄金酒を含み、

「くぅ~!これだよッ!酒は血液であり、魂!塩は肉であり、精神!…肉は…あれ?何になるッ?焦げた肉じゃ~わからないな~」

 エリザがニヤニヤと笑って女将に視線を向ける。

 女将もバツが悪そうに視線を逸らしたが、「値段はまけないよ。焦げた代わりに塩をふんだんに入れてるんだからね」とあくまで剛毅だ。

 エリザは負けじと「”氷肉(※冬に生肉を干したもの)”なら安くしてくれる?」と値段交渉をしている様子だった。

 しかしそれも失敗に終わった…というより、女将から「またお腹壊すよ」と言われ、さすがに引き下がったようだ。

 普段から一部の動物や魚を生で食べる北方民にとっては生肉や生魚は貴重な栄養分であり、またその美味は”桶から離れれぬ呪いに掛ろうとも、死することとなってもその勇気ある冒険に値する”と中央国に詠われる程だ。皮肉混じりではあるが。

 しかし、冬しか本格的に肉を食べない”自然エルフ(ネイチャーズ)”にとっては過剰な栄養から劇物にも似た物だ。

 勿論だが、旅人も食べない。美味ではあるが、その代償が桶から離れれなく呪いとなっては、歩き回ることを生業としている彼には忌避すべきものだ。

 エリザが肉をある程度食べたところで、先ほどと同じように指を舐めてから、外套から手拭きを取り出し指を拭き始めた。

 手を綺麗にしてから彼女は竪琴を手に取り、自然な流れで弦に触れる。

 高く澄んだ音が響き、それに続くようにエリザが口を開く。

「”赤い死が訪れ~、敵は強大~…卑劣なる罠に~、黄金の樽は砕かれ~!”」

 彼女が詠い出し、それに合わせて囲炉裏の男達も杯を振り始めた。

 エリザの高い声質と技量が合わさり、その詩に旅人も目を閉じ聞き入る。

「”…その時、我らが神!英雄たるマーズが斧を手に~、悪しき者を、悲しみの果てへと~立ち上がらん”」

 エリザがそこまで詠ったところで、囲炉裏の男達が杯を掲げ、

「我らがマーズに祝杯を!」

 その声に男衆は杯を重ね合う。

 エリザは慌てた様子で竪琴を弾く手を止め、

「カンパ…ぃ!って、空だった!あたしにも頂戴!」

 声高らかに言った彼女の杯は既に空であったようで、ねだる様に女将へと声を掛けるが、囲炉裏の男達がゲラゲラと笑い出し、

「エリザは金払ってけよ!お前は客だろ?」

 そう言いながらも、杯の空いているエリザの前では彼らも酒に口を付けない。口々に、エリザを揶揄ってはいるものの、飲み仲間の酒が来るまでは待っているようだ。

 旅人はそんな温かく待つ彼らにも、そして、不平を漏らしながら頬を膨らませるエリザにも笑みを溢す。

「えぇ!?ただ働きさせておいて?マーズが聞いたら怒るよ?」

 とエリザが不満を言い、

「俺達はお前の詩を聞いてやってんだよ!お前の練習の為に!」

 男達は言い返す。両者一歩も引かず、お互いが笑い合って、お互いをなじり合う。

「女に冷たく当たると、ヴィーネ(※美の女神。宝飾を好む)様が怒って、オリハルコンを投げつけてくるよ!」

「そりゃあいい。俺達はそれを売って、一年は安泰だ!まぁ、エリザの歌がヴァルニールで披露された時に、マーズが顔を顰めないようにな!今のままじゃ、さすがのマーズも杯を落としちまうって」

