アステリオの兄妹
†
……激しい雨が降る夜だった。溢れ返った流血、怒号、悲鳴も、全てを洗い流してしまいそうなほどに強く。
──ゼェ……ハァ……ハァ……
そんな豪雨の音に掻き消されそうな呼気を繰り返す牛魔の若手騎士が立ち尽くしていた。軽鎧は緑の返り血がこびりつき、桜花の髪は雨水と汗でびっしょり濡れて顔に貼り付いている。
周囲に散らばっていたのは無数の大きな甲虫。五体がバラバラになっている個体、ひっくり返って死して尚反射でピクピクと動いている個体と倒され方がまちまちだ。
モンスター名は冥府蠍。硬い両鋏と神経毒の針尾を備えるDランク相当の巨大昆虫であり、夜行性の危険生物である。
それらとは別に騎士何名かが倒れ伏し、敵味方入り乱れた惨状が広がっている。
それを招いたのは、他でもなく彼女だ。
──……ミ、ミノ……兄……
剣鉈隊を指揮するミノース・アステリオが彼女の目の前で倒れ伏す。片目を負傷し、背中には数ヶ所の毒尾に貫かれた跡があった。
それもまた、省みなかった自分が庇われた結果である。
──筆舌尽くせぬ成果でしたよイーオス・アステリオ。我々が担っていた任務は村近辺に出没したあのサソリどもの迎撃。いわば活動域を削る露払いです。
王都に帰還した剣鉈隊一同は負傷者や犠牲になった騎士をたちを運び、一段落ついた矢先のことである。
──にも関わらず、撤退しつつあったモンスターたちを追撃に動き出した結果、殲滅に至りました。深追いするなという制止を振り切り単身飛び出すとはさすがですねぇ。
軽く手当てされたイーオス・アステリオは同期の騎士二人と面談という体での事情聴取を受けていた。
──そして、最寄りの巣を刺激したことによって小規模ながら発生した大反乱。想定外の数による応戦で騎士数名の犠牲と我等が隊長の事実上再起不能な負傷を代償にしてなんとか事態は収集できました。
ミノース・アステリオ隊長は片目の失明と全身に回った神経毒により、当分は半身を動かせないほどの麻痺が残ったという報告があがっている。更に部下を諫められなかった責任を相まって隊長としての復帰は絶望的らしい。
淡々とした指摘に、イオは椅子に座り込んだまま身を強張らせた。
うつむき、精魂でも抜けた様子であったが、その指摘には鈍い胸の痛みが走ったように口元をキツく結ぶ動きを見せる。
──そうですよ、貴女のモンスターへの憎悪が、私怨が、私たちを巻き込んだ。実の身内に飽き足らず、無関係な仲間にも犠牲者が出てしまった。これは由々しき愚行だと認めるべきです。
──……フェネス、なにもそんな言い方しなくてもいいだろ。
──口を挟んできた貴方には月並みの台詞を並べさせていただきましょう……事実を言ったまでだ、とね。
遠慮なく、冷酷に狐魔族の副隊長フェネス・ルナールが告げる。一方的な物言いに狼魔族の騎士ベオルフ・イザングランが擁護していた。
──ああ。確かにお前の言う通りイオの行いは周りを不幸にしたのかもしれない。だがもう十分だろう。当人だって負い目を感じている。過ぎたことじゃないか。
──過ぎたこと? ええその通りです。しかし済ませたことにしていいわけではない。謝っておしまい? いくら戦場で散る覚悟を常に心構える同胞と言えど、そんな命を落とすことになったきっかけの相手から易々と片付けられてしまったらあの世でどう思われるか想像に難くないですねぇ。
相応に償いが要るでしょう、いつもの薄ら笑いを浮かべながらフェネスはそう断言する。
──いいですか、イーオス・アステリオ、貴女が今後モンスターたちを滅ぼすことに傾倒し続ければいずれはまた甚大な被害をもたらすのは間違いありません。しかしそれを自覚していながら自重することはできない。しようとも思わない。
傷口に塩を刷り込むように、糸目狐の男はなじる。息遣いの荒くなるイオの様子を見て愉悦を含めながら。
──フェネス、いい加減に……
──ですが義理堅い貴女のことです。仮にご家族友人故郷の仇討ちを済ませても今度は仲間たちの弔い合戦をしでかすでしょう。更なる犠牲をともなってでも、ね。いやはやなんとも立派な心掛けだ。
制止されてもかまけず、彼は無遠慮に言葉の槍を降らせた。
──ところで、その信念に正義はありますか? あのモンスターへのご勇敢な突撃は騎士道に則った行動であったと? 私の見解ではただの暴走以外のなにものでもない。それで貴女個人がどうなろうとも興味はありません。ですが、巻き添えにすることに関してはどのようにお考えですか?
