聖女再誕?
露店商の女性は後からやってきた商人と商談をはじめた。そのため具体的には聖女に関する話を聞くことができなかった。
買いもしないのにそれ以上商売の邪魔をしても悪いだろう、と考えて、エリンスは頭を下げる。女性はにこやかに視線で返事をしてくれて、町の雰囲気に似つかわしい陽気な空気を漂わせた。
そうして一行は、メインストリートの突き当りに位置する勇者協会を目指す。
やはり町並みは依然訪れたときと変わって、さらなる賑わいを見せている。冬が過ぎて暖かくなってくる季節柄もあるのだろうが、女性が言っていた通り、『聖女が再誕した』ことが大きいのだろう。
エリンスには具体的なことが聞けなかったもどかしさが残り、マリネッタも同じように眉をひそめていた。ただ、アグルエはそんな町の空気感を楽しんでいるようだった。
そんなこんなで訪れた勇者協会は、往来する町の人々、立ち寄った候補生、仕事だと張り切る傭兵らで賑わいを見せていた。こちらもまたちょっとしたお祭り騒ぎだ。
海岸沿いの連なる炭鉱を中心とし発展したタンタラカは、鉱石の類がたくさん取れることもあり、武器や防具の店が多い。そのためこの時期にもなると、装備を整えるために立ち寄る勇者候補生や傭兵も少なくないらしい。
三人は人混みとなったメインホールを避けて、とっとと目的を果たすために、ホール奥に構えられた受付カウンターへと近づいた。
「同盟の申請をしたいんだけど」
と、エリンスが声をかけたところで、カウンターの向こうで忙しそうに動き回る協会受付のお姉さんが返事をしてくれた。
「はいはい! 勇者候補生様ようこそ! それではこちらの書類に記載をお願いします!」
緑地のエプロンドレスで手を叩くと、お決まりの挨拶も簡単に済ませて、慣れた手付きで書類を一枚取り出し、ペンも揃えてカウンターの上に置いてくれた。
エリンスらの返事を待つようなこともせず、お姉さんは裏方へと姿を消す。慌ただしかったが忙しいのだろう、エリンスは特に気にすることもなくペンを手に取った。
フルネームとサインを記すだけ。簡単な手続きだ。それで勇者協会も同盟の状況を管理して把握してくれる。
続けてマリネッタへとペンを渡すと、マリネッタも神妙な面持ちで頷いてからフルネームとサインを記した。ペンを置くマリネッタは手持無沙汰になったのか、辺りの様子を見渡していた。
常時に比べて人の出入りが多いような気もする印象だ。それは、セレロニアで起こったこと、ラーデスアで起こったこと、世界を巻き込んで起こりつつあることを考えると、勇者協会が慌ただしいのも頷けるところではあるのだが――やはりどうにも、町全体の雰囲気が気になった。
と、エリンスがそんなことを考えていると、慌ただしくも戻ってきたお姉さんが書類に不備がないか、「うんうん」と頷きながら確認してくれた。
「大丈夫そうね。マリネッタさんとエリンスくん。無事、同盟の申請を受理します! エリンスくんの同盟はこれで魔導士が二人になったのかな?」
ニコニコと笑顔でこたえてくれるお姉さんに、エリンスは頬を引き締めて頷いた。簡単な手続きとは言え、これで正式にマリネッタと同盟を組めた。
彼女が背負うものを考えると、同盟の一員として肩を貸す立場になった。元々そのつもりで手を取ったから、エリンスとしても特段重くは感じていないところだ。
アグルエも二人の後ろで嬉しそうに微笑んでいる。
エリンスが横にいるマリネッタへと眼差しを向けていると、彼女はカウンターの向こうへと言葉を投げた。
「えぇ、ところで、聞きたいことがあるのだけれど」
「はい、何でしょう!」
お姉さんは元気よさそうにニコニコとしたまま書類を置いて、マリネッタへと向きなおった。
「『聖女』って、一体何があったの?」
忙しそうにしながらも機嫌がよさそうなのは、こうして町が賑わっているからなのだろう。
マリネッタがそう話を持ち出したところで、お姉さんも「あー」と納得したように頷いた。
「今しがた町に到着したばかりでは、事態もわからないですよね」
ニコニコとしたまま受けこたえしてくれるお姉さんに、マリネッタも「はい」と頷き返す。
「実はですね……」
受付のお姉さんがもったいぶるように話を続けようとしたところで――。
「お? エリンス? エリンスじゃないか!」
三人の背後より近づいてきた、聞き覚えのある女性の声が響いた。がやがやと騒がしい勇者協会ではあったのだが、その声はよく通り、エリンスにしても印象深いものだ。
