巡る世界の彼方
七色の光が天を覆った白い空間。
巡り巡っていた白き奔流も、エリンスとアグルエが辺りを見渡したときには治まっていた。
すたりと見えない床へ着地するエリンスに、アグルエは膝から崩れ落ちるように両手をつく。
「大丈夫か、アグルエ」
そう聞けばアグルエは、「えへへ」と、乱れた前髪の合間からいつものように笑顔をのぞかせた。
「エリンスこそ、大丈夫?」
エリンスは、自身の手、腕、それから足がしっかりとそこにあることを確認しながら頷き返す。
「……あ、あぁ。生きているんだよな、俺たち」
一度、消えかかった身だ。心配にもなるけれど、アグルエは「うん」と笑って頷いてくれる。
そこでようやくエリンスも「はぁ……」とひと息吐くことができた。
だが、顔を上げたアグルエが何かを察したように前方を向きながら立ち上がる。エリンスもまた、彼女の視線を追ってそちらへ目を向けた。
渦巻く黒き残滓が消えゆく先に、白い光が集まりはじめている。
やがて、それは形を象っていく。
すらりと伸ばした手が、落ちていた天星剣を拾い上げた。
そこに現れたのは、床まで届く長いきれいな金髪を垂らす女性だった。
肩口が大きく開く白いドレスを身に纏い、高貴なオーラを身に纏う。すっと伸びた鼻筋にぱちりと開く蒼い瞳。すらりと伸びる手とスリットの間からのぞく長い脚。
風のように揺れ、光さえ振りまくように、女性は優雅な動作で天星剣をくるりと回して握り込む。
大海原のような深い蒼さをしたその眼差しが、エリンスとアグルエ、二人へ向けられている。
「女神、ティルタニア……」
アグルエがその名を呼べば、女性は整った口元をやわらかく結んでふわりと微笑んだ。
エリンスは思わず小さく首を横へ振った。
「そんな……勇者や幻英の話じゃ、消えたって」
天星剣の黒白の剣身を一瞥しながら、ティルタニアは優しくこたえてくれた。
「えぇ、その通り。わたしが、ティルタニア。女神と呼ばれた、この世界の創造主、『神の座』の主……」
真っすぐ立ちなおすアグルエに、エリンスはその手を取ってティルタニアと対峙する。
「たしかに二百年前、わたしの存在は消えたのでしょう。だけど、小さな遺志を白き炎の中に灯して、『勇者』の中に、『神の座』へ眠らせることで事なきを得たのです」
空いた手を胸元に当てながら、ティルタニアは語り続けた。
「『神の座』が崩壊したことにより、こうして、わたしの意志も再生を果たした」
二人は顔を合わせてから、エリンスはもう一度ティルタニアに向き合ってこたえる。
「『神の座』が崩壊……じゃあ、世界は……」
「えぇ、一度、破滅したことになるでしょう」
幻英との戦いの最中、幻英がああして大いなる巡りの力を取り込んだことによって、全ては彼が口にした通り、無に還った。
あの瞬間、幻英は言葉通りに、『世界』を手に入れたのだろう。
「けれど、あなたたちは、強き想いによって、それをなかったことにした」
ティルタニアがそうも語る。
「あの瞬間、世界の声を聞いたあなたたちの希望が、破滅したはずの世界を再生させたのです」
二人は一時考えるような間を取ってから、「……うん」と頷き合う。
今度はアグルエがこたえた。
「じゃあ、世界は、今も……」
「はい、無事、明日を迎えることができるはずです」
「よかった」と息を吐く二人だったが、しかし、エリンスは「でも」と思いなおす。
「『神の座』は、どうなるんだ? あれがなきゃ、世界はカタチを保てないんだろう?」
「『神の座』もすぐに再生を果たすでしょう。だから、この邂逅は束の間のこと。あなたたちは無事、戦い、生き抜いた。世界を救って、守ったのです」
ティルタニアは手にした天星剣をくるりと回すと手を離す。
ふわりと浮いた天星剣が、突き立つように二人の目の前に差し出された。
「生き抜いた……そもそも、わたしたちも消えたはず……」
アグルエが呆然とこたえれば、ティルタニアは首を横に振る。
