謁見
街を巡る水路には水が満ちて、吹き抜ける風には清涼感が伴う。オアシスと呼ばれる巨大な湖の近くだからだろう。心なしか襲いくる日差しも、砂漠のど真ん中を歩いていた時に比べたら柔らかい。
砂岩で作られた建物が立ち並ぶ表通りを抜けて、街の中心部である広場に差しかかれば、その先には見上げるほど高い城が待ち受けていた。
四方に建つ四本の塔、揺らめく赤地の旗には獅子を中心としたサロミス王国の国旗が描かれる。
広場を進んで城門に迫ったところで、エリンスは長い槍を持つ門番に止められた。
「何ようだ」
門の左右に一人ずつ、エリンスのゆく手を阻むようにして、槍が構えられた。
門は開けっ放しにされているが、門番の鋭い眼が突き刺さる。戦時でもなかろうに、その視線から感じる緊張は厳戒態勢のそれだ。やはりただ事ではない。
「えっと、勇者候補生エリンス・アークイルです。サロミス王に謁見を希望します」
そう申し出たところで、門番は二人とも怪訝そうな顔をして視線を合わせている。
不穏な空気を感じ取って、すぐさまエリンスは次の手を打つ。
「セレロニア名誉騎士の栄光を受けまして、セレロニアからの言伝も承っております」
つい先日、世界を震撼させた事件は公になっている。セレロニアからの使いで、ともなれば、兵士たちでも察するところはあるのだろう。
目配せした門番の一人が顔色を変えて、慌てたように城の中へと駆けていった。
「ちょっとお待ちを」
残った門番にそう言われ、エリンスは静かに頷いた。
数分して、戻ってきた門番たちが耳打ちをし合って、すぐに国王への謁見の許可が下りた。城の中より現れた槍を携える兵士に案内されて、豪華な石造りの城の中をエリンスは進む。
「エリンスも口がうまくなったものじゃな」
「まあ、伊達に旅はしてないよ」
頭の上でのんきに呟くツキノに、エリンスは案内してくれている兵士に悟られないよう小声でこたえた。
そうして案内された玉座の間、赤い絨毯が続いた先には二つの黄金色の玉座が鎮座していた。
玉座までの道に並ぶのは数人の兵士たち。皆一様に槍を天へと構えて、エリンスのことをじろりと見つめている。その暑さも伴って、緊張感から喉も乾いてくる頃合いだが、エリンスは表情を強張らせたまま歩みを進めた。
玉座には、二人の人影が見えた。
大きな剣を手にして足を広げてどっかりと構える中年の男。
大層なマントにこれぞとばかりに見せつける黄金色の王冠。白髪を結って白髭を蓄え、かといって身体つきは筋肉質で衰えを感じさせない。鋭い目つきに、その場の空気が作り出す威圧感。
威厳に満ちた風貌をしているのが、サロミス王国国王ランドスナ・サロミス・カルジャーン。
その横の玉座にちょこんと座るのは、ミルティと瓜二つの顔をした女性だった。
見た目はそのままミルティと全く同じ、横に並んでも見分けがつかないだろう。
ただその服装は、薄手のクリーム色のドレスにベールを羽織る姫様らしいものだった。
エリンスが二人のことを眺めていると、偽ミルティスナと目が合った。
偽ミルティスナは笑顔を作って見せる。その作法にも特別違和感はない。ミルティが本物であるとわかっていなければ、騙されているところだろう。そんなことを考えながら玉座まで近づくと、その前で膝をついた。
「して、セレロニアの使いとは?」
口を開いたのはサロミス王だ。低い声には、それだけで威厳が感じられる。
エリンスは恐る恐る顔を上げて、返事をした。
「はっ! 勇者候補生のエリンス・アークイルと申します」
そう言いながらエリンスが立ち上がると、近づいてきたのは国王の側近の一人。全身白を基調とした服装に、軽鎧を身につける男だ。
男が右手を差し出してくる。エリンスは求められていることを察して、懐よりボタンほどの大きさの勲章を取り出して男の手に乗せた。
――早速、役に立つなんて。
勲章を眺める男は厳しい目つきで何やら判断しているようだ。
「本物のようです」
眉間に寄せた皴が穏やかになったところで、男は勲章をエリンスへと返した。
受け取ったエリンスは失くさないように、と懐にしまい込む。
「そうか。それで?」
ぎろり、とサロミス王の深緑色の眼に睨まれるようにして、エリンスは怯みそうにもなったが言葉を振り絞った。
「先日起こった幻英のことで――」
すぐにでも本題に入りたそうにするサロミス王へ、エリンスは報告をでっち上げた。後でルインに話がいくようなことがあったとしても、そこに出てくるのが自分の名前であれば、なんとかなるだろうと考える。
