へたれ悪魔王子は真実の愛が嫌い~嫌いなのに真実の愛を見つけてしまったので、全力で溺愛します~
うう。気持ち悪い。鼻が曲がりそう。
僕はあちこちに充満するキツイ香水にうんざりしていた。
「はあ。嗅覚の鈍い種族が羨ましい」
「全くです」
護衛騎士の狼獣人オーウェンと熊獣人カーターが同意した。
僕たち獣人族は人族やドワーフ族、エルフ族など、他の種族に比べて鼻がいい。だから香水なんてつける習慣はないんだけど、今日招かれているのは人族の王太子誕生日パーティー。他の種族の女性は香水をつけるのがマナーだから仕方ないんだけどね。無理なものは無理。
「あー、早く帰りたい」
「まだ始まったばかりですよ」
「外遊なんてもうやだ」
「そちらはそこそこで良いと陛下がおっしゃってたじゃないですか」
「視察や交流は表向きで、結婚相手見つけろってやつでしょ。もっと無理」
こんな香水ぷんぷんの中でどうやって見つけられるというのか。無理無理。
もういっそ独身でいーじゃん。独身で。別に僕、王になりたくないし。
獣人族の王は番を本能で見つける。
父上が言うには出会った瞬間分かる。そういうものらしい。
でも僕はいつまで経っても番を見つけられない。
国中の未婚の令嬢を呼んでパーティー開いたり。無意味に地方視察行かされた先で、片っ端から未婚女性に引き合わされたり。国中駆けずり回ったけど駄目だった。
国内で見つからないならと、こうして諸外国へ外遊に出されているってわけ。この国で3ヶ国目だよ。いい加減に父上と母上も諦めてくれないかな。
「聖女セシリア。お前との婚約を破棄する!」
突然の男の大声で、がやがやと騒がしかった会場がしん、となった。なんだなんだ?
あれ? あいつ、この国の王太子じゃない?
「家同士の婚約だからと我慢してきたが、私は真実の愛を見つけてしまった」
芝居がかったわざとらしい大きな声と動作に、僕はしらけた。
あ~、また『真実の愛』かぁ。最近流行ってるよね。
親が決めた家同士の婚約者とは別に、身分の低い健気で可愛らしい女性と恋に落ちる。
禁断の恋の背徳感がいいのか、身分の低い自分でも成り上がれるかもしれない、という期待を煽っているのか、その手の書物や歌が世界的に流行している。
ちなみに、この国の前に訪れた国でも、視察先の由緒ある学園で婚約破棄騒動があった。
「なんであんなのが流行るんだろ。誰も幸せにならないのに」
「都合がいいからじゃないですか。『真実の愛』って言っておけば、浮気だろうが正当性が出るとでも考えてるんでしょう」
逃げ場のない公の場で、婚約者の非を並べ立てて一方的に破棄し、『真実の愛』の相手と婚約を結び直す。
『真実の愛』だなんて、言い方違うだけで結局は単なる浮気っていうか二股だよね。本当に真実の愛なら先に婚約を破棄してから『真実の愛』を育めよって思う。キープしておいて手に入れてから振るなんて最低だ。
そんなのが流行るのもアレだけど、のっかるやつはもっとアレだよ。
「みすぼらしくて冷たくて意地の悪いお前と違って、ジェイミーは可愛くて優しくて性格が良い。聖女としての力も家柄もお前より上だ」
うぇえ。どこが優しくて性格がいいんだよ。すっごい勝ち誇った顔してるよ。絶対性格悪いって。
あと、可愛いといえば可愛いけど。多分だけど顔よりもなんというか、押し付けるようにしてるアレで選んだでしょ。鼻の下伸びてるよ。黙ってたらそれなりの美形なのに台無しだって。
ってかさ。意地の悪いのはお前たちの方だろ。こんな大勢の前で自分の婚約者をさらし者にしてるんだから。何を考えてるんだか。何も考えてないからあんなこと出来るんだろうけどさ。
「救いようがないよねぇ。って、あれ?」
あんな男の婚約者だった聖女のセシリア嬢が可哀想で仕方ないけど。僕が首を突っ込めることじゃない。
そう思って回れ右していた僕は、混乱して動きを止める。
「どうされました」
「いや、なんか、あれ? なんかそわそわする」
相変わらず酷い匂いで充満している会場だけど、唯一いい匂いがする。甘いけど爽やかで、心が落ち着くようなそんな匂いが。よりによって『真実の愛』とやらの茶番劇の方から。え、なんで?