「消えていく世界は、だけれど、生き続けたいと声を上げ続けた。その声を聞くことができたあなたたちは、あの瞬間、世界を在るがまま、元のカタチへ再誕させた。そこに存在が残っていたからこそ、あなたたちが声を聞いて憶えていたからこそ、成せたこと。それは、あなたたちにしても同じことなのです。互いの中に存在を残したから、本当に消えてしまったわけではなかった。『忘れなければ、そこに在り続ける』。それをわたしは、二人の想いに魅せられた」
紡ぎ想い続けたカタチこそが、残ったモノだった――。
手を取り合う二人はその感触をぎゅっと握り締めながら頷き合って、もう一度ティルタニアへ向かう。
「だから、わたしはあなたたち二人を見ていて……もう一度、信じてみてもいいのかもしれない、と思いなおしたのです」
二人のキリリと向けた眼差しをそれぞれ見やって、ティルタニアはそう続けた。
「あなたは、やっぱり……」
アグルエが聞き返せば、目を伏せるティルタニアは「えぇ」と頷くようにして返事をしてくれる。
「『星』の誕生から、口にすることもできないほどに長い長い年月を、わたしはただ、あの座に就いて見守っていました。二つの力を、人と魔族、二つに分けて、世界を巡る流れこそが、リューテモアを、リューテラウを象って、『星』のカタチを、『星の力』を保ち続けた。人が……その力に触れることはあってはならなかった。二百年前、『勇者』が『神の座』へ辿り着いたとき、わたしはもう、諦めていたのです。『終わらせてもいい』、そうとまで思っていた」
それは、幻英が語った通りだったのだろう。
初めから最後まで、世界を創った彼女にはそれを見守る義務があった。永遠にも感じる長い年月を過ごして、きっとそこで終わろうと、考えたことは何度だってあったはずだ。
その大きなきっかけが、二百年前にあったということでもある。
「だから、幻英は……」
「えぇ、彼が見た世界は……わたしの手から離れた世界。二百年眠り続けて……わたしの手を離れた世界は、大きく歪んでいた」
勇者と魔王の約束の上に巡った二百年、彼らが紡いで破滅から逃れた世界。
歪んでしまったモノだと語られようと、みなが生きるため、世界を生かすためにした選択には他ならない。
「終わらせてもいい、と思っていたのです。だけど……そうじゃなかったんですね」
ティルタニアは二人の顔をもう一度見やって、涙を流しながら笑う。
「わたしの手を離れた世界は生きて、それでも前を向いて進んでいた。二百年前、アグルシャリアが人と魔族の想いを紡ごうとしたことも……きっと、そうだったのに。わたしは、あのときに気づくことはできなかった。それを、教えてくれたのはあなたたちです。そこに生きる人々は、未来を切り拓くために生き続けている。わたしが生かしていたのではない。わたしの想いは、世界に生かされていたのです」
エリンスとアグルエは横目を合わせて、頷き合う。
「……前へ進むとなれば、真っすぐと歩き続けられるわけじゃないのかもしれない」
エリンスの言葉に、ティルタニアは「えぇ」と小さく頷いてくれた。
「道を誤ることだってあるだろう。踏み外してしまったり、曲がりくねった道を進まなければいけなかったり、そういうことだってあるはずだ。だけど、真っすぐと進むだけが道じゃないって、それが……二人で歩いてきた旅路だから」
――真っすぐと歩いてきたはずの道が歪んでしまうことだって、あるのだろう。時には立ち止まることだって、必要なのだろう。
アグルエが「うん」と続けて、エリンスの思ったことを口にしてくれる。
「手を引いてくれる人だっている。一人じゃなければ……また前へ進めるって、教えてくれた人がいるから」
――独りじゃないなら。手を取り合ってくれる誰かがいるのならば。
にこりと微笑むアグルエが、ティルタニアに向かって言葉を続けた。
「そうやって歩き続ければ、またその手で誰かの手を取ることだってできる。その手をまた、誰かが――差し伸ばした手は、どんどんと繋がって、そうして紡いだ想いは、大きな道になるはずだから」
