希望を紡いで、VS『神の器』イプシロン
希星と紡月、白と黒の炎が混ざり合う刃が交差する。
新たな剣を構えたエリンスとアグルエの前に立ち塞がる『神の器』イプシロンは、右手を振って空を掴んだ。
その手に収まるようにして、彼の手には真っ白な光が剣の形を象るようにして握られていた。
「もう一度……今度は、粉々に砕いてやるよ」
大きな白き光の翼を羽ばたかせ、宙を滑るように駆けたイプシロンが光の剣を振りかぶった。
すかさず一歩を踏み出したエリンスに、アグルエはイプシロンの横へ回るように地面を蹴る。
エリンスは新たな剣に想いを乗せて――その勢いのままに、クラウエルへ向かって振り抜いた。
バチバチと弾けた白き光の衝突に、空気までもが震え上がる。
イプシロンが手にした光の剣と、エリンスの希星の白刃が交差して――互いの中の勇者の力が混ざり合うように、だけど、エリンスの中から湧き上がる白き炎がそれを否定する。
「なっ」と声を漏らして飛び退くイプシロンに、エリンスも弾かれるようにして地面を滑った。
しかし、彼にもう猶予は与えない。
横へ回るように飛んだアグルエが、エリンスの隙を埋めるようにして、手にする紡月を振り抜く。
透き通った黒刃は――アグルエの想いを受けて、猛々しく燃え上がった。
「想炎一閃!」
イプシロンはすかさず巨大な左腕を振るって、アグルエの刃を弾く。だが、肉を断つ一撃に、怯んだようにもう一歩飛び退いた。
「防げない、だと!」
焦ったように両目を見開くイプシロンは驚きを隠せていない。
その鱗に包まれた巨大な左腕は、まるで魔竜の腕のようだ。引き締まった筋肉の動きには、その見た目の大きさ通りに、人を握り潰してしまえるだけの力があることもうかがえる。硬い鱗と頑丈な皮膚に覆われているのだろう。
しかし、アグルエの想いは、そのような硬さをものともしないように貫いている。
飛び散った鮮血に、しかし、アグルエも一度飛び退いて――今度はすかさず、エリンスがイプシロンへと距離を詰めた。
両手で握り込んだ希星に、胸のうちから溢れる白き炎を乗せる。
魔法を断ち、魔術を否定する――魔導霊断、ツキノの力、ツキノが教えてくれたその業を――想いに乗せて。
「断つ、おまえの、想いを!」
「くそが……人間風情が、いい気に、なるな!」
エリンスに反発して、イプシロンの全身からは白き光が溢れ出した。
破壊――壊す、全てを無に還す。溢れ出す『神の器』イプシロンの想いが、巨大な気配となって燃え上がるように大きくなる。
エリンスは一瞬、怯みそうにもなった。夢の中で見た影と情景が重なったのだ。
しかし、横で真剣な顔をして再び剣を構えるアグルエの顔を目にして、一層気を引き締めて――その破壊を否定し、イプシロンの想いも否定する。
振り下ろされる光の剣に、エリンスは手にする希星を振り返した。
「がっ!」
再びぶつかる白き刃と白き刃。
舌を噛んだように苦しそうな表情を見せたイプシロンに、エリンスも全身に降りかかるような重みをこらえ、真っすぐと彼の顔を睨みつけた。
金色の左眼に、翠色の右眼。鋭く細められたイプシロンの目元に、ぶちりと皺が走る。
「くそ、どうして……敵うはずが、ないだろうが!」
両手で剣を握ったエリンスに、右手で剣を振るったイプシロン。
剣と剣の衝突では、互角の勝負ができている。前回この場で対峙したときのように、イプシロンの白き光に呑まれもしない。
だがしかし、それでも彼が語った通り、完全なる『勇者の力』――世界を巡っている白き破壊の炎と同化している彼には、エリンスの力があと一歩及ばず、弾き返すことはできなかった。
イプシロンはそんなエリンスに生まれた一瞬の隙を突くように笑う。先ほどのアグルエの一撃で傷ついた大きな左腕を振り上げた。
迫る巨大な左腕がエリンスのことを鷲掴みにするように開かれる。
だが、エリンスは退かない。
「潰れろ!」
エリンス目掛けて迫る大きな鱗の手。だけど、エリンスはもう一歩を踏み締める。力を込めて握る剣に想いを乗せて、イプシロンの刃を押し続け、鍔迫り合いの構えを保つ。
「おまえだって、退くこともできないだろ」
単純に――人として、魔族としての身体能力の差も、そうして姿を変えたクラウエルには有利があることがエリンスもわかっていた。
だから、その分は――。
「はぁぁぁぁ!」
溜めた力を解放するように声を上げたアグルエは、エリンスの背後より飛び出して剣を振り上げた。
振り抜かれた紡月が、イプシロンの巨大な左腕を弾き返す。
瞬間――彼の剣を構える右手の力も弱まった。
その力の加減をエリンスは見逃さない。グッと一歩を踏み込んでイプシロンの懐まで入り込んだエリンスは、身体を回転させながら握る剣を振り抜いた。
「想刃一閃!」
――ぐあああああぁぁぁ!
