村のダンジョン
教会を案内する形で引き返すことになったルチルはサーフィアと合流する。彼と喧嘩していたボークとエンキは帰ったらしい。
「で、誰なんだアイツら。見かけねぇ顔だが」
「わかんない。洗礼を受けたいって言うから連れてきたんだけど」
洗礼が無事済んだようで二人はこちらへやってくる。
「待たせたわねっ。なんか目元が赤く染まったみたいだわ。アイシャドウ要らずよ」
鮮烈な赤髪が印象的なルビィ。それに加えて目元に赤い隈取りが浮かび上がっており、満更でもなさそうな表情をしていた。
その上機嫌な様子からしてとても恵まれた魔法紋に違いない。
「そして聞いて驚きなさい! アタシの魔法紋の名は《神の火》。目で見たところから火を起こす力よ!」
「危ないな。辺り構わず使うなよな」
「大きなお世話よ。そういうアンタの魔法紋を聞かせてもらおうかしら」
「銀の剣を作り出せる魔法紋だ。ナイフやロングソード……出すサイズを変えられたり色々工夫の甲斐があるぜ」
「アンタこそ危なっかしいわね」
「デイア、って言ったっけ? お前のはどうだったんだ?」
サーフィアに話を振られた彼女はひそひそとルビィに耳打ちする。ルチルたちに面と向かって言えないらしい。
首元に一筋のチョーカーのような金色の刺青が走っており、明確に魔法紋は刻まれている。
「《聖域の抱擁》。触れた人のケガを治すことができるみたいだわ。デイアらしいわね」
「へぇー、大当たりじゃん。将来大物になるぞ」
「ちょっと! アタシの時と態度が全然違うのはどういうことよ」
そうやって自分たちの魔法紋の話題で持ちしきりになっている間、ルチルの心に影を落とした。みんなは凄い。比べて自分は……と矮小さに胸を締め付けていた。
「それでアンタたち、この近辺は詳しいのよね?」
「住んでるからそれなりにはな。それがなんだよ」
「決まっているじゃない。せっかく此処まで飛び出してきたんだから」
飛び出してきた? と浮かんでくる疑問をよそにルビィは言った。
「この近辺を案内しなさい。散策して回りたいわ」
†
洗礼式を終えた山羊魔族のパン牧師は自室に戻って息を吐く。無事滞りなく終わったのだが、最後の姉妹のことが気掛かりだった。
あれほど強力な魔法紋を立て続けに見るのは初めてである。彼女たちは間違いなく将来大物になるだろう。
「あの子たちは一体……」
そんな折に卓上に置いてあった水晶が発光した。
魔法通信が入ったのである。そして思いも寄らない相手に牧師は仰天する。
『洗礼式のお務めご苦労』
「こ、これは女王陛下……! 直々に労われていただけて汗顔の……いや光栄の至りです」
『ひとつ訊ねたいことがあるのだが、そっちに猫魔族の姉妹が行ってないか?』
「姉妹? それでしたら──」
†
「あらためて景色を眺めているとずいぶんド田舎よねぇ」
「せめてのどかと言えのどかと」
遠慮のないルビィの感想に苦言を呈したサーフィア。
成り行きで地元の案内することとなったルチルたち。先頭を歩く赤髪のルビィとその腕にくっつくデイアの猫魔族姉妹にとぼとぼついて行く。
井戸や広場の噴水、屋台などを回って教えていると彼女たちは物珍しそうな反応を見せた。
「でも路地を外れたら本当になにもないわ。畑と雑木林ばっかり」
「これでも少し移動すれば王都が見えるんだぜ」
「それくらい知っているわよ。そこからきたんだもの」
「へぇ、わざわざ洗礼式をやるのにこっちへくるなんてよっぽど物好きなんだな」
「しょうがないじゃない。アタシたちにはまだ早いって言うから、自分たちで洗礼式を受けにきたのよ。邪魔されない場所まで移動してね」
ルビィは唇を尖らせる。
