VS 炎蒸の魔王候補生 水聖
黒い炎を噴き出し続けるアグルエを見たダーナレクは、これからはじまる戦いを楽しみにするかのように笑っていた。
「こちらも、全力だ!」
手にする黒い刃をした大太刀、斬破・黒炎を振り上げる。
ダーナレクの背中に浮かんでいる赤い光を放つ魔素の輪が動きはじめた。
前傾姿勢を取ったダーナレクはそのまま突進する。
回転する高濃度の魔素の輪は、ダーナレクの持つ炎蒸の魔素。
高温の炎の輪が回転して生まれる噴流する空気の勢いを乗せ、ダーナレクは加速する。
アグルエはすかさず剣を顔先に構えて、振るわれた刃を受け止める。
「くぅ」と噛み締めた声が漏れ出ながらも、四枚の翼を力強く羽ばたかせ、なんとか衝撃を吸収するのだが。
――カーン!
両腕に力を込めるようにしたダーナレクによって弾かれた。
後ろへよろめいてバランスを崩したアグルエに隙が生まれる。
ダーナレクは横へ振り抜いた姿勢のまま、上段へ斬破・黒炎を構えた。
そのまま振り下ろされれば一溜りもない間合い。
だが、アグルエが作ってしまった隙をかばうようにして、水流の刃が飛んでくる。
「水刃!」
マリネッタが魔法を詠唱する声が聞こえる。
ダーナレクはそちらに気が取られたようにして構えた剣を下ろし、左腕を伸ばした。
「炎蒸華!」
その左手より噴き出される高温の炎。
ダーナレクの炎蒸の魔素が、空気中の水分すら蒸発させる。
水の魔素を集めて放たれたマリネッタの魔法も打ち消された。
「俺の炎蒸の前で水の魔素は蒸発するだけだ」
乾いた空気、アグルエの額を伝った汗ですら蒸発していく。
だが、マリネッタが一瞬気を逸らして隙を埋めてくれた。体勢を立てなおすには十分な時間だ。
四枚の翼で風を切り前傾姿勢を取って――今度はアグルエが攻撃を仕掛ける。
右肩より噴き出す炎を全て、手にした剣へと流す。
火力を上げて一際大きくなった黒き炎の剣を一閃、突進した速度を乗せたままに振り抜く。
靡くように広がった一撃を、しかし、ダーナレクは横に飛んでかわした。
炎蒸の魔力が周囲に与える影響も、空を飛ぶスピードも、ルスプンテルで対峙したときとは大きく変わっている。
ぐるん、と回転するダーナレクの背中に浮かぶ炎の輪。
ルスプンテルで結界の魔素を吸収したときから背負っていたものだが、光り輝き方があの時とは違う。
「炎蒸恒星!」
かわしたダーナレクは左腕を振り上げ魔法の詠唱をはじめた。
ダーナレクの背中の輪がまたぐるん、と一回転。
すると、背中から人の顔の大きさ程ある火球が生まれる。
二回転、火球がもう一つ。
三回転、火球がさらにもう一つ。
冷静にダーナレクの魔法を見極めようとするアグルエだが、頬を汗が伝って、垂れ落ちる前に蒸発して消えた。
どれも高濃度に圧縮された魔素の塊だ。小さくても威力は地獄太陽と大差ない。
剣を構えて再び突進するような姿を見せるダーナレク。
アグルエは風を切って一歩後ろへ飛ぶのだが、ダーナレクはさらに距離を詰めようと突進をはじめた。
ダーナレクの動きに付随して、浮かぶ三つの火球も加速する。
魔素の動きを目で追うように集中したアグルエは、黒い炎を纏った剣を構える。
加速するダーナレクを避けて振り抜く一撃目、火球の一つを断ち切る。
近距離で爆発することも想像できるため、そういう反応を見せる前に『滅尽』の炎で滅する。
背後へと回ったダーナレクが剣を振り上げるのが、背中越しに伝わってくる。
アグルエは四枚の翼に力を込めるようにして一段上昇――振り降ろす大太刀を避けはしたのだが、背後を追随してくる火球の気配を察知して、慌ててもう一振り。
火球を真っ二つに切り裂いて、燃え盛る黒い炎で呑み込み爆発すらさせない。
「あと、一つは」
振り返り見下ろして、ダーナレクが不敵に笑う。
もう一つの火球の狙いは地上だ――とアグルエが気づいたときには、火球は落下をはじめているところだった。
翼を傾けて、風を切って急旋回。今度は地上へ向かって飛ぶアグルエ。
火球を地上へ落とすわけにはいかない。と、剣を構えるのだが――ゆく手に待ち受けていたのはダーナレク。
大太刀を横に振り払ったダーナレクの攻撃を間一髪のところでかわす。しかし、身体の横を掠めた斬破・黒炎は、アグルエの魔素を喰らうようにして削り取る。
