熱砂の港町
魔導船より降りて、まず感じたのは特有の熱気、焼けるような猛烈な日差しだった。
からっとした暑さに、埃っぽくも感じる乾いた風に混じるのは、目の細かい砂だ。
青い海より続いた石造りの埠頭を抜けると、熱砂の港町サロミス港が広がっていた。
砂色をした無機質な建物、砂岩を積まれた壁。建物と建物の間を繋ぐ色とりどりの布が、強すぎる日光を遮るように町並みに陰を作る。
人々は頭よりターバンやベール、帽子をかぶっている。
道ゆく人々の服装は皆、この地特有の暑さを避けるために工夫がされている。通気性を重視された、ゆったりとした服。主に太陽光を反射する白いものを着用した人々の往来が目立つ。
逆に、今しがた船より降りたところのエリンスたち乗客らは、一様にして暑さに驚いて建物の陰へと避難していく。
それもそのはず、いつも通りの旅をしてきた服でいるエリンスは、港町へ一歩足を踏み入れるなり、噴き出す汗がこらえきれなかった。身体中の水分が汗となって流れ出ていくような感覚に襲われて口を開ける。すると、吹きこむ風を吸い込んで、ジャリっとした嫌な感触があり顔をしかめた。
そんな様子を見てツキノは肩の上で笑っている。
「まずは、暑さを避けられるところにいかないとな」
建物の陰に避難したレイナルも笑いながらそう言った。
エリンスは頷くと、レイナルに背負われて未だ眠っているアグルエの寝顔を見つめた。
熱にうなされるアグルエにとって、この気温がいいはずのものがない。
ただやはり、そこにはちょっとした愁いを感じて――船に乗る時と逆になってしまったな、などといった自虐心が芽生えた。
目指す緑の軌跡は、サロミス王国――砂漠の中心部にある。ましてや、この状態のアグルエを連れて砂漠を越えるわけにもいかない。
一行はひとまず、近くにあった宿屋へ入ることにした。
『熱砂のオアシス』という看板の掛かる大きな宿へ入ると、傭兵や旅人でロビーは溢れていた。暑さから避難する目的も大きくあるようだ。皆服装が砂漠仕様ではないためにひと目でわかる。
エリンスはツキノを頭の上に乗せたまま、宿屋の店主と話をしているレイナルのことを待った。
これだけ人で溢れていると部屋を取れないのではないだろうか、と心配もした。
だが、眠るアグルエの顔色を見て、顔色を変えた店主が部屋の鍵を取り出すと、慌てた様子で手振りをつけて案内をしてくれた。
そのまま人目をはばかるようにして、エリンスとレイナルは階段を上がって案内された部屋へと入る。
ベッドが二つ並び、窓際に丸机と丸椅子が置かれただけの小さな部屋だったが、空調がゆき届いているため、快適な気温が保たれている。
熱を遮るような壁の素材は白で統一されていて、明るい内装に窓から差し込む陽光が反射して眩しいほどだ。
部屋へ入るなり薄いカーテンを閉めて陽の光を遮ったエリンスは、レイナルがアグルエをベッドに寝かせる様子をただ見ていた。
用意した濡らしたタオルを咥えるツキノが、それを寝かせたアグルエの額の上へ綺麗に乗せる。
これでひとまず、アグルエを安心して寝かせられる場所はできた。
一息吐いたエリンスに、レイナルも椅子に座った。
窓際に並んで一呼吸置いて、レイナルは続けて口を開く。
「ここからサロミス王国へ向かうには、サミスクリア大陸南東部に広がる『サミスクリア大砂漠』を抜けなければならない」
エリンスも大陸に広がっている砂漠の様子は、地図や書物で見たことがある。
人の足で早くて二日ほどの距離。ただし、そこには一つ大きな落とし穴があるのだ。
砂漠という広大な砂と乾燥した大地では、目印となるものがほとんどない。
また同時に襲いかかるのは猛烈な暑さを伴う陽光と、燃えるような熱を巻き上げ含む砂嵐。逆に夜になると途端に冷え込む。
それは到底生身の人間が生きていける環境ではない過酷なところ。砂漠は魔素の流れも少ない場所なのだ。
素人が足を踏み入れれば彷徨うことになり、その乾きに命を落とすことにもなる。
霊峰へ登った時同様、砂漠にも道案内をしてくれる人の存在が必要になる。
「そこで、知り合いのキャラバンに連絡を取ってある」
「キャラバン?」とエリンスが聞き返すと、レイナルは頷いて説明を続けた。
「あぁ、サロミス王国とサロミス港とを往来している行商人の集団だよ。古い伝手で知り合いがいてな、今回のことも船の上から事前に連絡を入れてある。ちょうど、今日が出発日らしくてな」
頼もしいことこの上ない返事だった。
