熱病にうなされて
長い夢を見た。
暗く冷たい世界を照らしてくれたのは、優しくもなれる温かい気持ち。
しかし、手放してしまったことでずきりと胸が痛んだ。
それが必要な決断だった。持たなければいけない覚悟だった。
侘しくて寂しくて、泣きたくないと我慢したのに、自然と目から涙が溢れ出た。
目を合わせることはできなくて、顔を逸らして逃げるように背を向けた。
「さよなら」と言うことがどうしても辛くて、だけど、その言葉を口にした。
胸を締めつける痛みにも蓋をするようにそっと目を閉じて――。
次に目を開けたとき、アグルエはその夢を忘れた。
◇◇◇
眠っていたはずなのに、長時間走ったかのように息は上がっていた。
視界に見慣れない白い天井が広がって、アグルエが身体を起こすと、そこはやはり見慣れない部屋だった。額からは濡れたタオルが滑り落ちる。
ベッドが二つ、見たところ宿屋の一室だろうか。月明かりが差し込む窓へと目を向けると、膝を立てて座る影が部屋へと落ちていた。
「目を覚ましたか?」
そう口を開いたのは、窓際に腰かけるレイナルだった。
アグルエは滑り落ちたタオルを拾い上げて、自身の汗を吸って湿った服に嫌悪感を覚えた。
「着替えならそこに置いてある。着替えるなら席を外そう」
ゆっくりと状況を確認している中、そう優しく声をかけられて、アグルエは首を振ってからこたえた。
「あ、いえ……それに、ここは……」
寝不足に陥っていた自覚はあった。
ただエリンスとツキノに心配をかけたくなくて、平気なように振る舞おうとして、挙句の果てに熱を出して倒れたところまでの記憶はある。そのまま眠っていたのだろうことはわかったが、状況があまり呑み込めない。
「サロミス港の宿だ」
眠っている間にも無事、魔導船は目的地についたということだ。だけど、エリンスの姿が部屋の中にない。
首を振って探し回るような視線を察したのか、レイナルはそんなアグルエを見つめて言葉を続けた。
「エリンスとツキノは、緑の軌跡を目指して旅立ったよ」
急に告げられる現実に、アグルエは慌てて立ち上がろうとする。
「……そんなっ!」
ただふらつく身体では腕に力も入らず、ベッドから抜け出すこともできずに後ろへ倒れてしまった。
「無茶はしないほうがいい」
――置いてかれてしまった。一緒にその先を目指したのに。
悔しくもなって寂しくもなって、天井を見上げた碧い瞳には涙も浮かぶ。
「きみらは本当に、似たような表情をするもんだ」
そんなアグルエを見つめたまま、レイナルは苦笑いを浮かべた。身体を起こしなおして、レイナルを見つめて返事をする。
「ごめんなさい、迷惑をかけて」
「いや、気にするな」
レイナルがこうして残ってくれたことにもアグルエは責任を感じていた。
「二人ならちゃんと目的を果たして帰ってくるさ」
優しくもそう言ってくれるレイナルに、アグルエは「はい……」と肩を落としながら俯いた。
ぎゅっと握るシーツに、手汗がじんわり染み込むように皴がつく。
「わたしが、こんなんじゃ、ダメですね……」
肩を落としたまま、吐き出さないように、とこらえたつもりだった気持ちが、自然と口を衝いた。
「きみが責任を感じることは、何一つないよ」
レイナルの優しさが心に沁みて、涙を浮かべたままアグルエは吐露を続ける。
「魔界では『最強の魔王候補生』だなんて言われて、それでも胸の内にある『この力』は世界を左右させるほどのもので……。
結局、わたしはこの力に助けられ続けていただけ。自分自身の身体すら守れないようじゃ、きっと、何も守れない……」
――最強だなんて言われても、黒き炎の力が強いだけ。
「エリンスは、前を向いているのに、わたしは……」
――後ろを向いてしまっているような気がして。
考えれば考えるほどに、涙が溢れ出てくる。それがただ単に置いてかれてしまった寂しさからなのか、アグルエにももうわからないほどに想いが溢れ出す。
涙に混じる黒き炎の煌き――それにも気づいて、余計に胸が痛くなる。
レイナルはそんなアグルエの様子をただ静かに眺めて、一息吐いてから返事をした。
「神の叡智、その力は何も万能じゃない。魔法が魔導士の想いにこたえるように、それと一緒なんだよ」
アグルエは顔を上げて、眩しいほどの月明かりが差し込むレイナルのほうへと目を向けた。
「黒き創造の炎、それはたしかに神が世界を創るために使った天地創造の力だ。だけど、きみに『世界は創れない』。どうしてだかわかるか?」
問われて胸に手を当てれば、自然とこたえが口から零れ出た。
「想い……」
アグルエは改めて気づかされる。黒き炎の力は、いつも自分自身の想いにこたえてくれていたことに。
「幻英の言葉に悩まされることはない」
レイナルにそう言われて、胸の奥に閊えていたことにも気づかされる。
――『……黒き炎、白き炎、共にあり続ければ、必ず破滅を呼ぶぞ』
あの言葉が、胸の奥にずきずきと突き刺さっている。
だから置いてかれてしまっても仕方がないのだ、と無意識のうちに追い詰めていたらしい。
エリンスと共にいることを否定されたような気がして、エリンスと一緒にいるといけないような気もして。
一緒に歩き続けたい、旅をしたい、世界の果てにあるモノを見つけたいのに。ただ一緒にいたいだけなのに。
「人の想いは、希望にも絶望にも成り得る。きみの持つ力にしたってそうだ。
だけどね、きみのお父さんがどうしてきみにその力を託したのか。どうしてその力を持つきみに旅をさせたのか。俺にはわかる気がするんだ。同じ父親だからね」
目を腫らして泣き続けるアグルエは服の袖で目を拭う。
シスターマリーにも同じようなことを言われた。
『わたしには、あなたに旅をさせたあなたのお父さんの考えがよくわかる』
『だからそのこたえは、あなたたちが見つけなさい』
――まだこたえは見つからない。旅の途中だ。
くしゃくしゃにした表情を袖で拭って、顔を上げたアグルエはレイナルを見つめた。
レイナルはどこかエリンス似ている優しい表情をしたまま、言葉を続ける。
「まだ『あいつ』の背中は頼りないかもしれない。だけど今は、帰りを待ってやってはくれないか?」
優しい声色でそう微笑まれてしまえば、アグルエも笑顔で頷くしかなかった。
「はい、待ちます」
あの戦い以来、久々に心から笑えたような気がした。
じんわりと胸の内に広がる温もりを大切に抱き締めるようにして、瞳を閉じたアグルエは胸の前で手を重ねる。
――それに頼りなくなんかないのだから。いつも心の中で呼ぶと返事をしてくれる。わたしの手を取ってくれる。
そうやって何度も何度も救ってくれている、『わたしの勇者』なのだから――。