反転する世界の最中
空間を蹴る。宙を飛び、その勢いのままにもう一歩を踏み出す。そうして加速し、エリンスは幻英への距離を一気に詰めた。
アグルエはその間にも、黒き炎の翼を広げ大きく飛び上がる。
翻るスカートに、風を切り滑空し、幻英のさらに上方へ、彼を追い越しその背中の向こうへ回った。
「何度やったって、無駄な足掻きでしかない」
しかし、幻英はそんな二人の動きにも動じた様子はない。
静かに首を振って辺りを見渡して、エリンスとアグルエの位置を掴んでいるようにしながら真っすぐと佇んでいる。
全身から感じられる気配が、先ほどよりも大きくなっていく。
黒と白、二つの炎の揺らぎが光となって溢れ出しているのだ。
近づけば近づくほどに、その気配の大きさに怯みそうにもなるが、エリンスは奥歯を噛み締めて、震える青白い刃を一閃振り抜いた。
刹那、幻英も刃でそれにこたえてくる。
だが、エリンスはそのまま幻英の横を駆け抜けた。
同時に、幻英の背後より迫るアグルエに、幻英は四枚の翼をはためかせて、切り返す刃で弾き返そうとしたのだろう。
だが、アグルエもまた、幻英の攻撃をふわりとかわすと翔け抜けて――エリンスとアグルエ、二人の振るった刃は交差する。
衝突し、共鳴する青白い光に――幻英は仮面の奥の目を見開いた。
「な、何をっ!」
――想い紡ぎ、願い星、煌めいて。
一筋流星のように走った輝きに、エリンスの手のうちで、アグルエの手のうちで、それぞれの剣が光の束となって合わさった。
激しく瞬く蒼い閃光に、二人も幻英もあまりの眩しさに目を閉じる。
飛び込んだ勢いをアグルエが抱えるように抑えてくれて、エリンスは蒼い光を掴むように手を伸ばした。
――こたえてくれた!
たしかな感覚を――その手に掴む。
治まっていく閃光の最中、幻英は仮面に左手をやると目元を押さえるようにしてから、右手に握った黒白の長剣、天星剣リューテモアを二人目掛けて振り抜いた。
エリンスは、光の中から解き放つように握ったそれを振り抜いてこたえる。
蒼い光は一点へ集中して治まった。
エリンスが手にしている、蒼白の輝きを放つ長剣の元に。
――軽い。
刃渡りは二メートルにも及ぶ巨大な剣だ。人が片手で扱うには、重すぎるものかとも思われたが、不思議とエリンスの手に馴染む感覚があった。
その想いをよく知っている。
いつも、エリンスのことを支えてくれた願星に他ならない。
――想いを紡いで、ひとつに!
エリンスは、両手で長剣の柄を握りなおすと、想いのままに、幻英の刃を弾き返す。
黒白の光に、蒼白の光でこたえて――数十メートル後方まで力任せに幻英のことを弾き返せば、彼は四枚の翼を広げることでようやく停止した。
「おまえらも、力を一つに」
驚いたようにこたえる幻英に、エリンスは両手でその剣を構えながら真っすぐと向きなおる。
その背中では、黒き炎の翼を大きく広げたアグルエが、まるで星へ願うように両手を合わせて祈りを送ってくれていた。
エリンスとアグルエ、二人の間を黒白に輝く光の糸が紡いでいる。
巡り流れ、相反するはずの二人の力は、一つとなって輝き放つ。
「ここは、大いなる巡りの中……巡り合う二つの力ならば、一つにだってできる」
エリンスが構える長剣の剣身は、蒼白に輝きながらもその芯を黒き透明の光が走っている。
対して、黒白の刃を携えて構えた幻英は、「ちっ」と舌打ちを鳴らして剣を構えなおした。
二つの剣は、同じような形をしている。
天星剣リューテモア、それと相反するというのなら――。
「希紡剣リューテラウ、未来紡ぎし、想いの剣だ!」
名乗りを上げて大きく踏み込むエリンスに、その背中には黒き炎の翼が広がった。
アグルエが願い、想い続けてくれる力を全身に浴びながら、広げた翼を打って、エリンスは幻英へ一気に距離を詰める。