「くぅ」
その衝撃に飛ぶ速度が落ちる。
再び横に振り払われるダーナレクの大太刀に対応するために、胸の内より黒い炎を噴き出させてアグルエは受け止め弾く。
だが、その間にも加速した火球――炎蒸恒星は地上へ向かっている。
「水聖抱擁!」
パッと青く輝く光が夜空に弾けた。
地上へ向かっていた火球を受け止めるようにして広がったのは無数の水の泡。
火球の落下速度は遅くなりはしたものの、しかし、それは『炎蒸』の魔法。
水で受け止めきれることはできない、とアグルエは考えたのだが――。
塔の上で杖をもう一度振るうマリネッタの姿が見えた。
青く光を放つマリネッタ。空気中に弾けた青い魔素の輝きは、刃となって水の泡もろとも火球に襲い掛かる。
「水聖斬刃!」
水の刃が火球を切り裂いて消し去った。
「水の魔力に、風の魔力も混ぜているのか」
アグルエから一歩距離を取ったダーナレクは感心したように頷いた。
アグルエも思い返す。
最初に地獄太陽を止めたときも、マリネッタの水の魔法が効いていた。
水の魔素を集めただけの魔法ではないからだ。
ただの水魔法ではダーナレクには通用しないと、あの時――港町での戦いで、マリネッタも思い知ったのだろう。
魔法の腕をさらに磨いて、こういった相手とも戦えるように、とマリネッタは考えたはずだ。
水聖のリィンフォード、勇者候補生第5位に名を連ねる魔導士としての実力はたしかなものなのだから。
ただ、ダーナレクは未だ余裕そうに笑みを見せている。
魔法一つ止められたところで、戦況に大差は出ないと確信しているように。
背中の輪が再び回転し、火球がまた一つ生まれる。
「アグルエ、見えたか」
「え?」と思わず聞き返したのは、アグルエが気づかぬうちに肩の上にツキノが乗っていたからだ。戦いの最中はいつも身を潜めるように隠れていたというのに。
「あやつの背中の輪の魔素、あれが炎蒸の力と完全な融合を果たしておる」
冷静に戦況を見るようにツキノが言うのを聞いて、アグルエもすぐさま意識は目の前に向けた。
たしかに先ほどから気にはなっていた。ダーナレクに呼応するようにして、背中の輪が回転している。
輪が回転するとき、高濃度の魔素の反応が見える。
ダーナレクは昔あんなものを背負ってはいなかった。ルスプンテルでは背中の輪が回転するようなこともなかった。やはりあれがルスプンテルで吸収した結界装置の魔素。
アグルエが冷静に見定めて睨みつけている最中、ダーナレクの背中の輪が回転し、もう一つ火球を生み出した。
そして、ダーナレクはそのままアグルエへ向かって加速する。
スピードがさらに速くなっている。アグルエは構えきれず慌てて剣を振るって応戦するのだが、ダーナレクの横を飛んでくる火球がアグルエを通り過ぎて後方で動きを止めた。
剣を振り払って後ろへ飛ぶダーナレク。
アグルエが横目を向けた火球に見られる反応は、高濃度の魔素がさらに圧縮されるような収縮。そのような反応を示すのは――。
「いかん、爆発しおる!」
肩の上で叫ぶツキノに、「うん!」とアグルエは返事をして左腕を伸ばした。
左手から噴出させる黒い炎を膜のように薄く伸ばしていく。今にもアグルエの至近距離で爆発するような反応を見せた火球の周りをその膜で覆い包む。
収縮した火球は眩しい光を発して、続けて暴発する素振りを見せたのだが――弾けた衝撃も、音も、光さえも、アグルエが広げた黒い炎の膜が吸収した。
――あれをあの距離で喰らっていたら、まずかった。
「ふぅ」と一息吐いたアグルエはすかさず反撃に移る。
「ちっ、そんなことまでできるのか」
舌打ちを鳴らしたダーナレクは斬破・黒炎を振り上げて、接近したアグルエへ振り下ろす。
アグルエは剣を振るうことを止めて横へ避けるが、掠めた斬破・黒炎が、アグルエの黒い炎を削り取った。
だが、アグルエはそのまま上昇して空中で身体を縦に一回転。
ダーナレクの背後を取るようにして飛び、しかし、ダーナレクはその動きを捕捉していたらしい。
「ふっ」とダーナレクが笑ったのと同時、アグルエの横をついてきた二つ目の火球が収縮する反応を見せる。
――いつの間に!
アグルエは左手を広げて再び黒い炎で止めようと試みるのだが――急旋回して接近したダーナレクが斬破・黒炎を振り上げた。
――まずい!
