心配かけないで
分厚い灰色雲が空を覆い、雪山から流れてくる冷たい空気が吹き荒ぶ。街道沿いに並ぶ木の上からとけて緩くなった雪塊がどさりと落ちた。
二台の馬車を率いる四頭の馬に、周囲を警戒しながらつく護衛の騎士が三人。一行はゆっくりとした足取りで、国境の町ベルムトへと向けて進んだ。
道のりは順調だった。ここ最近降雪がなかったことが幸いした。町と町とを繋ぐ山間の街道には雪が積もっておらず、歩きやすい。プレシードの町を出て丘を下り、山間に続く細道を抜けて――途中、空き小屋を借りて一晩を過ごす。
エリンスとアグルエは未だ目を覚まさないバンドルとシルメリナのことを心配した。だが、ブエルハンスの話を聞いたところ、先に向かった先遣隊の報告を聞いてリィナーサが、受け入れの準備をしてくれているらしい。
未だ万全の体調でもないエノルのことは、アーキスが気を遣っていた。エノルは照れたように頬を赤くして顔を逸らしていたが、アーキスは思ったよりもお節介焼きだったようで、妹に接するかの如く甘い対応にエノルも困ったのだろう。
夜間の見張りもカンバルクの部下である騎士たちと交代でこなして、翌朝、再び候補生一行は歩みを進めた。
道沿いに積もる雪が目立たなくなってきて、ラーデスアから遠のいている実感も湧いてくる。天気が崩れないこと、魔物に遭遇しなかったこと、数々の好機に恵まれながらも、そうして、プレシードを発った翌日の夕方にはベルムトへと辿りついた。
国境の町ベルムト――ファーラス王国とラーデスア帝国のちょうど中心に位置する町だ。
至る所でラーデスア方面の豊富な雪どけ水が湧いており、自然と町の中心にある泉には人も集まる。また、ファーラス側の豊かな土壌にも恵まれており新鮮な野菜が市場では飛び交い、郊外にて放牧で育てられる畜産業も盛んだ。
新鮮な水と豊富な食品類に加えて、山で取れる岩塩もこの地の特産品。天候に恵まれる環境もあって、そんな町は『食の町』『料理の殿堂』などと謳われ、大勢の料理人やそれを目当てに訪れる旅人で溢れかえる場所である。
普段であればそういった空気で賑わう町のメインストリートも、慌ただしく行き来する協会職員や白銀の鎧を着込んだファーラス騎士団の人ら、積まれた資材などでごった返しとなっていた。旅人の姿はめっぽう見当たらず、黒の軌跡も閉鎖されているため、並の勇者候補生も今は立ち寄らないのだろう。
プレシードのように寂れているわけでもないが、肌を痺れるように駆ける非常時の空気感に、町に足を踏み入れたエリンスもアグルエも視線を揺すらせた。
そうして一行は、町の入口で出迎えてくれたリィナーサの使いと合流して、リィナーサが待つ勇者協会を目指した。
町の中心地には勇者協会があり、炎が灯る看板も他の町同様に目立ちはしていたのだが、その隣には『大食堂・レストランの殿堂』という看板が目立つ大きな建物があった。
まるで城のような造りに両開きの大きな木の扉が備え付けられており、アグルエも興味惹かれるように目を向けていたのだが、今は残念。固く閉ざされるようにしてその扉には鎖が巻き付けられて封鎖されている。
「ぐぅ」という音が遠からず聞こえたような気がしないでもなかったのだが、エリンスはしょぼくれるアグルエの腕を引く。
馬車を止めた一行に、集まってきた勇者協会の職員たちが手際よく事を運んだ。バンドルのことは病院へと運んでくれて、シルメリナはどうやら勇者協会の中に用意された特別治療室へと運んでくれるらしい。
静かに見守って、先に勇者協会へと入っていくカンバルクとブエルハンスに、エリンスもアーキスと顔を合わせて頷いた。エノルも心配そうに見つめていたが、アーキスとともに勇者協会へと入っていく。
エリンスとアグルエもその後に続いて勇者協会へと足を踏み入れた。
◇◇◇
勇者協会の中を三階まで上がり、エリンスたちはシルメリナのために用意されたという特別治療室へと通された。
グレーの絨毯が敷かれた床の上に大中小様々な配線と配管が交差する。天井よりだらりと垂れる配線に、部屋の至る所に配置された見慣れない魔導機器。ガスマスクのようなものがシルメリナの口に当てられて、その配線は機器と繋がっている。