幻英も一歩遅れるようにして、四枚の翼を打ってエリンスへ応戦した。
二つの大きな剣が衝突する。
世界の名を懸けた、二つの想いが交差する。
撃ち合い、弾き合い、しかし、一歩を踏み込み、互いに一撃を振るい続けた。
振るわれる刃にエリンスも刃でこたえて、幻英もまたそれにこたえる。
黒き粒子が、白き粒子が、蒼き光が、白き光が。
ぶつかる度に飛び散って、弾け、白き大いなる流れの中へと消えてゆく。
視線の交差に、踏み込む一歩。
前へ進めば、後ろへ引いて、だけど互いに一歩も譲らず、剣と剣で対話を果たす。
再び衝突し鍔迫り合いになる二人。
エリンスの中に流れてくる幻英の想い。
幻英の中に流れていくエリンスの想い。
交わす刃に、踏み込む一歩に、細めた眼差しに、握り込む拳に。
溢れ出す白き炎と黒き炎が混ざり、反発し、弾け、散って、消えてゆく。
エリンスが一閃振り抜けば、幻英は一歩後方へ飛ぶ。
だが、すかさず四枚の翼を打ってエリンスへと迫ってくる。
エリンスも、勢いをつけて宙を蹴って、剣を振り返した。
飛び散る火花に、魔素の粒子。
恨み嫉み、怒り。
守り救い、求める想い。
世界を壊す。
世界を救う。
二人の眼差しの間に散る火花も、散っては浮かび上がるように、溶けては消える。
切り返す刃に、互いに想いを乗せてもう一閃。
エリンスが踏み込めば、幻英も踏み込んできた。
上段の構えから振り下ろされる幻英のひと太刀。
エリンスは下段より振り抜く一閃で、それにこたえた。
激しく散った光の粒子。
勢いでは互いに、互角だった。
だが、最後の瞬間、ギリリとエリンスが噛み締めて、背中に感じる想いも乗せて一撃を振り抜けば――黒白に輝く一閃が、幻英の剣の勢いに勝って弾き返した。
大きくのけぞるように隙を作った幻英に、エリンスは剣を横に構えなおして、もう一歩を踏み込んだ。懐へ入り込んで、薙ぐように振り払った横一閃――「ぐああああぁぁぁ」と耳元をつんざいた咆哮にたしかな手ごたえを噛み締めて、切り払い、大きく飛び退く。
祈るように手を合わせていたアグルエが顔を上げる。
エリンスはアグルエの横まで飛び戻り、そして、振り抜いた長剣を手のうちでくるりと回して、もう一度構えなおす。
斬ったはずだった。
だが、幻英は苦しそうに腹を押さえて屈みながらも、顔だけを上げなおした。
「く、くそが……まだ、そのような力で……」
胴体を裂いた感触はあったのに、まだ息はあるらしい。
幻英の中から何か巨大な気配が流れ出すように、エリンスが斬った傷口からは白き光と禍々しい黒き光が粒子のようになって宙へと昇っていく。
「とっとと呑まれていれば、苦しまずに、死ねただろう。希望だ、未来だと……そんなものは、もう残されていないんだ」
静かに口を開く幻英の気配は大きなまま。傷を負ったというのに弱った気配すらない。
ごくりと緊張を呑み込むエリンスとアグルエに、幻英は言葉を続けた。
「勇者も、魔王も、希望も、未来も……潰えて滅びろ、終わる世界と共に!」
幻英の中から溢れ出していた光の束が大きくなる。
メラメラと燃える白き破壊の炎、禍々しくゆらゆらと広がる黒き創造の炎。
二つの光が、大いなる巡りの奔流と交わるように合わさって――再び、幻英へと向かって流れ出す。
そうしたときに、エリンスとアグルエは気づいたのだ。
この空間を流れている大きな気配は、世界そのもの。そして、幻英が内に抑えていたのは、『世界の全て』だ。
『神の座』に抑え込まれていたという、人々の邪念や瘴気までをも、幻英は呑み込んだ。
そうして力を、本当に一つに束ねた。
二つの炎が、黒き流れとなって渦巻いていく。全ては、闇に呑まれていくように――禍々しい漆黒の炎が灯り、燃え広がる。
黒き奔流の中から、そいつは姿を現した。
長く伸びた黒い髪は透き通るように燃えている。
