熱砂にさようなら
宴の翌日は束の間の休息を優雅に堪能した。そして、今日はもうハシムたちキャラバン隊との約束している出発の日だ。
三月一日。エリンスがサークリア大聖堂を旅立ってからちょうど三ヶ月目の日となった。
ジャカスとミルティはもうしばらくサロミスに残るということで、朝の内に別れの挨拶は済ませた。
「また会えるだろう。今は、同じ道をゆく者だ」
そう言った同郷の勇者候補生に、エリンスは嬉しくもなって笑顔で手を上げて「また!」と返事をした。
ハシムたちに合流して砂漠をゆき、特にトラブルもない道に、そこから二日。三月三日。日も陰る夕方頃には、エリンスたちはサロミス港へと帰ってくることができた。
サロミス港の入口、キャラバンのための施設があるところでハシムとヨーラと向かい合ったエリンスは言葉を交わす。
「二人のおかげで、旅が順調だったよ。ありがとう」
この八日間、砂漠という過酷な環境を抜けるにしても、サロミス王国を襲った魔王候補生と対峙するにしても、二人の協力があったからこそ。
「あんな城の宴にまで招待してもらって、こちらこそだ」
笑顔でこたえるハシムは手を差し出す。
エリンスはその手を取って、固く握手も交わした。
「にしし、あんなご馳走はじめてだった」
嬉しそうに口元を押さえて笑うヨーラの笑顔も、砂漠の太陽に負けないほどに眩しい。
「さすが師匠の子だ」
最後にハシムは感心したように腰に手を当てて、エリンスへと向きなおった。
「その活躍を目の前で見られたんだ。これほど勇者候補生の同行者をやっていて嬉しかったことはないよ。勇者候補生としての旅も、頑張ってくれよな!」
口角を上げてそう言ってくれた仲間に、エリンスは嬉しくもなって同じように笑って手を振った。
「ありがとう、ハシム、ヨーラ!」
そうして背を向けたエリンスに、ハシムとヨーラは一仕事やり切ったような爽快とした顔を浮かべながら、その背中が見えなくなるまで手を振っていたという。
◇◇◇
旅は、別れの連続だ。だけど、それもまた、旅路をゆく者として振り返ってばかりはいられない。
アグルエが倒れて、サロミス港に到着したあの日から八日が立った。
随分と久々な気がするな――と、『熱砂のオアシス』と看板がかかる宿屋へ戻ってきたエリンスとツキノは、顔を合わせて頷いた。
三階建ての建物を見上げて、ドアベルの鳴るドアを開けて中へ入る。がらんっとしたロビーに、退屈そうにカウンターへ肘をついた宿屋の店主が笑顔で出迎えた。
エリンスが訊ねると、彼女なら部屋で待っていると教えてくれる。
案内された部屋は、出発した時と同じ部屋。
待っていてくれたんだという安心感と共に、期待を胸にドアを開けた。
「アグルエ!」
真っ先に声を上げて、窓際の椅子に座るその横顔を見つけて、胸の内に温もりが広がった。すっかり元気な様子の笑顔で語らう彼女の姿に、エリンスの鼓動は一層跳ねた。
部屋へと入ったエリンスへ気づいたアグルエは、パッと笑顔を輝かせて、飛び上がるように立ち上がり駆け出す。
両腕を広げて、「おかえり!」とエリンスの胸の中へと飛び込んでくる。
「ただいま! もう身体は大丈夫か?」
しっかりとその温もりと重さを受け止めてエリンスが笑顔を向けると、アグルエは元気な様子を表すかのように笑ってこたえた。
「うん、もう、すっかり!」
笑顔を向け合い再会を喜ぶ二人に、ツキノもエリンスの肩の上でむず痒そうに笑っている。
そういえば――とエリンスはそこで気がついた。アグルエが誰かと楽しそうに語らっていたな、と部屋を見てみれば、そこにはたしかな人の気配があった。
青い髪に青い瞳。清らかな薄い水色をしたローブを羽織って、「やれやれ」と首を振りながら、凛とした笑顔を向けているのは、エリンスと同じ勇者候補生。水聖のリィンフォードの二つ名を持つ少女だった。
否――今や彼女は、水聖のマリネッタと呼ばれている。
「なんだか、わたしのことまで忘れて。見せつけてくれちゃって」
呆れたようにしながらも笑うマリネッタに、エリンスは目を丸くして呆然としてしまった。
「マリネッタが、どうしてここに?」
エリンスが聞くと、身体を離したアグルエが「あっ、そうだった」と何かを思い出したようにして、マリネッタの横へと並んだ。
「あれ? アグルエ、伝えてなかったの?」
「うん。エリンスに伝える間もなく、わたしが倒れちゃったから」
アグルエは「えへへ」とはにかみながら、マリネッタへとこたえる。
「そう。それでは仕方がないわね」
片目を閉じながら返事をしたマリネッタは、改めてといった感じでエリンスへと向きなおる。
力強く芯の通った青い瞳。背負った杖と革袋。新調されたような真新しいローブ。
マリネッタの出で立ちを見れば、彼女が何を考えていたのかも、エリンスにはわかりそうなものだった。
「エリンス、よろしく」
そう言いながら手を差し出してくるマリネッタに、エリンスは戸惑いながらもその手を握った。
「え、えぇ? よろしく?」
差し出された握手。こたえない義理もない。
「どういうことかわかってない?」
面白おかしそうに小さく笑うマリネッタに、エリンスは遠慮がちに頷いた。
マリネッタが「はぁ」と大きくため息を吐いて、アグルエはそんな二人の様子を横から見てニコニコと楽しそうに笑っている。
「このわたしが、同盟に入るってことよ」
真っすぐとした瞳を向け続けるマリネッタに、その覚悟がうかがえた。どういう風の吹き回しかはもうエリンスにもわかっている。