シルメリナは苦しむような表情も見せず、安らかな目元だけを晒してベッドの上に仰向けで横たわっていた。
数人の職員とリィナーサが何やらシルメリナの顔色をうかがいながら相談を繰り返し、カンバルクもまた心配そうにその様子を口も出さずに眺めていた。
エリンスはその光景を見て以前、幻惑に堕ちたファーラス王国の玉座で見た光景を思い出す。
ここにあるものもまた古代魔導技術を改良して用意されたものなのだろう。シルメリナの魔力を外から調整するためのものだ。
「容体は?」
アーキスが聞くと、話を切り上げたリィナーサが返事をした。
「問題ないようよ。熱も下がってきているようだし、症状の緩和にはひと役買ってくれている。時機に目を覚ますでしょう」
急ピッチで用意したらしい機器を眺めるリィナーサの目元にはくまが目立つ。もう、随分と眠っていないのかもしれない。
トレードマークである赤いつばの広い魔女帽子は被っておらず、乱れた赤茶色の長髪からは手入れもされていない様子がうかがえる。皴だらけとなった朱色のローブを羽織り、スラッとした体型に似合う白を基調としたパンツスーツ姿で決めるリィナーサも、以前ファーラスで会ったときに比べて弱々しく見えた。
だけれどハキハキとした声でアーキスにこたえて、続けざまにエリンスにも目を向けた。その瞳も目元のくま同様、どんよりと澱んでいるような疲れを残すイメージではあったが、彼女はニコッと笑う。
「あなたたちの活躍も先遣隊から聞いている。ファーラスに続いて……また、頼りにしているわ」
ポンッと白い手袋をはめた手を肩に乗せられて、エリンスとアグルエは顔を見合わせて力強く頷いた。
それを見て満足そうに頷いたリィナーサは、再び機器の操作を忙しなく続けている職員のほうへと寄っていった。
エリンスとしては、そんなリィナーサの表情にも胸を締め付けられるものを感じてしまったのだが、シルメリナの安全が確保できたことを確認したところで、一度部屋を後にした。
アーキスとエノルとカンバルクはそのまま部屋に残るようで、部屋を出て後ろ手にドアを閉めたところでエリンスとアグルエは「ふぅ」とひと息吐くことができた。
そのまま階下へ向かい、勇者協会ロビーへと戻ってきたところで、エリンスとアグルエの姿を探したようにしてキョロキョロとしていた二人組が駆け寄ってくる。
揺れる青い髪の少女がアグルエに飛びつくように抱きついて、柔らかく笑うピンク髪の少女が後から追いつくようにしてエリンスの前に立つ。
「わっ」と、突然のことに驚いた表情をしながらもしっかりと受け止めたアグルエに、顔を上げた青髪の少女は口を尖らせた。
「全く、心配させないで!」
青髪の少女――マリネッタはアグルエから離れると凛と言い放った。
「無事で、よかった」
ピンク髪の少女――メイルムも疲れた表情をしていたが、柔らかく微笑んでくれた。
アグルエは二人に会えたことを喜んだようにしてはしゃいでいたが、エリンスは気まずさを感じて顔を逸らし、「でも……」と言い訳がましく返事をしてしまった。
「悪い。けど、ほら、『約束』したから。必ず合流するって」
エリンスは心の底から『必ずそうする』と信じていた。だけど、その言いようが余計にマリネッタを煽ったらしい。
「にしてもねぇ! 一早く連絡しようとか思わなかったわけ?」
怒ったように口を尖らせ腕を組みそっぽを向くマリネッタに、エリンスとアグルエは顔を見合わせて笑ってしまった。
勇者協会に頼めば、手紙の一つでも書いて届けてもらえたかもしれない。しかし、最前線の緊迫した状況下にいたエリンスとアグルエからはすっかりそういったことが抜けてしまっていた。
マリネッタとメイルムは先遣隊の報告からエリンスたちが一緒にいることを聞いたのだろう。そうして駆けつけてくれたようで、約束は無事果たされはしたのだが……。エリンスもアグルエも、マリネッタとメイルムの気持ちを考える余裕がなかったことにたった今、気がついた。
「ごめんなさい。でも、黒の軌跡も見てきたんだよ」
アグルエがそう言うと、マリネッタとメイルムは「聞いた」「聞きました」と同時にこたえた。
腕を組んで顔を逸らし続けるマリネッタを見兼ねて、アグルエはその頭を撫でながらもう一度、「ごめん」と謝り柔らかく笑う。
