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結婚を控えた魔女のもとへ宮殿から出仕を命ずる使者が来訪

作者: さかやき

 北の地に馬蹄が轟いた。


 (かぞ)え百騎もあろうかという隊伍(たいご)の駆ける勢いに、そこかしこに残る根雪が舞って日差しが乱反射する。

 生家の菜園で腰を曲げていたヘレンからは、はるか彼方で巻き起こる(きら)めきが疾風のように迫る光景も現実離れして見えた。まるで夢のなかの出来事であるように、すべてが唐突で脈絡がない。


 ()れもなくにわか(・・・)に現れた人の群れは、なんと我が家の前でぴたりと止まった。


 押し寄せた集団は揃いの武装に身を包んでいる。無駄口を叩かず、上官の号令に一糸乱れずに動くさまは美しくさえあった。

 その威容を見せつけるいかつい男たちがずらりと並んだかと思うと、次の瞬間に人垣が割れた。

 現れたのは中性的な顔立ちをしたすらりと細身の青年だった。癖のない蜂蜜色の髪は肩のあたりで切りそろえられ、柔らかな輪郭をことさらに印象づよく見せている。


 ヘレンが生きてきた20年間で最も美しい顔貌(かおかたち)をした『人間』だった。


 ちなみに『人間』とくくった理由(わけ)はエルフなど妖精族まで含めたときに、美醜の水準がひとつふたつと変わってくるからだ。たいていの街には妖精族が滞在しているし、ヘレン自身もエルフの美青年──エルフは青年期から年を取らずそもそも美しい種族と大昔から相場が決まっているのだが──を見て、眼福だなどとニヤついたことがある。


 しかし、領主すら赤貧にあえぐ辺境領で立派な鎧兜に身を固めた軍勢と、それに守られた美青年が曽祖父の代から(きこり)生業(なりわい)とする生家の敷地へと押し入ってくる様子はスットンキョウなことこの上ない。

 予想だにしなかった光景にヘレンのみならず居合わせた両親も一緒にポカンと眺めてしまった。


 ただひとり、非日常をいちはやく受け止めて動いた者がいる。

 婚約者のベルナルだった。

 年内にもヘレンの夫として樵の家へ婿入りすることが決まっている男である。


 謹厳実直を絵に描いたような朴訥な顔、針金のように硬い黒髪、並の男よりも頭ひとつ丈が高く、鍛え抜かれた体の厚みもあってか、美青年を威圧するように見下ろすベルナルの背中は後ろで控えるヘレンもたいへんに頼りがいがあると感心させられる。

