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聖女と魔竜


 連れられて店を出た三人は、町の出口へと向かうディムルの背を追って歩いた。

 町を出た先は霊峰へと続く山道だ。ひと月前は白い雪も目立っていたが、すっかりとけだした時期なのだろう。新芽が土の下から顔を出し、緑の葉たちが太陽光を吸い込むようにして広がっている。

 季節の変化を感じているとより一層懐かしくもなってくるところだが、エリンスの頭の中を支配するのは疑問だけだった。

 横に並ぶアグルエとマリネッタも、やはり話がよくわかっていないような顔をしている。


「全然、話が読めないんだけど」


 エリンスが駆け足気味に追いかけディムルの横へと並んだところで、彼女は「ん?」とその顔を一瞥した。


「会うのが早いかとも思ったけどな」


 聖女に会いにいくのだということはエリンスも理解している。疑問の意図もわかっているところだろうに、ディムルは自分のペースで言葉を続ける。


「きみらをセレロニアに送り届けた後の話だ。この山のこと、魔竜のことは任せてくれって約束しただろ?」

「したけどさ」


 ディムルがその約束を覚えていてくれたことはエリンスとしても嬉しい。ただ、それにしたって話が読めない。

 タンタラカを中心に活動する彼女ら傭兵が、霊峰シムシールを大切にしていることは知っている。もちろん、そこを生息域にしている魔竜を含めて。それが伝説上の魔物(・・)と呼ばれるものだとしても、大切な存在だということはあの一件でディムルにも伝わったのだろう。


「そんな折だった。彼女(・・)も協力してくれることになってな」


 ディムルはそんな風に返事をしたところで、「こっちだ」と山道から外れる森のほうを指した。木々が立ち並ぶ合間を縫ったような細道には、真新しい人の足跡も残っている。

 先を歩き出したディムルに続いて、エリンスたちも森へと足を踏み入れた。


「彼女?」


 背後からエリンスが聞くと、横顔を向けたディムルは「あぁ!」と目を細めて返事をしてくれた。

 エリンスが再び駆け足で横に並ぶと、それを確認してからディムルは続けた。


「あたしらじゃ、どうしても魔竜様と話すことなんてできもしないからな」


 それはまるで魔竜と会話ができる人がいるみたいな言い方だった。

 アグルエはたしかに魔竜ランシャと会話していた。その理由も今となっては、エリンスにもなんとなくわかるのだ。

 アグルエが持つ黒き炎――創造の炎はこの世界を司る力だ。そして、それはアグルエの想いにこたえる。アグルエが想ったことを叶える力だ。同じように世界を司る魔竜としての存在(ランシャ)はそれに近しいものなのだろう。その想いが、共鳴する。

 逆にエリンスが持つ白き炎は遠いものだ。それこそ純粋なる勇者の力であれば、そう言ったことも可能ではあるのかもしれないが――この世にもう、その力を宿し、魔竜と心を通わせることができる者はいない。


 ゆえに、ディムルの話を聞いただけでは信じられなかった。それこそまさに、伝説上の聖女のようであるからだ。


「あ、声が聞こえるよ!」


 エリンスが下を向いて考えながら歩いていると、アグルエは声を上げた。その声で顔を上げると、森は途切れ、霊峰を遠く高く望むようにして青空が開ける。

 一早く気づいたアグルエがディムルを追い抜いて駆け出した。


「あ、ちょっと!」とエリンスもその背中を追ったところで、ディムルとマリネッタはそんな二人のことを微笑ましそうに眺める。


 高さ三メートルほどある岩が鎮座する森の中の広場。岩の近くには小さなログハウスが建てられており、岩山の前には祭壇のように組まれた白石の台座が構えられていた。台座の上には、勇者協会総本部で見たような金色の聖杯(『勇者の聖杯』を模したものなのだろう)と、盛られた塩に果物などが供えるようにして並べられている。

 一見して何かを崇めるための場所であることはわかった。そして、その正体もそこにあった。


 岩山に寄り添うように座って、大きな白銀の翼を休ませていたのは、同色の鱗を纏うドラゴン――魔竜ランシャ

 四メートルはある巨体に、逞しい足と大きな腕。ドラゴンたる証の鋭い二本の角に、大きな顎から覗く白色の牙。暗き双眸は穏やかな眼差しをして、駆け寄ったエリンスとアグルエのことを見つめていた。


