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目覚めない勇者候補生 ――エピローグ――


 七色祭しちしょくさいの中心となった祭典、七色の儀も終わり、戦いから三日。

 祭りで賑わう街は更なる盛り上がりを見せていたが、アグルエにはゆっくりと楽しんでいる余裕もなかった。

 エリンスは未だ目を覚まさない。しかし、二人の旅をここで止めるわけにもいかない。


 商人や漁師で溢れる土の都、グンブルト港。

 セレロニアで唯一外海との繋がりがある場所は、七色祭しちしょくさいの時期ということもあり人であふれ賑わっていた。

 潮風が漂い、揚がったばかりの新鮮な魚が跳ねもする市場を抜けて――「よしっ」と気合を入れて決意を固めたアグルエは、約束の場所へと向かった。


 大きな魔導船が三隻泊まる船つき場には、既にアグルエが約束をした人物が待っていた。

 眠り続けるエリンスを背負ったレイナルに、その頭の上ではツキノが白い尻尾を揺らしている。レイナルと何やら真剣な顔で話をしていたのはマリネッタだ。


「おまたせしました」とアグルエが駆け寄って挨拶をしたところで、二人の話もちょうど終わったようだ。

 レイナルの横に並んだアグルエに、マリネッタが一歩近づいてくる。


「南にいくんだよね」

「うん、軌跡は後二つ。エリンスとは……次は南の、『緑の軌跡』にいこうって決めていたから」


 マリネッタは心配そうな視線をレイナルの背で眠るエリンスへ向ける。

 アグルエも同じように目を向けて頷いた。


「そうね……わたしも、公国こっちのごたごたが片づいたら、あなたたちの後を追うわ」


 思いもしてなかった申し出に「え?」と戸惑った。

 目にキリッと力を入れて頷いたマリネッタが、真っすぐとした眼差しを向けて言葉を続けた。


「わたしにも、勇者候補生になった意味が見つかったから」


 この三日間、あの戦いを通して――マリネッタにも考えることがたくさんあったのだろう。

 ただ国のため、家のために勇者候補生になった。どこか寂しそうに口にしたマリネッタの面影は、もうなかった。


 アグルエはマリネッタの決意を受け止めて目を瞑る。


――心強くて、ただ、嬉しい。


「あの幻英ファントムってやつは、またアグルエを狙ってくるのでしょう?」


 目を開けたアグルエは「うん……」と頷きながら、横にいるレイナルの顔をうかがった。

 レイナルも頷いて返事をする。そのためにも、レイナルは南に向かうためにつき添ってくれることを決めてくれた。


「わたしも、あいつは許せない。何をしようとしているのかはわからないけれど、『霊樹の枝』、セレロニアの秘宝を取り返さなければならない」


 アグルエと一緒に行動すれば、幻英ファントムは必ずまた現れる、辿りつける。マリネッタもそう考えたようだった。


「それに……」と続けて口にしたマリネッタは、ただそこで言葉を止めた。

 少し考える素振りを見せて、顔を隠すようにアグルエから視線を逸らして振り返る。


「ううん、やっぱりなんでもない。ってことで、アグルエ。必ず、後を追うから!」


 目を拭うような仕草を見せて、ただ、大きな杖を提げた背中は頼もしく見えた。

 アグルエには言いたいことがわかってしまった。

 あの夜、宿屋の屋上でのマリネッタとロンドウのやり取りを盗み聞きしてしまったから。


 俯いたアグルエに、マリネッタが横顔を向けて「またね」と手を上げる。


「目覚めたらエリンスにはしっかり言っておいて。『ちゃんと約束は守りなさい』って」


 アグルエにはなんの話だかわからなかったのだが、「あはは」と微笑んで、「またね」と手を振って返事をした。

 遠くなって人波へと消えていったマリネッタの背中を見送って、アグルエはこれから乗る魔導船へ目を向けた。


「やり残したことはないか?」と訊ねてくるレイナルに、アグルエは力強く返事をする。


「はい! 大丈夫です!」



◇◇◇



 船に乗り込んだ三人は予約を取っていた客室へ入るなり、部屋の奥のベッドにエリンスを寝かせた。

 ベッドが三つ並びそれなりの広さがある客室だ。いつも魔導船に乗る際に使う狭い部屋との違いに驚くアグルエではあったのだが、それもどこか懐かしくて「ふふっ」と笑ってしまった。