 そのうえ未来の夫は腕組みをしながら、明らかに身分違いと思われる美青年に向かって、


「待て。その場を動くんじゃない。

 お前たちは何者だ。

 お貴族だろうが騎士さまだろうが人さまの家へ押し入ってくるなど道理が通らん。

 とりあえずはその場で用件を言え」


 などと、怖いものなしの豪胆さを見せつけるのだ。


 美青年の後ろには大勢の兵士、それも傭兵くずれのようなごろつきとは比べ物にもならない統制のとれた正規兵がいかめしい顔でひしめいているにも関わらずだ。


 さすがは我が婚約者ベルナル、肝が太い。

 奇妙な得心を経てヘレンは軽く数回頷いたものだ。

 うむうむ。


 軍勢の出現と婿のにらみ合い、などという不思議な出来事はヘレンの両親から冷静な判断力を失わせ、ふたりの口からはあわあわという意味をなさないうめきが漏れるばかり。

 ヘレン自身は婚約者のお手並拝見と洒落込んで、とうの樵見習いベルナルは謎の貴族風美青年が何を言い出すかと待つ構え。


 そして肝心の美青年の側も、平民らしきベルナルの強硬な態度に面食らったか、しばし無言になって、何事か考えている様子だった。

 だが、刺すような寒さの残る晩冬の昼下がり。

 軍勢が駆け寄った際に巻き上がった雪煙がかけらもなくなった頃、軍勢を率いる美青年はすぐわきに置かれていた材木の上へひょこりと登って。


「聞け。私はもったいなくも中原は帝都の銀羊宮にて皇帝陛下に(はべ)ることを許されし宦官(かんがん)、ウォルトンである。

 此度(こたび)は陛下の名代としてこのような(ひな)の地まで旅を経て、ようよう役目を果たすことが叶い、大変喜ばしく思う。

 お前たちのような辺境開拓民にとって、皇帝陛下のご意思とはどれほどの重みがあるか推し量りようもなかろうが、ありがたく拝聴のうえ無心で従うが良い。

 ではこれより、陛下のお言葉を伝える。傾聴!」


 冷たく澄み渡る空高き北の寒村にて、無言の一同を前に堂々と声を響かせて臆する所のない美しき宦官のウォルトン卿。

 その声は男性にしてはいくらか優美に過ぎるが決して聞き苦しくなかった。

 それどころか、役者のようにゆったりと抑揚がつけられて聞くものの注意を引く魅力が備わっていた。彼が言葉を区切ると、後ろに控える軍勢から一斉に姿勢を正して畏まる気配が伝わってくる。


 ヘレンの両親は兵士の緊張が伝染したか、その場で腰砕けにへたり込み、冷たい地面に手をついて(こうべ)を垂れていた。ヘレンは宦官ウォルトン卿にも皇帝陛下にも恩もなければ借りもない。よほど良くしてくれる支配者であれば頭のひとつも下げたかもしれないけれど、あいにく辺境領では帝国の支配者なんて遥か遠くの存在。名も知らぬ赤の他人である。言いたいことがあるなら勝手に言って、さっさと帰ってくれればよい。

 頭を下げるでもなく、鼻筋を高くそらしたまま聞くつもりのヘレン。そのまえには同じく頭を下げようとしないベルナルがいる。彼は美しい宦官ウォルトン卿から興味を失い、その背後の軍勢を押し留めるような威圧の眼光で大地に根を下ろした大樹のごとく堂々と立ちはだかってみせていた。


 美しい宦官は、ヘレンとベルナルの無礼を気にすることなく、いよいよ寒空に声高らか、皇帝陛下なる人物の言葉を代弁する。

 

「本日この時を(もっ)(きこり)の娘にして魔女のヘレンを召し抱えるものなり。

 赤心から唯一絶対の主君に献身あるべし。

 また命ず。

 十曜紋章官じゅうようもんしょうかんとして役務すみやかに果たすべく、急ぎ中原(ちゅうげん)は帝都、銀羊宮(ぎんようきゅう)へ出頭せよ。

 大陸の所有者にして偉大なる帝国の支配者レオンIII世」



 生家の庭は人いきれのあるまま、沈黙が漂った。

 皇帝の命令を発した美しき宦官ウォルトン卿はヘレンの反応を待っている。

 宦官に付き従う軍勢はかしこまったまま身動きひとつ見せない。

 婚約者ベルナルはヘレンを庇うように立ちはだかり続けている。


 ヘレンは押し寄せた彼らが回れ右して帰ってくれるのを待っていた。

 言いたいことは言ったのだから、もういいだろう、と。

 もしも彼らがヘレンに何事かを()いるとして、恩もなければ借りもない相手に、はいそうですかと従うつもりはなかった。

 皇帝の威を借り、宦官ウォルトン卿が従えてきた軍勢に物を言わせるつもりだとしたら、彼らの暴力に屈して従うなど、余計に意地になって反抗したくなる性分なのがヘレンである。

 沈黙に()れたか、美しき宦官は材木の上に登ったまま、一段高いところから、


「十曜紋章官ヘレンどの。

 陛下より御役を預かりしこと大変にめでたく、このウォルトンめも心よりお祝い申し上げます。

 本来ならば陛下よりの(ちょく)にて官職を授かったなら、使者へ向かって礼を言上(ごんじょう)するのが作法となりますが、紋章官どのは在野の魔女ゆえ帝国の習わしに疎くてもこの際は致し方ございません。

 これから宮廷での暮らしに慣れていただくことになりましょうが、とりあえずは急ぎ旅支度をなされませ。

 陛下は『すみやか』に『急ぎ』『出頭せよ』と紋章官どのにお命じです」


 ふむ、なるほど。


 さも当然といった様子で命じる宦官の声を受け止め、一呼吸おいてからヘレンは言った。


「きっとありがたいお話なんでしょうけど、お役目の段は平にご容赦願います。

 別の魔女をお探しくださいませ」


 ヘレンがはっきりと否定した瞬間に、対面にある宦官をはじめ背後の軍勢までもがドヨリと揺れた。彼らが困惑から間をおかず立ち直り、瞬時に沸き立つ苛立ちが漂いかけるところへ、ヘレンは言い足した。


