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魔竜と心優しい勇者候補生


 温かい光を全身に感じて――夢に描いたのは、いつも横にいてくれた大切な人が手を差し伸べてくれる姿。

 だが、目覚めたエリンスを迎えたのは、思いもしない光景だった。


 風の音もない静けさ。

 雲が近く感じる澄み渡る青空に、鼻を抜ける新鮮な空気。

 雪混じりの山肌と背の低い高山植物が生えた高原。

 雪解けの水が溜まったものなのだろう、小さな湖。


 そこには、山道のように雪が積もっていることもなければ、寒さもなく温かい。

 突き出した岩に背を預けて眠っていたらしいエリンスは、不思議なことに身体に全く痛みがないことに気がついた。


 ここがいわゆる天国なのか? と思いもしたが、意識ははっきりとしている。

 パンッと右手で頬を叩いてみても、たしかな痛みが広がるだけ。

 雪崩に呑まれて、アグルエの声が聞こえた気がして――だが、エリンスはその後のことが思い出せなかった。


「生きてる……よな?」


 着ていたコートが掛け布団のように身体に掛けられていて、服にも濡れた形跡がある。

 寒さは感じないものの、冷たさは感じる。

 幸いなことに怪我をしていなことが救いだ。


 身体を伸ばしてエリンスは立ち上がり、改めて辺りを見渡したところで、寄り掛かっていた岩の反対側に意識を失い倒れているメイルムの姿を見つけた。


 あの時、咄嗟に助けようとしたことは覚えていた。

 アグルエには届かなくて、掴んだ腕だ。


「アグルエは、無事かな……」


 滅尽めつじんの力で雪崩を避ける素振りを見せていたことはエリンスにもわかった。

 だから少なくとも雪崩に呑まれたエリンスよりは無事である可能性が高い。


――こうして俺が生きているのだから、きっと無事だ。


 そう考えたエリンスは自然と落ち着くことができた。

 屈んで目の前に倒れるメイルムの表情をうかがう。

 穏やかな表情で目を瞑る彼女は、眠っているだけのようだ。

 そうして寝顔を見て、エリンスは初めてメイルムと出会ったときのことを思い返した。



 勇者洗礼の儀を受けるために集められた勇者候補生たちは、期待や不安を抱えたまま、サークリア大聖堂に用意された宿舎に泊まって試験の日々を過ごす。

 三日間にわたって行われる勇者候補生の試験の最中、一日目の夜のことだった。

 メイルムは宿舎の狭いテラスの一角で、月を見上げながら泣いていた。

 人知れず人目を避けるように、気づかれないように、隅のほうで丸まって。

 だが、エリンスはふとテラスに面した廊下を通り掛かったときに、彼女の頬を伝うキラリと光るものに気づいてしまった。


 見過ごすことはできなかった。

 勇者候補生たちの実力は、試験のために集められたその一日目からあらわになる。

 優秀な者は一つ抜きん出て、また、逆もしかりだ。

 エリンスは模擬戦で相手にしたシドゥに『落ちこぼれ』の烙印を押され、メイルムもエリンスと同じように『のろま』『グズ』『どんくさい』などとあからさまな悪口を並べられていた。


