洗礼儀式
「おい! そう焦るなってさっきから言っているだろ。別に洗礼式は逃げやしねぇよルチル」
「でもサーフィア、もうみんな牧師さまのところに行って魔法紋を刻印してもらっているんだよ? ボクだってうかうかしていられないや!」
近所の教会へ向かって元気よく少年たちが走っていた。人とはそう変わりない姿と裏腹に異彩を放つのは二人の頭にある犬耳と尻尾。代表的な狼魔族の特徴であった。
山吹色の髪の無邪気で人懐っこそうな少年はルチル・マナガルム。
青銀の髪でちょっぴりませている少年はサーフィア・マナガルム。
性格は正反対なのにいつも一緒でなかよしな双子は、今日10歳の子供たちが受ける洗礼式と呼ばれる行事のために教会へと向かっていた。
魔法紋とは獣人たちが崇める神獣の加護によって賜ったとされ、一定の年齢を境に発現する特殊な魔法の総称であり、制御のために身体の一部で刻印することからそう呼ばれている。
その効果や刺青の形状、現れる部位などには個人差があり、儀式によって覚醒を促して存在を認知させることが通例となっている。
それらを用いて外界のモンスターや敵対勢力と戦い国を守る兵士……通称王立獣魔騎士の一員になることこそ子供たちにとって憧れであり、ルチルの目標となっていた。
「牧師さまー! パン牧師さまー! あ、パン牧師さまー! こっちでーすこっちこっちー」
同じ年代の子供たちがごった返す教会の奥で聖衣を羽織り立派な山羊角を持つ男性がひとりひとりに儀式を行い、話をしていた。
「はい無事に終わったよ、おめでとう。きみの魔法紋は──」
「パン牧師さまー! こんにちはぁ! サーフィアとボクにも洗礼してくださーい!」
「オイ割り込むなって!」
人混みをかきわけ牧師のもとへ迫るルチルと抑えきれずに後に続くサーフィア。
期待の眼差しで見上げながら尻尾を光速で振るうルチルを前に、牧師は眼鏡を掛け直した。
「ああ、コーラルさん家の子たちだね。大きくなったもんだ。だけど順番を守らなくてはいけないよ。他のみんなが終わるまで待っていなさい」
「ほら見ろ。悪い、こいつにはきちんと言い聞かせておくよ……いいから後ろに行くぞ」
「そんなぁー」
すごすごと引き下がる羽目に遭ったルチルたち。
「おいおい魔法オンチのマナガルム兄弟も儀式を受けにきたのか」
「ウキキ、落ちこぼれが魔法紋を使えるようになっても大して変わるはずがねぇだろ」
「あ! ボーク! エンキ!」
猪魔族、猿魔族のコンビが立ちはだかる。イタズラやケンカばかりで近所でも有名な悪童たちであり、度々嫌がらせを仕掛けてくる。
「うるせぇ。ブタザルコンビには言われたくないね」
「二人はもう終わったの? どんな力だった?」
邪険にするサーフィアとは対照的にルチルは屈託のない笑顔でそうたずねる。
質問に対してエンキと呼ばれた猿魔族の少年は片腕を捲り上げ、かぎ針にも似た模様を見せつける。ボークと呼ばれた猪魔族は頬に浮かんでいた渦巻き状の刺青を指さしてアピール。
「へへ、聞いて驚け。《収奪師》って魔法紋で近くにある物を手で触れなくても引っ張れる」
「オイラは魔法を食って腹を満たせる《魔導食卓》だ」
自信満々にパントマイムしながら路傍の石ころを引き寄せたり、自分で出した炎の魔法を口に含んで「イチゴ味だ」と披露する。
「すごいや!」と目を輝かせるルチル。
「使い道なさそう」と冷ややかに評価したサーフィア。
だが、まだ目覚めたての魔法紋は未熟なケースが多く、本人の成長と共に力を高める可能性もあるので一概には軽視できない。
