ふたつの揺らぎ
時代のうねりの中、狭間で揺れ動く黒と白の灯。
アグルエの中に眠る黒き炎。エリンスが受け継ぐ白き炎。
アグルエは気づいていた。自分の胸の内にある力が――『滅尽』と呼ばれた力が、ただの魔法ではないことに。
『滅尽』とは――魔王アルバラストが、アグルエの身を思ってつけた呼び名だ。
滅尽の魔王候補生、最強の魔王候補生。
そうして力を示して名を知らしめることにより、アルバラストは守ったのだ。
自分の一番大切なモノを。世界を揺るがすほどに大きな力を。
今ならわかる――と納得する。城に呼び戻された、あの退屈な日々の意味が。
5年前にはじまった魔王候補生制度。
5年前に現れた幻英。
全てが無関係ではない。
時代の流れは、一つの道筋に沿って描かれている。
幻英がどうしてこの力を狙うのか。
ひょっとすると、レイナルとツキノは気づいているのかもしれない。
ただ二人とも、目覚めないエリンスを前にしては何も語ろうとはしない。
だからただ、信じている。
引かれ合う運命だというのなら、二人の出会いが偶然じゃないというのなら――。
旅はまだ終わらない。こんなところで終わらせない。
アグルエは待っていた。エリンスが目覚める、その時を。
◇◇◇
それは、セレロニア公国に幻英が現れた翌日のことだった。祭典を襲った緊急事態――戦いの中に身を置くことになったアグルエは、腹ごしらえと睡眠をとって、すっかりと回復した日のこと。
心配してくれる友人の勇者候補生に挨拶を済ませて、宿屋のとある一室を訪れた。
ベッドの上ではエリンスが穏やかな表情で眠っている。
白い狐姿に戻ってしまったツキノは丸まりその枕元で、こちらもまた穏やか表情をして眠りについていた。
二人のことを見守るようにして、傍らに置いた椅子に腰掛けて本を開く男は、アグルエに気づくなり顔を上げた。
「祭典の再開が決まったそうだ」
貫かれ破れて穴の開いた灰色コート。首筋まで隠れる伸びた黒髪。柔らかいながらに芯の通ったヘーゼル色の瞳。
アグルエのよく知る、ベッドで眠る彼にも似た静かな表情を向けて、エリンスの父レイナルは口を開いた。
「はい、わたしも今さっき聞いてきました」
レイナルは「そうか……」と気まずそうに視線を泳がせて言葉を探すようだった。
「二人の様子は?」とアグルエが聞くと、「あぁ」と頷いてから返事をしてくれた。
「眠っているだけ。命に別状はない。二人とも、力を使わせすぎてしまったな……」
目を細めるようにして優しい表情を浮かべるレイナルに、アグルエも言葉を探した。そうして、口を衝いたのは不安だった。
「わたしの……せい、でしょうか」
眠る二人に目を向けると、胸の奥がずきんと痛む気がするのだ。
「……どうしてそう思う?」
レイナルは真剣な表情で見つめ返してくる。
目を合わせて、アグルエは居たたまれなくもなって俯いた。
「幻英は……わたしの力を狙っていたので……」
アグルエは力なく言葉を零して、ただレイナルは首を振ってから返事をする。
「二人がきみを守ったことを俺は誇りに思うよ。そして、きみが二人を守ってくれていたことも。
今回あいつに好き勝手させたのは俺たちの失態でもある……。あいつがあの力を使いこなしているとは思わなかった」
幻英が持つのは『勇者の力』だと聞いた。
かつて勇者候補生であった彼が、未だ持ち続けている力――。
「二人が目覚めないのは、まあ、力の共鳴を受けた反動ではあると思うが、きみのせいじゃない」
そうだといいなと思うのは、アグルエの本心。
ただ心に穴が開いたような気持ちは、二人の寝顔を見つめると余計に広がっていく気がした。
「時機に目覚めるさ。心配はないよ」
レイナルは笑顔でそう言ってくれる。
やはりその笑顔は、未だ眠り続けるエリンスのものと似ていて、アグルエは少し安心感を覚えた。
「はい」と笑って見せるアグルエだったが、ただ、どこかぎこちないものとなった自覚はあった。
「それで、エリンスは軌跡を三つ巡ったんだったよな」
レイナルは考えるようにして話を続ける。
「はい。『白』、『赤』、そしてセレロニアにきて『青』……次は南の『緑』を目指そうと決めていました」
祭典の準備をはじめる前に、二人で決めた次の旅の目的地だ。
「そうか。なら、できるだけ早く出発したほうがいいだろう」
顔を上げて提案するレイナルに、アグルエは聞き返した。
「できるだけ早く?」
「あぁ、セレロニアに留まり続けるのもあいつに居場所を教えているようなものだ。
ツキノが一太刀入れてくれたから、あいつとてすぐには動けないとは思うがな……」
アグルエが持つ力が未だに狙われ続けているのだとすれば、幻英がいつまた襲ってきてもおかしくはないということだ。
「それに、あいつが力を使いこなしているとなれば……もはや、エリンスに託すしかない」
レイナルは眠るエリンスの顔を見つめてそう呟いた。
大きな意味が含まれるような言葉に聞こえて、ただアグルエは踏み込んで聞くことができなかった。
「緑の軌跡か……ってなると南のサロミス王国だな」
サロミス王国は――サークリア大聖堂のあるサミスクリア大陸南に広がる山岳を越えた向こう側、サミスクリア砂漠の中心にある、砂と陽炎に包まれる熱砂の国。
一年中熱いことで有名で、砂と清らかな水が溢れるオアシスの街。緑の軌跡はその傍にあるということをレイナルが教えてくれた。
「そこまで俺がつき添おう。すぐにでも発ちたいところだが……」
続けざまにそう口にしたレイナルは、ただアグルエの表情を見て考えるようにして止めた。
「七色祭の祭典は見てからにしようか」
「はい。だけど、エリンスが目覚めなかったら、どうするんですか?」
さすがに勇者候補生である当の本人を置いていくわけにもいかない、と思ってアグルエは聞き返す。
「俺が背負ってでも船に乗るさ」
笑っていうレイナルに、アグルエもぎこちないながらに笑ってこたえた。
そうして旅路を歩き続けると決めたアグルエではあったのだが、ただやはりこの時も、聞きそびれてしまった。
己の力が、何を意味するのか――それはずっと胸に閊えたまま。
眠り続ける彼のことを想うと苦しくなる胸を押さえて、独り祭典へ参加することを決意したのだった。