「ちぇ!吟遊詩人は口達者が仕事道具なのに、口の減らない人達ね!これじゃあ商売上がったりだよッ!」

 エリザがワザと拗ねた様子を見せたものの、女将へウインクを送る。

 それに、合わせてか、女将も彼女の為に次の料理を作り出し始めた。

 旅人はそんな仲の良いやり取りを聞き、満足そうに笑顔を浮かべる。中身の乏しい財布から大銅貨を一枚取り出し、女将の方へと差し出す。

 温かい食事に、柔らかな雰囲気…その二つに彼も飲まれていた。もしかすると、酒に吞まれていたのかもしれないが、彼はエリザの方を向くと。

「私が払いますよ。いい歌でしたよ」

 彼の言葉に周りが一瞬静まり返る。

 旅人は顔色こそ変えなかったものの、「踏み込み過ぎたかもしれない」と思いながら、言葉を探していた。

 当の本人であるエリザは目をパチクリとさせて、仕事道具の”口達者”ですら鳴りを潜めていた。

 一瞬の静寂だったはずが、少し長くすら感じる間。

 それを壊したのは、この宿の主人であり、吞んだくれている頭頂部の寂しい男性だった。

 彼は剛毅に笑い始めると、

「はは!こりゃいい!優しい兄ちゃんだな!」

 その一言で、囲炉裏の男達も大声で笑い始めた。口々に「エリザは適当に構ってやるのが丁度いいんだ!」と旅人に注意を促す者や、「エリザの我儘を聞いてたら、この宿の隣にもう一つ宿が立っちまうぞ」と彼女が暗に大酒吞みだと伝える者をいた。

 宿の主人は、軽くエリザの頭を掌で、叩くと撫でるの間のようにポンポンと軽く手を置き、人懐っこい笑顔で、

「悪い悪い!こいつ…エリザを虐めてる訳じゃねぇんだ!俺らはいつもこんなんだからよ!アマンダ、この兄ちゃんとエリザに1杯注いでやってくれ!」

 宿の主人の言葉に、女将がてきぱきとした動きで旅人のコップに黄金酒を注いでいく。

 それから、女将は旅人がカウンターへと置いた大銅貨を手に取り、

「はいよ!まぁ、財布の固い旅人さんが折角紐を緩めてくれたんだから、この大銅貨は記念に貰うね」

 旅人は、自分の財布の中が心もとないとは分かっているものの、肩を竦めるだけし、

「高くつきましたね」と心なしか笑顔を浮かべた。

 旅人がコップを手に取ると同時に、店の主人が声高に、

「兄ちゃんもこっちに来いよ!一緒に飲もうぜ!」

 そう言って誘ってきた。

 旅人はその誘いに乗るように、コップを手に取り、剣を置いたまま席を立つ。

 その姿に、囲炉裏の男達の1人が「おいおい、盗られるぞ?」と彼を茶化す。

 旅人はそんな男性に「盗られたら、盗られたですよ。」と笑顔で返すと、彼もそんな彼が気に入ったのか、「盗られたら俺が一杯奢ってやるよ」と彼を歓迎する言葉を投げかけた。

