報告と出発
エリンスが眩しい光に目を閉じ、続けて目を開けたときには、辺りの空気が一変していた。
並び立つ石の柱に瓦礫の山、見覚えのある光景が広がっていた。重苦しい黒い空も、不気味にどこまでも続いた白い床も消えている。常に死が隣り合うような緊張感も消えた。
雪が薄く残る石畳に膝をつきながら、「はぁ、はぁ」と息を荒く吐く友の横顔を見て、エリンスは自然と笑みを浮かべていた。彼もまた、エリンスのそんな視線に気づくと親指を立てて目を細めて笑ってくれる。
勇者候補生ランク第1位、天剣のアーキス――その冠する名に紛うことなき力を発揮して、二人の勇者候補生は迫る脅威を退けて、見事生き延びた。
だが、「ぐっ」と苦しそうな呻き声を上げたアーキスは、脇腹を押さえて表情を歪ませる。
「アーキス!」
名を呼んで立ち上がろうとするエリンスだったが、上手く足に力が入らないのか、左ふくらはぎに走った傷の痛みに驚き、尻餅をついた。
戦いの中では忘れていたが、斬られたことに代わりはない。
「二人とも、無事か!」
呆然と二人のことを見やっていたアグルエの肩の上より顔を出したツキノが、雪の上に跳び下りてエリンスへと駆け寄った。
アグルエも咄嗟に駆け寄ってきて、エリンスとアーキスのことをそれぞれ見やり、目の色を変える。
「二人とも傷が!」
アグルエは目をつむり胸に手を当てる。すると、透き通る宝石のような黒き炎の光が周囲に溢れ出し、エリンスとアーキスのことを包み込んだ。
身体の芯より温かくなるような光に、エリンスもアーキスも表情が緩み、傷を押さえた手より力も抜けていく。アグルエが持つ優しさに包まれるようで、同時に、エリンスとアーキスの身体に残った傷が癒えていく。
黒き炎がアグルエの胸のうちへと戻り温もりが消えて、アグルエはアーキスへと手を差し伸ばした。アーキスが手を掴むとアグルエは手を引いて立ち上がる手助けをした。
「ありがとう、アグルエ」
アーキスがこたえたところでにこやかに柔らかく笑うアグルエは、続けてエリンスのほうへと駆け寄ってきて肩を貸してくれた。
肩を支えられながら立ち上がるエリンスだったが、アーキスの右腕が目に入る。籠手は黒焦げ、その下に着ていた服の生地も焼けてしまい、腕は火傷したように赤くなっている。
――捨て身の攻撃だった。天剣の力を無理矢理引き出すために。
エリンスがそう見込んだ通り、アーキスは無茶をしたのだろう。だけど、エリンスの視線に気づいたらしいアーキスは痛むだろうに手を払って笑う。
――アーキスも、本気を出して戦えたわけではない……。
エリンスにも察することができる部分は残ったが、ひとまずザージアズを退けることはできたのだ。
アグルエの力のおかげですっかり傷も癒えて、エリンスは横に並ぶ彼女のほうへと顔を向けた。
「……アグルエ、助かった」
「ううん、無事でよかった」
アグルエは蒼い瞳に涙を浮かべながらも笑ってくれた。それがどうしようもなく温かくて、エリンスも自然に微笑む。
「あやつは、どうした」
だが、警戒したように膨らんだ尻尾を立て続けていたのはツキノだった。気配も感じないザージアズのことだ。気は抜けなかったのだろう。
エリンスとアーキスの顔をそれぞれ見やるツキノに、エリンスは散らばる砕けた水晶玉の破片を見つめて首を横に振る。アーキスも「……逃げられました」と、悔むような顔をしてこたえた。
「一矢は報いたか……」
二人の様子を見て悟るところがあったのだろう、ツキノはアグルエの肩の上にぴょんと舞い戻ると、安心したように尻尾を振って息を吐いた。
ただ、エリンスとしてはそうとも考えられない。「いや……」と思わず言葉を零して、アーキスと目が合い、彼も頷いた。
「あいつも、全然本気を出してはいなかった」
アーキスがそう零す。
戦いを楽しむようにして、最後に残していったセリフも気にかかるところだ。
アーキスがあの空間で本気を出せたわけではないのと同様に、ザージアズもまた全力を持って剣を振ってはいなかった。あの空間には、ザージアズの力をも制限する何かがあったのかもしれない。
『伽藍の檻』――エリンスは割れた水晶玉を見つめていた。