一撃加えて飛び退くエリンスに、霊樹の間にはイプシロンの悲痛な叫びが木霊した。
彼の身体に横一文字に刻まれる真新しい傷跡。白く輝いている皮膚が裂かれ、血が溢れ出す。
「馬鹿な……白き炎の力だぞ……」
信じられないといったように飛び退いて傷口へ触れるイプシロンに、エリンスとアグルエは並んで剣を構えなおした。
「同じ、巡りの力だ」
「わたしたちの想いは、もう折れない」
二人の顔を見やるイプシロンは愕然としながらも、しかし、グッと巨大な左手を握り込む。
「壊れろ!」
再び地面を蹴るイプシロンが、巨大な拳を叩きつけるように振り上げた。
エリンスとアグルエは頷き合ってアイコンタクトを飛ばし合うと――アグルエが祈るように手を合わせた。
溢れる想いが透き通り煌めく黒き軌跡の光となって、エリンスへ降り注ぐ。
同時に、飛び出したエリンスの背中には、黒き炎で象られる翼が生えていた。ばさりと振るえば、風を切って想いを乗せて、エリンスも宙を翔ける。
「死ね、全部、壊れろ!」
白き閃光がイプシロンから溢れ出す。
勇者の力――元は人界を支えていた、白き光。
エリンスはグッと奥歯を噛み締めて、構えた剣でそれにこたえた。
「壊させない。もう、何も!」
強く、強く――その想いを否定した。
白き炎で包まれる蒼白の剣身が――希星が、エリンスの想いにこたえてくれる。
白と、白。
勇者の力と、勇者の力。
否定する想いと、破壊を望む想い。
友と、弟子。
見守られたモノと、縋ったモノ。
希望と、希望。
二人の想いの衝突に、激しい閃光が瞬き上がる。
祈るアグルエも、戦いを見守るマリーとレイナルも、目を閉じて――皆の想いを背負うエリンスは、それでも拳へ剣を合わせて、振り抜いた。
「くっ」とエリンスは全身に降りかかる衝撃を噛み殺し――「ぐっ」とイプシロンは悔しそうに悲痛な声を漏らして飛び退いた。
閃光が治まれば、再び距離を取った二人は肩で息を繰り返しながら視線を交差させる。
「どうして、このぼくの、力が……」
荒く息を吐きながら声を零したイプシロンに、エリンスも呼吸を整えようと「はぁ、はぁ」と息を吐き続ける。
「ありえない、『神の器』として、完成された力のはずなのに……ただの、軌跡を巡っただけの、人間の力に、負けるはずがない、だろう……」
キッと視線に力を込めたイプシロンに、エリンスは顔を上げてこたえた。
「一人では、辿りつけなかった」
「二人だから、こたえを見つけられた」
エリンスの背後では、祈りの姿勢を解いたアグルエが顔を上げ、続けてくれるる。
「二人ならやれるって、ツキノは教えてくれた。だから、俺たちは……あいつが信じた道を進み続けることができた」
たとえ、その彼女を失ってしまったのだとしても――。
「ただ独り、孤独の中で過去に縋ったあなたには、わからない」
アグルエの言葉に、クラウエルは「ぐっ」と息を呑み、しかし、怒りを荒げるように反論する。
「ぼくに、生きる意味を教えてくれたセンセイがいたのに……ぼくから、センセイを奪っておいて……世界が、そうしたというのなら、そんな世界、ぶっ壊れてしまえばいい」
「違うだろ! あいつは……そんなことを、おまえに教えたかったんじゃない!」
溢れ出した想いが、自然と言葉となって吐き出された。涙交じりに溢れたこの感情は――怒りだ。