 旅人はそんな温かで信頼出来る言葉に笑顔を浮かべ、

「2杯いただきたいですね。私1人で飲むだけじゃあ、愚痴が溢せないじゃないですか」

「へへ!あんたが酔いつぶれる迄は付き合ってやんよ!」

 囲炉裏の男がそう返すと同時に、エリザの手に持つコップにも女将から黄金酒が注がれた。

 エリザは注がれる酒を目を輝かせて見つめ、「う~ん!得した!」と歯に衣着せぬとはこのことかのような言葉を溢してから、黄金酒の入ったコップを旅人へと掲げて見せ、

「悪いねッ!奢って貰っちゃってッ!」

 その言葉に旅人は困ったような笑顔を浮かべた。

「私は自分の分を払っただけになったのですがね」

 結局、1杯分を払い、自分にも注いで貰ったのだから、奢ったとは言えない。

 それでも、エリザは酔いも後を押してか、食い気味に、

「心ッ!心意気が大事ッ!」

 そう言いながら、ハープの弦を軽く鳴らす。

 エリザは黄金酒を一口飲んでから、悪戯っぽく笑うと、

「奢って貰ったし、リクエスト聞くよ!」

 エリザの物言いに。旅人は困ったように眉を潜める。

 酒を貰ったからと言って、仕事の営業を放棄していい理由にはならない。

「営業ではないのですか?」と旅人が諭すように尋ねると、エリザコップを高く掲げ。

「お酒には代えられないってッ!あ、女将さん!お肉追加!」

 と、忠告も聞かず酒にうつつをぬかし、女将さんの方へと酒の相棒となる肴を注文した。

 勿論、こちらは有償であり、一言二言値切り交渉という名の無料提供を求めたが、あえなくエリザが撃沈をする。

 ただ、エリザ自身に真剣さもなく、所謂ただの飲んべえの戯言か、世間話でしかないのだろう。

 旅人はそんな様子にも頬を綻ばせ、となりで騒ぐエリザに。

「…余り詩には詳しくなくて申し訳ないですが。うーん、先ほどの『血濡れのマーズ』の続き…語り口調のところから、とか?」

 旅人の言葉にエリザはキョトンとはしたものの、剛毅に笑い出し、

「え~?周りがおじさんだらけだからって気を遣わなくていいって」

 と言いながら肘で旅人を小突く。旅人は弱ったと言わんばかりに愛想笑いを浮かべながら「あはは…バレましたか」と、自分の無知さだけは隠していた。

 それでも、エリザは引き受けたのか、ハープに手を掛け一度咳ばらいをする。

 それはもしかすると、詩を知らない旅人への気づかいだったのかもしれない。

 囲炉裏の男達が、

「気を遣うなよ、兄ちゃん!それに、エリザは詩は上手いんだが、語り口調に迫力がなくてなぁ!」

「お遊戯会みたいになっちまうんだよ!」

 そう茶化すように注意すると、エリザはムキになった様子で立ち上がり、愉し気に

「なんだとぉー!私だって…ランズの吟遊詩人だッ!一流の吟遊詩人だ!見てなさいッ!」

 そう言いながら、ハープを手に持って、「こほん!」とワザとらしい咳払いをする。

 エリザのしなやかな指がハープに幾度が触れ、高い音が奏でられ、続いて低い音と続き、自然と先ほどの途中からの伴奏となった。

 エリザのハープの弦が美しくも、テンポの早い音楽を奏で始めると、エリザは体を精一杯そらして天井を仰ぐように、

「アラワレタル、ハ!帝・国の黒キ騎士!死のヤリを手ニ!イクゾォ!たぁ!たぁ!とぉおぅぅぅ!斃れる英雄!まさにココマデカ!今こそぉ!悪しき帝・国!討ちしト・キ!アカキチシブキ!マミレタ、まぁぁぁズ!その手にはナゲキィの…」

 大声で詠い出した。

 ただ、旅人でさえその詩ではなく、詠い方にポカンとする。

 先ほどまでの美しい音は今でもしている。曲は美しいがアップテンポで雄々しさすら感じる…なのに、エリザの詩は下手であった。

 いや、下手ではない。

 テンポも、音程も合ってはいるが、酷く迫力に掛ける。

 旅人が思った言葉で現わすのであれば―棒読み…。

 それも、美しくも、凛々しい、活舌の良い…棒読みだ。

 あの美しい詩を詠える彼女の口からどうしてそのような詠い方になるのか、旅人にはまったく分からなかった。

 エリザは時に体全身を使い、手を振り何とか表現をしようとしているが、囲炉裏の男達に

「ああ、もういい。もういい。いつ聞いても迫力ねぇや」

「何で、詩の語りだと、ここまで酷いランズ訛りが出るんだ?お前、”自然エルフ(ネイチャーズ)”だろ?」

 と指摘され、エリザが詩を止めると、むくれた様子で。

「だって、ランズで詩を習ったんだよ!あっちでは評判だったよ!」

 そう言い返すが、

「笑いものにされてたんだよ」

「いや、何でランズの下町の訛りなのか、本当分かんねぇ」

 すぐに返され、エリザも「言ったな!」と怒った様子だった。

 ただ、それらがいつもの会話だというのも分かる。エリザが囲炉裏の方へと行くと、男達は「俺の方が上手いんじゃね?」と茶化したかと思うと、音程がバラバラだが味のある詩を始め、エリザがそれに言い返していた。