「古代魔導技術、か」
「あいつは気になることもいくつか口にしていた。その辺りの情報も整理しておいたほうがいいだろうな」
アーキスも神妙な顔でエリンスと同じように水晶玉の破片を眺めて頷く。
「あぁ」と頷いたエリンスに、アグルエもまた真剣な顔で頷いた。
それに結局、メルトシスの行方を聞くことはできなかった。
一体彼の身に何があったのか――エリンスとしては、ザージアズの言葉をそのまま鵜呑みにはできないところだろうし、今はただ、無事を祈ることしかできない。
その後――アーキスがアグルエとツキノとブエルハンスに、中での戦いのこと、ザージアズが口走ったことを共有するように話をした。
話をしたところで、ブエルハンスもアグルエも考え込むように俯いていたが、ツキノは「ふむ」と声を零して顔を上げる。
「マーキナスに、『ミカ』か。それに伽藍の檻、のう」
砕けた水晶玉の破片はブエルハンスが集めて荷物の中にしまってくれた。一応ザージアズが残していった手掛かりだ。
「あいつの口振りからして、魔族の名だとは思う」
エリンスがこたえると、ツキノも「うむ」と返事をしてくれた。
「じゃろうな。マーキナスは聞いた覚えもない名じゃが、ミカ……のう」
ツキノが何か思い出すような顔をした。
「知っている名なのか?」
「いや、まさかとは思うがの。嫌な顔が過った」
知っている名だったのだろう、ツキノのそういった予感はだいたい当たる。だけど、ツキノは特別それ以上何かを言おうとはしなかった。
それ以上聞くこともできない雰囲気に、エリンスがアグルエへと目を向けると、彼女は首を横に振る。アグルエは知らないらしい。
それぞれが黙り込んで考えるように俯いてしまったために、獣の声も風の音も聞こえない遺骸の森はシーンと静まり返った。妙な沈黙に黙っていられなくなったのはアグルエだった。
「二人の傷のこともあるし、ブエルハンスさんの腕も……」
ここでこうして顔を合わせて考えていても、こたえがわかることでもないだろう。ブエルハンスが感覚の戻らない右腕を左手で支えるようにしているのを見て、アグルエも心配そうな顔をしていた。
エリンスとアーキスも頷いて、ブエルハンスが背負っていた荷物を二人で分けて背負った。
「かたじけない」と口にするブエルハンスに、エリンスもアーキスも力強く頷く。
それぞれが顔色を確認するように見やって、ひとまずプレシードへと戻ることを決める。
「そうですね。目的は完了しています。一度、帰りましょう」
ブエルハンスの言葉を合図にして、一行は帰路へとついた。
◇◇◇
四人は来た道を一日かけて戻った。なんとか無事プレシードへと帰ったところで一度解散し、それぞれが簡単な治療を受けた。その後、エリンスとアーキスはカンバルクに呼び出され、アグルエはシルメリナたちの容体を診るために宿屋へ向かうことになった。
カンバルクの執務室には、エリンスとアーキスの二人の勇者候補生に加えて、首から提げるように巻かれた包帯で右腕を支えるブエルハンスの姿もある。
ブエルハンスが代表して、簡単に今回の調査の報告をする。それを聞いたカンバルクは深く頷きながら顔を上げた。
「――そうか、黒の軌跡は崩落し、埋まってしまっていたか」
「はい、復旧には時間も必要でしょう」
人手もいる話だ。魔族の支配域になっている現在のラーデスアでは難しい話になるだろう。
「先遣隊の他の二人には先にベルムトへ戻るよう伝えて、リィナーサさんに報告を頼んであります」
ブエルハンスの報告を聞いて、カンバルクも考えるように顎に手を当てる。そして、ブエルハンスの右腕へと目を向けた。
「……おまえさんもその右腕は、痛手だろう」
自身もボロボロであるカンバルクだったが、その思いやるような表情に、ブエルハンスは困り笑いを浮かべてこたえた。
「ははは、もう剣は握れませんね」
アグルエが咄嗟に回復魔法で切断面を繋ぎ合わせた傷だったが、プレシードへと戻ってきて治療は受けても神経までは元に戻らなかったらしい。
エリンスもアーキスも何も言うことができず、カンバルクもまた同情するように目を伏せてこたえた。
「……協力、感謝する」