それにそう話を聞いていると幼き頃、『キャラバン』の話を本で読んだことを思い返した。子供の時にはよく意味のわからないものだったが、この過酷な暑さを味わってしまえば思うところもある。この町の暑さにしたって序の口だろう。
「町の出入り口付近に、キャラバンが利用する商業施設がある。そこで待ち合わせをしている。
青い髪にターバンを巻いている兄と、金髪にやんちゃそうな笑顔が似合う妹の兄妹だ。俺の紹介だと言えば、おまえがいけばすぐにわかるはずだ」
青髪ターバンの兄に、やんちゃそうな金髪の妹。
随分と抽象的な言われようではあったが、エリンスの頭の上ではツキノもこくりと頷く。
エリンスも「わかった」と一言返事をして、ただどうしても一つ気になった。
『今日が出発日』――先を急いだほうがいい旅ではあるが、やはり、そうしなければならないのだろう。
「アグルエは……」と、アグルエが眠るベッドに目を向けて言葉を零したエリンスに、レイナルは首を横に振った。
顔はまだりんごのように赤い。
穏やかな寝顔を浮かべてはいるが、時折、苦しそうに呻き声を上げている。
――この状態のアグルエを連れてはいけないよな。
「今はよく眠っている。それが彼女の身体のためにも一番いいだろう。俺が見ておくから、心細いかもしれないけれど、今回はツキノと二人でってことになるかな」
心配で胸が張り裂けそうだ。本当のことを言えば、一時ですら離れたくないというのが、エリンスの本心だった。
だが、そんな胸中にも覚悟として灯した想いがある。
――アグルエと一緒に前に進むと決めた。アグルエがそうして選んでくれたように。
「妾もついておる!」
張り切るツキノはエリンスの頭の上から飛び降りると、机の上で胸を張る。
「頼もしいよ、ほんとに」
それは口から漏れ出た本心で、目を細めて笑ったエリンスに対して、レイナルも優しく微笑んだ。
「わかった。父さん、アグルエのこと、頼む」
最優先事項は、緑の軌跡の突破だ。
ただ、レイナルに任せるにしても、一つ不安はある。
「黒き炎と白き炎は引かれ合う……今の俺にはわかる、アグルエの中にある黒き炎が。
幻英にだって、これを感じることができるってことだろ?」
ファーラスで、アグルエは幻英に正体を見抜かれたと嘆いていた。
それも今ならば理解できるのだ。黒き炎を持つ者は、魔王の血筋しかありえない。
だからもしも、エリンスが緑の軌跡へ向かっている間に、幻英が襲ってくるようなことがあったのならば――と、可能性の話として不安にもなったのだ。
「あぁ、だが、やつにだってアグルエの居場所までがわかるわけではない。近づけば引かれることもあるだろうが……」
レイナルがそう言ってくれた通りなのだとしたら、今すぐにどうこうなる可能性は低いということだ。
レイナルはエリンスが心配する気持ちも悟ってくれている。それを含めて、『見ておく』と言ってくれている。
エリンスは不安と同時に寂しさも覚えた。
一人で旅立つと決めたサークリア大聖堂。
結局のところ、その後アグルエと出会って、ここまでの旅路はアグルエが横にいてくれた。
アグルエを置いていくこと、ラーデスアで起きた世界を震撼させたもう一つの事件。
考えれば考えるほどに不安は膨らんでいくのだが、しかし、それも断ち切って、前へ進まなければいけない。
決意を灯したエリンスは頷いて、ぴょんと跳ねたツキノが頭の上に跳び乗った。
「いってくるよ」と眠るアグルエに声をかけて、エリンスは静かに宿屋の部屋を出た。
◇◇◇
吹き上がる風に乗せられて、目の細かい砂が舞う。
エリンスは思わず目を瞑り目元を腕で押さえて、目的地である町の出口を目指した。
日陰が作られていてまだ涼しい町並みを抜けると、ギラギラと焼けつく日差しに照らされる町の広場へと出た。
門のようになったアーチ状に積まれた砂岩の向こうには、広大な砂色の海が広がっている。
どこまでも続くような広大な景色。陽炎で砂丘が揺れて、その暑さを物語っているかのようだ。
レイナルの説明通り、町の出口付近にはキャラバンの利用する商店と補給施設が併設されていた。
額より流れる汗に、厚着が気になって胸元へ風を送るが、触れる軽鎧が熱を持っていてあまり意味をなさない。
暑さを我慢しながら施設へ近づいた頃には、すっかり喉もカラカラだった。
施設の周りには荷物を担ぐ人々に、ラクラーダと呼ばれる魔物を連れている人々が目についた。
ラクラーダは背中に大きなこぶを持つ四足歩行の砂漠地帯に生息する魔物で、水を大変好み人によく懐く。水か水の魔素を与えれば、大抵の言うことを聞いてくれる。人を乗せることは得意ではないものの、力持ちであるために砂漠の物資運搬には重宝されている。
