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VS 幻英 星剣デウスアビス


 エリンスは腕を伸ばして、呼吸を浅く、息を止めて一歩を踏み出す。

 そのままもう一歩、姿勢を低くして踏み出す勢いに剣を乗せる。

 下から抉るように懐へと飛び込む一振り。


 しかし、幻英ファントムは半歩下がって、エリンスの動きを見切った。

 願星ネガイボシの刃に剣を沿わせて弾かれて、滑る剣筋に捉えた感覚はない。


 そのままエリンスはもう一度攻撃を仕掛けるのだが、幻英ファントムはゆっくりとした動作で再び剣を構えなおした。

 重圧感のようなものを感じるが、動きは目で追える。

 どういうわけか、断絶魔術式ジャッジメントの力を展開するような素振りもない。


 続けて振るったのは、横に一閃。

 芯は捉えたはずだったが、縦に構えられた剣に防がれる。


「迷いない、いい太刀筋だ」


 視線が見える。

 白い仮面の向こう側、相変わらず何を考えているかわからない暗い瞳。

 こうして剣を合わせても、幻英ファントムの想いが全く見えてこない。


「くっ」と噛み締めた吐息が零れだし、エリンスは足を踏ん張って身体をねじる。

 そのままもう一歩を踏み出して追撃を放とうとするのだが、横に避ける動作を見せた幻英ファントムが剣を振るった。

 エリンスは咄嗟に刃に左手を添えて、両手で剣撃を防ぐ。


 死線が見えた。

 刃と刃が交錯する。


 一瞬の隙も許されない。

 振るわれる剣の重さ。

 剣士としての実力もたしかなものだ。


 じりじりと体重を掛けられて、エリンスは渾身の力を振り絞って剣を弾き返す。

 願星ネガイボシの蒼い光と、幻英ファントムの持つ剣の黒い煌きが弾けて散った。


 数歩距離を保つように後ろへ飛んで、エリンスは一息吐く。


「どうして、勇者候補生を殺した!」


 だが、足は止めない。

 一歩踏み抜き剣を構えて、腕を振るうエリンス。


「虚しき呪縛に囚われる、愚かな魂を解放しただけだ」


 その攻撃も半歩下がる幻英ファントムに防がれはするのだが、弾かれてもなお、エリンスはもう一歩を踏み出し距離を詰めた。


「おまえも、勇者候補生だったんだろう!」


 続けて上からもう一撃。

 幻英ファントムは受け流すようにして剣を滑らせエリンスの刃を弾いた。


「過去は過去でしかない。俺が何者であったとしても、この意志は変わらんよ」


 すっと視界の中から幻英ファントムの姿が消えて、エリンスは慌てて首を振る。


「おまえはまだ虚しき呪縛に囚われている」


 エリンスの左より現れた幻英ファントムが剣を振り抜いた。

 エリンスはなんとか剣で刃を弾き、一撃をもらうことはなく防ぐのだが、胸にのしかかるような重圧感と剣圧に弾き飛ばされる。


「それじゃあ、俺には届かない」


 遠ざかる幻英ファントムは余裕の笑みだ。

 剣を手の中で回すようにして握りなおす。


「俺とおまえでは立っている場所ステージが違う」


 エリンスは空中で体勢を立てなおし、着地して地面を滑った。

 バランスを崩していたのならば、一瞬で距離を詰めてきただろうことは予想できる。

 幻英ファントムの仮面の奥からのぞく冷たい眼差しに、エリンスの背中を冷や汗が伝う。


 悔しいが幻英ファントムの言う通りだということは、エリンスも重々にわかった。

 剣の腕も、知り得たことも、覚悟も――届かない。

 剣を合わせて全く見えてこないのだが、それだけはわかる。


殺すわけにはいかない(・・・・・・・・・・)が、黙ってこのステージから降りてもらおうか」


 言葉の意味を計りかねて、エリンスは一瞬、思考を止めてしまった。

 剣を持った右腕を横に広げ、その刃までをも一直線に伸ばして大きく構える幻英ファントム


「星剣デウスアビス。神々の時代より『』に残った二対についが一本。手にした者に絶対的な重力の支配権を与える剣だ」


 星剣――二対につい

 エリンスはその名を聞いて直感する。

 大空を支配するという天剣グランシエルと対を成す剣。


 黒く煌く刃から感じる魔素マナには既視感があった。アーキスが握る天剣と同じものだ。

 先ほどから感じる重圧感、身体が重くなるような感覚は、幻英ファントムが手にする星剣デウスアビスより発せられる魔素マナの影響――。


「星の重みに、震えろ!」


――ズーーーン!