「いえ、まあ、これも仕事ですから」
ただブエルハンスは冷静な様子で、特段感覚を失った右腕を気にするような素振りは見せず、言葉を続けた。
「それよりもこれからのことを決めないといけません」
力強く断言するブエルハンスに、カンバルクも顔を上げる。
「俺は、任務通り一度ベルムトへ戻ります」
まず返事をしたアーキスに、エリンスも同意して「俺も」と頷いた。
エリンスもアーキスに同行して、ベルムトへと向かう予定だ。黒の軌跡の現状は確認できた。レイナルと決めた目標は果たしている。一度マリネッタたちと合流もしたい。
「一つ提案なのですが、カンバルク団長代理殿」
ブエルハンスがアーキスの言葉に頷いて申し出ると、カンバルクはそう呼ばれることがむず痒そうな顔をして、しぶしぶ「なんだ」とこたえた。
「皇女様のことは勇者協会も報告を受けています。このままこの町に滞在させるのも、厳しいでしょう」
シルメリナの容体のこともある。一行がプレシードへと戻ってきたところで、シルメリナには再び魔力過剰の兆候が見られたらしい。今もアグルエが簡単な処置を施すために宿屋へと向かったわけだが、毎回アグルエが傍に寄り添うわけにもいかない。物資も乏しい最前線の町では、滞在させるだけでリスクも伴う。
「そうだな。ベルムトへ行けば、ここよりはまともな環境を用意することもできる……」
考えるよう口にするカンバルクだったが、ブエルハンスは力強く言葉を重ねる。
「一度、カンバルク殿もベルムトへ同行してはいただけませんか」
真っすぐとした目を向けるブエルハンスに、カンバルクは怯んだように一瞬視線を逸らす。だが、再び意志を宿すようにして目を向けなおしこたえた。
「俺は、だな。この町を……」
――護り通す。
エリンスにもカンバルクが言いたいことは伝わった。だが、それに続けて言葉を返したのはアーキスだった。
「多分、やつらの狙いは他にある。俺が手合わせしたあの魔族は、言ったんです」
――『待っているぞ、アーキス。帝国本土に、おまえら勇者候補生が乗り込んでくるのを、楽しみによぉ!』
アーキスはザージアズが口にしたという言葉をその場にいる全員に伝えた。
閃光に包まれたあの瞬間、エリンスの耳には届かなかった声だが、ザージアズはそのように捨て台詞を吐いて姿を消したらしい。
「そう言ってやつは逃げていった。どうも俺にはそれが、嘘や意図を包み隠して発した言葉には思えなかった」
直接剣と剣を合わせて戦ったアーキスにはあの最後の瞬間、エリンスより見えたものが多かったのだろう。
「やつらは、すぐに動く気もない。俺は一度ベルムトへ戻りますが、その後きっと、勇者協会も……リィナーサさんが、手を打つはずだ」
闘志を燃やすようにするアーキスに、ブエルハンスも頷いて言葉を続けた。
「えぇ、きっと協会もそう判断をする。エリンスくんたちが幹部を一人討ち取っているとも聞いています。手を打つなら、彼女がこの機を逃すはずもない」
リィナーサのことを信用するようなブエルハンスの言葉に、エリンスも力強く頷いた。
「『このままでは終わらせない』。俺も、リィナーサさんや勇者協会のその言葉を信じたい」
――たとえ勇者協会が、『此の世』に真実を隠していても。
エリンスの意志は揺るがなかった。
熱意がこもった勇者候補生たちの視線を受けて、考えるようにして話を聞いていたカンバルクは、煩わしそうにしながらも手を振って返事をした。
「あーもう、わかったわかった。シルメリナ皇女殿下のこともある。俺も同行しよう」
そうして――方針は決まった。
エリンスたちも宿屋へと戻り、一晩を過ごし身体を休めた。
そして迎えた翌日、プレシードの町の入口で顔を合わせる候補生たちは体調も準備も万全に、国境の町ベルムトを目指すことになった。
エリンスにアグルエ、アーキスにエノル。
ブエルハンスに、カンバルクに護衛の騎士が数人。雪道を走るための馬車には、未だ目を覚まさないバンドルとシルメリナの姿もある。
エリンスとアグルエも顔を合わせて頷き合い、あれから――上空で別れてから一向に、マリネッタたちとは連絡も取れず仕舞いだったことを思い出した。




