思わぬ出会い
翌日、マリネッタに案内されて、エリンスとアグルエは風の都の西に位置する住宅街、その一等地にあるアセントル家を訪れた。
豪勢な鉄柵の門構えに、守衛が在中する正門。
柵に取り囲まれた敷地内には芝生一面の庭が広がっており、その先には大きな屋敷の影が見えた。
エリンスとアグルエは門より向こうを眺めながら、マリネッタを待っていた。
マリネッタはというと、衛兵と何やら話をつけてくれたらしい。
二人のほうへと振り向いてウインクを飛ばしたマリネッタに続いて、大きな門が開かれる。
衛兵が敬礼をする中、二人はアセントル家の敷地内へと足を踏み入れた。
「いいのか? 勝手に入って」
見張りの兵がついてくるようなこともなく、マリネッタは我が家のようにして庭を進む。
「いいの。約束はしてあるわけだし、忙しい今の時期、ただでさえ少ない人の手を煩わせてもねぇ」
そうして進むこと数分、ようやく屋敷に辿り着く。
3階建ての屋敷は、エリンスからしてみれば城とそう変わらない。
大きな窓に大きな両開きの表扉。
家の白壁は清潔に保たれて、庭も手入れがゆき届いていた。
赤い屋根からは塔のように伸びた展望台が聳え立ち、そこからでも街を一望できそうだ。
マリネッタは扉横に備えられていたベルを鳴らすようなこともせず、慣れた調子で勝手に扉を開けて中へと入る。
エリンスとアグルエもその後に続いて、広い屋敷の中を進んだ。
玄関を越えれば、威風堂々たる男性の大きな絵画が構えられ、赤い絨毯に埋め尽くされた広間が出迎える。
角を曲がり、廊下を進んで、階段を上がったマリネッタ。
迷いなく慣れたように進むさまは、この屋敷を知り尽くしているようだった。
3階まで上がって廊下を進んで、目的の部屋、大きな両開きの扉の前で立ち止まったマリネッタが「ここ」と言ったのと同時に、その扉が開いた。
「では、またね」と喋りながら出てきたのは、どこか見覚えのあるような雰囲気を持つ壮麗な女性。
長いブロンドヘアーを綺麗に結って、整った顔立ち。
ドレスのようなワンピースを着て、カーディガンを羽織っている。
立ち振る舞いからも溢れる上品さ。
年齢はエリンスの母親と同じくらいだろうか――。
部屋を出てきた雰囲気から、この人がアセントル家の『ルイン様』ではないのだろうことは、エリンスにもわかった。
扉が閉まったところで、女性はエリンスの顔をまじまじと眺めながら口を開く。
「あら? レイナルさん? が、こんな若いわけないか」
父の名を語るその言葉に、エリンスはハッとする。
「父を知っているんですか?」
「知ってるも何も……」
と口ごもって眉をひそめた女性に、エリンスは何か近しいモノを、よく知っている気がした。
「エリンス、あんたブレイルズ家と何か繋がりがあるの?」
マリネッタも驚いたように声を上げる。
繋がりあると聞かれても、『ブレイルズ家』なんてものは話にしか聞いたことがないエリンスではあったのだが、目の前にいる女性には会ったことがあるような雰囲気を感じた。
それもそのはず、似ているとエリンスが気づいたところで、女性は「あぁ!」と口を開いた。
「エリンスって……! ごめんごめん、自己紹介からしないとね。
わたしは、ミルファシア・ブレイルズ。
あなたとは、あなたがまだ生まれたての小さい頃に会ったことがあるのよ」
エリンスはそう言われても、身に覚えはなかったが。
「ミレイシアさんに、似ている」
エリンスの横でミルファシアの顔を見つめていたアグルエがそう声を零した。
「そうそう、ミレちゃんはわたしの妹よ」
ミルファシアはアグルエにそう言われたことを喜ぶようにして、目を細めて笑いながら頷いた。
エリンスが似ていると思ったのもそのはずだ。
血縁――血が繋がっているのだから。
エリンスからしたら、ミルファシアは伯母ということになる。
「え、あなた、あの『爆炎のミレイシア』の子供だったの?」
母の名を聞いて、再び驚くようにして大声を上げたのはマリネッタだった。
「そ、そんなに有名なのか?」
エリンスは戸惑って聞き返すのだが、マリネッタは「それはもう」と言葉を続けた。
「セレロニアでは知らない人のほうが珍しいわよ。規格外の魔導士。
セレロニア魔法学院を震撼させた伝説は、今でも語り継がれているのだから」
思わぬ出会いに思わぬ伝説。
震撼させたと伝説が残る母ミレイシアの話を聞いて、エリンスはふらっとよろめく。
アグルエが「大丈夫?」と面白そうに笑いながら支えてくれた。
「こんなところで会えるなんて、嬉しいわ! 旅をしているってことは、あなたも勇者候補生になったの?」
ミルファシアはエリンスの手を取ってそう聞いた。
エリンスとしては未だ現実を受け入れ切れる気にはならなかったのだが、なんとか体勢を立てなおす。
「えぇ、まあ、そうです……」
手を優しく握ってくれる伯母ミルファシアに対して、静かに返事をした。
「やっぱり、血は争えないのね」
ミルファシアはエリンスへと笑顔を向ける。
「ミルファシアさんは、ブレイルズ家……?」
ブレイルズ家といえば、火の都を治めるセレロニアの四家ということになる。