アグルエが慌てて剣を振って弾き返すも、掠めた斬破・黒炎はアグルエが左手に集めていた黒い炎の魔素を断ち切る。そうされては爆発を防ぐ手段が間に合わなくて――。
――キュウウウゥゥー!
と、甲高い音を上げた火球は眩しい光を発しながら収縮をはじめ、途端に膨張する火球は地を震わせるほどの衝撃と音をもってして爆発する。
ダーナレクは加速して距離を取ったらしい。
アグルエがその様子を横目で確認したのを最後、視界が白い光に包まれた。
「アグルエ!」
叫ぶマリネッタの声が遠くから聞こえたような気がした。
アグルエは咄嗟に左手に黒い炎を集め、剣も眼前に構えて、きたる衝撃に備えた。
溢れる黒い炎が身を護ってくれる――だが、衝撃は受け止めきれない。
吹き飛ばされるアグルエは、みるみるうちに戦いの中心となった塔から遠ざかって、何やら叫んだマリネッタの声も聞こえなくなる。
地上へ被害が出る距離じゃなかったことが救いか――と考えるのだが。
その間にもダーナレクは次なる攻撃に移っていた。
加速する魔素の輪、噴き出す炎。
ダーナレクが飛んで突進する狙いの先は、マリネッタだった。
塔の上で戦況を把握することに務めていたマリネッタは、吹き飛ばされたアグルエのことを目で追ってしまっていた。
体勢を立てなおすようにしたアグルエを見て、一安心したようだった。だから気づくのが一歩遅れたように、アグルエからもそう見えた。
「炎蒸葬送、灰燼と化せ!」
ダーナレクが振り上げる斬破・黒炎からは炎が噴き出している。
マリネッタは慌てたようにして一歩下がって杖を振るう。
地面で青く光る魔素、阻むように立つ水の障壁。
「炎蒸に、水の壁など意味はなさん!」
ダーナレクが振り上げた斬破・黒炎に集まる炎蒸の魔素は、アグルエが今まで見たことないほどに燃え盛る。
きっと近距離でいるマリネッタには、その乾きが伝わっているはず。
並の人間であれば近づいただけで死に至るほどの熱。その熱に、陽炎のように塔の上の光景は揺らぐ。
――カンッ!
だが、力強く杖の柄を地面に立てたマリネッタは、涼しい顔で笑って見せた。
「それが、ただの水ならば!」
湧き出す水の流れ。
だいたい20メートル四方といった広さの塔の屋上一面に浮き上がるのは、青い光を帯びる魔法陣。
マリネッタの肩より飛び降りた水瓶様も四足の足を地につけて青く光り輝き、湧き出す水が幾何学模様に描かれた魔法陣に沿って流れ出す。
「水聖紋陣! 仕掛けは既に施した。ここは、わたしの水の領域!」
「なん、だと!」
慌てたようにするダーナレク。
それもそのはず、燃え盛っていたはずの大太刀からも炎が消えていた。
辺りを包み込んだのは、青い輝き。
ダーナレクの炎蒸には通用するはずのなかった、水の魔素。
「水聖の清らかな流れよ、想いにこたえよ! 水瓶の加護が汝を裁かん!」
詠唱を続けるマリネッタに、ダーナレクは大太刀を引いて飛び立とうとするのだが――。
背中で回転しようとした炎の輪も、カタッと引っ掛かりのようなものを見せる。
水の魔素で満ちた領域では、思ったように動かないようだった。
「水聖・タイダルストリーム!」
――カンッ!
と再び力強く杖を突いたマリネッタ。
呼応して辺りに漂う水の魔素が流れはじめ、ダーナレクの周囲に集まった。
幾何学模様を描いていた水の魔素も流れに乗って、大きく渦巻き出す。
慌てるように身体を振って周囲を見渡すダーナレク。
「なんだと、俺の力が及ばない水……?」
ダーナレクがここにきて初めて焦ったような顔を見せた。
そのまま地面を蹴って浮かび上がり飛び退くのだが、周囲を流れる水はそれでもダーナレクを逃がさない。
追随する水流が集束し、激しい音を上げながら渦となる。
空の上、立ち上がる大渦に囲まれたダーナレクはそのまま水流の中へと姿を消した。
アグルエは慌てて空を蹴り、四枚の翼で風を打つ。
その間にも水流は集束し切ると、青い輝きを振りまきながら空気中に溶けるようにして消えていく。
「ぐぅ」と苦痛を吐き出したダーナレクは水流に打ち上げられるようにして、弾かれて飛ばされ落ちる。
空中でバランスを取ることもできずに落下していくダーナレクを横目にし、アグルエは塔へと翔け寄った。