「そういう女みたいな顔と名前のサーフィアちゃんにはかわいいかわいい魔法紋がお似合いだぜ。花とか咲かせるやつじゃね」
「あァン、俺は男だ!」
「ブギ、怒った? 図星? かーわいいー」
女みたい。ちゃん付け。可愛い。そう扱われることをなにより嫌うサーフィアは普段こそ冷静沈着であるというのに、そこを突かれると抑えが効かずにたちまち爆発する。
「こんの──くらえ【氷結】!」
唱えたのは獣人が共用で扱うことができる魔法のひとつ。
サーフィアは片手に冷気を集めて氷の塊を形作る。といっても、大きさは親指ほどにも満たず、投げつけても宙で四散してしまった。彼とルチルは周囲と比べてでも特に魔法の力が弱かった。
「ワハハ! ノーコンノーコン!」
「バーイビー!」
カウンターに石礫を額に受け「んがっ」とサーフィアはのけ反る。そうしている内に悪童たちは教会を去っていった。
「大丈夫? ケンカはダメだよ」
「……アイツラ、あとで覚えてろ」
こめかみを抑え恨み言を漏らすサーフィアと裏腹に「どっちも仲よくすればいいのに」と昼行燈な思考でなだめていた。
そんな悶着をしている間に大多数の子供たちの魔法紋の洗礼式が捌けてようやくルチルたちの番が回ってきた。
「じゃあ牧師様、お願いしまーす」
「その前にひとつお話だよ」
パン牧師は聖典を手に語り始めた。
「我々には幾らかの名前がある。獣人。獣魔。ライカン族。人間たちに近しい姿になったのは、神獣様より魔力と知恵を授かったことが始まりだ。その恩恵として従来の魔法とは別に各々だけが持つ特別な魔法を生まれながらに持ち、君たちの歳で目覚め始めるそれを魔法紋として扱えるように刻む。自分たちに与えられた意味、きちんと考えて……」
「それ、もう学校で嫌ってほど教わったんで」
「早く早くー!」
「ハァ……頭に入ってこないって調子だね。みんなもそんな反応だけれど……それじゃあ始めよう」
先ずはサーフィアから洗礼を受ける。祈りの姿勢でまぶたを閉じた。
大きな手に頭を乗せられて、パン牧師は祝詞を唱える。
見えない風がなびき、サーフィアが目を開けた。気付けば左手首に三ツ又の矢じりにも似た線が浮かんでいる。
無機質な老眼鏡でそれをしげしげと眺めてからおもむろに口を開いた。
「君の魔法紋は……《銀剣錬製》という。魔力で銀の剣で作り出せる魔法だ。物質系は珍しいよ」
「うぉ……本当か?」
「サーフィアすごいじゃん!」
物は試しと右手を意識したサーフィアの手に光が集まった。水を得た魚のように認知できるなり、自然と扱える。
どこからともなく無骨な銀のナイフが現れ、持った彼はその質感に息を呑む。
「極めて強力だが同時に危険なものでもある。扱いをきちんと覚えなさい」
「はいわかりましたありがとうございます」
そう愛想よく振り返った裏で、黒い微笑を浮かべるサーフィアをルチルは見逃さなかった。
(さっきの仕返しに使いそうだ……お母さんに言っておこう)
そして次はルチルの番。待望の瞬間に心躍らせ、牧師の前へ。
「じゃあリラックスして」
「はーい」
サーフィアが受けていたように頭に手を乗せ、祝詞の言葉を受ける。
閉ざしたまぶたの奥で火花に似た衝撃が走る。
カッと刮目。手の甲に幾何学的模様の小さな図形が現れていた。
息を呑み、ルチルは口を開く。
「わぁっ、牧師さま、ボクの魔法紋は!?」
「君の魔法紋は……」
悩んだ様子で頬をかくパン牧師。
「《英知の利器》と読む。増強系──自分や対象物を強化させるタイプの力だ。道具の扱いを高める力のようで、君にもわかりやすく説明すると、そうだな……例えば日常生活でペンを描く字が綺麗になったり、工作が器用になったりするだろうね。似たような魔法紋は何人か発現しているよ」
