ワンチャンス!
「大変だ! エリンス!」
翌日、エリンスはそう叫んだハシムに揺すられて目を覚ました。
テントの隙間より差し込んだ暑い日差しに目がくらみ、ただ汗を流して焦るようなハシムの表情に、頭もすぐさま冴える。
「捕まった勇者候補生の処刑が決まったって、街は大騒ぎだ!」
「……なんだって?」
エリンスが大声を上げたところで、枕もとで丸まっていたツキノも跳び起きる。
すぐさまにテントを飛び出して、オアシスの水で顔を洗って身支度を済ませると、ハシムとヨーラ、それにミルティも外套を纏って顔を隠し集まっていた。
キャラバンの人らもがやがやと騒ぎ立て、街から溢れ出てくるような噂話で持ち切りとなっている。
四の五の言っていられる状況ではなくなった。
ミルティも決意を固めたようにした眼差しを、外套のフードの下からエリンスへと向けて頷く。
ハシムとヨーラも協力をしてくれるようで、装備の確認をして決意を固めたエリンスたちは騒ぎの中心となった街へと飛び込むことにした。
街の入口を守っていた衛兵の姿も見えず、エリンスたちとしては好都合。兵士たちは皆、処刑場となる広場に集められているようで、民衆の人だかりが広場には見えていた。
顔を隠したミルティはハシムとヨーラと共に広場へと突入し、エリンスも離れて広場を取り囲むように近づく。
街の中心、広場には木を組んで作られた絞首台が設置されていた。
高さ二メートルほどの台に階段が備えつけられて、さらにその上からはロープが吊るされている。そのロープに括りつけられているのは罪人の首。絞首台の上にいたのは後ろ手に拘束されたジャカスの姿。
広場の周りを、槍を手にする兵士たちが並んで囲んでいる。
がやがやと賑わう野次馬たちの声が聞こえた。
「どうして勇者候補生様が……」
「なんでも姫様の偽物を街に引き込んで国王様の怒りを買ったらしい……」
「何もそこまですることはないのに……」
「しっ、兵士に聞かれたら国王様の耳に入るぞ!」
心配する声も含めて、エリンスの耳には届いていた。それでいて、エリンスは冷静に状況を見定める。
絞首台の横に設けられた舞台には、民族ドレスの姿で立つ偽ミルティスナの姿が見える。
絞首台へと続くレバーのようなものを手元に置いて、取り囲む衛兵も見たところ数十人規模でついている厳戒態勢だ。
――ただこれは、逆にチャンスかもしれない。
昨日のエリンスの動きを見て、偽ミスティスナは自身の立場を危うんだ。何か焦りのようなものを感じているのだろう。その末に出た手段が、勇者候補生の処刑。『人間』の立場で考えるならば、思い切った手段であろう。焦るあまりにその点を見落としている。
集められた兵士たちにも戸惑う表情はうかがえて、強硬手段に民衆の不信感も募っているはずだ。
ハシムとヨーラ、ミルティも広場に入り込んでいる。
エリンスも機会をうかがうため、人混みの中に紛れて息を潜めた。
ふと空を見上げれば、高い城のテラスからはサロミス王も険しい顔をしながら広場を見下ろしている。
――ジャカスの処刑なんて、させてたまるか。
絞首台の横のステージに立った偽ミルティスナが、置かれていた拡声器に触れて声を上げた。
「この者はわたしの偽物を姫として城へ招き入れ、逃がした愚か者だ。わたしはここにこうして存在している。この国を貶めた重罪人である!」
張り上げた堂々たる凛とした偽ミルティスナの声に、民衆たちの間にどよめきが広がった。
「あの噂は本当だったんだ」
「姫様の偽物を!」
「そんな愚かなことを、勇者候補生が!」
絞首台に膝をつかされているジャカスは、「ぐっ」と表情を曇らせる。
偽ミルティスナの言葉を聞いて、すっかり民衆は騙されている
言葉巧みとはよく言うが、あの声はミルティの声そのもの。まさか姫に成り代わった者が、先にいたあいつのほうだとは誰も思っていない。
血のつながりがある国王すら騙せる手腕――鏡偽の魔法。
ツキノは言っていた。鏡偽の魔法は、対象のモノの過去の記憶すらも真似する魔法。姿形だけでなく経験も、その者の成りを全て真似て、成り代わることのできるモノ。
