数々の違和感
エリンスが覚えた違和感はたくさんあった。
『魔物が出るはずがない場所』と語った、一人で森に立ち入った女の子の存在。
そこに、普段は暗い森の奥にいて人里近くには生息しないギガントベアが出現したこと。
地図にない村、地図にない地名。
人の住んでいる形跡もなく、結界が存在しなかった村。
世界がいくら広いと言えど、ルスプンテルが近いということは、ここはまだサミスクリア大陸のはず。
エリンスの常識が通用しない範囲ではない。
この森に立ち入ってから起こった数々の出来事は、エリンスの知識にはないことばかりだ。
「随分、悩んだ顔してるね」
レミィに教えられた道を進むエリンスは、アグルエに指摘されて思考の迷路にいたことに気がつく。
「……あぁ、ちょっと考え事しちゃって」
「エリンスがずっとおかしいって感じていた違和感?」
「うん、そうなんだ――」
そこでエリンスは覚えた違和感の数々をアグルエに話して共有した。
「普段はいないはずの魔物、ねぇ」
アグルエもそう聞いて何かを考えているようだった。
「わたしもこの森……特にバレーズってあの村に近づいてから、なんか、そわそわしてて……」
エリンスはアグルエのハッキリとしない物言いに、それもまた何か違和感があるのだろうと察する。
普通じゃない森、地図にもない忘れられた地、スターバレー。
思考がぐるぐると巡って、エリンスが俯いたそのとき――
「エリンス! 魔物!」
考え事をしていたため、気づくことに一歩遅れたエリンスであったが、アグルエの声で剣に手を掛ける。
それよりも一歩先に、アグルエはメルトシスよりもらった剣を抜いて構え、3匹の魔物と対峙する。
「ビッグアント!? なんでまた、こんなやつが……」
ビッグアント――六本脚の1メートルほどある巨大な蟻型の魔物だ。
その牙には毒があり、細く伸びた触角から魔素を感知して人を襲う。
深い森の中や暗い洞窟の中などを好み、昼間は地中にいることが多く、夜になると姿を現すことも多い。
それもまた違和感だった――
「来るよっ! エリンス!」
しかし考えている暇もない。
3匹のビッグアントはエリンスが構えるよりも先に、素早い動きで距離を詰めてくる。
ビッグアントは魔素に寄せられて、魔導士を襲うことが多いと言われる。
いくら魔封があるとはいえ、アグルエには何か惹かれるものがあったらしい。
3匹ともがアグルエを標的として、その牙を立てて飛び掛かってくる。
次々と飛び掛かる巨大な蟻の姿――その光景には背筋が震えるような気持ち悪さがあった。
「ひぃ!」
アグルエは小さな悲鳴を上げて、一瞬ひるんで腕から力が抜けてしまったようだ。
エリンスはすかさず剣を抜いて、その飛び掛かってきた先頭の1匹目に一太刀。
1匹目のビッグアントは頑丈な腹を盾にして、後ろへ飛び退いてそれを防ぐ。
「ビッグアントのコアは頭にある。
ただやつらの腹は鉄のように固いから、素早い動きで剣を弾く分、ギガントベアより厄介だ!」
エリンスは飛び掛かる2匹目を弾き飛ばしながら、魔物との戦いに慣れていないだろうアグルエに助言する。
「へぇ、じゃあ! こう!」
飛び掛かってきた3匹目には、アグルエが剣を振るって応戦した。
アグルエは3匹目のビッグアントが腹で剣筋を防ごうとしたその際に、剣に微量の魔素を流し、魔法を発動させる。
刃に流れた魔素は――ビッグアントの鉄のように固い腹に振れる瞬間だけ、黒い炎へと変わる。
微量の魔素によって繰り出された最低限の魔法ではあるが、高火力。
3匹目の腹が炎の刃により裂かれ、体液をまき散らしながら地面へと落ちた。
「うぇー」
アグルエは心底気持ち悪そうな顔をして一歩飛び退き、剣を振って再び流した微量の魔素により、刃についた体液を跡形もなく燃やし消失させる。
ただビッグアントは、腹を裂いただけで油断してはならない。
腹を裂かれた3匹目は、他の2匹とは違って受け身を取るような反応は見せなかった。
しかしすぐに立ち上がり、体液流し続ける腹を気にもしていないかのように、再び牙を構えなおした。