「いよっしゃ! ついに!」
「信じておりましたよ、殿下」
「何が?」
嬉しそうな二人にとぼけてみせたものの。分かってる。そわそわの原因がどこにあるのか。
「いいから行ってみましよう!」
「ささ、殿下」
「無理。無理無理むりむりっ」
「仕方ありませんね」
がしっ。オーウェンとカーターに片方ずつの腕を掴まれた。そのまま二人に背中を押されて足を突っ張る。だけど、力で狼獣人と熊獣人に勝てるわけがない。ずるずると押されていく。
「だから無理ー! 運命の相手にまで振られたくないよ。今ならまだ出会ってもないんだから!」
招待客たちの壁に囲まれているから、破棄されている聖女の姿はまだ見てない。
いい匂いにそわそわするってだけで、恋でもなんでもない。でも姿を見てしまったら。目が合ったりしてしまったら。もう後戻り出来ない気がする。そんなの嫌だ。
「会ったら向こうも惚れてくれるかもですよ」
「この僕のどこに惚れる要素があるんだよ」
「決めつけてはなりません。人族でも獣人族が好みって人もいますよ。最近は国際結婚も多いではありませんか」
「少数派でしょ」
僕たち獣人族は人族と外見が違い過ぎる。ドワーフ族なら背丈と骨格が少し違う程度。エルフ族は外見はほぼ同じ。
でも獣人族は犬だったり虎だったり兎だったり。二足歩行だから基本の骨格は人族に近いけど、顔立ちはほぼそれぞれの動物だし、体も毛に覆われてたり鱗があったりする。同じ獣人族の中でも一人一人、全然違うんだ。
何でそんなに違うのかというと、獣人族の外見は遺伝じゃなくて、どの神獣の加護を受けるかで決まるから。
だから犬の獣人と鶏の獣人から、熊とか猫とかの獣人が生まれるのも普通。他種族との結婚も問題ない。でもそれは獣人族の常識で、他種族からすると全く違う外見の種族との結婚は抵抗があるそうだ。
そりゃそうだと思うよ。異文化ってだけでも勇気いるし。
「それにもしも彼女がその少数派だとしても僕の容姿じゃ無理だよ」
狼や虎なら格好いい。猫や兎なら可愛い。でも僕は違う。
「だってコウモリだよ。コウモリ! 獣人族の中でも人気ないのに、人族に好かれるわけないじゃないか!」
血を吸うとか、病気の元になるとか。あんまりいいイメージがない。おとぎ話ではあちこちに良い顔して裏切るし。
うう。血を吸うコウモリは少数なのに。それに、血を吸うコウモリの獣人の主食が血ってわけじゃない。食事は人族と同じだよ。
まあ肉食動物の獣人は肉が好きだったりはするけど。肉が好きなだけで野菜も食べるよ。草食動物の獣人はその反対ね。
病気の元は、本物の野生のコウモリは確かに病原菌を持ってる可能性があるけど、獣人族は違う。
それでもやっぱりイメージってやつは大きい。コウモリ獣人はちょっと……って人は多いんだ。
「殿下は可愛いですよ。コウモリでもオオコウモリの方ですから、目が大きいですし、鼻も高くて凛々しいですよ」
余計に悲しくなるからやめて。イケメンの狼獣人に言われても説得力ない。
「慰めないでよ、分かってるから。腕っていうか手だってこんなだよ。不気味じゃん」
片腕を広げると黒い翼も広がる。腕や手足、しっぽまで全部黒い皮膜で繋がってるから不便だし、不気味なんだよ。
こんなだから心配されて、婚活パーティーやら嫁探し外遊なんやらされてるわけなんだけども。
お見合いなんて会う前からお断りされまくってるよ。
外遊だって社交的な挨拶以外、女性は寄りつきもしない。男だって握手するときひいてるもん。
「……あ」
なんてやっている間にもずりずりと二人に押されて、人垣の一番前に来てしまった。その瞬間僕は、ついに対面したセシリアに、完全に意識を持っていかれた。
無理無理無理無理。何なのこれ。
可愛い。どうしよう。可愛い。
容姿の美しさで言えば、ウェルズ侯爵令嬢の方が上だ。でもあれ絶対金と手間をかけた結果だから。磨けばセシリア嬢の方が可愛いから。
一方、セシリア嬢の銀髪はくすんでいて灰色にも見える。顔色も白くて肌艶も悪い。目の下に隈もあるから、ちゃんと睡眠取れてないんじゃないかな。腕とか細すぎるし、着ているドレスも会場内の令嬢たちと比べて生地の質が良くなくて、装飾もない。
