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冷渦の衝撃


 アグルエの後を追ったエリンスは、落葉針葉樹の森を抜けて、再び開けた雪原へと出る。

 先を走ったアグルエは呆然としたまま、その光景を眺めていた。


 積もった雪が弾かれているのは、戦いの跡だろう。

 開けた雪原に、翼を持つ巨影がそびえ立つ。

 その顔貌からのぞく鋭い眼は、対峙する黒マントの男を睨みつけている。

 傷つく巨体を揺らして、魔竜は鈍く光る爪を構えていた。


「ググゥゥゥルルルゥ」


 聞く者に恐怖を植えつける低い唸り声は、大きな顎、生え並ぶ牙の合間より響いている。

 だが、対峙する男はそのような魔竜にすら怯む素振りは見せず、冷たい金色の眼差しを向けて、黒色の片手剣を構えた。

 隙のない構えは、評判通りの実力者であることを体現している。

 その男は、勇者候補生第3位――冷渦のシドゥだった。


「やめて!」


 叫ぶアグルエの声で、ようやくエリンスらのことに気づいたらしきシドゥが振り向いた。

 黒いマフラーで口元を隠し、魔竜にも負けず劣らずといった力強さを示した眼光で、アグルエのことを睨みつける。


「なんだ、貴様は……」


 そのまま視線をエリンスとメイルムに向けたシドゥは目を細めて呟いた。


「メイルム、遅いぞ……それに、何故『落ちこぼれ』がいる?」


 いぶかしむ眼差しにすら威圧感があって、エリンスは一瞬怯む。


「まあ、いい……今は関係がない」


 剣を構えなおしたシドゥは再び魔竜へと向きなおった。

 その隙に飛び出したアグルエは、両腕を広げて二つの影の間へと割り込んだ。


「ダメ!」

「危ないって!」


 アグルエのとんでもない行動に、エリンスも慌てて一歩を踏み出すのだが、どうも様子がおかしい。

 アグルエの背中を見つめた魔竜は、構えた爪を下ろして動きを止めたのだ。


 エリンスは違和感を覚えた。

 魔物の王――そう呼ばれているが、魔竜からは魔物のような敵意や獰猛どうもうさを感じない。

 魔竜は瞳を閉じて、静かに息を整えるようにしている。

 巨大な身体を伝っている赤い血が痛々しい。


「邪魔をしてくれるな」


 だが、シドゥが容赦はしないといった様子で剣を振るう。

 黒色の大振りの片手剣を構えて、姿勢を低くしたままに距離を詰める。

 標的は魔竜であったはずなのに、その先にいるのはアグルエだった。


 青白い魔素マナがシドゥの周囲を舞う。

 冷渦の勇者候補生――そう呼ばれるシドゥが扱うのは、水の魔素マナ、冷気。


 標的が自分に向いていることに気づいたのだろう。

 すかさず、腰に携えたリアリス・オリジンを抜いて応戦するアグルエが黒い炎を纏い出した。


 滅尽と冷渦。

 剣と剣をぶつけ合い、アグルエはその場を意地でもどかない、といった様子で持ちこたえている。


「魔物の味方をするか!」


 勢い任せに剣を振るうシドゥに、ただ、アグルエも負けずと剣を振り返す。


――キィン!