「センセイはぼくに、魔法を教えてくれた。センセイはぼくに、道を教えてくれた。だからぼくは、センセイを、取り戻すって決めたんだ」
「まだ、わからないのか!」
エリンスが腕を振ってこたえれば、イプシロンは驚いたように目を見開く。
「……わからない?」
「たしかに、おまえの力はすごいよ。魔法だって、『神の器』……そうなってしまったことだって、幻英を起こすことができたのも、それは、おまえの中にあった想いが成したことだろ」
「ぼくの、力が……」
呆然としたままに右手に握る光の剣を見やったイプシロンに、エリンスは言葉を重ねる。
「それだけの想いを成せる力があることを、ツキノも知っていたんだ。俺には、わかる。ツキノは、クラウエル……弟子であるおまえにも、希望を見出していた」
――世界が本当に待っている『真の救済』。
きっと長い生の中で、ツキノは自分がもう長くもたないことも、その願いを果たせないことにも、気づいていたのだろう。
後継者を、自身の想いを継いでくれる弟子を――探していたのかもしれない。
クラウエルには、世界を救えるだけの力がある。そこに希望を見出して、きっと未来へ想いを託そうとしたのだろう。
だけど、彼はそこで歩みを止めた。失ったモノばかりを追うあまりに、過去へ、ツキノへ固執し、未来を見ることを止めてしまった。
エリンスにはそれが――どこか過去の自分を見つめているようにすら、影が重なってしまうのだ。進む道を誤れば――自分自身が、クラウエルのようになっていたのかもしれないと思えてしまうのだ。
「俺は、託されたから。旅をして……そんなはじまりの一歩の……手を引いてくれたのはあいつだったから」
アグルエも頷いてくれている。
エリンスの想いを受けて、アグルエは腰の鞘へと剣を納め、再び両手を祈るように手を合わせた。
「ツキノは、いつもそこにいてくれたけれど……彼女の想いは、そこになかった」
旅についてきてくれた小さな白き狐の後ろで――二人が歩む間もカミハラの森に、制約によって縛られていた彼女は一人、桃色の花が散る夜空を見上げていたのだろう。
その孤独に寄り添ってあげることはできた。だけど、彼女の想いに――こたえてあげることはできなかった。
「未来を紡ぐことだけを考えて……いつ死んでもいいとすら、きっと、覚悟を決めていた」
彼女が描いていた『真の救済』――そこに、自分自身の姿はなかったのだろう。
勇者候補生として旅立つ想いをエリンスへ託して――想い残したことはもうたった一つの〝心残り〟だけだった。
「俺は、あいつのことも助けたかった。父さんから契約を託されたとき、その重さを受け取ったとき、そう決めたはずなのに……俺が弱かったから、またツキノのことを頼ってしまった」
視界の隅には、小さな籠の中で横たわる白い狐の姿がある。
アグルエが祈るように瞳を閉じれば、アグルエの願いが届いたように――フラスコの中でぽやぽやと瞬いていた白き光が眩しく輝いた。
亡くしてしまった友を前に、エリンスは覚悟を口にする。
「だからもう、情けない姿は見せられない。ツキノの想いを汚し歪めようというのなら、俺はおまえのことを許さない。幻英の想いすら歪ませて、自分勝手な想いの果てに、世界を壊そうとする、おまえのことを許さない!」