問い掛けではあったが、否定すべき結論ありきのものだった。
──故にこう結論を降します。貴女はこの隊に居るべきではない。騎士であっていいとも思えない──
間もなく鈍い音が室内に響く。痺れをきらしたベオルフが拳を彼の顔に見舞った。
衝撃で顔を反らし、口内を切ったフェネスの唇に血が滴る。
不敵な笑みは崩さないながらも細目の奥の瞳がジロリと殴り付けた相手を見やる。目は笑っていなかった。
冷笑主義で本来ならもっと回りくどい皮肉屋が、ここまで直接扱き下ろすことは滅多にない。
甘んじて殴られてまで、イーオス・アステリオへの糾弾を行ったのである。
──……今のは、次期剣鉈の隊長となる相手への仕打ちと受け取っても?
──俺からの就任祝いだこの野郎……!
──クヒヒヒ、いいですねぇ。後任の副隊長は貴方にやってもらいます。私の言いなりになる方だと独裁になってしまい周囲の反発が増えるでしょうから。面倒事は丸投げさせてもらいましょう。
そこまでやりとりをしたところで一方的に話を聞いて黙り込んでいた牛魔の女騎士は席を立つ。
足取りは重く、幽霊のようにフラフラと退出してどこかへ向かっていった。
──イオ、おい……
呼び掛け、なにかを言おうとして言葉に詰まったベオルフは彼女の大きくも頼りない背を見送ることしかできずにいた。
去っていく彼女に溜め息混じりの言葉をフェネスは送る。
──やれやれ、ここまで言われても心ここにあらずとは……ついでに元隊長にお伝えください。方針は固まったのでご安心を。ご療養に専念なさってくださいね、と。
彼女はミノース・アステリオが休養している個室を訪れる。牛魔族の兄は既に意識を取り戻し、身体を起こせるほどに回復はしていた。
だが神経毒の影響により暫く自力で立ち上がることはできず、顔の半分には包帯が巻かれて片目の光を失ったことをあらためて告げられる。
──俺は現役から身を退くことにする。この状態では足手まといだからな。いい機会だったんだ。
ミノースは普段と同じく物静かな声音で淡々と語る。
終始口を閉ざしていたイーオスだったが言葉尻に反応を示した。
──……いい、機会?
──今回の件は俺自身の不手際が招いた結果だ。部下の犠牲も、俺自身の負傷も原因は元々俺にあるんだよ。根本的にお前の中にあった怨みと向き合ってやらず、抑えきれなかったことから始まった悲劇の連鎖だった。
だから全てをお前に背負わせない、ミノースは咎めることもなく説得する。
──イオ、お前まで騎士を辞めることなんてない。それを伝えに俺の元へきたのだろう?
──そ、れは……
──確かにお前は取り返しのつかない過ちを犯してしまった。これから償っていかなくてはならない。だが辞めることで責任をとるのは、なんの問題の解決にもなっていないのではないか?
図星だった。彼女は今回の件を契機に騎士を辞めるつもりでいたのだ。
──……無理だよ、ミノ兄……皆の前に立つ瀬が、ない。あれだけのことをしでかして、私は、復讐を忘れられない……
震えた声で打ち明ける。
──私が騎士になったのは奴等を倒すための名分が、欲しかったからなんだ……憧れや正義なんかじゃない……今更、別の目的のために続けるなんて、できっこない。
──そうか。なら、俺と同じだな。
意外な告白だった。
──俺も騎士になったのは、憧れや正義なんて建前さ。ただある目的のために、都合がよかっただけなんだ。
──……その目的って?
まさか自分と同じ故郷を襲ったモンスターへの復讐ではないだろう。さすがにイーオスもそう思い込むほど馬鹿ではない。
そして、その予想は彼女の斜め上のものである。
──生き残った小さな妹を、腹一杯食わせていくため。それは無事に成就したようだ。
──っ……!
