魔王候補生と親友
父親レイナルを探し出す――エリンスとアグルエの旅に新しい目的が増えた。
話が一段落して、空が茜色に染まったのを見て、二人は一旦森を後にした。
ツキノは別れ際、「また明日、旅立つ前に寄っていくのじゃ」とアグルエに白い狐を託す。
アグルエは自分の肩の上にピョンッと飛び乗った白い狐の頭をなでて、「はい」と頷いた。
村に戻って来たころには、辺りがすっかり暗くなりはじめていた。
田舎の闇夜の訪れは、人工的な灯りが少ない分、街の夜に比べて早く感じるものだ。
二人は、その中でも明るさを保った村の中心部へ寄って、シルフィスに事の顛末を話してからエリンスの家へと帰った。
今日はここで一晩を明かすことになりそうだ、とアグルエはやや緊張を覚えていた。
その緊張を余所に、エリンスが「ただいま」とドアを開けると、エリンスの母ミレイシアは三人分の夕食を準備して、二人の帰りを待っていてくれた。
香ばしい肉の焼けた香りや、香辛料の匂いがダイニングルームを包んでいる。
アグルエとエリンスは横に並び、その向かいにミレイシアが腰掛けて、三人で食卓を囲んで顔を合わせた。
ミレイシアが用意してくれた料理の数々は色取り取りで、緑や黄色の野菜が、輝き放つ脂が滴った肉を飾る。
アグルエには詳しくわからない料理であったが、シーライ村の特産品で作ってくれたものだろう。
他にも、赤い野菜を使ったサラダや、白色のクリーム仕立てのスープなどが並んでいる。
食に目のないアグルエは溢れ出てくる涎を我慢しながら、一つ一つを丁寧に味わって、舌鼓を打った。
「んー! どれも、美味しいです!」
パクパクとあれもこれもと食べ進めるアグルエを見て、ミレイシアはニコニコと嬉しそうに笑う。
「そう言ってもらえて、作り甲斐もあるわね!」
アグルエがチラッと横を見ると、エリンスも笑いながら料理を口に運んでいた。
どうやら久しぶりの故郷の味を楽しんでいるようだ。
そうして――和やかな雰囲気のまま、夕食の時間は進んだ。
「で、わかったの? 帰って来た目的のこと」
頃合いだと思ったのだろう。
ミレイシアはエリンスの顔を見ながら口を開いた。
「ん、あぁ、わかったよ」
「そう……」
穏やかな返事をしたミレイシアは、どこか一安心したようでもある。
エリンスは返事を聞いてから言葉を続けた。
「父さんって、今どこにいるかわかる?」
「さぁ……どこにいるんだろうね?」
ミレイシアは「はぁ」とため息を吐きながらこたえた。
「いつも向こうから手紙や荷物を一方的に送ってくるだけだし、最近は帰っても来ないし」
「そういえば、もう3年は会ってない気がする」
ミレイシアとエリンスがそうやって言うほどなのだろうとアグルエは考える。
アグルエにとって、レイナルのことは話にしか聞いたことがないのだけど。
「荷物も最近は送ってこないのよね。最後に送ってきたのも、いつだったか……」
どうやらミレイシアにもレイナルの居場所がわからないようだった。
「そっか……」
「やっぱり、あの人に話を聞かないとダメなようね」
落ち込んだエリンスにミレイシアが声を掛ける。
「やっぱり、ってことは……」
「あの話をした時点で、そういうことになるのかなってわたしも思っていたのよ」
アグルエが無意識のうちに言った言葉に、ミレイシアは微笑んで返した。
その話を聞いて、アグルエは思うのだ。
エリンスの母親で、ツキノに『世界の全てを知っている』とまで言われたレイナルの伴侶であるならば――何かしら悟ることもあったのだろう。
「母さんもね、昔は勇者候補生だったの」
――ガタンッ
と、エリンスは飛び跳ねるように立ち上がって、机に足をぶつけた。
アグルエはどちらかと言えば、エリンスの反応と音に驚いてしまったのだが、その様子を見るに初耳だったらしい。
「し、知らなかった……」
呆然としたエリンスの横で、アグルエはミレイシアが持っている魔導士の素質に納得した。
「魔導士だったんですか?」
「うん、って魔導士のアグルエちゃんが見たらわかっちゃうかな」
「たしかに魔力を感じました」
「そう、わたしは魔導士だった。レイナルとシルフィスとは、一緒に旅をした仲」
遠い昔を思い返すように話したミレイシアを見て、アグルエも目を輝かせた。
エリンスの父と母――その出会いは、その旅だったのだろう。
「同盟だったんですか?」
「えぇ、わたしは東の国生まれでね。まあ、いろいろあって、勇者候補生だったシルフィスとその付き添いだったレイナルと組むことにしたの」
「へぇー!」と返事をしたアグルエの横で、エリンスは落ち着きを取り戻したらしく席につく。
だがその目はまだボーっとしていそうなものだった。
心ここにあらずといった様子で、ミレイシアの顔を眺めている。
「まだ小っちゃかったエリンスが勇者に憧れだしてね、あー血は争えないんだなって思ったものよ」
「早く教えてくれればよかったのに……」
「だって教えたら、危ない旅に向かわせることになっちゃうんですもの。結局、なっちゃったんだけどね、ふふふ」
嬉しそうに笑いながら話したミレイシアとエリンスのやり取りを見て、アグルエは心が不思議と温かくなっていくような感覚に包まれる。
それが、母親の温もりなんだ、と知った。
◇◇◇
アグルエは一人、エリンスとミレイシアが眠りにつくのを待ってから家を抜け出した。
夜も更けて――獣の遠吠えが遙か離れた森から響く村の中、
