巫女の一族
メイルムがそのような事情で『聖女』になった。だとしてもエリンスとしては、どういうことだ、と気にかかるところがある。
「魔竜と言葉を交わせるって、どうしてだ?」
アグルエだけが特別だとも思わないところだが、エリンスに魔竜の声は聞こえない。アグルエの肩の上から顔を出すツキノも首を横に振る。そうなのだ、ツキノにすら聞こえないことなのだ。
エリンスがそう口にした疑問には、ツキノもメイルムもディムルもマリネッタも当然こたえられない。ただ、穏やかな目をした魔竜は顔を上げ、空を見上げると、アグルエと目を合わせるようにして頷いた。
「『それについては、わたしの知ることを話しましょう』……?」
アグルエは戸惑いながらも魔竜の言葉を通訳してくれた。
「『かつて、聖域に住まっていた巫女の一族と呼ばれる者たちは、この世界を巡る魔素の意思を伝える宿命を背負うものたちだったのです』」
この世界を巡る魔素――それはつまり、白き炎と黒き炎を分かち合って世界を創った神、ということだ。
「『長い人類の繁栄の中で数を減らした巫女の一族は、聖域に隠れ住んでいました。そうして、世界の巡りを司る魔竜の意思を伝える役目を負っていたのです』」
人界と魔界、巡廻地を通して、世界を巡る魔素の流れ。
魔物は世界の魔素の巡りを担う獣。その頂点に君臨し管理するのが、魔竜。
その意思を伝えるという事はすなわち、巫女の一族もこの世界を管理する役目を背負っていたのだろう。
「『しかし、五年前、聖域にあった一族の里は滅ぼされてしまった。仮面の男の手によって』」
五年前に現れた仮面の男――それはまさしく今、世界を騒がせている幻英だ。
魔竜が語る言葉を聞いてマリネッタも察したのだろう、目を見開いた。
「ここでも幻英が……?」
エリンスが霊峰を登った際にも、魔竜はその話をしていた。
幻英が一族を滅ぼした目的――魔竜が邪魔で、その声を聞くことができた『巫女の一族』が邪魔だったということなのだろうか。どうにもわからないところではあるが。
「どうしてその話がまた……」
疑問を口にするエリンスに、魔竜は言葉を続けた。
「『巫女の一族は滅びていなかったのです。数を減らした中で、聖域に暮らしていた者たちから離れた者がいた。その血筋は途絶えることはなく、独立した者たちもいたのです』」
それが、メイルムが魔竜の言葉を聞くことができる理由――。
魔竜の話通りであるならば、メイルムは『巫女の一族』の血筋を引いているということだろう。
「わたし、ルスプンテルの出身なんです」
エリンスが考えていると、メイルムがそう続けた。
勇者洗礼の儀の前、サークリア大聖堂でメイルムと初めて知り合ったときにもそう言っていたことをエリンスは覚えている。
「厳密に言うと、ルスプンテルのそばにあるバレーズって村なんです」
エリンスとアグルエが顔を見合わせた中、「聞いたことないわね」とこたえたのはマリネッタだった。
地図にない村。エリンスとアグルエは、立ち寄った村にいたおじいさんとまだ小さな少女の顔を思い出す。星刻の谷と語られた、その場所が――。
「うん、地図には記されない小さな村だったから……。それには、わけがあったんです。バレーズは、『巫女の一族』からはぐれた生き残りが作った村だったんです」
静かにこたえたメイルムに、エリンスとアグルエは顔を見合わせたまま同時に声を上げた。
「バレスロンじいさんたちは!」
「それじゃあレミィちゃんは……」
聖域に住んでいた『巫女の一族』の血を引いていたということになる。
「え? バレスロンおじさんを知っているの?」
メイルムは声を上げた二人に驚くようにして、口元を手で押さえた。
勇者候補生嫌いのおじいさん。魔物が出ないはずの巡廻地の中で魔物に襲われて、エリンスとアグルエが二人がかりで初めて救った少女。地図にない村で暮らしていた二人のことを、エリンスもアグルエも忘れるはずがない。あの不思議な谷で、二人が旅をはじめて、初めて目にした真実を――。
「わたしたちは、ミースクリアを出て、バレーズに寄ったの! バレスロンさんにもお世話になって!」