「わたしは、いまだ未熟なれど村の魔女でございます。

 村人に病や怪我があったならわたしが世話をいたします。

 この目が届き、声の聞こえるかぎりの人たちは、近場に魔女があることを助けとして頼ってくれるのです。

 相身互(あいみたが)いに暮らす(ひな)の仲間をおいて、わたしだけが都へ旅立つなどかないましょうか。

 助けを求める隣人を見捨てるような女ならば、はたして都でお偉い方の近くにあって信用いただけましょうか。

 いずれ御用にて都へ参上するにせよ、まずはこの村にわたしの代わりとなる魔女を呼び寄せるなどせねば道理が通りません。

 ご用件はうかがいましたけれど、左様なわけでこの度はお引取りくださいますよう」


 ヘレンは村の魔女として当然の理屈で彼らを追い返すことにした。

 魔女の知り合いは幾人かいる。だから彼女らへ連絡をつければ、一時的にヘレンの代役をつとめてくれと頼むこともできるだろう。

 でも、今すぐは間に合わない。

 現実としてヘレンの他に村に魔女はなく、今日明日に代役を手当(てあて)できるものでもない。だから、村の人々の暮らしを無視するように、不躾に魔女(じぶん)を連れて去ろうとする彼らの思慮のなさが気に食わなかった。わたしがいなくなったなら、お隣のおじいちゃんは痛み止めを切らして歩けなくなるだろう。熱を出しがちな鍛冶屋の赤ん坊は下手をすれば命に関わる。


 お偉い方にはお偉い方の悩みがあるのだろうけれど。

 もしかするとわたしが帝都へ出向かねば大勢が困る事情があるかもしれない。

 でも、ものには道理や仁義というものがあって、無理やりことを押し進めれば迷惑をこうむる人がいるのだ。だから今日のところは帰ってほしい。

 幼稚な反発心ばかりでなく、村の魔女としてまっとうなことを言ったつもりである。


 しかし、ヘレンの言葉を受け取った側には別の理屈があったのか。


 軍勢のなかでもひときわ立派な外套をまとう男が、配下に向かって顎をしゃくるように何事か命じた。

 命じられた5名が隙のない足取りで、ヘレンへ向かってくるではないか。

 彼らはヘレンの前に立ちはだかるベルナルを見ると腰の剣へ手を添え、立ち止まった。


 ベルナルの体格や態度から荒事になればただでは済まないと彼らも悟ったか、とても慎重だ。

 後方に控えた彼らの上役が、暖かそうな毛皮の外套を揺らしつつ、言い放った。


「我らは陛下の命のみにて働く近衛騎士である。

 そこの平民、邪魔立てするな。

 我らは陛下の意にそわぬものならいかなる者であれ斬ることが許されている。

 魔女どのは十曜紋章官ゆえ高い宮中序列にあるが、それはあくまで陛下に従うかぎりにおいてである。同行願えぬとあらば、たとえ縄で縛ってでも陛下のもとへお連れするのが我らの仕事だ。

 そこなる下男よ。

 そなたが何者か知らんが我らと事を構えたなら腕の一本も失うことになるぞ。

 運が悪ければ命を落とすかもしれん。我らもそれは本意ではない。

 邪魔立てせず、退()くがいい」


 彼らの襲来から今まで表情を変えず、彼らを警戒し続けたベルナル。

 しずしずと間合いをつめる騎士らへ目を向け、眼光をひときわ鋭くし、


「俺はベルナル。魔女ヘレンの婚約者にして、樵の見習いだ。

 お前たちこそ覚悟があるのか?