イプシロンはそこまでのエリンスの言葉を噛み締めたように、グッと表情を歪ませた。
憎しみに染まる瞳に白き炎を灯らせて、ただ根深く、だけど真っすぐとエリンスへ向けられている。
「なんとでも、言えよ。ぼくは、『神』の腕となった」
イプシロンが鱗に包まれる巨大な左手をグググッと握り込めば、周囲の空気すら震わせる。
「新たな世界で、ぼくは、センセイと、生き続けるんだ!」
右手に構えた光の剣に、握り込まれた巨大な左手。白き炎を全身から噴き上がらせて、イプシロンはエリンスに向かって地面を蹴った。広げた白き光の翼を羽ばたかせ、握り込んだ拳は白き炎に包まれる。
エリンスも――手にした希星に想いを込めて、真っすぐと前へと向きなおった。その背後ではアグルエが祈るように手を合わせて想いを届けて力を貸してくれている。
エリンスは全身に彼女の想いまで受け取って、透き通る黒き炎の翼を羽ばたかせ地面を蹴って、迫るイプシロンへ突進した。
――『妾は、希望を託す。二人に未来を紡ぎ、この世界に訪れる真の救済を信じている』
瞬間――脳裏にはツキノの最期の言葉と、そのとき見せた彼女の優しい笑顔の裏にあった、寂しさが思い起こされた。
迫るイプシロンが光の剣を振り抜いた。
エリンスは希星を下から上へ振り抜き、その刃を否定し、弾き返す。
イプシロンの手を離れ、宙を舞う光の剣。だが、エリンスには巨大な白き炎の塊となった拳が迫る。
すかさず軸にした右足で踏み込むエリンスはくるりと身体を回転させ、イプシロンの突進の勢いをいなすと、拳に向かってそのまま剣を振り抜く。弾ける白い閃光に、しかし、エリンスは両手で握りなおす希星へ想いを込めてこたえ続けた。
一瞬、怯んだような顔を見せたイプシロンに、エリンスはすかさずもう一歩、左足を踏み出し、勢いを弾き返す。
体勢を崩したイプシロン、エリンスの勢いは背中で羽ばたいた黒き炎の翼が相殺してくれた。刹那、体勢を整え剣を構えなおすエリンスは、イプシロンの眼前に迫るように距離を詰め、上段に構えた白き炎に包まれた希星を振り下ろした。
轟く悲痛な叫びに、宙を舞う巨大な腕。
飛び散る光を浴びて、それでもなお、エリンスは白き炎で全てを否定するように剣を振り続けた。
後ろへ吹き飛ばされるイプシロンに、もう一歩を踏み込んだエリンスはその右手のうちで、握っていた希星をくるりと回して逆手に握りなおす。
姿勢を低く地面を蹴るエリンスは、吹き飛ばされたイプシロンへ追いつくとその背中を蹴り上げ、自身も飛び上がり、宙を蹴る。
――『瞬迅白月』
かつて彼女が華麗に宙を舞って見せてくれたように、エリンスは全身から噴き上がらせた想いを白き炎に乗せて、黒き炎の翼を羽ばたかせた。
宙へ蹴り上げたイプシロンの元へ再び迫ったエリンスは、その勢いのままに逆手に握っている希星でイプシロンを斬り裂く。
『神の器』と大層な名乗りを上げてそのようなモノへ至ったのだとしても、彼は『神』になったわけでもなかったのだろう。エリンスがすれ違う刹那、イプシロンは苦しそうな表情を見せて、口から真っ赤な血を吐き出した。
「――希月閃!」
剣刃踊ったエリンスは、勢いのままに地面を駆け抜け滑るように着地する。手のうちで回転させて握りなおした剣を鞘へと納めれば――その背後で、身体を真っ二つに斬り裂かれた『神の器』イプシロンが宙を舞った。