イリュオン・夜
「あぁ、お疲れさん」
「お疲れさんさん。太陽サンサン」
「おぉ、またレア刀を掘ったのか。どこでドロップしたんだ?」
「熱窟ドロドロ、穴掘ってぼこぼこ」
「地下か。今度行ってみるか」
ネクサリアの街の、外れ。
スラム街を内包するこの街の、まさにスラム一歩手前の、とあるBAR。
そこに、刀を持った和装の男と……同じく刀を持った、赤髪と雪模様の浴衣が可憐な少女がいた。
その服装、武装からわかるように――彼と彼女は、未だ二人しかなる事の出来ていないユニーク職『侍』。
激熱侍EXと、ユッキー、というプレイヤーである。
「そろそろ行くか。最近見つかったダンジョン、かなり手応えあるようだからな」
「ん。了解おっけー、支払いおっけー?」
「ああ」
侍同盟、という知るものの限りなく少ないコミュニティに参加する、たった三人のメンバーのうちの二人。
掲示板に良く名前の挙がる激熱侍EXと、名前は上がらないものの彼と同じかそれ以上の実力を持つユッキーが、心なしか楽し気に店を出ていくのを……店のマスターであるモガモガぶらすたぁは、羨ましそうな瞳で見送った。
「こんちはー」
「こんばんは」
「ういーっす。味噌田楽二つ」
「ないでしょそんなの」
少し経った後、四人の男女が店に入ってきた。
VRの世界だというのに、男女二人ずつ、それぞれのアバターが三十後半辺りを意識してキャラメイクしているようで、若さよりも熟練、という雰囲気を醸し出していた。
大剣、大剣、弓使いに白魔。
パーティのバランスとして聊か物理に寄っているが、まぁ、まぁ。と言った所だ。
「モガさん、一曲頼んでいい?」
「はい。リクエストはありますか?」
「版権でもいいんだっけ」
「録音しないでいただけるのなら」
「もちもち。んじゃ……ドロデビ二期のEDで」
「何年前の曲よ……私小学生だったわその頃」
「お前が小学生ならここ三人全員小学生なんだよなぁ」
カウンターに、どこからともなく――空間からにじみ出るようにしてカクテルが置かれていく。無論モガモガぶらすたぁがギルド倉庫から出しているだけなのだが、現実ではありえない――わけでもない――光景が、ここもイリュオンの中であると感じさせてくれた。
モガモガぶらすたぁが手元にバイオリンを出現させる。次いで、トランペット、キーボード、クラリネット、そしてドラムセットが出現した。
「では――」
モガモガぶらすたぁの手が、楽器類を撫でる。
それだけで、音が鳴り始めた。初めは単音の積み重ねだったそれらが、段々とまとまりを見せ――。
「……あぁ、いい音」
男女は、グラスを傾けながら。
モガモガぶらすたぁ……マスターの奏でる曲に傾聴する。
決して、決して、クラシック等のような聞き入るための音楽ではない。
むしろポップでロックな、激しい音楽。
それでもその音楽は、まるで天に奏上するかのような美しい音色で。
「――ご静聴、ありがとうございました」
静かに、拍手が起きた。
「いやまさか、これが全部弓だなんて誰も思わないよな」
「それ」
音楽家を自称するモガモガぶらすたぁは、弓使いである。
所持している楽器は全て弓。ネタ武器である。
「複射スキル、今何レベなんすか?」
「先日、ようやく峠を越えまして……201に、なりました」
「にひゃっ……やっぱマスター弓使い最強だよ」
最古参プレイヤーでありながら、ネタ武器の楽器をこよなく愛し、スラム街一歩手前でBARを営む――攻略にはあまり出向かないプレイヤー。
最も、戦えないわけではない……というか、弓使いの中で半ば伝説として知られるプレイスタイルを持つ、PvPランキングスレには必ず上位に食い込む存在だ。
「いえいえ……最近は、なにやら矢で戦う弓使いや、走り回ってボウガンを撃つ弓使いなどバリエーションも増えてきたようで……私など、とても」
「あ、俺が最近見かけたのは弓をぶん投げる弓使いだわ。あれ、ちゃんとダメージあるんだな」
「弓投げ、というスキルですね。私も一応取得はしましたが……大切な楽器を投げるわけにはいきませんので」
弓使いは総人口が多く、発見されているスキルの数も多岐にわたる。
チュートリアルや店売りで買えるスキルから、クエストで習得するもの、一定以上のステータスで習得できるもの、アイテムを手に入れる事で習得できるものと様々だが、弓使いが最も多い理由として、それらスキルを育てるにあたって”敵がいなくても良い”という部分にあると言えるだろう。