歯切れの悪い説明。恐らく説明する当人としてもいまいち要領を得ていないのだろう。
サーフィアのように派手で単純で強力な魔法紋を期待していたルチルは、少し間を置いて首を傾げる。
「それってすごいのー? 強い力なのー?」
「それは、戦うという意味でかい?」
うんうんと食い気味に頷くルチルに牧師は言葉を選ぶことを努めた。
「……うーむ、門外漢で詳しくはないが、戦闘面で言うのなら剣が刃こぼれしにくくなる……のかもしれない」
「モンガイカン? ハコボレってなに?」
「まぁ、有り体に言うと、君が想像しているような派手で強いものじゃないということだね。こればかりは誰にも決めることのできないものだ」
「それって、役立たずってこと?」
「……誰しも向き不向きというのがあるものさ」
頭に金づちを打ったようにショックを受けた。よく理解できていないが要するに大した能力ではないということは察した。
「な、なぁルチル、そんなに気を落とすことはねぇって」
「プギャー! やっぱり雑魚能力ゥ」
「落ちこぼれにピッタリ! 魔法もへたっぴでお先真っ暗~!」
兄からのフォローも虚しく、余計な連中の野次が続く。
いなくなっていたと思わしき悪童コンビが草の陰から顔を出し、一笑に付していた。
「お前等ァ!」
「ワー! またサーフィアがキレたぁああああ!」
「危ねっナイフ振り回すな危ねェ!」
「だからいかんと言っているだろう!」
傍目でひと悶着している間にルチルは脇目も振らずに教会から飛び出した。
「うぇぇああわぁああああああああああ!」
目元から涙の決壊。民家の柵を抜け畑を抜け林を抜ける。
雑魚なんだ。ハズレなんだ。ダメなんだ。
兄と違ってなんて弱っちい。騎士だった父のようになりたかったのに。お母さんに会わせる顔がない。
感情がごちゃ混ぜになって堪えることができない彼は、逃避を選ぶ。
何処を走っているのか何処に行きたいのかも分からないままルチルは走り続けた。
道端に出た拍子に通行していた誰かと激突したことで、ようやくその突進は止まる。
「──痛ぁ……」
「だ、大丈夫ルビィ?」
二人組の女の子には猫耳と細い尻尾があり、猫魔族の獣人と見受けられた。
「ちょっとアンタ! 急に林から飛び出してどこに目ェ付けてんのよ!?」
「うぉぉうわぁああああああああ!」
「ギャン泣き!? なっなによ、どこかケガしたの?」
ワンワン泣くルチルを前に憤慨していた少女は毒気を抜かれたようで、責める態度から一転気遣う素振りを見せる。
しばらくなだめられて落ち着き出した頃、ようやくルチルは相手の顔を見る。
燃えるように鮮烈なツーサイドアップの紅髪とツリ目の瞳。面持ちからして気丈さが見てとれる。フレアスカートを払い、手を差し伸べた。
「男の子がそんなにみっともない顔するんじゃないの、ほら立てる?」
「う、うん……グズン……君、は」
「ルビィよ。そしてこっちは双子の妹のデイア」
もう一人はそんな彼女の背後でこちらを窺うように顔を覗かせた。
新雪のようにまっさらな白い髪と琥珀色のタレ目、それに奥手な態度が合間ってどこか儚さを感じさせる。
「……にちは」
消え入りそうな声で呟いた言葉は最後しか聞き取れなかったが、挨拶をしたらしい。
少し落ち着きを取り戻したルチルはあらためて二人に頭を下げた。
「ボク、ルチル。さっきはぶつかってごめん」
「アンタってこの近辺に住んでいるの? これから教会に行って洗礼を受けに行くのだけど、場所はわかるかしら」