VS 幻英 二人の魔術師
一方――外で決着がつくより少し前。
治癒を待ってから海底洞窟を駆けたエリンスとレイナルは、青の軌跡へと近づいた。
厳かな雰囲気を構えるそこは、数日前にエリンスが訪れたときと何も変わりはないように見えたが、幻英が中に入っていったのは間違いない。
二人は石造りの古びた階段を駆け上がり、試練の間へと飛び込んだ。
月明かりが届かない暗い海の底、揺れる波の影を映すガラス張りの広間の中は、昼間訪れた時とはまた違う神秘的な雰囲気に包まれていた。
広間の奥に備えられた透明な柱は青い光を放ち、部屋の四隅ではぱちぱちと松明が燃える。二つの照明によって一定の明るさが保たれているため、見通しが悪いということもない。
広間につくなり目に入ったのは、水の泡の中に閉じ込められて宙に浮かんだ幻英だった。
大きな球体のはまった杖を構えるプラズが対峙している。
プラズが唱えたのは水牢の魔法――対象を水の泡で包んで拘束し窒息すらさせてしまう魔法だ。
ただ幻英は苦しそうにせず、腕を組んだまま退屈そうにしていた。
仮面で隠したその奥から、今しがた広間へ入ったエリンスやレイナルのことを見下ろしていた。
「これで足止めしたつもりか?」
ごぽごぽと吐き出される空気の泡に紛れて、くぐもった幻英の声が響く。
「負け惜しみを。動けないじゃろうが」
杖を構えたまま額から汗を流すプラズは、必死の表情で魔法を維持している様子だ。
「俺が戻ってくる時間ができただろうが」
レイナルが言う通り、幻英は見事に足止めされている。
二人の迫力に押されて、エリンスは黙って事の顛末を見守った。
「笑止」
だが、幻英は焦るような素振りを見せることもなく、組んでいた腕を解いて右腕を伸ばした。
白く光る手先、手のひらの上では炎が揺らいだように見えた。
「ただの魔法など、『破壊』するに容易い」
途端に叫んだのはプラズだ。
「レイナル!」
「わかってる!」
呼ばれるよりも早く、レイナルはコートの内ポケットに手を突っ込むと四枚の札を投げた。幻英を捕らえる水牢の泡の周りへ飛んでいく札が、四角形に囲むようにしてぴたりと浮かぶ。
幻英が手を握り、腕を振るうも水の泡は壊れない。
「おまえの『白き破壊の炎』が目覚めているのは予想外だったが、こうすりゃ破壊もできないだろう」
エリンスには何をしているのかさっぱり理解することができなかったが、幻英はつまらなそうに納得して頷いた。
「制約の魔術か」
「この空間において、いかなる方法であれ、その魔法を打ち消すことはできない」
幻英が部屋を見渡す。
エリンスもつられて、部屋の四隅へと目を向ける。
水牢の周りに浮かんだ四枚の札以外にも、部屋の四隅に浮かぶ四枚の札が見えた。
「ふーん、俺の動きを止めるだけに八枚の魔術符を使うとは。使いすぎじゃないか? レイナル・アークイル」
レイナルは人差し指と中指を立て、何やら集中を途切れないようにと構えて、幻英に向けてこたえる。
「それくらいのリスクは、承知の上だ」
エリンスにはさっぱり会話の内容も理解できなかった。
魔術に関係しているモノだろう。部屋の中に浮かんでいる八枚の札の形は、先ほどレイナルが使った治癒符と一緒の物だった。
「息子が戸惑っているぞ、レイナル」
幻英に見下ろされて、エリンスは動揺した。
「な、なに!」
幻英は鼻で「ふっ」と笑ってから言葉を続ける。
「レイナルも俺も魔術師だ。魔術には、魔法と違って術式がいる。
レイナルはその術式を記した、魔術符を使っているんだよ」
わざわざ説明をはじめる幻英に、エリンスは視線を逸らさず半歩下がった。
レイナルも口を出さず、人差し指と中指を立てた手を向けたまま様子をうかがっている。
プラズも焦ったようにはしていたが、杖は構えたままだ。
「どうせ暇なんだ。いいだろう、お喋りくらい」
三人に走る緊張とは裏腹に、幻英は楽しそうでのんきに笑ってすらいる。
「本来なら、水で満たされた水牢の中、喋るどころか息もできないはずなんじゃが……」
プラズは険しい表情をしたまま魔法の維持を続けるのみ。
「んーで、どこまで話したか。そうそう、レイナルが使う魔術符は魔術式が書き込める代わりに、同時に行使できる枚数には制限がある。魔術師によって扱える枚数は変わるのだが――おまえが一度に用意しておけるのは、せいぜい十枚だろう」
鋭い視線を向ける幻英に対して、レイナルは何もこたえない。
聞いてもいないのにぺらぺらと喋り続けることは気に掛かったが、エリンスは思考が引っ張られる。
部屋に四枚。水牢の周りに四枚。レイナルは八枚の魔術符を使っている。
「エリンスに一枚治癒符を与えたと見て間違いないだろう。おまえが用意している魔術符はあと一枚。それも、おまえ自身の身を護るための命符。命のストックだろう?」
レイナルはこたえないが明らかに表情をしかめた。額を冷や汗が垂れる様子がエリンスからも見て取れる。
幻英は、レイナルの手札を見破っている。
「それで? 今の契約者はどちらなのだ。レイナルか? エリンスか?」
幻英が話を変えるようにしたところで、レイナルは表情を変えた。
「黙れ!」
レイナルの構えていた手も震える。
幻英はその様子を見逃さないようにして、口角を吊り上げ笑う。
「契約者……?」
聞き覚えのない単語に自身の名とレイナルの焦りを目にして、エリンスは思わず口走った。
「くはははは! まあ、聞くまでもないな。その顔を見れば明らかだ」
手を広げておどける幻英に、レイナルは慌てたようにしてエリンスへ目を向けた。
「気持ちの揺れ動きに、魔術は綻ぶぞ」
「エリンス、逃げろ!」
慌てるレイナルの声に、何がなんだかわからないエリンス。
「え、どうして――」あいつは、動けないんだろう? と思って、そう声にしたところで――。
弾ける水の音が広間に響く。
幻英を捕らえていたはずの水牢がばしゃーん、と流れ落ちるようにして弾けたのだ。
星剣デウスアビスを構えた幻英はにやりと笑い、仮面の奥から鋭い狂気の眼差しを向けてエリンスへと迫る。
「こやつ……」と口にしたプラズは、水牢が弾けた衝撃で吹き飛ばされて、壁に叩きつけられてしまう。大きな球体のはまった杖が倒れ転がり落ちる。
身動きの取れなかったエリンスは、一瞬で迫ってきた幻英と目が合った。目を見開いて、しかし剣を構えて応戦する暇もない。
「殺してよかったわけだ。こっちはよぉ!」
狂気に満ちた幻英が剣を振り上げて――。
間一髪、エリンスはレイナルの両手で数歩後ろへ押し出された。
突き刺さる剣を受け止めたのは、間に割り込んできたレイナルの背中で――。
痛みに顔を歪ませ「がはっ」と口から大量の赤い血を吐くレイナルに、エリンスの表情は青ざめる。
「父さん!」
叫んで手を伸ばして、だが、目の前で力なく膝をつくレイナルの腹を星剣デウスアビスが貫いている。
赤く染まった鋒からは鮮血が流れ落ち、幻英は容赦なくその剣を引き抜いた。