慌てて振り返るエリンスとアグルエに、遅れるようにしてマリネッタも振り返り、受付のお姉さんはニコニコとしたままに女性の声へとこたえた。
「あー、ディムルさん! いつもお世話になっております。お知り合いで?」
「うん、そうそう。そんなところだ!」
黒色のコートを羽織り、黒色の軽鎧を上下に揃え、薙刀と呼ばれる長柄武器を背負う。額では鉢金が鈍い輝きを放ち、大人っぽい雰囲気を漂わせる黒髪のショートヘア。力強い眼光に伴う雰囲気は、腕を組んだその姿勢からも溢れ出る。スラッとしたスレンダーな体型には、細いながらも締まった筋肉が携えられている。
見た目からして戦士といった風貌だが、彼女は傭兵――それもこの町で一位を争うほどに優秀な傭兵だ。
ひと月前、エリンスたちをタンタラカからセレロニアまで導く案内人も務めてくれた、ディムル・オーンズバンその人だった。
「おうおう、揃って戻ってきたのか?」
エリンスとアグルエの顔を見るや嬉しそうにそう言ってくれるディムルに、エリンスも自然と笑みがこぼれる。
「ん?」とディムルは、マリネッタの顔を見るや興味深そうに目を開いた。
「いつの間にやら、アグルエにライバルが?」
茶化すように口にするディムルに、アグルエは顔の前で手を振ってこたえる。
「そんなんじゃないよ」
「違います。アグルエには敵いませんので」
マリネッタも呆れたように目を伏せ苦笑する。
そんな二人のこたえが面白かったのか、ディムルは豪快に「あっはっは」と腰に手をつけて笑った。
女性同士の会話にすっかり置いてきぼりをくらうエリンスを余所に、マリネッタも面白そうにディムルにつられて笑っていた。
「わたしは、マリネッタ・S・リィンフォード。エリンスとアグルエとは同盟を組んだところです」
丁寧にローブの裾を摘まんで頭を下げるマリネッタの所作に、ディムルも「お、おう……」と怯んだように頭を下げた。
「そっか。セレロニアの。あたしはディムル・オーンズバン。傭兵をやっているんだ。エリンスたちをセレロニアまで案内したっていう縁があってな」
マリネッタもディムルの自己紹介を受けて納得したように頷いた。
「仲間が、増えたんだな!」
アグルエに向き合うなり心の奥底から喜んでくれるように頷いたディムルに、アグルエも笑顔で「はい!」と返事をした。
「ディムルさんは、またどうして勇者協会に?」
エリンスが話を切り替えるように聞いたところで、「ん!」と表情を引き締めなおしたディムルは頷く。
「あたしは、ほら。仕事の手伝いをしてるから」
手を上げて返事をするディムルに、受付のお姉さんが続けて話を振った。
「ディムルさん、ちょうどよかった!」
「ん? どういうことだ?」
「勇者候補生様方が、聖女様のことについて知りたいようなので!」
受付のお姉さんはそれだけ言うと慌ただしく頭を下げた。
「へぇ、なるほどな。じゃあ、後のことはあたしに任せな」
「はい。お願いいたしますね」
ディムルが返事をしたところで、お姉さんは書類を手に、再び裏方のほうへと小走りで去っていった。
なんで聖女の話がディムルと関係あるのか、と気になる三人ではあったのだが、真っ先に口を開いたのはディムルだった。
「どうしてあたしが、って顔をしてるな」
鋭い視線が考えていることまでを読み取るようで、ただエリンスは素直に頷いた。
「それはまあ、エリンスとアグルエにも無関係じゃないからな」
なんだかその言われ様が引っ掛かって。
「ディムルさんも聞いているんだろ? 世界に現れた脅威の話」
それらは全て、町の様子からもうかがえた違和感の正体に繋がっている。
「そうさなー。その話はあたしの耳にも届いてるよ。聖女様がいるから大丈夫。この町が賑わっているのも、そんなところだろうな」
「魔竜を従える聖女が再誕した、って町の人も言ってた……」
呟くように頷いたアグルエの言葉を拾うようにして、ディムルは顎に手を当てて一瞬考えるようにした。
「ちゃんと説明をしたほうがよさそうだな。それに、長い話にもなりそうだ。そっちの事情も気になるし、どうだ、隣で」
そう言って指差したのは、勇者協会の隣の店のことだろう。タンタラカの中心地、勇者協会の横に構えられた傭兵たちの集い場、バートランの酒場。ひと月前、エリンスとディムルが出会った場所でもある。
それもそうだな、と納得するエリンスが頷くのを合図に、三人はディムルに同行して、隣の店へと場所を移すことにした。