 囲炉裏の男達とエリザが愉し気に話していると、宿屋の奥…厨房の脇にある扉が開いた。

 旅人がそちらに目を向けると、10代くらいの少女がいた。

 どことなく女将に似ており、瞳は宿の主人のように優し気で目じりが下がっているのが特徴的な少女だった。

 少女は扉から出てくると、まずキョロキョロと周りを見渡し、旅人と目が合うと慌てた様子で頭を下げ、その後にバカ騒ぎをしている囲炉裏の男達とエリザの方を見ると。

「あ!エリザ姉ちゃん!」と目を輝かせて走り出した。

 エリザも少女を見ると両手を広げ、飛び込んでくる少女をしっかりと抱きしめる。

 それはまるで姉妹が再会するように温かで優し気な抱擁であった。

「やっほー!プリンッちゃん!」とエリザが少女の体温を確かめるようにしっかりと抱き、頬をすり合わせながら声をあげる。

 それに対して少女は笑顔のまま、口を尖らせ。

「プリンじゃなくて、プリンツ!はい!もう一回言って!」

 そう、まるで不出来な妹や、まだ喃語しか話せない赤ちゃんに言い聞かせ教えるように指を立てて催促をする。

 エリザは酔いもあってか、プリンツの胸に顔を埋めぐりぐりと押し付けながら。

「あはは!ごめんごめん!プリンットゥちゃん!」

 活舌どころではなく、何処かおふざけも交えて、ワザといった雰囲気だった。

 その様子に旅人は笑みを溢し、囲炉裏の男達も大声で笑い始めた。

「ダメだこりゃ。酒も入ってるしな」とエリザ以上に顔を真っ赤にし、ところどころ発音が出来ない男もいれば。

「ぶはは!マーズも酒を溢すだろうな!」と言いながらコップを掲げ、中身を溢す男もいた。

 だが、誰もが笑顔で二人の少女を見守っていた。

 力強いとは言っても、既に若者と呼べる見た目ではない。だからこそ、若く力強い新芽達は美しく、愛おしい。

 そこに男女の違い等ない。これが少年と青年でもきっと変わらない。

 誰もが生を尊び、今を謳歌している、

 二人の少女を若いから、羨ましいではなく、次に繋げ、生きて行く者達に託す立場であるからこそ、ただ周りは温かく見守っていた。

「プリンツだよ!もう!ほら”ン””ツ”って言って!」とむくれたプリンツ。

「”ン”!、”ットゥ”へああああぁぁぁ!」と、酔いが周り、ふざけるエリザ。

「もぉ!」とプリンツが頬を膨らませるが、それすらもエリザには愛おしいのか、膨れた頬に自分も膨らせた頬を摺りつけ。

「あははは!お酒飲む?」等と空になったコップを差し抜ける。

 プリンツ自身、エリザのことが気の置けない友人と思っているのか、それとも本当に姉妹のように思っているからか、それを冗談であると見抜き。

「もー!注いであげるから大人しくして!」と言いながら、注文を受けていないにも関わらず自分の母親から黄金酒を受け取りエリザに注ぎ始めた。 

 エリザはコップに注がれた黄金酒を一度プリンツの頬に当てたかと思うと、一気に飲み干す。ただでさえ度数の強い黄金酒をさらに煽ったせいか、エリザの表情はさらに緊張感を薄れさせ、柔らかい笑顔を浮かべる。

 プリンツにとっても、それは想定外だったのか「飲みすぎ!」と怒るような口調となるが、聞こえていないのか「うへへ、あったか~い!」と言いながらプリンツの小さな体躯を強く抱きしめた。

