幕間
第一章『死霊術師グリム・レッドハート』
幕間『あるハーフリングの最期』
まだ鶏も起きない夜明け前だ。
俺はビスケットみたいに固くなったパンをひと囓り、熱い茶で胃に流しこんだ。
美人で働き者で俺には勿体ないほどの自慢の女房はとうに起きていて、厨房で朝の仕込みを始めている。
俺もサボるわけには行かない。
昨晩の内に入念な点検を済ませた歩荷の道具を一揃え背負う。
そしてブーツとグローブの紐をきつく締めた。
だが、出かける前のお守りの様な物だ。
俺はそっと部屋へ戻る。
そしてベッドの中で微睡む俺の天使にキスをした。
「お父さん、今日はすごく深いところに潜るって本当なの?」
しまった!
と思ったときには少し遅かった。
俺の天使、可愛らしい俺の一人娘、リンダが長い睫毛の瞼を開けていた。
ああ、本当に俺に似なくて良かった。
つくづく神様は俺達の間に素晴らしい宝物を授けてくれたもんだ。
「ごめんな、起こしちゃって。だが心配要らないよ。そりゃあパパは剣を振ったことも無いただの荷運びだけどな、今度組むパーティーはドラゴンを倒したこともあるって言う凄腕なんだ」
だがリンダは今日に限って妙にむずがった。
俺は堪らずリンダを抱きしめる。
「大丈夫だリンダ。パパは今日も沢山お宝を持ち帰ってくるからな。そうだ、帰ったらリンダが欲しがってたぬいぐるみを買ってあげよう。楽しみに待ってておいで」
リンダは俺の腕の中でじっとしていたが、しばらくしてもぞもぞと何かを枕元から取り出した。
「お父さん、これ」
それは小さなお守り袋だった。中には四葉のクローバーの押し花がぎっしりつまっている。
「ありがとう。いい子で待ってるんだよ」
リンダは微笑んだ。
うっとりするほど可愛らしい笑みで。
俺はもう一度最愛の娘を抱きしめた。
そうだ。
俺は帰らなきゃいけないんだ。
俺は。
俺は。
俺は。
「嫌だっ嫌だっ嫌だっ」
俺は!
俺は!
俺は!
「来るなっ来るな来るな来るなああああうわああああ!」
俺は……
俺は……
俺は……
「リン」
俺……は…………
白刃が喉を刺し貫いた。
一拍遅れて四方から無数の刃が男の全身を貫く。
体中から鮮血を噴出した男は喉元から溢れる自らの血に溺れながら絶命した。
パーティー最後の一人だった荷運び人を断末魔を上げさせることも無く殺戮した者達は蒼を基調とした流麗な甲冑を纏っていた。
蒼の甲冑、冴え渡る剣、軽やかな身のこなし、一糸乱れぬ統率された動き。
それは正しく王国騎士団の精鋭そのものだった。
甲冑に包まれたその身が魔物でなければ。
男達はかつてダンジョンに挑み、力及ばず躯となり、その身をグールとして蘇させられた成れの果てであった。
その様子を遠見の魔術で覗いている者があった。
輝く月のような金髪を伸ばした美しいシスターである。
「ご主人様。済みましてございます」
「今宵の闖入者達は中々の収穫であったな。その剣士などは良い素材になりそうだ」
祭壇の上で恭しく頭を垂れたシスターへ彼女の主が答えた。
姿は見えない。
ただ声だけが返ってきた。
シスターは傍らのグールが担いでいる若者の亡骸を見て微笑んだ。
ダンジョンの中層を守るヒュドラを屠った猛者である。
冷たくなった体は今も尚、シスターとその主にとっては将来有望な逸材であった。
「捕らえた者達の中にも有望な者が居るかもしれませんね」
「ふむ、試してみるか」
シスターは祭壇を降りて生け捕りにした冒険者達の牢へと近づく。
その中でレンジャー風の軽装をまとった少女が猿轡を噛まされたまま震えていた。
「やれ」
シスターは酷薄な笑みを浮かべた。
一歩一歩、囚われの少女へ近づき、優しく彼女を抱きしめた。
ぷつり。
柔らかな肌を突き破る音が聞こえた後、少女の体は大きく痙攣した。
シスターは少女の首筋に牙を立てていた。
白く細い喉が波打つのに合わせる様に少女の体が跳ねる。
赤い舌が貪るように少女の瑞々しい肌を嬲り、熱い血潮を啜った。
少女はどこか恍惚とした忘我の面持ちのまま、色が抜け落ちるように目の光を失い、倒れ伏せる。
「お休みなさい、お嬢さん。運良く起き上がれたら、私と同じようにご主人様に御仕え出来ますからね」
赤く艶やかな唇を舐めて、シスターは火を入れた暖炉のように微笑んでいた。
彼女は祭壇へ戻り、再び頭を垂れた。
大広間の中央に位置する祭壇。
その周囲には無数の遺体が積み重ねられている。
床も、壁も、物言わぬ躯で埋め尽くされていた。
「全く因果なことよな。我はただ静かに地の底で術の研鑽に励みたいだけなのだが、より高きに至るにはつわもの共の血肉と魂が欠かせぬ。ままならぬものよ」
「あら、ではお止めになるのですか?」
シスターは主と共に築いた躯の山を一望した。
豊作を収穫し終えた農夫に似た、満ち足りた顔であった。
「それこそ有り得ぬ。我はひたすらに、より高き魂の位階を目指すまで」
「最後まで御見届け致しますわ。神に見放された私の居場所は、もうここだけですから」
シスターは跪いて祈りを捧げた。
神無き者達の為の祈りを。