キャラバン隊の人らに連れられているラクラーダも、商品の運搬目的のようだ。
手綱を握る白いローブを着ている商人らは、ラクラーダに水を与えながら何やら談笑をしている。
涼しそうな服装だな、と羨ましくもなり目を凝らしていると、その集団の中にレイナルに言われた特徴と合う二人組を見つけた。
濃い青い髪に白いターバンを巻く青年。
アンバー色の瞳に、力強い目つき。ベストを着て、身動き取りやすい道着のような白いローブに身を包む。
細いながらも筋肉質な足と身体つきに、腰にサーベルと呼ばれる剣を差しているところを見る限り、剣士のようだった。
もう一人は、背丈ほどある杖を背負う金髪の少女。瞳の色は青年と同じアンバー色。
軽く加工されたとんがり帽子を頭に乗せて陽を避けて、こちらもまた身動きが取りやすそうな白いローブに身を包む。
やんちゃそうに「にしし」と笑顔を浮かべて、何やら青年と話をしているようだ。
二人ともが日に焼けた浅黒い肌をしており、砂漠の民なことは一目瞭然。似た顔つきを見て兄妹だと確信もした。
エリンスは迷うことなく近づいて、二人もエリンスに気づいたように同時に顔を向ける。
「あの、レイナル・アークイルの紹介できたんですが」と声を掛けたところで、青髪の青年は「ん!」と目を丸くした。
「師匠が、若くなった?」
『師匠』と言われた様子――それが誰を指しているのかもエリンスはすぐにわかった。
名前を出せばすぐにわかると言われた理由にも気づく。エリンスとレイナルはそっくりなのだから。
「あぁ、そんなわけがない。これは失敬した。俺はハシム・ベンラール」
青髪の青年――ハシムはおどけたように両手を広げて挨拶をしてくれた。
「あたしは、ヨーラ・ベンラール!」
「にしし」と笑う彼女はハシムの横で、顎に手を当てて何やらエリンスを見定めるように上から下へと視線を動かした。
エリンスはそんな視線も気にしないようにして返事をした。
「俺はエリンス・アークイル。勇者候補生だ」
「へぇー! レイナルさんの息子さん!」
見た雰囲気ではエリンスとそう年も変わらないだろうヨーラは、近づいてくるなりエリンスの背中を力強く叩いて肩を組んでくる。
慣れ親しんだようなやり取りにエリンスは戸惑って、腕に当たる彼女の豊かな胸に余計に目を回した。暑さのせいもあったかもしれない。
ツキノもエリンスの頭の上でやれやれと首を振っている。毛量ある身体に暑さは平気なのかと、エリンスは心配もしたのだが、ツキノは一切暑そうにもしていない。そういえば――と思い返して、霊峰へ登った時も特段寒さを気にしている様子はなかった。
「これは驚いた。俺らと同い年くらいの子供がいたなんて」
ヨーラは一頻りエリンスの背中を叩くと満足したように離れてハシムの横へと戻った。
すっかり二人のペースに乗せられて、一層汗が噴き出したエリンスは、渇く喉も我慢して声を絞り出した。
「父さんとは、どういった関係で?」
「あぁ、うちの爺さんが昔世話になったことがあったんだよ。そんで、行商の一環で旅をしたこともあってね。その時、俺にいろいろと教えてくれたのがレイナルさんだった」
ハシムはレイナルのことを師匠と呼んでいた。
そこにエリンスは、シルフィスとの関係を思い返して、ハシムに妙な親近感を持った。
結界魔術師として旅をしているというレイナルではあるが、一応『行商人』の肩書きも嘘ではないようだ。
「そうだったのか」
頷いたエリンスに、ハシムは右手を差し出して屈託のない笑顔を浮かべる。
「エリンス、よろしく」
エリンスは迷うことなくその手を握ると、「こちらこそ」と笑って返事をした。
一息吐いて、そろそろ水がほしいと思いはじめたところで、ヨーラは引きつった顔のまま口を開いた。
「その格好で、いくつもり?」
エリンスを真っすぐと指差す人差し指につられて、エリンスは改めて己の服装を見なおした。
かつて、雪山へ登った時のことを思い返して――ヨーラが向けるジトッとした眼差しは、『砂漠をなめてるの?』とでも言われるようだった。
「出発までまだ時間はあるが、そうだな。その格好で砂漠を越えるのはおすすめしない」
ハシムにもはっきりと断言されてしまい、エリンスも「そうだよな」と笑うしかなかった。
「とりあえず水が欲しい」
エリンスがそう言うと、「あはは」と乾いた笑いを上げたヨーラにハシムも笑う。
「水は砂漠の命だからね。装備も合わせて準備しよう」
そう言ったハシムに連れられて、エリンスはキャラバン隊の人混みを掻き分けて、商店の中へと入った。