──しかしそれだけじゃ駄目だった。お前の悲しみと怒りに、寄り添ってやるべきだった。放っておいてすまなかった。
イーオス自身がこうして過去の憎悪に振り回されてる最中、兄は肉親のためにこれまで生きてきたことを悟る。
なのに同じ騎士を志したのに認めてくれないと憤り、反発し、そしてそんな自分を庇って片目を失った。
自分のことしか考えてこなかった己が情けなくて、惨めで文字通り泣けてくる。
──……謝らない、で……くれ。悪いのは、私、なんだ……
絞り出すようにイーオスは喘ぐ。深々と頭を下げ、ベッドに涙の粒を降らす。
──ミノ兄は、きっと、もっと大勢の獣人を救うことができた。ミノ兄、だけじゃない……死んでしまった、仲間たちだって……! わ、私は……そんな、み、未来を奪った……!
ようやく堰を切って溢れ出た後悔の言葉。何度も頷くミノース・アステリオは隊長という仮面を外し、家族として身の丈の想いも受け止める。
──ごめ、ごめん……でも、も、もう手遅れで……!
──ああ。そうだったかもしれない。彼等にも人生があり、家族があり、未来があった。それはもう、二度と取り返せない。
けれども、とミノースは彼女の肩に手を置き、言い加えた。
──お前は昔から思いやりのある子だ。冥府蠍に襲撃され身内を失った村人たちの声に誰よりも耳を傾け、自分のことのように怒ってくれていたな。その怒りもまた、優しさの裏返しだ。
最寄りの巣を残さず殲滅しなければ、モンスターたちは再びまた襲ってくる。騎士が村からいなくなれば、いずれは再び襲撃されることもあるだろう。だからイーオスは危険を侵してまで深追いしたのだ。
──これからは別のやり方でもいい。ただモンスターと闘うだけが騎士じゃない。俺たちの分まで誰かを助けろ。俺も、お前のように過ちを繰り返さないように後進を育てることに力を入れていくことにする。互いに、できることを探していくんだ。
ミノース・アステリオは教職者の道を選んだ。そしてイーオス・アステリオは、荷車隊への移籍を契機に戒めるように重鎧と兜で自らを覆うようになった。
いまだ心に燻る熱を、強引にひた隠して。
†
薄暗い地の蓋が視界に映った。
沈んでいた意識が、頭に降りかかった液体によって浮上する。少々ツンとした青臭い植物の香りが鼻腔を刺激した。
「ここ、は……ぐぅぅっ!」
動かそうとした全身は軋み、絶え間なく重い痛みが苛める。厚い鎧の中で腫れぼったい熱に包まれていた。
ゲヘナヒモスから受けた薙ぎ払いと尾撃の影響。どこの部位が無事でどこの骨が折れているのかわからない。
「隊長……! 平気っスか!?」
部下である蝙蝠魔族の騎士ミニュアが呻く様子を窺っている。覚醒のきっかけは彼女のポーションによる応急手当てによるものだ。
鎧を外す猶予はなく、頭から被せる形で薬液をかけたようだが鎮痛作用もあるようで恐らくそれがなかったら激痛にのたうち回っていたところだろう。
段々と記憶と思考の整理がつき始めて、イオ隊長の中で焦燥が生まれる。
「ミニュア、どうして戻ってきた……? ヤツは……超獄獣は──」
次第に状況を悟ったことで、質問は途切れた。
今現在、自分以外の者たちがあのモンスターと戦闘を繰り広げている光景をようやく目にした。
いつの間にか合流していた生徒たちが率先してヤツと相対し、危険ば状況を迎えている。
「あ、ああ」
言葉にならない声が漏れる。呻きか、嗚咽か。血の気が引き、表情がひきつった。
かつての悪夢。同胞の騎士が死んだあの惨状が、今の景色と重なる。
「ああああ、駄目だ。駄目だ駄目だ……!」
また、引き起こされている。繰り返してしまっている。あの過ちが。あの犠牲が。
気絶するまでに荷車の騎士が立ち昇らせていた怒りは立ちどころに消え失せており、精神的支柱に亀裂の入る音がした。
「またみんな、死ぬ……! 私の、せいでゴボボボ!?」
そんな恐れと混乱の極致に達しようとした時、頭上にまた薬液のお代わりを被った。
戸惑い見上げると、ひっくり返して空になった瓶を掲げながら憮然とした面持ちでいるミニュアと目が合った。
「いつまで寝ぼけてんスか」