 エリンスが声を掛けたところ、メイルムは慌てて涙を拭きながら言ったのだ。


『わたし、向いてないのかな。勇者候補生……』


 思い悩むような表情でそう語るメイルムは辞退することまで考えていたらしい。

 本来であるならば、勇者候補生に選定された時点で特別なことのはずだ。

 だから「悩むことじゃない」と、無責任に励ましてしまったことをエリンスは後で少し後悔もした。

 ただ、そうして話を聞いていると、メイルムは笑って返事をして、『夢』を語ってくれた。

 放っておけなくなったのは、同じような扱いを受けた同情で、ただのお人好しだったのかもしれない。

 だが、メイルムが思い止まって前を向きなおしてくれたことが、エリンスは単純に嬉しかった。



「ん、んん……」


 そうしてエリンスが寝顔に過去を見つめていると、メイルムは口から声を漏らして身体を震わせ目を開けた。


「ここは……エリンスくん?」


 先ほど雪の中に倒れていた時と同じような反応を示したことに、エリンスは笑いそうになってしまった。


「……生きてる?」

「あぁ、そうみたいだ」


 エリンスは返事をして立ち上がり、もう一度辺りを見渡した。

「くしゅん」と小さくくしゃみをしたメイルムに、エリンスは向きなおって口を開いた。


「大丈夫か?」

「うん、ありがとう」


 簡単な、短い言葉だけでのやり取りになってしまう。

 やや気まずさを感じたのは、エリンスがシドゥのことを気にしていたからだろう。


「懐かしいよ、もう一月ひとつきくらい前のことなんだね……」


 ローブに包まって自身の身体を抱きしめるようにして言うメイルムは、空を見つめて微笑んでいた。


「旅、続けてたんだな」

「うん、やっぱりわたしは、優しい勇者になりたかった」


 あの日あの時あの場所で、メイルムは言っていた。

『人に笑顔を届けられる優しい勇者候補生でありたい』と。


 勇者候補生に選ばれてから胸に決意だけを灯したエリンスが、忘れかけた大事なこと(・・・・・)を思い出すきっかけにもなった言葉だった。

 だがその言葉を聞くと、なおさらのことエリンスは疑問に思ってしまうのだ。


「どうして、メイルムはシドゥと一緒にいるんだ?」


 勇者候補生第3位。『冷渦』という二つ名。

 絶対的な実力と血縁を併せ持ち、他の勇者候補生のことを見下していた高圧的な眼光を、エリンスは覚えている。


「……シドゥが必要としてくれたから」


 メイルムは悩むようにして口にした。


『必要としてくれた』――その言葉にはやはり、どこか寂しさが含まれる。


「どうして、シドゥは魔竜を狙うんだ?」

「……わからない。だけど、それが必要なことだって」


 思い悩むメイルムの言葉は、エリンスの嫌な予感を助長させていく。


――あいつは、笑っていた。


 魔竜と対峙して雪崩が起こって、冷たい表情の中でにやりとたしかに笑ったのだ。

 エリンスは確信している。

 雪崩を引き起こしたのは、間違いなくシドゥの力だ。

 同盟パーティーであるはずのメイルムまでを巻き込んで。


「利用されているだけだ」


 エリンスは思ったままに口にした。

 だが、メイルムはエリンスと目を合わせようとせず俯いたまま返事をする。


「……いいの、そうであっても」

「そんなこと……」

「わたしは、あなたのように強くはないから」


 そう言って顔を上げ、無理したように笑ったメイルムに、エリンスは何も言い返せなかった。

 メイルムが再び俯いて、互いに沈黙が続いて――『聖域』に陰りが見えた。


 バサッと風を叩く翼の音。

 空を覆うようにしてエリンスらの上空より降りてきたのは、先ほどシドゥと対峙していた魔竜だった。

 魔竜はエリンスとメイルムの目の前に、ドスンッと地響きを起こしながら着地する。


 鱗を纏う4メートルはある白銀の身体に、逞しい足と大きな腕。

 それを支えて飛行を可能にする大きな翼。

 ドラゴンの証だと言わんばかりの大きな顎に鋭い角。

 暗き双眼は静かな眼差しをして、エリンスらのことを見つめていた。


 メイルムは驚いたような顔をしながら立ち上がり、置いてあった背丈ほどある黒い杖を両手で構える。

 だが、その横でエリンスは魔竜の瞳を見つめ返した。


「あんたが、助けてくれたのか?」


 聞いてもこたえはしてくれず。

 ただ静かな眼差しを返してくるのみ。


 魔物の王――と聞くが、一体それは、なんなのだろう。

 エリンスはそう考えながらも言葉を続けた。


「アグルエが泣いているって言っていた。それはつまり、あんたの声か?」


 問うてみたが、やはり返事はしてくれなかった。


 言葉を投げ掛けるエリンスのことを見て、メイルムも魔竜に敵意がないことに気づいたのだろう。

 杖を構えたまま静かに歩み、魔竜へと近づいた。

 杖を掲げたメイルムに白い魔素マナが集まり出す。

 そして、メイルムはそれを魔竜の傷ついた身体へと向けた。

 温かい光が魔竜の身体をなでるように流れ出す。

 何をしているのかはエリンスから見ても一目瞭然だ。


「シドゥの狙いは、魔竜なんだろ?」

「うん、でも助けてくれたから」


 真剣な顔で治癒魔法の詠唱を続けたメイルムに、エリンスは「ふぅ」と一息つく。

 いろいろとすれ違った言葉を交わしたが、その本質は変わらない。

 そうして魔竜とメイルムから一歩距離を取ったエリンスを、呼ぶ声がした。


「エリンス!」


 誰の声かはすぐにわかった。幻聴ではないことも。


「アグルエ?」


 聞き返して辺りを見渡して、すると視界の隅、高原の切れた崖先より黒い炎を翼にしたアグルエが飛翔し姿を現した。


「どうして!」


 エリンスが驚く間もなく翼をはためかせ近寄って来たアグルエは、柔らかく笑い掛けてくれる。


「無事でよかった、声が教えてくれたから」


 黒い炎を抑えて、エリンスの横に並んだアグルエは魔竜のことを見上げた。


「わたしはアグルエ。あなたは、ランシャ(・・・・)って言うのね」


 何も語らぬ魔竜と会話をするようにしたアグルエはそう口にして、その瞳を見つめていた。


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