だけど立ち姿が誰よりも美しく、大きな瞳が誰よりも澄んでいた。
「そうですか。私よりもご自分に相応しい方を見つけられたのなら、異論はございません」
静かに、鈴の音のような声が響いた。心地が良くて涼やかで。ずっと聞いていたいくらい綺麗な声だ。うわぁ、番ってヤバい。
「異論はないだと? 白々しい」
僕たちが内輪でぎゃーぎゃーやっている間にも、婚約破棄劇は進行中。でもちょっと空気が変わってきた。悪い方に。
「ジェイミーにしていた数々の嫌がらせを知らないと思ったか。大勢の証人がいるんだぞ。それだけではない。教会寄付金の横領。信者からの賄賂受け取り。大人しそうな顔をして、この悪女が!」
「え?」
虚を突かれた彼女がぽかんと口を開けた。そんな顔も可愛いけど。
「嫌がらせ? 横領? 賄賂? そんな。誤解です! 私は何も覚えがありません」
「黙れ! セシリア。お前は婚約破棄の上、聖女の資格を剥奪、無期限の幽閉とする」
ああ、駄目だ。振られるのが嫌だとか、言ってる場合じゃないね。
他国のことだからあんまり首を突っ込みたくないけど。しようがない。
この国には滞在一日目だけど、国と国の移動中に資料は頭に入れてる。主要の王侯貴族の顔と簡単な経歴や素行はざっくりと把握済み。今『真実の愛』宣言をした男はこの国の王太子で、可愛くて優しいお相手とやらはジェイミー・ウェルズ侯爵令嬢。聖女の一人だ。
今断罪されようとしているのは聖女セシリア。家名のないただのセシリアだ。なんで家名がないかっていうと、平民かつ孤児院出身だから。歴代の聖女の中でも力が強く、国民から慕われている。
片や、王太子とウェルズ侯爵令嬢は双方共に人気がない。
そこにこの断罪だ。言うに事欠いて横領と賄賂とはね。図式がありありしすぎて笑っちゃうよ。
「オーウェン」
「は」
小声で呼ぶと、軽く頭を下げたオーウェンが僕の意図を汲んで会場を去る。カーターは人だかりの中心に向かう僕に追従した。
皆まで言わずに動いてくれることに感謝だなぁ。
「お取り込み中、失礼」
空白地帯の三人の間に割り込むと、王太子が片眉を跳ねあげた。おお、不機嫌丸出しだね。なってないよ。僕ら王族は顔に出しちゃ駄目でしょ。
馬鹿は無視して、僕はセシリア嬢の前に立つ。
「私はディビーナ王国の第三王子アールです。突然で申し訳ないが貴女に一目ぼれをいたしました。婚約の申し込みをさせて頂きたい」
「え!?」
あー、驚いた顔も可愛い。
「王太子殿下。たった今彼女は私の婚約者になりました。連れ帰っても構いませんね?」
うう。強引でごめんね。これが見目麗しい王子ならまだいいけど。でかいコウモリに言い寄られても恐怖だよね。でもちょっとだけ我慢して。
心の中で平謝りして、馬鹿に向き直る。
婚約破棄と聖女の資格剥奪。つまり今セシリア嬢は何者でもない状態ということ。
王太子の誕生日パーティーだから、国王夫妻も出席している。断罪劇も見ていたが、二人も国の主要貴族も動かなかった。この婚約破棄と断罪は予定通りだったってわけ。
「待て、他国に罪人を引き渡すわけにはいかん」
あー、やっぱりね。
断罪内容が死刑でも国外追放でもなく、生涯幽閉。それって地位と実権、人権さえ奪ったうえでこき使おうって魂胆でしょ。ムカつく。
「トリニタ鉱山の所有権」
目の前に人参をぶら下げると、侯爵を筆頭に数人の目の色が変わった。
釣れた釣れた。
我が国の鉱山は質のいいサファイアが採れることで有名だ。トリニタ鉱山もそれなりに大きな鉱山だから、こき使うつもりの元聖女よりも莫大な利益を生む。しかも採掘権ではなく、所有権だ。実質、トリニタ鉱山という領土放棄だ。
「トリニタ鉱山は貴国のウェルズ侯爵領に隣接しております。彼女の身柄の対価としてトリニタ鉱山の所有権を侯爵家に、というのはどうでしょう? もちろん、彼女が横領した金額も結婚支度金として貴国に納めましょう」
この国は王よりも貴族が実権を握っている。貴族派筆頭のウェルズ侯爵を丸め込んだ方がいい。税金が入るから王家にも利があるし、王は反対しない。
