背中合わせの二人
緑の軌跡を乗り越えて、二人がサロミス王国に戻った頃には、夕暮れ時だった。空へと上がった陽光も柔らかくなりはじめる頃合いだ。
その足でサロミス城へと向かい、門番に軽く会釈をすると玉座の間へと通された。
黄金の玉座に腰掛けているのは、サロミス王。その隣のもう一つの玉座には、濃い白色の薄手のドレスを着たミルティが座っていた。
ミルティの膝の上で丸くなっていたツキノは、エリンスの顔を見るなり跳び上がって、いつも通りに肩へと飛び乗った。
玉座に座るサロミス王とミルティの顔は朗らかだ。
エリンスとジャカスが緑の軌跡へと向かった間に、国を襲った事態の片づけも、民衆への説明も終わらせたらしい。完璧に、とまではいかないだろうが、互いにすれ違った誤解を埋め合わせることができたのだろう。
「こっちも話はついたようじゃ。そっちも大丈夫かのう?」
「あぁ、ばっちりだ」
エリンスが親指を立ててツキノに返事をしたところで、ツキノも「うむ」と笑顔で頷く。
ちょうどその折に、バタバタと騒がしく鎧の音を立てて、兵士が一人報告に飛び込んできた。
エリンスたちも横で報告を聞いたところ、偽ミルティスナの差し金で遠征に出払っていた騎士団長たちが帰還したらしい。
砂漠に現れたという魔獅子を追っていたらしいが、真っ二つに切り裂かれて討伐されている魔獅子の姿を見つけたようだ。
報告を聞いたサロミス王は「そうか」と頷いていたが、一体どこの誰に討伐されたのか、と疑問が広がっている。
エリンスはこれ以上面倒に巻き込まれるのも懸念して、あえてこたえずに黙って聞く。
ツキノとミルティは「それでいいの?」という顔をしていたが、エリンスはただ黙って頷いて、二人に目配せをした。これ以上、持て囃されても慣れない空気に居たたまれなくなる――というのが本音だった。
ただ、これで国を襲った事件も一件落着ということだろう。
笑顔を浮かべたサロミス王がミルティに何やら指示を出す。玉座を降りてきたサロミス王は厳しい表情をしながらも浮かべた笑顔のまま、エリンスの手を取って頷いた。エリンスもえらくサロミス王に気に入られてしまったものだ。
――そうしてその夜、サロミス王主催で宴が開かれることが決まった。そこには街の外で待機していたキャラバン隊の人らも招待されて、サロミス城は明るい一夜を過ごすこととなった。
◇◇◇
月が顔を出してもなお明るい夜空。キラキラと輝く星の下。
サロミス城の2階にある大広間は、溢れかえった兵士やキャラバン隊の人々で酒や料理を片手に大賑わいを見せていた。
招待されたハシムとヨーラも、招待されたという時点で大騒ぎ。
「いいのか? 俺たちまで!」とはしゃぐハシムに、「飲むぞー! 食べるぞー!」と張り切った様子のヨーラの顔が思い出される。
長たちキャラバン隊の大人や子供たちも嬉しそうに振る舞われた料理を楽しんで、歓喜の声と香ばしい匂いに包まれた広間は温かい空気で包まれていた。
ジャカスとミルティも仲良さそうに言葉交わし、サロミス王は酒を手に何やらツキノ相手に愚痴をこぼしている始末。
そのツキノと言えば、すっかりエリンス以上にサロミス王に気に入られてしまった。王の机の上に用意された白いクッションの特等席の上で料理を前に、酒に酔って泣きながら何やら語るサロミス王につき合っている。
傍から見ていたエリンスにも、「早くに王妃を亡くして~」とか「娘の気持ちが~」だとかと話をしている様子がうかがえて、淡々と話を聞いているツキノの気持ちを思うと、苦笑いが零れ出た。
すっかり崇められてしまっているが、ツキノも困った様子で笑っている。ご馳走を前にしてまんざらでもない様子だった。
広間から距離を取ってテラスへと出たエリンスの肌を少し冷たい夜風が撫でた。
空を見上げれば、あちらこちらに星が輝く。砂漠の夜空はどことなく明るい。そんな中でも輝く星々に、エリンスは思いを馳せた。