敵を射抜かなくとも、矢を射るだけで習熟していく。
この育てやすさが、弓使いをもっとも多くした大きな要因である。
「あー、私もレベリングしなきゃなぁ」
「白魔は回復させる相手がいないと習熟あがんねーのがつらいよな。まだ100レベいってないんだっけ?」
「そうなんだよねぇ。どこかに死なない程度に体力減っててくれる人がいればいいのにぃ」
「依頼出せば地形ダメージある所で修練させてくれる人いるんじゃね?」
「それはそうなんだけどさー」
この場合の依頼というのはクエストにあたるそれではなく、プレイヤー間で取引の行われる日雇いバイトのようなものの事だ。
古いゲームにしては依頼が日々絶えず出ていて、初心者のお金稼ぎや中級・上級者のコミュニティ形成に役立っている。
「ふむ……それでしたら、これを」
モガモガぶらすたぁが取引窓を出す。
疑問に思いながら――実際に疑問符を頭の上に浮かべながら――白魔の女は取引窓を受け入れた。なお、コミュニケーション用の感情表現はデフォルトで「笑顔」「怒り」「音符」「疑問」「通行止めマーク」がある。
「……プヌスの枝弓?」
「はい。弓ですが、ネタ武器……というよりは、失敗武器で、装備できる職業の制限がない代わりに、全ステータスが1になります。さらに一度装備すると一日外せません。ログアウトするとカウントが止まります」
「呪いの装備だー!」
「失敗武器でも呪いの装備つくれるのか……」
「そしてその効果は、スキルの効果値をすべてx0.00000000000001024……たとえ彼の課金王が課金ポーションがぶ飲みでスキルを使おうとしたところで1ダメージも出ません」
「うわぁ」
イリュオンにも従来のゲームと同じように、というかテンプレのように、”のろいのそうび”が存在する。
基本的に装備後一日外すことが出来ず、マイナス効果がついて回る。
ドロップ、クエスト、そしてNPC売りの装備。
特にクエスト報酬における呪いの装備は数多く、苦労の末に手に入れたものが呪われていたり、後味の悪いクエストで怨念のような効果の装備が得られたりと、運営に余程根暗なヤツがいるんだろうな、とプレイヤーに思わせる程凝られている。
ただ、ステータス的にはマイナスでも、目的のあるプレイヤーには喉から光晶拳が出る程欲しいものがあったりするのだ。
「これ……スキルを使うたびに周囲の仲間に1ダメージを与える、って書いてある」
「はい。ですので、白魔法の習熟にはもってこいなのです」
「お、おいくら万円ですか……」
「お貸ししますよ。なんであれば、クエスト受注の方法もお教えします」
「……呪いの装備のクエかぁ。ちなみに適当レベルは?」
「112ですね」
「……がん、ば、れば……!」
「しゃーねぇ、頑張るかぁ」
男女が立ち上がる。
大剣使いの男が代金を支払い、モガモガぶらすたぁは男へメールを送った。
メールの内容は、クエスト受注の仕方。
「……スラムの東一つだけある、犬小屋。夜になると、犬がいないにもかかわらずリードが浮かび上がる。近づくと見えない敵に噛まれる。それを撃退すると、クエスト開始……うわぁ」
「怨霊系多いわよね……」
「まぁ、やるしかないよ」
肩を回しながら、首を回しながら。
四人はBARを出ていく。
またも、モガモガぶらすたぁはその背中を羨ましそうに見守っていた。
「久しぶりね」
「……いらっしゃい、P.f.K」
「ええ」
現実の時間も、イリュオンの時間も暮れてきた、夜のスラム一歩手前。
夜は社会人組が仕事から帰ってくるので、皆攻略や観光に行くことが多く、BARになど寄るプレイヤーは少ない。
店内はモガモガぶらすたぁとP.f.Kだけで、静かな時間が流れていく。
白金色の長い髪を揺らして、白いワンピースを着たP.f.Kは、モガモガぶらすたぁの出した白金色のカクテルを飲んでいる。
「で?」
「で、とは」
「いつやめるの? そのロールプレイ」
「……はぁ」
突然、笑顔を向けるP.f.K。
その笑顔に、モガモガぶらすたぁは大きくため息を吐いた。
「別に、いいじゃないですか。ゲームにいる間くらい”落ち着いたマスター感”出しても」
「誰もいないんだから、外しなさいよ。気持ち悪いわ」
「ひっでー!」
突然。
モガモガぶらすたぁが、口調を崩す。
落ち着いたマスターの見る影はない。
「で、何用? ピーが来るって事は、創世神話のクエスト絡み? それとも斡旋?