そうやって紡いできた、二人の旅路だ。
二人は頷き合う。二人の想いは、もうずっと一緒だった。
「だから、俺たちの創る道を、あなたには見守っていてほしい」
エリンスが右手を前に出せば、アグルエも左手を前に出した。
エリンスが右手に浮かべるは、胸のうちより溢れた勇者の力、白き破壊の炎。
アグルエが左手に浮かべるは、彼女の想いを形にする、黒き創造の炎。
世界に巡っていたはずの、二つの根源たる力。
「わたしたちの中にある『星の力』は、あなたに還します」
アグルエがそう言えば、ティルタニアはそれぞれに灯っている炎を見やって――「そうですか」とひと言だけ、静かに頷いた。
「それが、あなたたちの選択だと言うのですね」
それはすなわち、『神の座』を神へと還す――と、そういう意思の表れだ。
「あなたがもう一度信じてくれるというのなら、それが……歪んだ世界を正す、在るべき形ですよね」
「あぁ、俺たちには……帰らなければいけない場所があるから」
二人がそうこたえれば、ティルタニアは静か頷いた。
「……そうですね。帰るべき場所、ですか」
「あぁ、たとえ一度消えてしまったのだとしても……忘れられてしまったのだとしても……待ってくれている人たちがいるって、そう信じられるから」
エリンスがこたえればアグルエも頷いてくれた。
ただ、ティルタニアは表情を曇らせる。
「……しかし、ここは、世界の巡りの中であると同時に、世界からは隔離された場所です」
ティルタニアは厳しいことを言うような険しい表情を二人へ向けた。
「元の世界へ帰ることができる保証もない。たとえ、あの世界に帰ることができても、時間軸すらずれたこの場所からでは……あなたたちが望んだ『今』へ帰ることはできないかもしれない」
心配したようにするティルタニアに、だけど、エリンスとアグルエは顔を合わせて笑顔でこたえた。
「いいんだ」
「うん、大丈夫だって、そう思えるんです」
手を取り合いながら笑う二人に、ティルタニアは呆気にとられたように目を見開く。
「二人で一緒ならば、どこへだって行ける」
「エリンスがいてくれるなら、どこにだって進むことができる。だから帰ることだって……そう信じられる」
何の根拠もない言葉だったのだけれど――二人がそうやって頷き合い笑えば、ティルタニアは呆れたように、だけど、嬉しそうに微笑んだ。
「そう、ですか。世界が信じた、あなたたちだからこそ……」
何かを言いかけたティルタニアに、天を覆っていた七色の光が弾けた。
次第に大きな白い光となって、白い空間が崩れるように揺れはじめる。
ティルタニアは何かを察したように、浮かべていた天星剣へと手を伸ばした。
そうすると、エリンスの手の上から白き炎が光を帯びて、アグルエの手の上からは黒き炎が光を帯びて――まるで在るべき場所へ帰るように、二つの光は混ざり合い黒白の炎となって、ティルタニアが手にしている天星剣の元へと集まった。
「わかりました。あなたたちの選択を、わたしは『神』として、尊重いたします」
震える空間に、女神ティルタニアはそう言って微笑んだ。
眩しい光に包まれて、彼女の姿が溶けて消えていく。
「『神の座』の再生がはじまりました。世界は、元の巡りを取り戻すでしょう」
エリンスとアグルエは手を取り合ったまま頷き合った。
二人の姿もまた、溢れはじめる光に包まれて、薄れ、空間から消えていく。
「さようなら、勇者と魔王。あなたたちの進む道に、祝福があらんことを……」
薄れてゆく意識の中、最後まで、彼女は優しく微笑んでくれていた。
あのとき――力を返さずに、差し出されていた天星剣を手にして、そのまま二人で『神の座』へ就くという選択肢もあったのだろう。
だけど、二人は、前へ続く道を進む選択をした。
本当に、何の根拠もない言葉ではあったけれど――。
アグルエが言ってくれた通り、二人であればどこにだって、帰ることができる気がしていたから。