「コアを破壊しないと、こいつらは倒せない!」
ビッグアントには再生能力が備わっている。
「頭って、言ってたよね」
「あぁ、こいつらのコアは頭にある」
アグルエはそれだけ聞いて、剣を構えなおして今度は逆に飛び掛かった。
「じゃあ! こう!」
アグルエの狙いは先ほど腹にダメージを与えた3匹目。
上方へ振り上げた剣をそのまま振り下ろし、ビッグアントの頭を狙う。
しかしビッグアントも素早い動きでそれをかわし、今度は牙を構えながら剣を振り下ろして隙ができたアグルエへと飛び掛かる。
「攻撃方法は、その牙を突き立てるしかないみたいね」
牙というのは口についている都合上、頭部に存在するものだ。
その攻撃の瞬間をアグルエは狙っていた。
「燃えちゃえ!」
その声を合図に振り下ろされた剣より地面を張って魔素が伝わり、3匹目のビッグアントに狙いを定めた黒い炎が地面より吹き上がる。
アグルエはわざと隙ができたように見せかけたのだ。
ビッグアントの攻撃は逆に隙となり、黒い炎に包まれて消失した。
「やるなぁ……」
普通に魔法を放ったところで、ビッグアントは触覚で魔素を感知し、素早い動きでかわすだろう。
自分を盾にした魔法を使うアグルエを見て、エリンスはただ感心した。
しかし、ボーっとしている暇もない。
エリンスは心の中で、どこか決闘のときのメルトシスの姿を思い浮かべながら、「負けてられないな」と闘志を燃やす。
ビッグアントを1匹魔法で仕留めたアグルエに、他の2匹は怒ったのか、連携するように同時に飛び掛かった。
アグルエは咄嗟に剣を振って1匹を弾き返したものの、最小限の魔素出力で戦っている分、先ほどのように魔法を発動することができなかった。
アグルエの弾き返せない2匹目――エリンスはそちらへとターゲットを絞り込み、剣を振るう。
相手が素早い動きで攻撃をかわすというのなら、それよりも素早い攻撃を出せばいい。
エリンスは素早く剣を三度振り、ビッグアントに攻撃を防ぐ隙を与えない。
剣撃を防ごうと身体をくねらせるビッグアントであったが、エリンスはさらに追撃し、頭部目掛けて剣を振り抜いた。
その最後の一撃こそが、本命だ。
――グギャァ!
頭部を切られたビッグアントは断末魔を上げながら体液をまき散らし、その魔素のコアもろとも消失した。
――体の小さな魔物は、コアを砕かれる衝撃で光となり消える。
残ったビッグアントは再びアグルエへと飛び掛かるのだが、アグルエは向かってくるその牙向けて人差し指を伸ばし、親指を立てながらその先端に空気中の魔素を集めた。
「雷の閃き――ライトニング!」
アグルエの放つその魔法は一般的な雷の魔法――魔素によって迸る雷を放つ簡単な魔法だ。
術名を唱えたのを合図とし、アグルエの指先に集まった魔素が、小さな黒い稲妻へと変換されてビッグアントの頭部目掛けて一直線上に伸びた。
その速さは目にも止まらぬものであった。
「スピードにはスピードで、ってね」
ビッグアントの外殻は魔法に対して耐性があるのだが、その耐性など無に帰すかのような強力な一撃だった。
微量ながらアグルエの黒い炎も含んだ雷魔法が貫き炸裂し、そのコアを破壊する。
「ふぅ」
3匹のビッグアントを倒したところで、アグルエが一息吐いた。
魔物を倒して安全は確保できた。
ただ、エリンスはより悩んでしまった。
「ビッグアントも普段はこんな明るい森にいる魔物じゃない」
エリンスの違和感は、急に嫌な予感へと変貌する。
アグルエも頻りに辺りを見渡している。
「しかもビッグアントは魔素を感知する能力の高い魔物……」
「うん、わたしも感じる。この森……何か、魔素が流れている」
ザーッと風が吹き抜けて、木々の枝を揺らす。
その風につられるように、アグルエは空を見上げ見渡して、口を開いた。
「バレーズのほうへ、魔素が流れてる……」
「ビッグアントはそれを追っていたのか?」
「多分、そう。嫌な予感がする……」
エリンスは、アグルエのその言葉に頷いて返事をした。
「戻ろう」
「えぇ……急ごう!」
二人は頷き合ってから来た道を引き返し、バレーズへと戻るのであった。