「こいつの話に耳を貸すな! こいつこそが――」
絞首台の上で声を上げるジャカスであったが、姫という立場すら成り代わって得ている偽ミルティスナの前では無力だった。
横にいる兵士たちに強引に取り押さえられて、口を塞がれてしまう。
猿轡を噛まされてもなお血走る力強い瞳で見下ろすジャカスであったが、集められた民衆たちの眼差しは、罪人のゆく末を見定めるものへと変わっている。酷く冷たい視線の集団に怯んだように瞳を震わせたジャカスは、兵士に抑えられるがまま絞首台の真ん中に座らされてしまった。
「ふっ、野蛮な勇者候補生」
その様子を見ていた偽ミルティスナはせせら笑うように演説を続けた。
「かつてこの国で横柄な態度で暴れた勇者候補生たちがおりました。彼らもまた、勇者協会に処刑されたのです」
この事態に勇者協会は何をしているのだろうと思えば通常営業だ。我関せずの姿勢で、国王や偽ミルティスナに逆らうようなこともしないらしい。
「少々心苦しいことですが、よって、わたしがその代わりに執行いたしましょう」
レバーに手をかける偽ミルティスナの姿が目に入った。
レバーを引くと絞首台の床が抜ける仕組みなのだろう。吊るされたロープに首をくくられているジャカスは、全体重を首で受け止めることになり、首が締まる算段だ。
集まった民衆は、レバーに手をかける偽ミルティスナのことを憐れむように眺めていた。
「なんと、おいたわしや」
老婆の一人はハンカチで目元を押さえて目を伏せてしまっている。
――心苦しいなんて、大嘘だ!
エリンスは見逃さなかった。レバーに手をかける瞬間、にやりと笑った偽ミルティスナの邪悪な表情を。
――すっかり手玉に取られた民衆。ただの犠牲者になろうとしている勇者候補生。
己のエゴのために、人々の気持ちを踏みにじるその行いが――エリンスは許せなかった。
偽ミルティスナがレバーを引いた瞬間、がこんっと大きな音が響く。
エリンスはすかさず地面を蹴って飛び出すと、腰に提げた願星を抜く。
それを合図に飛び出したハシムが先導するように人混みを掻き分け、ヨーラが飛び出し背丈ほどある杖を構えた。
何やら魔法の詠唱をし、火柱が上がって――絞首台を取り囲むように並んでいた兵士たちの目がそちらへ向いた。
注意を引いてくれている間に、外套のフードを深く被ったミルティが絞首台に飛び乗った。
慌てたようにした兵士の一人を蹴り飛ばし、ミルティは膝をつかされているジャカスに駆け寄ってその拘束を解きはじめる。
絞首台の床が抜けジャカスの首が締まる瞬間――跳び上がったエリンスは、その首にかかるロープを手にした剣で断ち切った。
張り詰めるようにしたロープは断ち切られ、ジャカスの首からしゅるしゅると滑り落ちる。
絞首台の下、吊られるようなこともなく尻餅をついたジャカスは、絞首台の上に着地したエリンスのことを恨めしそうに見つめていた。
「……頼んでねぇぞ」
エリンスはジャカスのことを一瞥し、笑ってこたえた。
「これは俺が勝手にやったこと。頼まれなくたって、助けてくらいやるさ」
――それが同郷の好みというやつなのだから。
「はん!」と息を吐いたジャカスはつまらなさそうに顔を背け、たけど、笑っていた。
「なんです! この者たちは!」
事の一部始終を眺めた民衆は言葉を失い静まり返り、慌てたように指を差して声を上げたのは偽ミルティスナだった。
その指の先、絞首台の上に立つのはエリンスと、外套を纏ったミルティだ。
「俺たちは、勇者候補生だ!」
そう言ったエリンスに合わせて、勢いよく外套のフードを外したミルティはその顔を露わにする。
目立つ高台の上、覚悟が宿る綺麗な緑色の瞳を携えたのは、他でもないサロミス王国の姫――ミルティスナ・サロミス・カルジャーン。
対して怯んだように半歩下がり、表情を歪めたのは、同じ顔をする偽ミルティスナだった。
「わたしがこの国を背負う勇者候補生、ミルティスナだっ!」
「姫様が、二人?」――集まった民衆や兵士たちに走った衝撃に、動揺した民の声が広場には響き渡った。