――マリネッタにも、戦う理由がある。
「……そっか」と握った手に力を込めて、振り解いてエリンスは頷いた。
「改めてよろしく」と返事をすれば、マリネッタは「えぇ!」と力強くこたえてくれた。
「残る軌跡は、黒の軌跡でしょう?」
エリンスの帰還を見て、話はついていたのだろう。マリネッタがそう言ったところでエリンスは頷いた。
「あぁ、そうだ」
最後の軌跡――向かう先は、ラーデスア帝国。
数日前に魔導船の中で聞いた話を考えると、今まさに戦乱にあると予測される地帯だ。
魔族の軍団の侵攻、幻英の出現、裏切りのシドゥ――。気になることはたくさんある。
「ラーデスアのことは、セレロニアでも騒ぎになっていたわ」
そう言いながら傍らより新聞記事を取り出したマリネッタは、それをエリンスへと手渡した。
エリンスは受け取るなりその記事へと目を落とす。見出しになっている文字に真っ先に目がいった。
――『ラーデスア帝国、陥落』。
遠くの山から撮られたと思われる遠景写真。白い雪景色の中に広がる山岳地帯、辺りから立ち込めている黒煙の数々に、煙を上げて崩れかける尖った屋根を持つ城の塔が映っている。
「そんな……」
開いた口が塞がらなくもなった。
ツキノも真剣そうにエリンスの肩の上から記事を見ていた。
そこにはラーデスア帝国が壊滅状況にあるという悲惨な現状が記されている。
「うん……」とエリンスの横顔を見つめたアグルエは、悲しそうに頷いて、一面の端に記されている記事を指差した。
「それだけじゃないの」
アグルエに言われて、そう指すところを見る。
――『勇者候補生第2位、ファーラスの王子、行方不明』の文字。
どういうことかと目を凝らして記事を読んでいる内に、マリネッタが横から補足してくれた。
「交渉中のファーラスも援軍に入ったみたい。近くにいたメルトシスも……」
マリネッタがそう言いかけたのを聞いて、エリンスも考えた。
メルトシスが、となると、彼の同盟である勇者候補生第1位の彼も動いているのかもしれない。
「放っておけないでしょう?」
マリネッタはエリンスの返事もわかっているようにして口元を緩めて言う。
「もちろんだ!」
「それでこそ、エリンスだね」
胸の前でグッと拳を作ったアグルエに、エリンスも頷いてこたえた。
こうして――エリンスとアグルエとマリネッタは、共に次なる目的地を見据える。
◇◇◇
その足で宿を発ったエリンスたちは、港で魔導船の船室を取ってくれているというレイナルと合流した。
挨拶もそこそこに魔導船へと乗り込むと、四人は甲板へと向かった。エリンスの帰還を喜んでくれるレイナルに、甲板に並んだ四人は顔を向かい合わせた。
「直接ラーデスア港までいく便は出ていなかった。だからとりあえず、ここから北に向かってタンタラカを経由することになる」
レイナルの説明を聞いて、エリンスは頷く。
「タンタラカか。もう、懐かしくも感じるよ」
アグルエも頷いている。
するとちょうど「ボォーー!」という魔導船の出発を知らせる汽笛が響き渡った。
ゆっくりと海の上を動き出す魔導船に、空も段々と暗くなりはじめた。
「ここから先の旅路は、最も過酷な道となるかもしれない。覚悟はいいか? 候補生たち!」
改まって先陣を切るように声を上げたレイナルに、エリンスたちは顔を合わせてから返事をした。
「うん!」
「えぇ!」
「言っただろ、疾うに決まってるって!」
それぞれの返事を聞いて、ツキノも嬉しそうに頷いて――時代に揺れ動く二つの灯は、覚悟を胸に北を目指して動きはじめた。
残る軌跡はあと一つ。待ち受けるは、魔族の侵攻を受けた陥落せし帝国にある黒の軌跡。
四つの軌跡を巡った時点で、勇者候補生としては快挙である。そのほとんどは五つ目の軌跡まで辿り着くことはないのだから。最後の一つとは、それほどにまで遠くなるモノなのだ。
エリンスは振り返って、遠ざかるサロミス港――その先に広がる砂漠を見据えた。
出会いと別れ。小さな一人旅をした熱砂の港町へさようならを告げて、もう一度振り返る。
横に並ぶアグルエの手を取れば、自然とアグルエは握り返してくれる。互いに笑顔を向けて――ただ、その刹那、ふいに不安が押し寄せた。
どんな夢だったかハッキリとは思い出せない――いつか見た夢が胸を刺すような不安へと変わる。
増大する不安に笑顔も消えて、だけど、手を握る彼女は先を見据えたように暗い海の先を見つめている。キラキラとした碧眼に、微笑みながらも緩ませた口元。彼女はそんなエリンスの不安など知る由もない様子でジッとしている。
たしかな温もりはここにあるのに、この手を離してはいけない。そんな風に強く訴えかけてくる焦りのようなものが、エリンスの鼓動を早まらせた。
二人の旅はその出会いから含めていろいろなことの連続だった。だけど、たしかに手を取り合ってここまで進んできた道のりだ。今回は少し離れることとなったが、それでもこうして、アグルエは待っていてくれた。
だから、大丈夫――目をつむってそう言い聞かせはするけれど、その一瞬、エリンスは何か嫌な予感を覚えた――。
それは気のせいではなかったのかもしれない。
世界の巡りに強く結びつく白き炎と黒き炎。
揺らぐ世界の中で揺らいだ二人の向かう旅路にあった暗雲を――二人の別れを予感していたモノだったのかもしれない。
――揺らぐ炎たち、二人の進む道 fin,