 と、響くような耳鳴りにこめかみを押さえたエリンスは立っていることもできなかった。

 身体全体にのしかかってくる体感したことのない重み。

 倒れ込んで地に突っ伏して、膝をつくことすらできない。

 顔を上げることもできやしない。

 頬に広がる冷たい石の感触。

 巨大な手で背中から抑えつけられているようにすら感じる錯覚。

 地面すら凹んでいくような重さに身体の節々、骨すらも軋む。肺が圧迫されて、単純に苦しい。


――ゼルナさんも、この力で……?


「うぅ」


 なんとか吐き出した息は、うめき声となってエリンスの口から零れ出る。

 断絶魔術式ジャッジメントの力なんかより強力だ。

 先ほどの衝撃でエリンスの懐より落ちた対魔術因子アタッチメントが、目の前で砕けて割れる。


「俺の力に対抗する策を考えたようだが、この5年、勇者協会は何も理解しなかったようだ」


 響く耳鳴りに混じって、幻英ファントムが近づいてくる足音が聞こえた。


「なん……だと……」


 顔を向けることすらできないが、なんとか言葉を吐き出して、エリンスは抵抗の意思を見せる。


「己の罪を知らぬまま、何を成そうというのだろうか。

 勇者という一人の犠牲者を崇めて、あらぬ幻想をつくり出す。

 いつわりばかりの『』には、ただただ虚しい犠牲の輪廻しかないだろう」


 エリンスはこたえることができなかった。

 幻英ファントムが近づいて、身体に掛かる重さが増した。

 噛み締めた言葉は「ぐっ」と悲痛なうめきとなり零れ落ちる。


「おまえも所詮その一人だ、エリンス・アークイル。

 勇者候補生などという都合のいい言葉へ囚われた、虚しき者よ」


 剣が振り上げられるような気配がした。

 振り下ろされれば一溜りもないことは、身動きが取れないでいるエリンスが一番よくわかっていた。


――今、動けなくて、何が成せる!


 目を一瞬閉じて思い描いたのは、黒い炎の涙を流す、その横顔――。


 手繰り寄せるように左手を動かして、力いっぱい地面を押し出す。

 胸に湧き上がる白い輝きを全身に生き渡らせるようにイメージする。

 身体に纏わりつく重さが消えたわけではないが、幻英ファントムから距離を取って跳ねたエリンスは、膝をついて立ち上がる。


「それでも、勇者とその仲間が繋いだ軌跡が――勇者と魔王が守った世界が、ここにはあるんだ」


 勇者は贖罪者。

 旅の中で見た歴史の真実は、覆ることのない事実だ。


「まだ、立つか」


 苦しみながら顔を上げるエリンス。

 対する幻英ファントムは仮面の奥で冷たい眼差しを向けていた。


「軌跡のその先へ、辿り着かなければいけないんだ。

 壊させはしない! 勇者が残した、この世界を!」


 前を向きなおしたエリンスは剣の柄を両手で力強く握り締める。

 願星ネガイボシは、一際蒼く煌いた。


「そうでなくてはな……」


 立ち上がるエリンスのことを眺めるようにした幻英ファントムは、にやりと不気味な笑顔を見せた。


「そうでなくては面白くない! ――白き力を継ぎし者よ!」


 加速する幻英ファントム

 重力に苛まれる中では立っていることがやっとだったエリンスは、その姿を目で追うことができなかった。

 近づいてきた気配だけは察知することができたのだが、身動きも全く取れない。


 軸足を着いた幻英ファントムはそのまま身体を回転させて、足を伸ばす。

 回し蹴りだ――と一歩遅れて理解するエリンスではあったが、そのまま蹴り上げられた。

 腹に重たい衝撃を受けて「うっ」と空気と同時に胃液を吐き出す。

 身体は重かったというのにいとも簡単に上へと吹き飛ばされる。


 身体の重さは、やはり幻英ファントムの手の内だ。

 空中に投げ出されてようやく星剣デウスアビスの力から解放されたエリンスは、ただ、身体中の骨が軋むように痛む影響で受け身を取ることもできなかった。

 天井に背中をぶつける。衝撃で握る手からは力が抜けてしまう。

 なんとか手放さないようにと右手を伸ばして、願星ネガイボシを掴むことが精いっぱい。

 凝視していた幻英ファントムは、地上で剣を構えている。


「腕の一本くらい、飛んだところで死んでくれるなよ」


 落下するエリンス目掛けて振るわれる鋭い剣閃。

 避けることもままならず、自身の右肩から先が吹き飛ぶところまでを幻視した。

 きたる衝撃に目を瞑りそうにもなるが、エリンスは奥歯を噛み締めて、幻英ファントムを睨みつけた――。


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