エリンスとしては、こちらは前座。そこに嘘を混ぜる必要もない。セレロニア公国で起こったことを簡単に直接、公国に認められた名誉騎士の一人として、説明した。
全て聞き終えたサロミス王は、「ふむ」と一言納得したように頷く。
「わざわざ直接の報告、ご苦労だった」
セレロニア名誉騎士の証には、国王に一介の勇者候補生が話を聞かせることができるだけの効力はあるようだ。
「話はそれだけか?」とでも語るような鋭い目つきが気にかかり、エリンスはすかさず口を開く。
「あの、緑の軌跡へは……」
話の繋ぎになればと口走って、サロミス王は首を振ってから、横にいる偽ミルティスナ姫の表情をうかがう。
「今は、ダメだ。砂漠に凶悪な魔物が住みついたらしくてな。騎士団長らが出向いているが、連絡はこず。調査が不十分なのだ。勇者候補生と言えど許可が出せない。そうだったな? ミルティスナよ」
そう話を振られた偽ミルティスナ姫は、「はい」と頷いた。
「騎士団長らからはまだ連絡がありません。魔獅子と呼ばれる、それはもう凶悪で危険な魔物が出るそうなのです」
一見、その説明にはなんら問題がないように見えるのだが、このミルティスナ姫が偽物だとわかっているエリンスとしては疑問だった。
やはり、緑の軌跡へは近づけない。魔獅子が砂漠にいたのも、こいつの仕業なのだろう。
ただこの場で退治しました、と言い出すこともできない。
「今はジャカスが最優先じゃ」
エリンスの頭の上からツキノが小声で囁いた。エリンスもそれは承知している。
「わかりました」
――今は素直に呑んでおこう。
「ただ、あと一つ。訊ねたいことがありまして……」
エリンスが聞き返したところで、サロミス王はエリンスへと視線を戻した。
「なんだ、申して見よ」
話は聞いてくれるらしいが、ここからがエリンスとしては本題だ。
「えっと、先日、勇者候補生が捕まったと聞いて」
そう話題に出したところで、偽ミルティスナの目つきが明らかに変わった。エリンスのことを疑うような、疑惑の目線――ただエリンスは動じないようにして、サロミス王へ視線を合わせた。
「たしかに、捕らえたが?」
「同郷の勇者候補生なんです。一体、何をしたんですか、あいつは」
サロミス王が説明をしようと口を開こうとしたところで、それを制して話しはじめたのは偽ミルティスナだった。
「あの者は重罪人です。わたしの偽物を、国に招き入れようとしたのです」
偽ミルティスナにしても、嘘を吐く必要はないのだろう。
「そんなことが……? いや、でも」
ミルティに話を聞いているため知ってはいたのだが、エリンスは驚くように目を見開いて見せた。
「なんだ? はっきり申せ」
そんなエリンスの演技が見破られたわけではないだろうが、サロミス王は冷たい眼差しでエリンスのことを玉座から見下ろしていた。
――圧が怖い!
「すみません、信じられなくて。会って、話がしたいんですが」
そう口にしたところで、エリンスは言葉を呑み込んだ。
サロミス王と偽ミルティスナは、それぞれ何やら考えるようにしてエリンスの顔を見つめている。
厳しい眼差しを感じて、頭を下げたエリンスも思考を巡らせる。
――ここで断られたら、終わりか?
ただ強硬手段に出るにしても、玉座の間にいる兵士の数が多すぎる。
偽ミルティスナの玉座の周りにも、個別に兵士が三人ついている状況だ。
頭の上のツキノが尻尾を振って、エリンスの首筋を撫でた。
エリンスのそんな考えもわかって、何かを伝えようとしているのだろう。
そのくすぐったさを我慢して、ややあって、サロミス王が口を開いた。
「顔を上げい。どうだ? 姫よ」
言われた通りに顔を上げたエリンスは、サロミス王と同じように偽ミルティスナの顔色をうかがった。
――決定権を握っているのはやはりこっち、か。
そう考えて、偽ミルティスナと視線が交錯した。
彼女も彼女で、何やら思考を巡らせている。
――ただ面会を申し出ているだけ。別に、ここで断る理由もないよな? やましいことがないのなら。
エリンスの考えが漏れ出ているとも思えないが、偽ミルティスナはやや奥歯を噛み締めるようにしてから頷いた。
「いいでしょう。ただし、見張りの兵はつけます。セレロニアの名誉騎士、勇者候補生であろうと、そこはご容赦を」
エリンスは内心ほっと息を吐いてから返事をした。
「はい。機会をいただけるだけ、ありがたい」
柔らかく笑顔を作って見せると、偽ミルティスナも貼り付けたような笑顔を浮かべた。
「ほんと、役者めいてきたものじゃ」
ツキノは小声でそう零しながら、エリンスの頭の上で安堵のため息を吐いていた。




