今取れる選択肢
サロミス港を発ってから三日目。エリンスたちはサロミス王国に到着した。
砂色一色だった砂原を越えて、砂漠のど真ん中に広がるは、向こう岸が見えないほどの湖だ。熱砂の砂漠で水は命に等しく、まさにオアシスという名にふさわしい。
長いこと拝むことのできなかった緑もちらほらと生い茂り、大きな木の実をつけるヤシが立ち並ぶ。
「わぁー!」と目を輝かせたハシムが駆け出して湖に飛び込むなり、腕を振り上げ水を払い、エリンスへと笑って見せた。
子供かよ、と内心思わなくもないエリンスだったが、心なしか日差しも落ち着いているように感じられ、久々に見た砂色以外の景色に目を輝かせた。
カラカラとした空気が続いたため、キャラバンの大人たちも子供と一緒になってオアシスへと駆け寄っていく。
顔を洗ったり口をゆすいだり含んだり。それぞれが思い思いに水という命を味わっている。
長いこと砂漠を進んできて、ハシムたちの気持ちもわかるものだ。ただエリンスはこれからのことを冷静に考えてしまった。
ラクラーダの手綱を握るミルティは、灰色の街頭で全身を覆い隠し、頭からはフードを深くかぶっている。エリンスがちらりと一瞥すると、彼女はその視線を感じ取って頷いた。
◇◇◇
オアシスの畔には一つの大きな街を取り囲うように白い城壁が聳え立ち、その先に見上げるは、街の中心部に構えられたサロミス城。
ただ観光しにきたわけでもなくなった。エリンスには緑の軌跡を越えるという大事な目的もあるが、それ以前に片づけなければならないことが増えた。
「時間もあまりない。蹴りはすぐにつけてやるさ」
街の入口たる正門を見上げて、エリンスは一言零す。
その肩の上ではツキノが白い尻尾を揺らしながら「うむ」と頷いていた。
キャラバン一行はオアシスに到着した時点で、長から一度解散の命令が出た。
再出発は四日後、再びサロミス港を目指して砂漠を進行するとのこと。
キャラバン隊の目的は港と王国との行商を支える運搬がほとんどだ。そうして往復を繰り返しているのだろう。
エリンスたちも元々の約束では緑の軌跡へ寄って、キャラバン隊とともに港へ帰る予定だった。ハシムとヨーラとの契約もそうなっているらしい。
「アグルエを待たせ続けるのも、あれだしな」
港町へ置いてきた大切な人を思って、覚悟を胸に腰に携えた剣の柄に触れた。
ミルティやハシムたちとはオアシスで別れて、エリンスは一人、サロミス王国に足を踏み入れた。
見張りの兵士たちに特に警戒されている様子もなく、キャラバン隊とともにやってきた旅の者として受け入れられる。
――方針は既に今朝の内に決めたのだ。
◇◇◇
その日の朝、早起きをしたエリンスは水で喉を潤すと一番にテントを出た。
しばらくして女性用のテントから出てきたミルティと顔を合わせて、それぞれ夜の内に考えたことを示し合わせた。
「もし、偽ミルティスナ姫の正体が国全体に知れ渡ればどうなる?」
エリンスが聞いたところで、こたえたのは頭の上にいたツキノだった。
「そうしたら、それが一番の解決じゃろうて」
たしかにそうだろう。ただ、「でも」と口を挟んだのはミルティだ。
「近づくことすら困難よ。サロミスの姫の……って、本来はわたしなんだけど、護衛は鉄壁だから」
偽ミルティスナは王城の中にいる。国の要人を守る護衛が常についているともなれば、ただの一介の勇者候補生が近づくことも難しい。
「魔導霊断、ツキノの『白き否定の炎』の力なら、魔族の魔法であっても打ち消せるってことだよな?」
エリンスは頭上に向かって聞く。
昨日ツキノがエリンスとミルティに対して確かめさせたのはそのためだ。
「そうじゃな」
――つまり接触する機会ができればいい。
「謁見する機会を作れればいいのだが……」
考えるエリンスに、ツキノが「ふむ」と何か思いついたようにして頷いた。
「作れるじゃろう」
そう言われてエリンスは思い返す。「あ、そうだ!」と懐を漁って取り出したのは、魔導船の中でレイナルより受け取った勲章だ。
まだ比較的柔らかい朝日に照らされて、エリンスが手にした勲章がきらりと輝いた。
「それは?」
ミルティが不思議そうに聞く。
「セレロニア名誉騎士の証だよ」
エリンスは役に立つかもわからずに受け取った物であったが、受け取っておいてよかったと心底思った。