 弾ける金属音。

 混ざり合う黒い炎と青白い冷気。

 衝突する二つの魔法は反発するよう、火花散らすように爆ぜ合った。


 シドゥはその衝撃に驚いたように半歩下がる。

 アグルエはその隙に黒い炎を纏った腕を伸ばして、同じく黒い炎を纏わせた剣を振り抜いた。


「ぐっ、ちっ」


 目に力を込めて舌打ちをしたシドゥは、アグルエの斬撃を弾き返して飛び退く。

 息もつく暇がない剣戟をエリンスは呆然と眺めてしまっていたのだが、横にいたメイルムがふいに走り出す。


「メイルム! なんで、シドゥの同盟パーティーに!」


 自分の元より離れていく、揺れる淡いピンク色の髪を見て、エリンスは思わず叫んだ。

 ただ、メイルムは振り返ろうとしなかった。

 エリンスがその背中を見つめている間にも、戦況が変わった。


「ググググゥゥゥオォォォォン!」


 空気が震える衝撃に、その場にいた誰もが魔竜へと目を向ける。

 突然と咆哮を上げた魔竜はエリンスのことを一瞥した後に、シドゥのことを睨みつけた。


「目障りなやつらめが……」


 静かに怒りを殺すシドゥの言葉に、エリンスは嫌な予感を覚えた。

 咆哮に驚き動けないエリンスとアグルエを余所に、シドゥは剣を天高く振り上げる。

 渦巻く魔素マナが、エリンスにも視認できた。

 青白い光は天へと昇り――そうして次第に、辺りに降る雪は風が混じる吹雪へと変わる。


――ゴゴゴゴゴッ!


 遠くから響いてくる地響きに、エリンスは冷や汗が出た。

 慌てて足を踏み出すも、積もった雪に捕らえられ、思ったように前へ出ない。戸惑ったよう首を振るアグルエの元へ近づけない。


 冷たい無表情を貫いていたシドゥがにやりと笑みを浮かべる。

 魔竜は巨大な翼を羽ばたかせて空へ飛ぼうとするのだが。


氷鎖ひょうさ!」


 左腕を伸ばして魔法を詠唱するシドゥの声に合わせて、雪が積もった地面より青く透き通った巨大な鎖が無数に伸びた。

 それらは逃げようとする魔竜に絡みつき、再び魔竜を地へと引き摺り下ろす。


滅尽めつじん!」


 その氷の鎖に向かって、アグルエは黒い炎を飛ばした。

 断ち切られる鎖、解放された魔竜は空へと飛び立つ。


――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!


 そうしている間にも、次第に大きくなる地響きの正体がエリンスらの目前へと迫っていた。

 山の上より滑り流れて来る雪の塊、白い波、雪崩だ。

 迫ったそれを見たメイルムは、足がすくんだようで雪に躓き、膝をつく。

 エリンスは慌てて手を伸ばして、アグルエの元へと寄ろうとするのだが――距離が離れすぎている。

 アグルエに届かないのなら、せめて――そう思ってメイルムの腕を掴んで。


「エリンス!」


 視界が白く染まる瞬間、アグルエの声が、聞こえた気がした。



◇◇◇



冷渦崩衝れいかほうしょう!」


 剣を振り上げたシドゥが叫ぶ声に、アグルエは慌てて自身の周囲へ黒い炎を広げた。

 滑り落ちていく雪の塊は、シドゥを避けるようにして流れている。

 その様子を見る限り、この状況を引き起こしたのはシドゥの仕業と見て間違いない。

 先ほど魔霧まのきりを避けた時にディムルがしていたことの見様見真似で魔素マナを広げたアグルエは、雪崩を避けるように想いを込めた。

 だが、エリンスにはすんでのところで届かなかった。


「エリンス!」


 叫ぶ声は雪崩に飲み込まれたエリンスには届いたのだろうか。

 アグルエは一面が白く染まった世界に想いを馳せて、どうか無事であることを願って溢れる気持ちを閉じ込めるように瞳を閉じる。

 するとどこからか――アグルエの胸の中へ響く声が聞こえたのだ。


『わたしが、助けます』


 ずっと聞こえていた『泣いている声』――それと同じ声色がした。


 目尻に涙を浮かべたまま空を見上げたアグルエは、傷つく身体で飛び立つ魔竜の巨影を見た。


「エリンスを、お願いします」


 その言葉に最後の希望を託すように。

 地響き上げて崩れる斜面を見定め、持ちこたえる。


――どうか……助けて!


 想いを乗せて、呟いて。 

 ゴゴゴゴッと轟音を上げる雪の流れの中でアグルエは願った。


 雪崩に沿って翔る白き魔竜はアグルエを見つめている。

 その視線に気づいて、アグルエは再び見上げて魔竜を目で追った。


 頷いてくれたように見えた。


 雪崩と共に白い世界へ消えた巨影に、アグルエの声は届いた。




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