 プリンツも嫌そうな顔をしながらもどこか楽し気に。

「は~な~せ~!」

 と怒った口調でエリザの顔を手で押し返そうとする。

 しかし、エリザは力強く。プリンツは何処か手加減しているからか、離れる様子はない。

 この宿の主人の頭頂部が寂しい男性が。

「おい!うちの娘に飲まそうとすんなよ!いつものことだけどよ!」

 とエリザに釘を刺すものの、既にその飲ませる酒は空であり、注意というよりもいつもの儀礼といった感じすらある。

 エリザは宿屋の主人に注意されると、「じゃあ!チューしちゃうッ!」とプリンツの頬に熱いキスを何でもし始めた。

 勿論、プリンツも「うなぁぁぁぁ!」と口では嫌がり、眉を曲げてエリザをさらに押し返そうとするも、恥ずかしがってはいても嫌がってはいなさそうだ。

 旅人は賑やかな二人を見ながら、まだ残っている酒に口をつける。

 目の前で揺れる囲炉裏の炎に体を温められ、飲んだ酒により体の芯から温かくなり、温かな人達に胸が熱くなる。

 外は吹雪で寒いというのを忘れそうになる程には、彼の肩からは力が抜けていた。

「もう!ほっぺがべちょべちょ!めっ!」とプリンツがエリザを注意をしている。

「うひひ…じゃあ、ぺろぺろれろれろしちゃウッぞ?」とエリザが有言実行し。

「にゃああぁぁ!もう!折角お風呂入ったのに!?」とプリンツの明るい悲鳴が聞こえる。

 旅人はその姿を見ていなくても、その楽し気な声だけで楽しんでいた。

 不意に旅人の肩が叩かれた。

 旅人が顔をあげると、エリザがすぐ前におりプリンツを抱き締めながら。

「ふはは!可愛かろうッ!」と、まるで自分の娘を自慢するかのようだった。

 プリンツは見知らぬ旅人が怖いのか、少し居心地が悪そうだがエリザを信頼しているのか、恐怖や戸惑いは見えない。

 むしろ、旅人がどういった人なのかを気にしている様子であった。

 旅人が「ええ」と言いながら優しく微笑むと、プリンツは警戒心を解き「ごゆっくり!」と旅人に笑顔で伝えた。

 旅人がさらに頷いて応えると、宿の主人の頭頂部が寂しい男性が、大きく笑いながら。

「俺の娘だっつーの!」と楽し気に剛毅に笑う。

「ふはは!プリンッちゃん!可愛すぎだろッ!」とエリザが再度プリンツを抱きしめたが、当のプリンツはエリザからピョンと飛び降りると、父親である頭頂部の寂しい男性の方へと行く。