「セレロニアの? あなた、本当に『落ちこぼれ』って呼ばれていた、あのエリンス?」
エリンスの顔を見やってまるで信じられないとでも言いた気なミルティに、ただ怒ることもなく笑ってしまった。改めてそう言われることにも、なんだか慣れていなくて。
「なんで笑うのよ……」
困った顔をしたミルティに、エリンスの頭の上からツキノが胸を張ってこたえた。
「この子はやればできる子なんじゃよ」
「この子って、なんだよ」
ツキノからのその言われようにエリンスは苦笑いもした。
ミルティはその二人のやりとりを見て、「ぷふっ」と頬を膨らませて笑いをこらえず吹き出す。
「なんだか、頼もしいわ」
一頻り「あははは」と笑ったミルティは、ようやく緊張感が抜けたのだろう。
エリンスが照れ隠しに「やれやれ」と首を振ると、ツキノも同じように首を振って見せた。
「ま、まあ、これを使えば国王に謁見することはできるんじゃないか?」
仕切りなおしてそう言ったエリンスに、ツキノも「そうじゃなぁ」と頷いて同意した。
適当に理由をつけさえしてしまえば、一国から認められている人間を拒む理由などないはずだ。
ただ二人に比べて険しい顔をしたのはミルティだった。
「でも、それでも姫に手を出すのは簡単なことじゃないわ……って、わたしがなんであいつを姫呼ばわりしなきゃいけないの?」
怒りを思い出したようにするミルティを、エリンスは「まあまあ」と苦笑いしながら宥める。
ただそうしながらもミルティは、あくまでも冷静な様子で言った。
「とにかく、エリンス一人で行動させるにはリスクが大きすぎる。謁見ができたところで、偽のわたしに近づいて手で触れるなんて難しいと思う」
「そうじゃな。国一つを相手に立ち回るのは危険じゃろう」
その点についてはツキノも同意見のようだった。
「じゃあ、でもどうするのが一番かってことだよな」
エリンスは悩んで、顎に手を当てながら考えた。
「捕まったジャカスの安全覚悟が最優先じゃろう……」
ツキノはそう言いながらも、まだ何か悩むように引っかかる言い草だった。
「城の地下牢にいるはずよ。即刻処刑でもされていない限り……」
考えられる最悪の事態と言うこともありはする。青ざめた顔をするミルティに、ただツキノは首を横に振りながらこたえた。
「大丈夫じゃろう。いくら姫の権限があろうとも、勇者候補生を即刻処刑などにはできぬはずじゃ」
そのようなことを即断即決してしまえば、周りに不信感が生まれてしまう。そうした時一番不利益を被るのは、偽のミスティスナ姫だ。
「国王への謁見ができれば、罪人への面会許可くらいは出るはずよ」
ミルティはツキノの言葉に安心したようにして頷いた。
「ミルティの真偽を証明するためにも、一緒に旅を続けてきて勇者協会に同盟としての公式記録が残っているジャカスの協力は不可欠じゃ。偽の姫に近づくのも、ジャカスの協力が得られれば、間違いなく、成功率は上がるじゃろうが……」
ツキノが言うことはもっともで、ただやはりツキノは何かが引っかかっているようだった。
「ジャカスなら協力してくれると思うけど……って、あっ、そっか。協力してくれれば、か……」
ミルティも考えるようにして、悟って肩を落とした。それもそのはずだ、とエリンスも気づく。
今回の場合、国王に謁見してジャカスへの面会する機会が得られるのは、エリンスのみ。
「あやつがエリンスの言葉を聞いてくれるかどうか」
ツキノが心配する通りだ。エリンスとしても、話をまともに聞いてくれるとは思えない。
ジャカスにもジャカスなりの訳があることは、エリンスも知っている。ツキノもそれはわかっているから、ずっと気にかかったような言い方をしていたのだ。
「でもこの場合、説得してみないとわからないだろ?」
ミルティのためならば、エリンスの言葉であろうとジャカスに届く可能性はある。「それに」と考えて、エリンスは続けて口を開いた。
「どうせ今取れる選択肢なんて、そんなにないんだ」
「それもそうじゃな……」
ツキノが頷いて、ミルティも不安そうな表情で頷いていた。
そもそも謁見が認められるのかもわからないところだ。
ミルティを街の中に入れるだけで危険が及ぶ可能性がある。だからハシムたちと街の外で待機させることにして、ひとまずはエリンスが単独で城へ出向くことに決めたのだった。