昼間歩いた道を思い出しながら、肩に乗せた白い狐を頼りに、歩みを進める。
吹き抜けた冬の風に、アグルエは妙にいつも以上の冷たさを感じた。
きっとそれは、家族の温かさに触れてしまったからなのだろう、と思いを馳せる。
ミレイシアはエリンスに似て、とても素敵な人だった。
――『お母さん』っていいな。アグルエはどこかそんな風にも感じてしまった。
アグルエに母親は存在しない。
亡くなっているだとか、そういう話でもない。
魔族は子を創るのに、つがいを必要としない。
魔族は魔素から子を創る。
だから家族と呼べる存在は父アルバラストと、たった一人いた兄くらいのものである。
それにしたって、アグルエにはあのように食卓を囲んだ記憶があるわけでもない。
少し――エリンスのことを羨ましくも思ってしまった。
温かい空気を知っている――だからエリンスは、エリンスなのだろう。
その温かさを噛み締めて、アグルエは呼び出されたその場所を目指した。
そうして辿り着いたのは、人々が禁足地と呼んでいた森の入口。
目立つような形をした大きな木の下に、アグルエのことを呼び出した人物が佇んでいた。
その出で立ち故に、闇夜の中でも白く浮き上がるかのように見えてしまう女性――ツキノだ。
ツキノは顔が見えたところで、腕を上げて優雅な動作で手を振った。
アグルエは夕食の後、一人になったタイミングで、白い狐を通してツキノに声を掛けられたのだ。
『皆が寝静まった後、一人で森まで来るとよかろう』、と。
「待っておったぞ」
「すみません、待たせてしまって」
昼間とは違う雰囲気を醸し出すツキノに、アグルエは緊張を覚えた。
ツキノは鋭い眼差しをしたままに、ピシッと指を突き付けてから口を開いた。
「単刀直入に言おうぞ。お主はエリンスに何を求める?」
緊張感の正体が、その気持ちだ、とアグルエはすぐに気づく。
ツキノが何を言いたいのか、何を思っているのかは、アグルエにもわかった
――エリンスを心配しているのだろう。
少し考えてからツキノに言葉を返した。
「……まだ、わかりません。でもわたしの気持ちはあなたにも伝わっているはずです」
「ふぅ、まあ、そうじゃな。お主と妾の目的が同じほうを向いていることもわかるがのう」
何か厳しさを感じる眼差しを向けられていたアグルエは、そこで少し緊張感から解放される。
しかし、まだツキノの言葉尻には鋭さが残っていた。
「でもお主はまだ隠し事をしておろう? アグルエ・イラ。
その『漆黒の魔封』はな、妾が創って、アルバラストに譲ったものじゃ。
それをお主が持っておるということが、その意味がわかろう?」
指摘されたアグルエは、「敵わない」と悟るのだった。
「お主の明かしていない正体も妾にはわかる」
「なんでもお見通しなんですね」
「それは違うの、知っていることだけを知っている、というだけじゃ」
「そのことは、まだ話せていません。でも、いずれは」
「まあいずれ、わかることやもしれん。それは避けては通れぬ運命じゃろう」
自分自身が、人々の恐れた魔王の娘であること――未だエリンスに伝えることができていない事実である。
「星刻の谷」で魔王の名を目にしたのだから、話してしまえばいいものだが、どうにも口にする勇気が出なかった。
その後、話す機会を失って、言い出す機会も失ってしまったことだ。
今更、わたしが魔王の娘だと名乗ったところでエリンスは受け入れてくれるだろう。
だけどそれを話してしまえば――わたしの決意や使命をエリンスにも背負わせることになるような気がして、憚られてしまった。
真剣な顔のままに考え込んでしまったアグルエとは対照的に、どこかニヤニヤと笑みを浮かべたツキノが、からかうように口を開く。
「それにお主、エリンスのことを好いておろう」
「ふぇ!?」
突然言われた言葉に、アグルエは一瞬固まった。
考えていたことが全て、頭から吹き飛んだ。
「か、からかわないでください!」
顔を赤くして怒ったアグルエに、ツキノは口元を袖で隠して、笑いながら返事をする。
「なんじゃ、かわいらしいのう」
その言われように真面目な話はどこへいったのか、と考えて、アグルエは軌道を戻すようにして口を開く。
「と、とにかく! わたしはエリンスに救われた。
だから、わたしもエリンスの旅を助けると決めたんです!」
覚悟を口にするように言い切ったアグルエを見て、ツキノは頷いた。
「そうじゃな。ただ、あやつは優しすぎるからのう」
「……それには同感です」
笑顔を浮かべながらそう言ったツキノに、アグルエも同調して笑った。
「くふふ、昔のう、あやつ。
傷ついたギガントベアの子供を手当てしようとしたことがあってな。
それはもう、妾も師匠も顔色変えて、慌てたもんじゃ」
そう笑い話にしたツキノの話に、アグルエも笑ってしまう。
「人間にとって魔物は狩る、狩られる、の関係じゃ。相手が子と言えど、情けを掛けてはならぬ」
「それで、どうしたんですか?」
「結局、傷が深くコアも傷ついておって、魔物の子は助からなかった。でもエリンスは供養までしようとしたんじゃ」
森を風が吹き抜ける。
だけど不思議なことに、アグルエはその冷たさを感じなかった。
「師匠に頭をぶっ叩かれておったの、くふふふ」
頭を叩かれているエリンスの姿を想像して、アグルエも「あはは」と声を上げて笑った。
暗い森の入口に二つの魔族の笑い声が響いた。
夜空を照らした二つの星が近づくように寄り添い流れ、キラリと輝いた。