そうされたマリネッタは頬を少し赤く染めると、「全く……」とやっかみながらも「はぁ」と安心したように大きなため息を吐いた。
「マリネッタなんて、食事もまともに喉を通らないほど心配してたんだよ」
「メイルム、余計なこと、言わないで!」
メイルムが笑いながら言うものだから、マリネッタは再び怒ったようにして腕を組んでしまった。すっかり息の合っている二人に、エリンスとアグルエは顔を見合わせて笑う。
あれから何があったのか――それから四人は勇者協会のロビーに併設される酒場にて、食卓を囲みながら話をすることにした。
テーブルの上に並ぶステーキにサラダ、魚料理、色取り取りの料理にアグルエは目を輝かせてフォークとナイフを進め、エリンスもステーキを一切れ口に運びながら話をした。思えば、まともな食事も久々な気がする。プレシードでは贅沢を言ってはいられなかったから。
あれから――エムレマイルを斬って、遭難しかけて、そんな最前線の町プレシードに滞在したこと。そこでアーキスと再会したこと。黒の軌跡の調査に向かったこと。覇道五刃――帝国を襲った魔族軍の頂点に君臨する第一刃と遭遇したこと。これから決めたことや覚えた想いなどを、エリンスとアグルエはマリネッタたちへと話した。
対してマリネッタとメイルムは、エムレマイルから一早く逃げて、順調にベルムトへと到着したらしい。魔竜も無事で、今も近くの森の中に待機してくれているようだ。二人はというと、最前線でエリンスたちが行ったように、ベルムトでの勇者協会の救援活動を手伝って待ってくれていたらしい。どうやら最前線の町と変わらず、ベルムトでも人手は足りていないようだ。
「にしてもやっぱり連絡の一つくらいあってもよかったじゃない」
フォークとナイフをテーブルに置き、布巾で口元を拭ったマリネッタがジトッとした目付きでエリンスのことを見つめる。
「まあまあ、最前線も大変で、それどころじゃなかったんだよね?」
マリネッタの横に座るメイルムが助け舟を出すように、エリンスへと微笑みかけた。
エリンスとアグルエは、すっかりそういったことが抜けていたとも言い出せず、「あぁ、まあ」と泳ぐ視線でこたえる。
「でも五日も経っていたら、さすがに心配する気持ちもわかってね」
諭すように続けたメイルムに、エリンスもアグルエも視線を落として「はい……」と返事をするしかなかった。
「もう、あれから五日も経っているのか……」
顔を上げたエリンスは改めて考えてしまった。
プレシードから黒の軌跡への移動にも、プレシードからベルムトへの移動にも、時間を使ってしまったところだ。
こうしている間にも刻一刻と、帝国の状況は変わっているのだろうし、幻英の企みも進行しているのだろう。
「うん、そろそろ魔導船も港につくころじゃないかしら」
エリンスにこたえて頷いたマリネッタに、エリンスも忘れてはならないことを思い返す。
後から追ってくるレイナルやディムルたち傭兵団のこと――たしかに魔導船がこちら側、ミルレリア大陸に到着していてもおかしくない頃合いだ。
「リィナーサさんにはわたしたちのこと、話してあるよ」
フォークを置いて口元を拭ったメイルムに、マリネッタも頷いて続けた。
「えぇ、ディムルさんたち傭兵団が力を貸してくれるってこともね」
話が早くて助かるところだ。
「なら、魔導船が到着したこととか、何か連絡が入ってもおかしくないな」
エリンスがそう口にしたところで、横でアグルエも頷きこたえた。
「うん、そうだね。さっきはちゃんと話もできなかったし」
シルメリナの容体の心配が優先されたからだ。
エリンスとしても、リィナーサには一度ちゃんと事情を話しておきたいと考えていたところで――と、そんなことを思い食事も一段落し終えたタイミングで、階段を駆け下りる職員がエリンスたちの下へと走って寄ってきた。
「よかった、こちらにまだいらっしゃったんですね。勇者候補生様方をリィナーサさんがお探しです!」
額から流れた汗を拭う職員の女性が顔を上げたところで、マリネッタが席を立つ。
「ちょうど、いいタイミングね」
エリンスとアグルエも同意するように頷いて、四人の候補生たちはそのまま勇者協会の階上にある、リィナーサの執務室となっている一室へと向かった。