 頭頂部の寂しい男性は自分の自慢の娘をしっかりと抱きしめると。

「ふっはっは!当然だ!世界一可愛い俺の娘だ!ありがとよ!」

 その言葉は自慢であり、そして感謝だった。

 娘を愛してくれている妻に、エリザに、周りの飲み友達に、見ず知らずの旅人と…。

 生まれて来てくれてありがとう―

 そう自分の最愛の娘へ言っている。

 父が娘を愛する姿も旅人の心を温めた。

 酔っているとはいえ、詩人のエリザはそれを誰よりも強く感じるのか、目じりに涙を溜めながらも笑顔になり。

「可愛いプリンットゥ!ちゃんの為に…そーだ!新しい詩はどう?」

 そう言いながらハープを鳴らす。

 プリンツはハープの音に目を輝かせる。

 父親の膝の上に座りお利巧な様子で、エリザの詩を待っている。

 父親もそれに応えるように、娘が座りやすいように足を閉じ娘の頭を撫でる。

 そこに、母親が果汁のジュースを持ってくると娘は受け取り、母親の大きなお腹に耳をあてながら、おねだりをするように「もうちょっとだけいい?」と甘えていた。

 父母から夜更かしをしないように言われているのだろう。

 母がそんな娘に「アレクはお利巧さんに寝てるのに?」と笑顔で意地悪を言い、娘も負けじと「だって、もうお姉ちゃんだもん」と言い返していた。

 言い返しにはなっていなくても、子供にしか分からない世界だってある。

 そう思うと旅人は「では、それでお願いできますか?」と催促するようにエリザに伝えながら、続けて。

「ネズミ以外の肉と、”ウマの小便”以外の酒…さて、どちらがいいですかね?」

 その言葉にエリザは考える間もなく「ウマい小便!」と黄金酒を選んだ。

 女将が「はいよ」と元気に注文を受け、旅人が物寂しい懐から大銅貨を取り出し渡すと「いい感じに酔ってきたね」とニヤリと笑う。

 旅人も負けじと「雰囲気と美味しいお酒に酔わされたんですよ」と返す。

 囲炉裏の男達は「何処が財布の紐が固いんだ?」と笑い飛ばし、女将についでと言わんばかりに、酒のおかわりを頼み始めた。

 エリザがハープを何度かタップしてから、弦を鳴らす。

 しなやかな指を遊ばせるように動かし、まるでリハビリをしているようであった。

 彼女も吟遊詩人としての矜持があるのだろう。酔っているとはいえ、それを理由に適当な演奏をしたくないのだろう。

 それが、最高の実力を発揮する為なのか、それとも自分の詩を誰よりも楽しみにしているプリンツの為に最高の演奏をしたいのかは分からない。

「新作か?エリザの?」と囲炉裏の男達の1人がエリザに聞く。

「違うよ。この世界を救った、英雄様の詩だよッ!」とエリザは鼻歌混じりにハープの弦を弾く。

「なんだそりゃ?血濡れのマーズじゃねぇのか?」と先ほどの詩を思い浮かべる者もいた。

 英雄の詩となると、戦神マーズというのは当然なのだろう。

 天空の雷霆神にして、破邪と正義を司る神ユピルの好敵手にして、雄々しさとその勇気により神となった。その物語はどれも諦めぬ高潔な意志を示すものだ。

「違う違う。ほら、帝国と連合国が手を取り合って戦ってたでしょ?」とエリザが。

「あ…あれか?俄かには信じられない話だが、暗黒界から舞い降りた魔王を倒した、とかいうやつか?」と頭頂部の寂しい宿の主人が。

「帝国がか?黄金酒の味も分からん奴等が?」と周りの男達が。

「いや、連合国の王子じゃなかったか?なんか勝ったとかお触れが来てたけどよ、ご機嫌取りなら税金を下げて欲しいぜ」

 他の男もそう言って、世情等まるで興味ないと言った雰囲気だった。

 エリザは愛分からず指を慣らしながら、「もう!英雄様はマーズに遣わされた騎士よ!何で知らないのッ!?」と少し膨れっ面だ。

 どうやら今から詠うものは彼女にとって、思い入れかそれともお気に入りなのか。

 それ位は旅人でも察せられた。

 吟遊詩人は流行りを詠う。

 客がいなければ職はなく。職がなければ食も出来ぬ。

 詩が好きだとて、好きな詩だとて、売れぬ物では趣味に留めておくしかないのかもしれない。

 だからといって、好みを捨ててはいけないのだろう。

 好みは情熱の薪となる。

 炎が無ければ、中身のない、温かみもないただ積もるだけの灰になるに過ぎない。

 流行り等知らぬ旅人は、ただエリザの炎を見たいとそう思い、楽しみに待つ。

「こほん!」とエリザが咳ばらいをして、ハープから高い音を出す。

 それが切り出しだ、と誰でも分かる。

 今から始まると。

 エリザはゆっくりと目を閉じ、暗く、寒く、優しい口調で詠い始める。

”暗き世界より舞い降りし翼、死を齎す灰燼の炎、触れる者を切り裂き爪、その瞳は魂をも氷尽かせる”

 落ち着いた、何処か悲しみのあるハープの音と、エリザのしっとりとした詠い口調。

”深き深き死をばら撒き、人々は嘆き、黒き王の姿に震え、言葉に哭き、戯れに命を散らす”

 おおよそ、酒場には合わない詩だ。

 暗く、絶望すらする内容だ。

 手を叩くものはいない。そういった曲調ではない。

”絶望の火が世界を包む、世界に暗黒が訪れる”

 受け止めざるを得ない現実。

 幻想はいつも温かく、現実はいつも冷たい。

 北方国に降り続ける雪のように、人の命ですら凍らせる。

”人々が求めるは暗黒を切り裂く勇者”

 希望を求める…縋るのも人間の業である。

 それを告げるかのように、曲調は相変わらず暗い。

 自分ではどうしようもないからこそ、誰かに頼む。

 他力本願で身勝手で、その結果、傷付くものがいることも、傷付いた者のことすら美談にして、自分の痛みを和らげようとする。

―逃げたのはお前達だ。

 耳打つ言葉に旅人は目を閉じ、胸に手を当てる。

 怨嗟も、呪いもどうしようもない。

 人は生きてるからこそ、頼ってしまう。

”黒き王の前に立ちはだかるは、白き王、その手には暁の光の剣”

”黒き王の手には悲しみの闇の剣”

―それは違う

”黒き王が振るう!剣は勇者を断ち、世界は暗雲で包まれる。それが勇者の死を告げた”

―違う…

”勇者の死を悲しみ、人々は涙を流し、終わりを受け入れた”

―違う!

 耳打つ言葉がただ大きくなり、旅人は優しく目を閉じる。

”しかし、暁の剣が暗雲を切り裂き、天を照らす”

 エリザの曲調が代わる。

 少しじつ、明るく爽やかで、多くの音が奏で始められる。

 旅人を耳打つ声は止んでいた。

”白き王は死してもなお、戦う!”

 エリザが強く詠う。その声に、耳打つ声も満足したように、エルフが詠う人間賛歌に耳を傾けていた。

”英霊となり光と共に世界を救う”

―そうだ

 耳打つ声が優し気な声色となる。

”やがて訪れる”

―そのとおりだ

”光刺す先に黒き王は斃れ、暗黒に終わりが告げられる”

―あぁ、そうだな。

 その言葉を最後に旅人を耳打つ声は、いつものように静かになる。

 旅人もただ、何も語らず”それ”を見えをしないが聞き届け、見届けた。

”空を覆う暗雲が晴れた時…”

 エリザの声色は優しくも、強くなる。

 光を現わすような語り。希望を示すかのような語りだ。

 旅人は目を閉じる。

”希望と共に戦う白き王も、悲しみと共に戦う黒き王も斃れた”

…そうだね。

”残されたのものは涙を流し、生を喜び、かの王のように世界を愛する”

…そう信じている。

”―ただ世界を愛した、この世界が好きだっただけの英雄の物語はここに終わる”