「ところでその肩に掛けているのはなんだよ?」
「護身用の杖よ。母様の魔法をいくつか内蔵してあるの」
「へぇ、それ魔法具なのか。都会のガキは金持ちだなぁ」
「ド田舎を歩くのにこれくらい持ち歩かないとモンスターでも出たら危ないでしょ?」
「田舎はそんなに魔境じゃねぇよ! たまにしか遭遇しないし」
「やっぱりいるんじゃない物騒ね。でも安心しなさい、アタシがいるわ」
魔法具。魔法を宿した道具の総称であり、彼女の持つ杖のように戦闘を補助するだけでなく日常生活にも使われていたりと幅広く活用されている。魔石を加工した魔法玉を嵌めたり、道具そのものに魔法をかけているものなど種類も多い。
一行が空き地を横切った際、
「アレはなにかしら」
「……ああダンジョンだよ。初めて見るのか」
民家から離れた土手にぽっかりと空いた大穴があった。洞窟のように奥深くまで続いている。その入り口には柵や警告の立て札が設置されていた。
ダンジョンと呼ばれるそれは各地でも数多く発見されており、奥ではモンスターが生息しているため危険な場所である。
「こんな大きな穴、塞がなくて平気なの? モンスターが出てくるんじゃないかしら」
「そこは大丈夫なんだ。ほら、あれ見て」
ルチルが示唆したのは入り口に吊るされたなんの変哲もない錫色の鈴だった。
「魔除けの鈴っていう魔法具でね、ダンジョンから出ようとするとモンスターがとても嫌がる音を鳴らすんだ。よっぽどのことがなければモンスターは引き返すし、冒険者みたいにわざわざ潜らなければ危なくないよ」
「へぇ」
「あと外にモンスターがいてもほら穴に隠れる性質を利用してダンジョンの中へとおびき寄せるようにしているんだ。モンスターによっては素材や食材にもなるからね」
ルチルの説明に感心した様子の姉妹。しかし説明し終えた矢先に、
鈴がけたたましくなった。なにかが出口に向かってくる。
そして穴の奥から声が届いた。獣の唸りにしては些か甲高い。
あろうことかダンジョンの中から出てきたのである。
「──わァあああああああああああッ!」
「エンキ!? お前! そんなところでなにやってんだ!?」
魔物ではない。先ほど教会で別れた悪童の片割れである猿魔族がダンジョンから引き返したのだ。
ガチガチと歯を打ち鳴らし、息も絶え絶えで経緯を打ち明ける。
「ど、度胸試しにダンジョンに入ったら、モンスターに遭遇して……!」
「バカが。この辺のダンジョンだったらモンスターといってもオオドブネズミくらいだったとしても油断すれば怪我するぞ」
「違う! もっと大きい! クマの……クマのモンスターだ!」
「クマっていうとマッドグリズリーが中にいるのか」
「た、助けて! ボーちゃんが! ボーちゃんが……うぇぇ」
「ボークがどうしたって、まさかあのブタまだ中に……!」
片割れの猪魔族の少年とはぐれたというところまで話終えるなり、嗚咽を漏らして崩れ落ちた。
「……どうしようサーフィア」
「本当にマッドグリズリーだとしたら並の大人でも太刀打ちできないぞ……冒険者を頼らねぇと」
「まったく男のくせに頼りがいがないわね」
言ってルビィはずかずかとダンジョンの入り口に足を踏み出した。
「デイアは周辺の大人たちに助けを呼んできて。アタシが中に入ってモンスターを追っ払う」
「バカ言うな! 魔法紋に目覚めたてのオレたちがかなう相手じゃ……!」
「じゃあそこで手をこまねいているといいわ。助けを求められてなにもしないなんてアタシ自身が許せない」
高飛車で怖いもの知らずな彼女は制止する間もなくダンジョンへと潜ってしまった。サーフィアは頭を抱える。