 俺の婚約者(よめ)を連れ去ろうというのだ、手加減など期待するものじゃない」


 腹から声を発するベルナルを隙と見たか、迫る5人が一斉に剣を抜いて踏み込んできた。

 そこから、ベルナルもまた目にも留まらぬ速さで動いた。

 迫る5人のうち、わずかに先んじた男へ向かい、風のように踏み込んだのである。

 次の瞬間、馬に蹴られたような鈍い音とともに騎士の一人が横っ飛びに宙を舞った。

 

 横っ飛びする男は立派な甲冑を纏っている。その輝く板金の上には、ベルナルの拳とそっくりな(へこ)みがあった。

 生家の庭から敷地外まで飛んで転がる男はうめいたまま起き上がることが出来ない。

 そして、ひとりめと同じ要領で、時に鎧へ足型の凹みなどつけながらひとり、またひとりとベルナルの前から騎士の姿が減っていく。


 倒れ伏す彼らはすべて、完全武装の近衛騎士である。それが放物線を描いて宙を舞う光景は現実感に乏しい。

 押し寄せた軍勢にとって、仲間が人型の暴風に吹き飛ばされるような光景はそれぞれの目が捉えた真実だとしてもにわかに信じられない。

 それは暴力の専門家であるはずの彼らから威勢を失わせるに十分だった。


 横っ飛びに姿を消した騎士らの得物(ぶき)、騎士の魂である剣はあるじの手を離れてベルナルの足元へ転がっている。

 ベルナルはそれを拾うと、近衛騎士の軍勢に向かって構えてみせた。

 まだ向かってくるのなら、今度は剣で相手をする覚悟を見せたのだ。

 その姿は、騎士らがその場で足を止めるほどの堂に入ったものだった。

 大陸の最精鋭を集めた近衛騎士をして、敵わぬ、と思わせる剣士がそこにいた。


 背後にヘレンとその両親を庇い、断固たる意思で立ちはだかるベルナル。

 ベルナルの力量に戸惑い攻めあぐね、宮中序列の高い十曜紋章官を傷つけるわけにもいかない近衛騎士の一団。


 睨みあいが続くかに思われたそこへ、歌うような抑揚の透き通る声が水を差した。


<魔女は命ず。ちち、はは、ちちの生命。はは、はは、ちち、ははの生命。

 3と4の法則に従い、命の(こわ)きを見せ、思うままに蔓延(はびこ)るもの。

 願う通りの姿へ育て。『花龍薫(はなりゅうかお)るべし』>


 ヘレンが呪文を唱えると、緑色のローブから糸が一筋ほつれて落ちた。

 糸くずは土に触れた途端に魔女の魔女たる不条理を現して、植物へと変じる。


 糸くずが芽となり、根を伸ばし、緑を這わす。


 さらにヘレンが頭へ戴く魔女の頭冠がきらりと光りを放つと同時、芽の育つ速度は爆発するように加速した。

 ヘレンの足元に芽吹いたものが、ひと呼吸する間に庭の隅々まで緑を伸ばし、ついさっきまで北部辺境の根雪が残る味気ない庭を、初夏と見紛う風景へ一変させた。

 また留まるところを知らない緑は騎士たちの足元まで至り、蔓草のように鎌首をもたげると、彼らの全身へ絡みつき、軍勢を一人残らず縛り上げていく。


「こ、これは」


「紋章官どのの魔法なのか」


「くっ、解けないぞ、おい、どうなってる」


「剣と鞘まで固められてっ」


 地面に足を縫い付けられたような有様の騎士らは驚き、全身に伸びる強靭な蔓草に抗おうとするも、ひとりあたりで百も千も蔓草ががんじがらめに伸びたなら、剣の鞘も固着されて切り払うことすらかなわなくなる。


 ほんのわずかな間で、大陸最精鋭の軍勢は縛り上げられて、身動きができなくなっていた。

 魔女ヘレンにとっておよそ満足のいく姿となり果てた蔓草は、最後に小さな白い花を数え切れぬほど踊らせて、屋根上の残雪と無垢を競った。


異世界恋愛の魔女もので長編を書こうとしたところ、ある程度書いたところから蛇足部分をどんどん削ったらこれしか残らず、筆力のなさに愕然としました。

「日常を愛する魔女がお断りします系で最強っぷりを発揮する」という当初の仕様を冒頭時点でクリアしていたので投稿してみました。

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[一言] 魔女は女神の残り香、敬意無き者には祝福は至らない               ―魔界医師メフィスト―
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