 そして、魔竜ランシャの膝に腰かけてその顔を見上げているのは、白いローブに白いケープ、金色の刺繍で縁取られた白いフードを深く被った女性だった。

 優しそうに笑みを作る口元しか見せてはいないが、フードから溢れるように流れる長く薄いピンク色の髪が目立つ。

 ほっそりとしたしなやかな指先を竜の鱗に這わせて、彼女は楽しそうに魔竜ランシャへと話しかけている。魔竜ランシャもまた静かに頷いて、それにこたえているかのようだった。


 それはまさしく伝説上の聖女を思わせるような、教会にでも飾られる絵になるような光景だった。

 ただ、エリンスはその聖女が誰だかを知っている。


「メ、メイルム……?」


 呆然としたエリンスとアグルエに、遅れて並んだマリネッタも呆然と魔竜を見上げ、ディムルは「ふっ」と満足そうに口角を吊り上げた。


「え? エリンスくんにアグルエさん?」


 エリンスたちに気づいたらしい女性は首元へ両手をかけると、深く被ったフードを外す。そして、薄いピンク色の髪を振って顔を上げた。優しい薄いアンバー色をした瞳が潤んだように煌いて、未だ呆然としたまま見上げていたエリンスの視線と合った。

 何もこたえられないエリンスとアグルエの横で、魔竜ランシャを見上げていたマリネッタが呟く。


「驚いた。魔竜って実在していたのね……」


 彼女は彼女で伝説上の魔物の存在に驚かされたようだった。話を聞いているだけでは魔竜の存在をいまいち呑み込めていなかったらしい。


「聖女って……」


 エリンスはディムルのほうへと顔を向けて、その疑問のこたえを求めた。


「あぁ、彼女が、今この世界に再誕なされた聖女様だよ」


 誇張するようにして言うディムルは笑顔でこたえる。

 エリンスは目の前にある光景を見て、その言葉が誇張でもなんでもなく、その通りの意味であるのだと悟った。


「そんな、大袈裟なって言ってるんだけど……」


 困ったように笑うメイルムは魔竜ランシャの膝元より飛び降りて、エリンスたちと視線の高さを合わせた。


「ランシャ様に忍びないというか……」


 片手で頬を押さえて照れ笑いをするメイルムの顔を、エリンスもアグルエもまじまじと見つめてしまった。

 それを聞いていた魔竜ランシャは笑うように「ごふぅ」と、牙の間より息を零した。


「……そう本人様に言われてしまうと、なんだか恐れ多いです」


 メイルムは魔竜ランシャの顔を見上げて頬を赤くする。まるで魔竜ランシャと本当に言葉を交わしているかのように。


「『わたしとしても喜ばしいですよ』だって……」


 そう通訳してくれたのは、魔竜ランシャの言葉を聞いたらしいアグルエだった。


「それじゃあ本当に……」


 メイルムは魔竜ランシャと言葉を交わしているらしい。それに二人の会話を聞いていれば、メイルムが魔竜ランシャの事情まで知っていることがわかる。

 エリンスと目を合わせて微笑んだメイルムが、頷いてから口を開いた。


「うん、そうなの……。どうやらあの一件以来、わたしにも魔竜ランシャ様の言葉がわかるようになったみたいで」


 そう言ったメイルムに同意するようにして、魔竜ランシャも目を細めて頷いた。

 そうしているメイルムと魔竜ランシャのことを慣れたように見つめていたディムルが、一歩前に出てエリンスへと向きなおった。


「だから協力してもらうことにしたんだが、それがどういうわけだか……」

「『聖女様』ってことになっちゃって、町にも居づらくなって今はここで独り暮らし」


 補足するように続けたメイルムがログハウスを指す。


「うちの傭兵団の中でもどんどん話が大きくなっちゃってなぁ。そのほうが治安を守るためにも都合がよかったってのもあって、メイルムには『聖女』として協力してもらうことにしたんだ。今じゃ聖女親衛隊なんてものができる始末だよ」


 苦笑いするディムルであったが、メイルムも恥ずかしそうに俯いた。

 メイルムが聖女となっていた――目の当たりにして大きく驚かされるところではあったが、彼女が優しく微笑んでいたことが、エリンスもアグルエも心底嬉しかった。だから二人して顔を合わせて頷いたところで、アグルエも笑顔でメイルムにこたえていた。

 メイルムは照れくさそうにしながらも笑って頷く。

 あの涙を知っている二人だからこそ――今のメイルムの笑顔はなおのこと輝いて見えた。



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