…あぁ、その通りだよ。

 旅人は浸るように聞き、エリザがハープを最後に撫でるように優しく弾き詩が終わる。

 しっとりとした、エリザには合わない詩ではる。

 それでも、絶望も希望も混ぜ合わせたこの詩を彼女は愛しているのだろう。

 人が好きであるがゆえに、人の善悪を酸いも甘いもを好くが故に、”自然エルフ(ネイチャーズ)”でありながらも、人が住む場所に居場所を置いているのだろう。

「へい!どうだい!」とエリザは飲み過ぎか、それとも自分に似合わない曲だったからか、おちゃらけて見せる。

 知らぬ者がこの曲を喜ぶことはない。

 酒場で詠う曲ではない。

 言えば、人にとっての戒めの詩…。

 それでも、この宿にいる者達は笑顔を浮かべ、コップを掲げ。

「最後で台無しだっつの!」と珍しくエリザに対して甘めの評価を伝えた。

「えぇ!?」とエリザは声を上げ、囲炉裏の男達とエリザ、プリンツ達はお互いに賑やかに話し始めた。

 先ほどの静寂が嘘かのような、温かみと明るさに旅人はただ聞き入っていた。

「旅人さんは気に入った?」とエリザから感想を求められた旅人は。

「えぇ。とても」と素直な感想を告げる。

「よっしゃー!」とエリザは大仰にはしゃぎ、宿にいる全員に「私の詩も捨てたもんじゃないッ!でしょッ!」と見栄を張るかのように誇示する。

 それは誰もが分かっていることだ。

 誰も口には出さないが、心地よいハープの音色、真摯に学んできたからこそ伝わる情熱のある詩。エリザというエルフの中では変り者だからこそ紡いできた人との繋がり…。

 そのどれもが、今の彼女の詠を作っている。

 その完成度は決して捨てていい物ではない。

「さぁ、次は何がいい?私のおススメは…の前に、お酒!女将さんッ!黄金酒をお代わり!」

 エリザは顔を紅潮させ、酒をさらに頼む。

「さぁ!飲める!飲むぞ!飲めるぞぉ!」と、妙にテンポよく詠い周りもそれに続くようい。

「お前、営業しろって!」

「物乞いになっちまうぜ!」

等と相変わらず悪態をつくが、その心の内はきっと温かい物なのだろう。

 仲間を、友人を大切に思い、大切に思われているというお互いの信頼感があるからこその悪態だ。

 その優しさは部外者であるはずの旅人にも伝わっている。

 旅人も今日一日限りとはいえ、この輪の中に入れて貰えたのだから。

 旅人は囲炉裏に目を向け、小さく微笑む。

 その感情に耳打つ声も呆れるようにだが、小さく笑った。

「へへんッ!黄金酒飲めりゃ問題ない!例え物乞いになってもッ!私にはこの声があるッ!詩があるッ!詩と音楽は世界を救うッ!」

 エリザは大仰にそう言い、「乾杯ッ」と声高々にまだ黄金酒を注がれていない、空になったコップを掲げる。

 宿の主人も女将も、囲炉裏の男達も、プリンツも…それぞれ、中身が残っていようが、残っていまいがコップを掲げる。

 旅人もそれに混じる為に、まだまだ中身が残っているコップを掲げた。



 空が白がかり、朝日は見えずともその白き光が大地を照らし始める。

「空が白みがかって来たね」と宿の女将が囲炉裏の前に座る旅人に伝えながら、呆れ混じりに酔いつぶれカウンターに突っ伏すエリザにブランケットを掛ける。

 ブランケットを掛けられたエリザは「…飲めるぞぉ…まだまだ…うひひ…」と夢見心地らしくその夢はきっと明るく楽しい物なのだろうと察せられる。

「まったく、この飲んだくれは」と宿の女将も口は悪くとも、事実と温かみのある口調であった。

 旅人は名残惜しそうに囲炉裏に手を翳す。

 宿の女将はその様子を見て答えは分かっていても、「旅人さんはどうするんだい?泊っていくかい?」と尋ねる。

 旅人は小さく首を振り。

「折角なのですが、仕事に戻ります」

 そう別れを告げ、カウンターに置いていた自分の剣を手に取って、腰に差す。

「そうかい。マーズと黄金酒の加護があらんことを」と宿の女将から祝福の言葉を受け、旅人も「あなたにも大いなるロイド神の加護があらんことを」と返す。

 祝福を頭言葉にして、旅人は本題の。

「ええ、またきっと来ます」

 言い残し、宿を後にした。

 宿の外は相変わらず雪景色だ。

 吹雪こそ収まってはいるが、大地も見えず、果てしなく雪が広がっていた。

