迷い捨てし想いの一刀
黒い炎の翼を羽ばたかせたアグルエと、バチバチと迸る稲妻に乗せられたレンヴェルの剣撃。
ぶつかり合う魔素の輝きは、次第に上昇していき――二人の魔王候補生が戦いの場を空へと移す。
飛び交う炎と稲妻、常人の目では追えない攻防が、聖域上空では繰り広げられている。
エリンスはその間にも、魔竜を捕らえる鎖を断ち切ろうと剣を振り抜いた。
だが、そう易々と、見逃してはもらえない。
――キィン!
弾かれる一閃。
エリンスの眼前へと立ったのは、黒いマフラーに黒いマント。
くすんだ灰色の長髪を風に揺らして、金色の眼光を向けた勇者候補生第3位。
「邪魔をしてくれるな」
ドスの効いた低い声に含まれる威圧感。
怯みそうになった気持ちを飲み込んで、エリンスは再び剣を構えなおす。
「メイルム!」
シドゥはそう名を呼んで、手にした水晶玉をメイルムに向かって投げた。
先ほどまでは内に秘めるよう静かに光っていた水晶玉。
しかし、そうして投げられたそれは、黒紫色に光る不気味な魔素を纏っていた。
「古代魔導技術……?」
エリンスが思わず呟いた言葉に、シドゥは表情を変えずに「ほう?」と言葉を漏らす。
メイルムは地面に杖を突き刺し立て、投げられた水晶玉を受け取って、魔法の詠唱を続ける。
メイルムを覆った魔素が不気味な色へと変わりはじめ、魔竜の身体を絡める青い鎖も黒紫色に変色した。
「ウググググゥゥゥ」
地の底にまで響くような唸り声。
魔竜は表情を歪めながら、苦しそうな咆哮を上げる。
嫌なほどにする胸騒ぎ。
耳を貫くような痛みがより一層、エリンスの胸を締めつけた。
「ダメだ! メイルム! その力を使ってはいけない!」
叫ぶエリンスだが、目を閉じて魔法の詠唱を続けるメイルムには届かない。
「知っているようだな……」
エリンスはそちらに気を取られて、近づくシドゥへの対応に遅れた。
振られる黒い斬撃は青白い魔素を纏って、エリンスに襲い来る。
ひやりとするのは気のせいではないだろう。
慌てて剣を振り上げ攻撃を防ぐのだが――斬撃に絡みつく冷気が、エリンスの頬を鋭く切り裂いた。
ピシッと走る傷、溢れ出る赤い熱、鼻を衝く血の匂い。
しかし、痛みを気にしている暇はない。
「邪魔だ!」
冷たく低い声。
エリンスは再び振るわれる剣をもう一度受け止める。
打ち合って弾き返しても、シドゥは攻撃の手を止めずに引くことなく、エリンスのことを押し続けた。
目で追うことのできない刃。
今はなんとか霊断の力に頼って、魔素の動きを追うことで、防ぐことはできる。
しかし、斬撃に乗せられる冷えた衝撃は、エリンスのことを傷つけじわじわと追い詰める。
苦しそうな表情をしながら詠唱を続けるメイルムと、苦しむ魔竜の姿が目に入る。
ただ、声を上げる余裕も、弾いて距離を取って立てなおす隙も見当たらない。
それに、冷気にかじかんで判断力が段々と鈍っていく。
勇者候補生第3位に名を連ねるだけのことはある。
冷渦のシドゥ、二つ名にそぐわぬ力だ。
エリンスは嫌なほどに実感する、その寒さを。
――だけど、こうしてはいられない。仲間も魔竜も、失うわけにはいかない!
ここまで歩いて来た足を止めるわけにはいかなかった。
自分の中に――信じたこと。
エリンスは勇者候補生となったあの日飲み込んだものを、たしかなものとして思い返す。
蒼く白い剣身を持つ願星はより一層、エリンスの心に呼応して蒼白に輝き出す。
シスターマリーが話してくれたこと。
古代魔導技術は――『生命を魔素に、魔素を生命に変換する魔術』。
『生命と魔素ってものは表裏一体。
密接に接していても、本来は切っても切り離せず、混ざるものでもない』
『だけど無理やり強い力で引き剥がされて混ぜられたとき、それは当然、術者に反動として返ってくる』
使用してしまえば――それは反動ではなく、当然の結果だと語っていた。
シドゥの攻撃を防ぎ続けるエリンスの脳裏に過るのは、先ほど見えたメイルムの苦しそうな表情だ。
目の前で傷つく人が見たくなくて、けれど、人を傷つけてしまうことが恐ろしくて。
目の前で失うことが怖いくせに、目の前のことを選択できない弱さが悔しかった。
――だけどそれは、ただ自分自身、傷つくことが怖いんだ。
人に剣を向けることができない己の弱さはかつての修行の最中、師匠にも散々言われた。この旅の最中でも言われたことだ。
そのエリンスの心に映ったのは――。
親友と、取るべき剣を教えてくれた師匠。
友である勇者候補生第1位の涼しい顔。
進むべき道を後押ししてくれたシスターの笑顔。
胸の中抱きしめた――泣きじゃくる彼女の想い。
たとえ、傷つき傷つけることになったとしても、もう、悲しむ涙は見たくない。
痛いほどに鼓動が高鳴るのをエリンスは実感した。
そしてそれに呼応するように、エリンスの握る願星の刃は蒼白より蒼天の『蒼』へと光り輝く。
「なっ」
冷淡にエリンスを追い詰めていたはずのシドゥの表情に焦りの色がうかがえた。
エリンスは一瞬、攻撃が緩んだその隙を見逃さない。
「迷いはもうない。これが、覚悟だ!」
渾身の力を両腕に込めて剣を握りなしたエリンスは、その想いを乗せて一気に振り抜いた。
左から右へ、描かれる――蒼の軌跡。
大空を切り開く――押し寄せる大きな波のような勢いに押されて、シドゥが手にしていたはずの剣は弾き飛ばされる。
刹那の間、制止した時間の中に、エリンスは師匠の背中を見た。
『己の弱さをも受け入れて、迷いを断ち切ったとき、剣はその想いにこたえる。
迷いなき一刀――想いの乗った一撃は、何者にも勝る強さとなる』
――師匠はあの時、そう語ったんだ。
驚く顔をしたシドゥはその衝撃のまま後方へと吹き飛ばされる。
エリンスは勢いに乗せて一歩を踏み締め、地面を蹴り飛び出して――苦しむ魔竜の元へと駆け寄った。