「まあ素敵。アール殿下も『真実の愛』をお見つけになったのですね。お似合いの二人ですわ。ねぇ、フィル様?」
「ふん。慈悲深い王子殿下に感謝するんだな」
王太子にしなだれかかったジェイミー侯爵令嬢が、甘ったるい声で彼に同意を求めると、王太子がセシリア嬢を哂った。
ほんと、胸糞悪いなぁ。
「セシリア嬢、お手を」
「はい」
出した手を躊躇いなく取ってくれて、正直めちゃくちゃほっとした。悲鳴上げられなくてよかったよ。
「先ほどの取り決めは契約書にまとめます。では」
「ああ‥‥‥え?」
「ええ? 嘘‥‥‥」
ざわっ。ずっと静かだった会場が一度ざわついてから、やかましいくらい騒然となったけど。そのままセシリアを連れて会場を後にした。
****
「セシリア」
「アール様」
僕が声をかけると、嬉しそうに振り向いてくれた。可愛いなぁ。
くすんでいた銀髪は輝きを取り戻してきらきら眩しい。頬も唇もそこらの花より鮮やかだ。
「タルトを焼いたんだ。一緒に食べよう」
「アール様がですか?」
「うん。暇人だから」
もともと何かを作るのは好きだ。セシリアの為だったら、もっと好きになった。
「もう。アール様は冗談がお好きですね」
「暇なのは冗談ではなく本当のことだよ。今日の分の仕事は終わらせたし」
白い手を取って、読んでいた魔力文字から離す。やっぱりまだ細いなぁ。
セシリアはとても真面目な性格だから気をつけていないと頑張りすぎてしまう。ティータイムは必要だ。
少しでも一緒にいたいっていうのもあるけど。それが一番だったりもするけど。
あれから諸々の書類をオーウェンに任せて、ディビーナ王国に戻った。外遊は取りやめになったけど別の者が行ったから問題ない。
ここに来るまで彼女はずっと栄養不足だった。貧しい孤児院出身だったし、神殿でも寝食を忘れて働いていたらしい。それを聞いた僕も料理長も、最初張り切って食事を用意したんだけど、食べきれなかったセシリアを涙目にさせちゃった。うん。反省。でも涙目のセシリアも可愛かった。
そんなわけで、食事は徐々に増やそうということになったから、代わりに間食を持ってくるようにしたってわけ。
「アール様は何でも出来てすごいです。私はついていくのが精一杯で」
皮膜のない指で茶器を持ち、お茶を淹れていると、セシリアがため息を吐いた。
「何でも出来るのは誤解かなぁ。小器用なだけで、剣術とかはさっぱりだし。それとセシリアこそすごいよ。聖女の力の強さはもちろんだけど、もううちの国に馴染んでる」
「どちらも普通のことだと思うんですけど」
セシリアが不思議そうに首を傾げた。
彼女は本当にそう思ってるんだろうけど、あんな風に突然連れてきたし、僕はこんな見た目だし、獣人国は特殊だから心配だったんだ。
取り越し苦労だったけど。
「恋愛結婚ならまだしも、ほぼ強制だったし。僕は悪魔王子だよ?」
セシリアの断罪劇から、僕は悪魔王子と呼ばれるようになった。目立つ断罪劇で悪魔っぽいコウモリの外見が広まったこともあるけど、どっちかというと、あの国の末路からそう呼ばれるようになったんだよね。国一つを滅ぼした悪魔だってさ。うん。間違いじゃないから仕方ないね。
本当はさ。オーウェンが押さえた横領と賄賂の証拠でウェルズ侯爵を失脚させる。それだけで勘弁してやろうと思ってたんだよ。後ろ盾の侯爵が失脚したら自動的にあの馬鹿王太子も王位継承から下ろされるし。
だけどセシリアの引き渡しを渋るんだもの。人参ぶら下げるしかないでしょ。
その人参が滅亡の種だったってだけ。
トリニタ鉱山には魔獣がわんさかいるから、うちの騎士団が定期的に狩ってたんだ。けど、所有権を放棄した鉱山の魔獣を狩る義務はない。意気揚々とやってきたウェルズ侯爵が雇った鉱山夫と護衛は、肝心の採掘をすることなく逃げ帰った。
聖女の力があれば魔獣を鎮められるのにねぇ。ジェイミー侯爵令嬢を引っ張り出してたけど、まるで駄目だったね。そりゃそうだ。金で買った聖女の称号だもんね。
まったく。何でもほいほい飛びつくからそうなるんだよ。甘い話ほど怖いものないってのに。
あとはほら。うちの領土でもない場所から溢れた魔獣で、うちが被害受けたら困るでしょっ?