――アグルエも、連れてこられたらよかったな。
肉に魚に――宴に溢れる料理を思えば、浮かんでくるのは彼女の笑顔だ。
この地方独特の野菜を使った味づけはピリリと辛いものも多かったが、どれも美味しく感じられた。
料理を前にしてはしゃぐ彼女のことを思うと、ふいに笑顔が零れたが、人が近づいてくる気配を察して表情を引き締める。
寄ってきたのは今や慣れ親しんだ顔馴染み、ジャカスとミルティの二人だった。
「エリンス、改めてありがとう。あの時、わたしのことを信じてくれて、嬉しかった」
ぱっちりとした目を向けてそう言ったミルティに、エリンスは「あぁ、こちらこそ」とお礼を言った。
そうしてエリンスがその横にいる同郷の勇者候補生に目を向けると、彼は気まずそうに目を逸らした。
「ほら!」とミルティに背中を叩かれて、ジャカスが一歩前に出る。
なんだかやりづらそうな表情を浮かべている彼の表情に、エリンスは笑い出しそうにもなったが我慢して言葉を待った。
その様子を見ていたのだろう。項垂れるサロミス王から逃げるようにして飛び跳ねてきたツキノが、エリンスの肩の上に飛び乗った。
「もう、うんざりじゃ!」
笑いながらも本当にうんざりとしたように肩を竦めるツキノに、エリンスも笑って、未だ机に突っ伏して泣きながら酒をあおっているサロミス王を一瞥した。
ミルティもそんな様子を見て笑い、ジャカスもその笑顔を見て笑った。ただ、ジャカスは気を引き締めるようにして、エリンスへと向きなおる。
「……俺とおまえ、最初は目指していたところが違ったんだ」
その言葉の意味が、エリンスには伝わってくる。
エリンスもジャカスの事情は知っていた。ハルムント家の確執。父レイナルを目の敵にするジャカスの父の話は村でも有名で、母ミレイシアも手を焼いていたのだから。
「ツキノ様」
ジャカスはエリンスの肩の上にいるツキノへと目を向けた。
「なんじゃ?」とこたえたツキノに、ジャカスは頭を下げる。
「父が無礼を働いたこと、俺が代わりに謝罪する」
「別に妾は謝罪など求めておらぬ。それに、些細なことじゃ」
笑って言うツキノに、ジャカスは頭を上げて言葉を失ったように呆然とツキノを見ていた。
「いやしかし――」
「いいのじゃ。お主が気づいたのならば、それでよい。そこから先は、お主の道じゃぞ」
ツキノの言葉にハッとしたジャカスは、エリンスへと向きなおった。若干気まずそうに頬を掻いて、視線を彷徨わせる。ミルティに「ほーら!」と再び背中を叩かれて、ジャカスはエリンスへと目を向けてようやく口を開いた。
「今は……おまえと同じ場所に立てた気がする。悪かった、エリンス」
若干小声になりながらもそう言ったジャカスに、エリンスは心底嬉しくなって笑顔を向けて返事をした。
「やっと、こうして、師匠の弟子である俺らは同じほうを向けた」
彼がそう言ってくれたことが心底嬉しかったのだ。
エリンスが右手を突き出して握り拳を差し出すと、ツキノが腕を伝って歩き、そこに手を重ねる。
ジャカスもそれを見て、エリンスとツキノの顔を見て、照れたようにして右手を握った。そっと前に出してこつんとぶつけた拳同士――三人はその拍子に笑い合った。
それを見ていたミルティは頬を膨らませる。
「いいなぁー! わたしもそういう仲間がほしかったっ!」
冗談交じりに怒ったようにするミルティは、そう言いながらも笑っている。
ただ若干気まずそうに頭を掻いたジャカスは、ミルティに向きなおるなり口を開いた。
「相棒って、呼んでくれたじゃねぇか」
その言葉が余程嬉しかったのだろう。
傍から見ていたエリンスにも伝わってくるほどに眩しい笑顔を浮かべたミルティが、ジャカスの腕へと抱きついた。
エリンスは肩の上へと戻ってきたツキノと顔を合わせて、そんな二人を見て笑い合った。
砂漠の夜は少し肌寒いけれど明るいものだ。だがやはり、星空を見上げると横に彼女がいないことが寂しくもなった。