 アグルエはエリンスの眠るベッドの横に椅子を持ってくると、寝顔を見守るようにして腰掛けた。

 エリンスはよく眠っている。ずっと眠り続けてはいるが、苦しむようでもなく、穏やかな寝顔だ。


 ちょこんとベッドに座っているツキノを抱え上げると、ツキノは驚いたようにしてからアグルエの膝の上で丸くなった。

 ツキノはツキノで戦いの後三日間眠り続けて、今朝目を覚ましたところ。ただそれからというものの、何も話そうとはしてくれず、気まずい空気を抱えたままだった。


 レイナルが勇者協会と連絡を取る、と部屋を出ていったタイミングで、その白い毛並みで溢れる背中を撫でていたアグルエに、ツキノは尻尾を揺らして顔を向けた。


「何も話せなくて、すまぬ」


 申し訳なさそうにぽつりと零したツキノに、アグルエは撫でる手を止めてこたえた。


「いいえ、ツキノさんは、わたしとエリンスのことをずっと助けてくれました」


 出会ってから今まで、アグルエにとってはここまでの旅路に欠かせない大きな存在だった。

 ツキノが眠っていた時間を考えると、ああして力を使うにしても無茶をしていたことがわかる。


わらわにも、戦う理由があったからのう……」


 静かに遠くを見つめるツキノに、アグルエは聞く。


「ファーラスでツキノさんが落ち込んでいたのも、きっとあの時にわかっちゃったからなんですよね」


 ファーラスでの戦いの後もツキノの様子がおかしかったことをアグルエは覚えていた。


「ふむ……よく見られておるな」とツキノは照れ笑いをして頭を掻いた。


「後で話す、と約束じゃったからな」


 ダーナレクとの戦いの最中、ツキノがずっと気にしていたこと。

 クラウエル・アンの名前を呟いていたこと。


「クラウエルって、お父様の側近、魔王五刃将まおうごじんしょうの……」


 アグルエが記憶を辿ってその名を口にする。

 何度か魔界の城、イルミネセントラル城の中で顔を合わせたことがある魔族だ。

 耳の下ほどまである色素の薄い金髪に、物静かな目をした中性的な顔立ちをした小柄な青年。いつも研究室に引きこもっていてあまり姿を見せず、言葉を交わしたこともほとんどない。