 それでも、雲からも降り注ぐ日の光が雪に反射し白く、どこまで美しい世界が広がっていた。

 旅人は雪を踏みしめ、また歩いていく。

 何処へ向かうでもない、孤独な旅路を、ただ歩いていく。

 この世界を愛するが故に、ただ歩いていく。


 あてどもなく旅人は歩く。

 歩き、歩き続け、その歩は…いつしか名残雪こそ残るものの、道が見える場所まで辿り着いた。

 道が見える季節迄歩いたのかもしれないが、彼はゆっくりと空を見上げる。

 どこまでも青空が広がる空が大地を照らしていた。

 その空から降り注ぐ白き光に彼は友人を思い、目を伏せる。

『あれは、お前のことだろう?』

 耳打つ声が彼に語り掛ける。

 旅人は頷きながら、エリザの詩に「そうだね…」と返す。

 しかし、すぐに被りを振る。

「いや、きっと違う。御伽噺の中の…私の友と、私だった者の詩だよ」

 旅人の言葉に耳打つ声は『そうか…』と寂しそうな声色で答える。

 見えもしないが、耳打つ声はきっと空を見上げていた。

 広がる青空を愛おしそうに。

『我を斃して、もう、1年か…』

 感慨に耽るように。

「ああ、そうだね。短いものだ…」

 それに肯定し、寂しく思うように。

 流れた時間は戻らない。

 昨日であれ、一年前であれ、すでにその時を手放している以上、思うことしか出来ない。

 耳打つ声が旅人に。

『お前は何を得た?』

 その言葉に旅人は答えなかった。答えられなかった。

 耳打つ声はさらに続ける。

『お前が守った者から得た物はあるのか?富も名声も、栄誉すらも…お前にはないのだぞ』

 その言葉は真実だった。

 失った者ならいくらでもある。そう返すように、それを含むように。

「そうだね」と旅人は答えた。

 耳打つ声は旅人に諭すように。

『お前の戦いを知る者もいない。あの死線…痛みも、苦しみも、悲しみすら、誰も分かってはくれないのだ』

「ああ…」と旅人は真実を受け止め、ただ頷く。

 友が死して、自らも死してなお戦った結果が居場所のない自分であり、終わった物語でしかない。

『だが、誇れ―』

 耳打つ声が強く、旅人に告げる。

『それでもお前が、確かに私から守ったモノだ』

 さらに強く耳打つ声が旅人に叱咤するように告げる。

 旅人は頷き、胸に、彼から貰った心臓に応えるように手を当て。

「ああ…そうだな。暗き王…いや黒き王よ」

 旅人はかつての仇敵であり、友の仇であり、自分の命の恩人に…

「私は、この世界が好きなんだ…」

 そう強く答えた。

 戦が絶えず、病が止まず、欲望の渦は尽きず…。

 誰からも理解されず、爪弾きにされ、勇者の剣を失い、友まで奪われて、自分の名すら奪われて、成し遂げたことも消え…それでもなお…それでも守った世界は”美しかった”。

 耳打つ声はゆっくりと耽るように、優しい声色で。

『私も、お前のいる、この世界が好きだ…』

 旅人にそう告げる。

 旅人は頷き、胸から手を放す。

 暗き王へ言葉など不要だ。もう、”彼”は旅人で、”旅人”は彼なのだから。

 旅人はただ、道を歩いて行く。

 行先など、目的など何もない。

 虚無への道。それでも彼には、どこまでも愛すべき世界だ。

「共に行こう…私が道端の花となる、その時まで…」

『静かに暮らそう…我らが大地の糧となる…その日まで』

 二人はそう告げ合い、青空の下ただ目的のない旅を続ける。

 どこまでも道が続いている限り、彼らは共に歩めるのだから。

 これは英雄だった男の物語―

 そして、既に終わった物語―

 語り部もなく、ただ消えゆくだけの物語―

 白き王と共に暁の光の剣で、黒き王を斃し…世界を救った誰にも知られぬ”無名”の物語。

 これは終わった物語だ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 落石やクモの巣に行く手を塞がれ足元も見えない暗がりにたいまつをかざし、ダンジョンの奥へ奥へと分け入ると 最後の部屋でホコリまみれの宝箱から金銀財宝があふれ出すような物語でした。 スクロー…
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