ということで、トリニタ鉱山付近の狩りを強化させたんだよね。そしたら行き場を失くした魔獣がウェルズ侯爵領地からあの国になだれ込んで。結局うちが鎮圧した。
でもほら、国同士だし。親切でやってあげるわけにはいかないよね。ってことで、交渉した結果、あの国は我が国の領土になった。
それで、父上に蒔いた種は責任もって刈り取れって、統治権もらったから。王太子と国王夫妻、ウェルズ侯爵と侯爵令嬢。彼らは全員表舞台から消しといた。
自業自得だよ。
「ふふっ。アール様が悪魔だなんて」
セシリアが口元に手を当てて笑った。その仕草も可愛いなぁ。
「目の見える人は外見に惑わされすぎです。アール様はこんなに綺麗なのに」
「いやほんと。そんなこと言うのセシリアだけだよ。どんな風に見えてるの?」
セシリアがじっと僕を見つめた。彼女の視線は僕の胸の辺りを見ていて、僕の視線と交わらない。
彼女は生まれつき盲目で、景色をオーラで見ている。物の位置も全てオーラで分かるから日常生活に支障はないけど、文字だけは読めないのが困るそうだ。だから僕の仕事に文字に魔力を付与することが加わった。すごく嬉しそうに笑ってくれるから僕も嬉しい。
「綺麗ですよ。いつもアール様の毛並みみたいにふわふわ温かい黄色やぽわぽわ優しい桃色ですが、澄んだ青やまぶしいくらいの金色、燃えるような赤になります。初めてお会いした時もそうでした」
目の見えないセシリアは本質を視る。国と教会の腐り具合も、婚約者の王太子と公爵令嬢の濁った繋がりも、どす黒く映っていたらしい。でも孤児院の人たちや平民たちの素朴な光を守りたくて、聖女として奮闘していた。届かなくて、断罪されてしまったけれど。
「濁って気持ち悪い世界の中で、本当に綺麗でした。お恥ずかしい話、一目惚れです」
「あ、ありがとうございます」
うう。一目惚れは単純に嬉しいけど、綺麗だなんて言われ慣れないから照れるなぁ。
「アール様今、真っ赤です」
ひえぇ。毛のおかげで顔色とか分かんないのに。セシリアには通じないや。
あと、セシリアも真っ赤だよ。可愛い。
というか暑いなぁ。空調魔法の調節がおかしいんじゃない?
長い指でぱたぱたと仰ぐと、熱くなった体が少し冷えた。皮膜がついているとこういう時便利。
「あの、アール様」
「ん?」
「触ってもいいですか?」
もじもじと頬を染めての上目遣いとか。めちゃ可愛いんですけど。
「どうぞ」
「ふああぁぁあ。ふわふわ。幸せです」
カップを置いて体を寄せると、セシリアが僕の毛並みを撫でる。
いやいや。僕が幸せです。セシリアに撫でてもらうの気持ちいいんだよね。最高。
「アール様」
「ん?」
「濁らないで下さいね」
「肝に銘じておく」
政治の世界は汚く、権力は感覚を鈍らせる。これから僕は、毒の海を泳がなきゃいけない。
王になんかなるつもりなかったのになぁ。
「でも大丈夫。僕にはセシリアがいるから。僕が濁ったら綺麗にしてくれる。そうでしょ?」
「はい。これでも聖女ですからね」
獣人族の王は番を本能で見つける。
番を見つけた者が王だ。
「そういえばあの時。パーティー会場から出る時に皆さんが驚いていたみたいですけど。何かなさったんですか?」
「あー、あれね」
『まあ素敵。アール殿下も『真実の愛』をお見つけになったのですね。お似合いの二人ですわ。ねぇ、フィル様?』
――あなたにはコウモリがお似合いよ――
僕がけなされるのはともかく。僕の容姿のせいであんな女にセシリアが馬鹿にされるのは我慢できなかったんだ。
「何にもしてないよ」
だからちょっとだけ、神獣の加護を抑え込んで、人族の姿をとっただけさ。
吟遊詩人の歌う美貌の悪魔王子と盲目聖女の婚姻譚が流行っているのは内緒ね。