目元を覆う白いマスカレードマスクは、まるで水晶のような煌めきを伴って、そいつの顔を覆い続けていた。
白い肌は人智を超えて神々しいほどまでに輝きを伴って、背中には六枚の黒白の翼が広がった。
すらりと伸びた腕の先には天星剣リューテモアを握り、上裸となった胸元では、その白い肌から浮かび上がるようにどす黒い魔素の結晶が渦巻いている。腰には彼が着ていた黒いローブが纏わりついて、下半身からはボトムの裾がのぞいていていた。
「俺こそが全ての根源、全てのはじまり、神アルファ」
アルファがグッと拳を握り締めれば空気の流れが歪んでゆく。周囲の魔素の流れすらも変わってしまう。
「くっ」と奥歯を噛み締めるエリンスに、アグルエもまた、目の前にした強大なモノを前に何もこたえられなかった。
二人には嫌になるほどにわかってしまうのだ。
――『神』。
全てを呑み込んだ彼のその姿は、そう呼ぶにふさわしいと、直感的に思い知らされる。
「力が、漲る」
仮面の奥から金色の瞳をのぞかせた幻英に、エリンスとアグルエの額を汗が一滴流れ落ちた。
アルファが手にしている長剣を振り上げる。
すると、周囲を流れている白き奔流が、彼の想いのままに集まるように流れを変えた。
にやりと笑うアルファは、動けないでいる二人に目掛けて鋒を向ける。白き奔流が、まるで二人のことを呑み込むように流れを変えて襲い来る。
一瞬、動きが遅れた。
すぐさま横へ飛ぶエリンスに、アグルエも一緒の方向へと避けようとするのだが、白き奔流も二人のことを追従して曲がった。
「ぐっ」
「きゃああ」
全身を通り抜けていくような白き光。
やはりそれ自体に痛みはない。だが、全身が流れに呑まれた瞬間、身体がバラバラになるような奇妙な感覚に襲われる。
頭の中がかき回される。内臓が全てごちゃごちゃに混ぜられるようだ。胸に込み上げてくる熱に、意識まで奪われそうになる気持ち悪さ。しかし、エリンスはすんでのところで口元を手で押さえると、流される眩しい光の中、必死に目を見開いて、彼女のこと探した。
数歩先、離れた位置に、漂うよう流されている胸元を押さえたアグルエのことを見つける。
一歩を前に、流れに呑まれないようにもう一歩を踏み出して、エリンスはアグルエへと手を伸ばし、彼女もまた薄っすらと開けた目をエリンスに向けて、手を伸ばしてくれる。
手と手を取り合って繋いだ想いに、「まだ大丈夫」、二人は確認し合うように頷き合った。
流れが治まっていく。
真っすぐと立ちなおした二人は、もう一度アルファへと向き合った。
「ほう、まだ消えないか」
「消える、もんか!」
エリンスは力いっぱいに宙を蹴って、アルファへ向かって飛び出した。
その背中にはやはり彼女の熱い想いが灯っていて――祈るアグルエに、エリンスの背では透き通る黒き炎が翼となって広がる。
加速、光速に乗って――構えた希紡剣に想いを乗せて、蒼白の刃はそれにこたえてくれた。
振り抜く一閃は、アルファが振るった天星剣と衝突する。
ぎりぎりと震える空気に、だが、エリンスも押し負けはしない。
「何度やったって同じだぞ、愚かな人の器よ」
アルファが目元に力を込める。
金色の眼光に怯みそうにもなるエリンスだが、もう一歩を踏ん張った。
「俺の絶望が、怒りが、世界を否定する!」
「否定させやしない。おまえにだって、手を差し伸べてくれる人がいたんだろうが!」
アルファが顔につけている白いマスカレードマスクに重なる、彼女の笑顔。
エリンスもそれを目の当たりにしたから。彼女の想いは、まだそこにあるから。
「造られた理由も、生きる意味も、たしかに与えられたものだったかも、しれないけれど!」
エリンスの言葉に、初めてアルファは眉をしかめるように寄せた。
「……所詮、彼女もまた、ただの犠牲者だ。全て歪んだ世界の上で、歪んでしまったモノであっただけだろう」