どっちでもいいよー、ピーは金払い良いし」
「どっちでもないわ。はい、これ」
「取引ィ? ……何これ、錬金窯? ……あー、掲示板で見たな。新Dの水だっけ?」
「ええ。それでカクテル、新しいの」
「……出た~~~~~~~ピーの無茶ぶり。いつまで?」
「今すぐに」
「一時間!」
「ええ、お願いね」
ニコニコと、楽しそうに笑うP.f.K。
その視線の先で、モガモガぶらすたぁは周囲にいくつものグラスを浮かせ、目を閉じて何かをぶつぶつと呟き続ける。
彼の複射スキルは201――そして、気配察知スキルは480。
現状判明しているスキルレベルにおいて、文句なしのトップ。課金王やP.f.Kも軽々と超える――知覚系スキルは習熟が上がりやすいとはいえ――現プレイヤーの中でも最高位に位置するプレイヤーが、モガモガぶらすたぁなのだ。
「どう、最近」
「……ん? あ、何?」
「最近どうかしら、って」
「んー、特に変わったことはないよ。いろんなプレイヤーが来て毎日楽しいし、日々研究で忙しいし……ピーは?」
「面白い新人が来て、その子にかかりきりよ。ようやく、いろいろなものが動き出した……そんな感覚かしらね」
「出た、夢金出身者の運命俯瞰視点。御神原の神様たちが嫌うのもホント納得っていうか」
「それは仕方ないわ。それより、聞きたいのは、現実の方よ。ゲームでの話なんてどうでもいいのだし」
宙に浮くグラスに、様々な色をした液体が注がれていく。
七色どころではない。何色も何色も……グラスが増え、混ざり、代わり。
並列思考の、果たして何百倍なのか。
「……ま、前よりはよくなったかな。どこぞの誰かさんが口利きしてくれた、とか聞いたけど……。昔みたいな、ずっと閉じ込められているって事はなくなった」
「そ。それは良かった」
「ま、今は自分から引き籠ってずっとマスターロールプレイしてるけどね」
「自分の意志なら、何も言わないわ」
そうしていると、段々、段々と……グラスの量が減っていく。
美しい飛沫とゆがみを上げながら、減っていく。
「ピーは?」
「私?」
「旦那さんのこと。立ち直った?」
「……まだ、かしらねぇ。忘れられないし、忘れる気もないし……当分は落ち込んでいるわ」
「ま、そんくらいでちょうどいいよ。ピーが元気だと、割を食うのはこっちだし」
「慰めてくれてもいいのよ?」
「じゃあ、預言でも受けてみる?」
とうとうグラスの数は五つにまで絞られた。
グラスは目をつむるモガモガぶらすたぁの前方に浮いたまま静止しており、動かない。
「――」
声にならない、音の集合体のようなものがモガモガぶらすたぁの口から漏れ出る。
すると彼の右腕に小刻みな痙攣が走り――まるで、そこだけ別の生き物になったかのように、蛇が頭をもたげるように、ずるりと動き始めた。
そしてそれは、右から二番目にあった、白く透き通ったカクテルを掴む。
「蛇。導き。死。暗闇。吉報」
「……五分の三がマイナス要素なのだけど?」
「そんで、このカクテルの名前はグラーフィカ。意味は”必ず好転する”」
「……信じるわ」
モガモガぶらすたぁの差し出したグラーフィカを手に取るP.f.K。
チ、と舌をつける。
「……流石。美味しいわ」
「そりゃよかった。
……俺の預言は、的中率100%だから」
「ええ、期待してる」
夢金の最高責任者と御神原の現人神の、夜の一幕だった。