胸に手を当ててこたえたアグルエに、メイルムは納得したように頷いた。
「そ、そうだったんだ……あっちを回る勇者候補生なんてほとんどいないから」
「デムミスア山脈を越えて近道をしたの? にしても、そんな村があるなんて、わたしは聞いたこともなかった」
マリネッタは戸惑ったようにして言う。
エリンスとしては納得できるところがある。『星刻の谷』――あの地で見たことを考えるのならば。それこそが――勇者協会に秘匿された理由だ。
「魔竜の声が聞こえるのも、それが関係あるのか?」
エリンスが顔を上げて魔竜へ問うと、彼女は大きな顎を振るようにして静かに頷いてくれた。肯定の意味だろう。
「巫女の一族……星刻の谷をバレスロンさんが離れられなかった意味も……」
アグルエも考えるように俯いて呟いていた。
きっと、無関係ではないのだ。巡廻地を守る使命。勇者と魔王の約束が記された石碑を守っていた理由。あの地にはそれだけではない、何か大きな秘密がある気はずっとしていた。
よくわからなさそうな顔をしていたマリネッタには、後で事情を説明する必要があるだろう。同盟を組んで共に幻英を追うとなれば、一蓮托生。もう事情を隠しておく必要もない。そんなエリンスの視線を察してくれたのか、マリネッタも小さく頷いた。
「ふむ」とそこで、ずっと話を黙って聞いてくれていたディムルが頷く。
「積もる話も、これからの話もあるところだろうな。メイルム、一度町に戻ってきてはどうだ?」
それぞれの顔を見やって続けるディムルに、メイルムも悩むようにする。
「え? でも、わたしが戻ったら大騒ぎに……」
聖女として持て囃される彼女の存在は、今やタンタラカにとって一介の勇者候補生というわけにもいかないのだろう。
「ほらよ」
ディムルはそう言いながら軽鎧の上から羽織っていたコートをメイルムにかけた。
黒っぽいもの、それは町の人らが思い描く聖女からは程遠い。それこそ深くフードを被ってピンク色の髪を隠してしまえば、一見してメイルムだとはわからないだろう。
「バートランの酒場は人払いをしてある。それに、これからのことを話すのに、きみの存在も欠かせない」
どこか遠くを見るように一度空を見上げたディムルは、そのまま視線を動かして魔竜を見上げていた。魔竜も静かに頷いてくれる。
「わかりました」
バートランの酒場を出るときにしていた話を考えると、ディムルは先の先まで読んでいるようだった。何か考えがあるらしい。
エリンスとしてはまだまだ話が見えないところではあるが、今は彼女に任せておくのがいいと思って頷いた。
そうして一行は、聖女となった心優しき勇者候補生を連れて、山を下って町へと戻った。
◇◇◇
傭兵に四人の勇者候補生。町へと戻ってきたところで、ぞろぞろと人通りの多い表通りを歩けば少々目立つことだろう。メイルムの正体を隠す必要もあったため、ディムルの案内で町の裏通りを抜けて、少し遠回りをしながらもバートランの酒場へと向かった。
その店先では、少し長めの黒髪を後ろで結う男が、未だ『準備中』の札がかかる戸に背を預けて立ち尽くしていた。聡明そうなヘーゼル色の瞳を曇らせ悩むようにしながらも、近づいたエリンスら一行に気づくなり顔を上げる。
「遅かったな」
そう先に声を発したのは、港で海運商会に掛け合ってくれていたエリンスの父、レイナルだ。
「父さん」
レイナルはぞろぞろと連れ歩く一行の顔を見て、何かがあったことくらい察したらしい。「ふむ」とひと言、顎に手を当てて頷いた。
「話はかねがね。あたしは、この町が生き甲斐の傭兵、ディムル・オーンズバン。よろしく」
先頭に立つディムルは、柔らかい笑顔を浮かべながら手を差し出す。
「……あぁ、こちらこそ。息子を度々助けてもらって、感謝する。エリンスの父、レイナル・アークイルだ」
対してレイナルも笑顔でこたえると、その手を取って握手を交わす。
「積もる話もたくさんあるってことで、こうしてその場を用意させてもらったんだ」
レイナルからも聞きたい話はある。だけれど、それも順を追って、だ。ディムルの言葉で察したらしいレイナルも頷くと、一行はそのまま店の扉を開けて中へと入った。