「違う……おまえは、それを知っているのに」
「うるさい。もう全て、終わったことよ!」
アルファが天星剣を握る腕にも力が入る。
押し返されそうになるエリンスだが、もう一度キリッと結んで、瞳を真っすぐと向けなおす。
「真っすぐ、歩いたんだろ! 勇者の軌跡を追って、彼女と一緒に!」
白いマスカレードマスクの奥、金色の瞳に迷いが浮かぶ。
「あの旅路を、おまえは『アルファ』として生きていた。そんな自分の想いまでを、否定しちゃあ、いけない!」
ぎりぎりと刃が押し返される。震える腕に、エリンスは力を込めて叫び返す。
だが、苛立ったように全身から禍々しいどす黒き炎を噴き出したアルファが、エリンスの刃をついには弾き返した。
距離を取る二人に、アグルエもまた真っすぐとアルファへ、不安に揺れる眼差しを向けている。
肩で息をするエリンス、俯き視線を隠したアルファ。
束の間の沈黙があって――しかし、アルファはもう一度真っすぐと顔を上げなおす。
金色の瞳は暗くただ冷たく、エリンスたちのことを見下ろすように細められた。
「もう、終わったことだ」
天星剣を握る手を振り上げるアルファに、エリンスもアグルエも身動きを取ることができなかった。
真っすぐと想いをぶつけても、もう届かない――。
力でも真っ向勝負を仕掛けたところで、こうしている間にもどんどんと膨らんでいく憎悪の黒き渦には届かない。
呆然としながらも息を整えた二人に、アルファは静かに魔法の詠唱をはじめた。
「全ては巡り、零へと還る運命よ。ちょうどいい、この力、余すことなくおまえたちにぶつけてくれる。無へ、消えよ!」
アルファの掲げた鋒に、どす黒く渦巻いた闇。
白き奔流が、黒き闇に呑まれていく。そして――溢れ、流れ出す黒き光の奔流に、エリンスたちは呑み込まれた。
アルファは静かなままに、振り上げた天星剣を振り下ろす。
流れる魔素が形を成していく。大きな波がまるで意志を持ったかのように渦巻きはじめた。
幻英はそうして――魔法の詠唱を果たした。
――「大いなる白流!」
白き光の波が、二人の視界を白く染め上げる。
まるで本当に大波に呑まれたように、二人は息をする余裕もなく、繋いだ手を離してしまう。
叩きつけられ、水の中を漂うような感覚に――本当に一人、ただ身一つで大海原へ投げ出されたような絶望だ。
――「神の嵐!」
吹き荒れる風が、全身を切り刻む。
白い波の中を漂い、成す術がないままに、本当に全身を切り刻まれているかのような痛みがエリンスを襲った。
声を上げることもできはしない。
言葉そのままに、今度こそ身体がバラバラになっていく。
伸ばした手が、目の前を飛んだ。
もう、彼女には届かない。
――「歪んだ崩壊!」
光の中を漂う二人の瞳からは、光が失われていく。
視界が歪んだ――。
ぐにゃりと曲がる世界の中では、もう彼女のことが見えもしない。
崩れる。音も、消えていく――。
俺は、誰だ。
なんで、こんなに痛い。
気持ちが、悪い。
彼女は、無事なのか。
意識までもが、バラバラになった。
――「無世界への回帰」
アルファの目の前を流れ続けた黒白の奔流が一点へと収縮しはじめた。
ゴゴゴゴゴと周囲の空気を震わせえ、渦を巻きはじめたその中心に、かすかな光を放つ、人であった二つの気配が流れ漂う。
アルファはただひとり、「呆気ない」と目を細め、消えゆく光を見つめていた。
大きな渦の中に全ての想いが呑み込まれ、消えていく。
光の粒子となった二人の姿は、もう、そこにない。この世界のどこにも――残ってなどいない。
治まっていく流れは、やがて元通り白き奔流――大いなる巡りとなって、周囲の流れに呑まれていった。
エリンスとアグルエという二人の存在は、アルファが放った黒き奔流と共に、そうして虚空の彼方へ消え去った。