エリンスの母ミレイシアがその血縁であるのなら、マリネッタが驚いた理由にも頷ける。
だが、そうではなかったらしい。
「うん。だけど、わたしはブレイルズの分家に嫁入りしただけよ。本当はミレちゃんの魔力がほしかったんだろうけどね」
サラッとその一言からも垣間見えた事情に、それ以上の話は聞きづらかった。
「ミレちゃんは自由だったから。セレロニアの仕来りに囚われなかった。
勇者候補生になるって家を飛び出して、本当になって世界を旅して……そのまま将来の相手を見つけちゃうんだからねぇ」
エリンスの顔を見てにやにやとしたミルファシア。
その向こうに見たのは、エリンスの父レイナルと母ミレイシアの姿なのだろう。
なんだか恥ずかしくなったエリンスは俯いて、横にいるアグルエはなんだか嬉しそうに笑っている。
マリネッタも「驚いた……」と口を開けたままだった。
「ミレちゃん……お母さんは元気? あなたが生まれた年にシーライへ行ったきり。それ以降会えてはいないの」
嬉しそうに語りながらも、どこか寂しそうに訊ねてくるミルファシアに、エリンスは頷いてからこたえた。
「元気ですよ。放浪癖のある父にやきもきはしていますが、ついこの間、会ってきたので」
「そう……よかった」
安心したように瞳を閉じて頷いたミルファシアに、エリンスも心が和らいだ。
「シルフィスさんも、大丈夫なのかしら?」
続けて零れ出たようなミルファシアの声に、エリンスは思わず聞き返す。
「師匠のことも知ってるんですか?」
「もちろんよ」
父親と母親と師匠が同盟を組んでいたという話は、エリンスもつい先日知ったことだ。
師匠――シルフィス・エスライン。
シーライ村村長の息子で、ファーラスで『恩師』に弟子入りをした剣士。
そして、師匠には東の地で名を馳せたという逸話がある。
つまりそれは、セレロニア公国で、ということになる。
「10年前、あの事件でルイン様を守って怪我をするまでは、ここ、アセントル家に仕える剣士だったのよ。シルフィスさん」
ミルファシアがなんでもないことのように語った事実は、エリンスが聞いたこともない師匠の過去だった。
師匠シルフィスは、足に多大な怪我を追って、剣士として復帰することを諦めて村へと帰ってきた。
――師匠は、過去を語らなかった。
歩くのに杖を手放せなくなった理由。
剣士を止めざるを得なくなった事情。
それをエリンスは知らない。
その理由が、ここ――アセントル家にある。
「そうだったんだ……」
エリンスは聞かされた事実に、ただ頷くことしかできなかった。
「勇者候補生になったってことは、エリンスも統主に会いに来たのよね。足止めして悪かったかな」
ミルファシアは調子を切り替えたように言葉を続けて、エリンスは「いえ」と首を横に振って言葉を返した。
「そんなことは。ここで会えて、よかったです」
「うん、わたしもよ」と頷いたミルファシアは、続けてマリネッタへと顔を向けて名を呼んだ。
「マリネッタちゃん」
「は、はい?」
ミルファシアがブレイルズ家の人間ということは、当然マリネッタとも面識があるのだろう。
マリネッタは突然名を呼ばれたことに驚いたように声を震わせる。
「祭典頑張ってね、家のロンドウは張り切ってたわよ」
ニコッと笑って言うミルファシアに、マリネッタは表情を強張らせたままに、愛想笑いを浮かべて返事をした。
「……ははは、頑張ります」
「じゃ、エリンス。また何か、困りごとがあったらぜひ家にもよって頂戴。火の都でいつでも待ってるわ!」
そう言ってミルファシアは、母ミレイシアによく似た笑顔を浮かべて去っていく。
エリンスはどこか安心感を覚え、手を振って「はい!」と力強く返事をした。
ミルファシアが去って――「はぁ」と大きくため息を吐いたマリネッタ。
七色祭の祭典には、余程何か大きな役割があるらしい。
「先が思いやられるわ……」
やれやれといった調子で顔を上げたマリネッタは、先導して扉へ近づき、手の甲で扉を叩いた。
返事も待たずに扉の取っ手へと手を伸ばしたマリネッタ。
軽く、引いたところで――。
「お嬢様、盗み聞きなんて、はしたないです!」
「だ、だって! シルフィスって聞こえたんですもの」
中から何やら揉めているような声が漏れ出した。
マリネッタも疑問に思ったのか首を傾げたまま扉を引く。
すると扉に釣られるようにして、一人の女性が顔を見せた。
シルクのような輝きを持つ長い金髪。
翠色の瞳。スッと通る目鼻の形。
落ち着きを感じさせる大人びた顔立ちは優しさに溢れているが、意志の強さも宿っている。
サークレット――小さな王冠を頭に乗せて、動きやすいカジュアルドレスを着こなす出で立ち。
年齢は30歳くらいだろう。
若く幼く見えるため、定かなことはエリンスにわからなかったが。
「あっ」と声を発した女性は、引かれた支えとなる扉を失って、バランスを崩した。
扉の取っ手を掴んだまま呆然としたマリネッタの横で、慌てたようにアグルエがその女性を支える。
「ルイン様……大丈夫ですか?」
マリネッタはアグルエの腕の中で目を丸くした女性を見て、そう呼んだ。