「あんのアマ……後先なにも考えなさ過ぎだろ──ってルチル!? お前まで!」
「あの子だけで行かせられないよ、サーフィアたちはそこで待ってて!」
「~~~~ッ身の危険を感じたらすぐに引き返せ! いいな!?」
ルチルはルビィを追い、闇の中へと走る。
初めて入るダンジョン内であったが行く手が全く見えないというわけでもない。天井や壁に突出している鉱石がうっすらと周囲を照らしていた。
本で読んだことがある。魔力を含んだ鉱石が暗闇で発光していて灯りがなくても歩くことができると。
「男の子だったらエスコートしなさいよね」
「君がせっかちなんだ」
先に向かっていたルビィが銀色の杖を持って憮然としていた。
「早くボークを見つけて戻ろう」
「言われなくてもわかっているわ。ついでにそのなんたらグリズリーとやらもぶっ倒しましょう」
「でもサーフィアが言っていたけれど危ないよ? ボク魔法が下手で魔法紋も戦闘じゃ役に立たなそうだし」
「じゃあどうして一緒に入ってきたの?」
正論に呻き肩を落とす。本当に何しにきたのだろうか。
「まぁいいわ。そう不安がることはないわよ、アタシを誰だと思っているの」
「えと、今日会ったばかりだからよく……」
キィーキィー、という奥から聞こえる鳴き声で二人は身を強張らせた。
こんもりとしたネズミ数匹が這い寄ってくる。人の頭部くらい大きい。
「オオドブネズミだ!」
「大したことないわ、見ていなさい」
ルビィは杖を前に構えた。先端にあしらわれた赤い魔法玉が輝くなり、炎の塊が噴き出した。【火炎】の魔法である。
地面を炙り、苦し気な悲鳴と焦げついた匂いが鼻につく。ネズミたちは一目散に引き返して逃げ去った。
「うわぁ、すごい威力だ」
「当たり前よ、母様が直接入れた魔法だもの。その気になればもっと威力も出るはすよ。まぁ魔法紋はもっと大物相手にとっておきましょう」
「へぇ! 君のお母さんってゆうしゅうな魔導士なんだね!」
拍手するルチルであったが、何故か彼女は不機嫌に鼻を鳴らす。
「褒めなくたっていいわ。あの人、ちょっと偉いかもしれないけれどダメダメなんだから。アタシたちに儀式を受けさせてくれないんだもの」
「そうなの?」
「とにかく、雑魚は追っ払ったし先へ進み──」
「ひっ、ひぎ……」
奥からなにかが蠢くのを見てまた新手がきたと身構えたルビィであったが、正体に気付くなり杖を降ろす。
洞窟の壁に手をつきフラフラと猪魔族がこちらへやってきた。半べそをかいて震える彼だったがケガはないようだ。
「ボーク! 無事だったんだね」
「あらもう見つかったの、肩透かしねぇ」
「ブギぃぃぃ、た、助けて……」
「もう大丈夫だよ。外に」
出よう。そう促そうとしたルチルは生まれて初めて背筋が凍るような想いを経験した。
──ゴフゥゥゥ……!
それは呼気なのか、獣の唸り声なのか定かではない。今度こそモンスターの新手だった。
見上げるほどに体躯は大きく、鋭利な爪を光らせて、鈍重な足取りで迫る大きな影があった。
一般の獣人にとってマッドグリズリーとの遭遇は一方的な捕食行為も同然。
ただの子供である自分たちがこんなのを相手に勝てるわけがない。そう悟ったルチルは言葉を失い、その場で身動きがとれなくなった。
逃げなくちゃいけないのに足が震えるだけで言うことを聞かない。脇目も振らずにダンジョンに突入したことを強く後悔する。このままでは……
「おいでなすったわねなんたらグリズリー!」
しかし、赤髪の猫耳少女は違う。
戦意を全く損なわず、むしろ好戦的に自分の何倍もの体格差があるモンスターと対峙の姿勢を見せた。
「命が惜しかったら回れ右して奥に戻りなさい。でないと、焼くわよ」