「そうじゃな。200年前に、魔王五刃将まおうごじんしょうを抜けたわらわの後を継いだのが、クラウエルなのじゃろう」


 ツキノは遠い目をしたまま、考えるようにして話を続ける。


「クラウエルは親なしの魔族でな。アルバラストが拾って面倒を見ているうちに、魔術に興味を示して、わらわに懐いてしまったのじゃ」


 魔界でまだ生きていられた時代のツキノの話に、アグルエは静かに耳を傾けた。


「それから気づけば弟子になって、あやつもわらわの研究や、生き残る術を探すことを手伝ってくれた。

 わらわ魔素マナを取り込めない魔族じゃと言ったろう?」


 初対面の時にツキノがそう語っていたことをアグルエは思い返す。


「あれには少し誤魔化しがあってのう。わらわは魔族ではないのじゃ。

 この世界の言葉で語るには、魔族が近いというだけで……わらわはこの世界の生まれじゃないんじゃ」


 幻英ファントムがツキノを指して『外界の神』だと呼んでいた。


「どういうわけだか、この世界に飛んできて、目覚めた場所が魔界リューテラウじゃった。といっても、それ以前の記憶はほとんどなくてのう」

「そうだったんですね……。

 アマハラノツキノ……幻英ファントムはそう呼びましたよね」

わらわの真名じゃ。あやつが知っておろうとはな」


 言葉を区切ったツキノは一息吐いてから話を続けた。


「記憶がなくてものう、わかることはあった。ただこれ以上のことは、制約(・・)で話せぬ」


 アグルエはただ頷くしかない。けれど、そこまで打ち明けてくれたことが嬉しかった。


「そんなわらわはこの世界の魔素マナに適せぬ。その結果は、以前話した通りじゃ」


 カミハラの森で話してくれたこと。アグルエはもう一度頷いて、「はい」と返事をした。


わらわには『心残り』があった。

 アルバラストについてこの世界の歪みを正しきれず、魔界には弟子を残したまま。

 それどころか、あやつはわらわが破棄したはずの研究にまで手を出しておる。何を考えているのか、もうわらわにもわからぬよ……」


 寂しそうな言い方だった。

 ずっと思っていたことを吐き出すような長い間を置いて、アグルエは返事をする。


「それが、ルスプンテルでの、ダーナレク……」


 アグルエの中でも話が繋がる。

 ツキノは魔界に置いてきてしまった『心残り』が、幻英ファントムに手を貸していることをファーラスで気づいたのだ。

 世界から切り離されたと語ったツキノにも生まれた、戦う理由――。


「そうじゃ」と頷くツキノをアグルエは力なく撫でて、「ありがとうございます」と礼を言った。

「なんじゃ、もう」とくすぐったそうに照れ笑いをするツキノは、改まって顔を上げて、アグルエのぼんやりとした瞳を見つめる。


わらわにとってな、二人(・・)は希望なんじゃよ」


 優しい声色だった。

 アグルエはその優しさを知っている。

 エリンスの母ミレイシアが、エリンスへと向けていた眼差し――自分にも母親というものがいたら、こうも思ってくれたのだろうか。

 言葉の意味は捉えきれなかった。ただ、ツキノが味方でいてくれることが嬉しくて、その背中を撫でていたアグルエの手には力が戻った。


「早く目覚めぬか、エリンス!」


 眠るエリンスへと顔を向けたツキノが名前を呼ぶ。

 エリンスは穏やかな寝顔を晒したまま返事をしない。


「あはは、頑張ってくれたから」


 幻英ファントムの刃がマリネッタに迫った時。

 既に満身創痍まんしんそういだったはずなのに、一番に駆けつけてくれた。


「それに、わたしが呼んだら、()を貸してくれました」


 ダーナレクとの戦いでも想いは届いた。

 アグルエは微笑み、ツキノはその顔を見上げて嬉しそうに口を開いた。


あの時(・・・)、やはりそう想った(・・・)のじゃな」


 ツキノの身体が白く輝いた理由は、アグルエにも薄っすらとわかっていた。

 エリンスとツキノは繋がっている。それがアークイルの血筋だから。

 一呼吸置いた二人は眠るエリンスを眺めて、ツキノは続けて口を開いた。


「お主ら二人はな、出会うべくして出会ったのじゃよ」


 突然言われたことに、アグルエは思わず「え?」と聞き返す。


「己の胸に聞いてみるとよかろう」


 アグルエはツキノに言われるがまま目を瞑る。

 胸の内に灯る黒き炎のイメージが脳裏を過る。

 そして目を開けて――眠るエリンスの額に揺らぐ白き炎が見えた。


「あの日、ミースクリアへ飛んだのは何故じゃ? そのゲートの座標はどうやって指定した?」


 アグルエは言われて考える。魔界から人界へ飛んだ、旅立ちのあの日のことを――。


「お父様に……教えてもらった『ミースクリアの印』を辿りました」

「まあ、そうじゃろうな。アルバラストはわかっておったんじゃ。

 あの日、ミースクリアには勇者候補生が集まっておった。

 そんな中に座標を合わせて転移の門を開けば、『二つの力』はもっとも強い者の元で引かれ合う、と」


 アグルエは「あっ」と気づく。


 自分の中にある黒き炎は、魔王アルバラストより継いだモノ。そして、引かれ合うという対を成す白き炎は、勇者の力を表すモノとツキノが持つ白き炎。

 アグルエはあの日飛んだゲートの先で、一番強い白き炎――『ツキノの白き炎』を持つ『勇者候補生』に出会った。


 ツキノが膝の上で「うむ」と頷いて、アグルエはそっと手をベッドの布団の中に入れた。

 温かいエリンスの手を掴んで、布団を剥がして引っ張り出し、両手で握り締める。


「ねぇ、エリンス。わたしたちが出会ったのって、偶然じゃなかったんだよ」


 優しく語り掛けた声に、やはり返事はなかった。

 眠るエリンスに近づくように身を乗り出して、頬の横に持ってきたエリンスの手を、ぎゅっと握り締める。自然と溢れ出る熱い気持ちに涙が零れ落ちた。


 剥いだ布団の中、エリンスの胸元に揺らぐ『白き炎』がハッキリと目に見えた。


 魔界の自室でゲートを開いて人界へ飛んだ時、全ての魔力を使い果たしたアグルエは空腹に飢えていた。意識も朦朧として、暗い世界が広がって、何も見えなかった。

 あの時、飛んだところがどこなのかもわからなくて、けれど進まなきゃという意志だけがアグルエを導いた。

 黒い視界の中で白い光が揺らいだように見えて、それを必死に追った。それこそが――救いなのだと信じたから。


 目の前で眠るのは――あの時、助けてくれた『勇者候補生』だ。


「その想い、間違ってなかった。だから――」


――どうかまた、一緒に歩いてよ。


 エリンスの手を頬に当てて、その温もりを確かめる。

 たしかな鼓動が、アグルエの胸にも響く。

 溢れる想いの粒が、エリンスの腕を伝って流れ落ちた。



 勇者候補生は、目覚めない。ただ、想いは紡がれている。

 騒乱に荒れる世界の中で――交わる二つの天命は、たしかな軌跡を描いている。




      ――騒乱開幕、天命差し交す東の公国 fin,




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