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4-6

第六話『だから汚物は焼却すべきだと言ったのであります』


 一行は次第に濃くなる瘴気をたどり、遂には呼吸もままならぬほどの濃密な闇を掻き分けながらその部屋へやってきた。


「フッフッフッ……よくぞここまで辿り着いた。

 勇敢なる冒険者達よ、歓迎しようではないか」


 不敵な笑い声が木霊する。

 太古の下水道の奥底、空っぽの物置のようなガランとした部屋の中心にそれは鎮座していた。

 真っ白な骨となった無数の亡骸を山のように積み上げたその上に、玉座に掛ける王者の如く君臨している。

 ルビーのような真紅の瞳、長く尖った鋭い牙、そして輝く黄金の体毛。


 四人を待ち構えていた下水道の主は――――



 ――――小さなハムスターであった。



 身構えていた四人は一気に脱力した。

 

「なんと……まさかグリム殿の戯話が真とは…」


「わぁっ……か、かわいいっ」


「小生は始めからマスター殿を信じていました」


「あのさぁ……」


 思い思いの溜息を漏らす四人に向かってハムスターはすっくと後ろ足で立ち上がる。

 黄金の獣はヒトの様に胸の前で前足を組むと高らかに宣言した。


「聞け! そしてひれ伏すがいい!

 我輩こそは地獄の底から蘇りし復讐の精霊!

 ジャン・エドモン・ル・コント・ド・グランである!」


「みな聞いたか!? このネズミ、伯爵(ル・コント)を自称したぞ!?」


「やぁあ~ん! カワイイ~!」


偉大なる者(グラン)とはまた、獣風情が大きく出たでものあります」


「って言うかマジモンのヴァンパイア・ロードだよ……ゴールデンハムスターの……長生きはするもんだなぁ……」


 ハムスターはタシッタシッと両足を踏み鳴らし、己をネズミ呼ばわりした無礼者達への憤慨を露にした。

 くりくりした真紅の瞳が恥辱の怒りに燃えている。


「貴様等ッ! 下賎の者の分際で我輩を侮辱したなッ!

 その命、もはや無いものと思えッ!!」


「ちょちょちょ、落ち着いて下さい、グラン伯爵。

 ご無礼仕りましたこと、どうか御寛恕賜れますよう伏してお願い奉ります。

 えーと我々はこの下水道の調査にですね」


「その血肉と魂をもって不敬の罪を購えッ!!

 杯に満たされたワインの如くっ、貴様等の命を飲み干しっ!

 地上に歯を唱えんがための礎としてくれるわッ!」


「うーん、駄目だこりゃ」


 怒り狂うハムスターを前に、グリムの説得は無為に終わった。


 ハムスターが甲高い鳴き声を発すると何処からとも無く夥しいドブネズミの群れが現れる。

 吸血鬼の下僕(レッサーヴァンパイア)と化したドブネズミ達は一様に目を赤く光らせていた。

 部屋の隅を埋め尽くしてグリムたちを取り囲んだ彼らは、一斉に犬歯の尖った口を開いて「ギィーッ」と威嚇してくる。


 ハムスターを見て目尻を緩ませていたメアリも小さな悲鳴を上げた。


「ひいぃ……きゅ、吸血鬼にもネズミ女にもなりたくないですよぅ……」


「大丈夫ですよ、マーベルコミックやB級ホラーじゃあるまいし……それより鼠咬症の心配をした方がいい。ハルディーン様、大丈夫ですね?」


「抜かり無い。既に予防祈祷を付与済みだ。だが…フフ…もはや『卿』も『様』も不要だぞ? ただハルディーンと呼んでくれ」


「いやあ……ハハ……ねえ、アーリヤ、落ち着こう? 俺の足ぐりぐり踏むの止めて?」


「鼻の下伸ばしてデレついてんじゃねえであります」


「伸ばしてな…あーもう、ホラ来たッ!!」


 グリムとアーリヤがイチャついている間に戦闘は始まった。


 無数のドブネズミ達が雪崩を打ってグリム達へ襲い掛かる。


 しかし亡者退散の祈りを捧げたメアリによって結界が張られ、飛び掛ったネズミ達は壁に跳ね返されるように弾き飛ばされた。

 吸血鬼であることが仇になったようだ。


「ぬぅ! 小癪な!!

 少しはできるようだなッ!」


 ハムスターは四足でネズミの白骨の山を踏みしめ、ピンと尻尾を立てて全身の毛を逆立てた。

 ハルディーンは剣を正眼に構え、アーリヤは黒い長手袋に包まれた両手をゴキリと鳴らす。


「不遜にも伯爵を僭称するネズミよ! いざ尋常に勝負!

 剣士ハルディーン、参るッ!」


「我が主の平穏を乱す害獣は駆除します。

 ネズミだろうとドラゴンだろうと」


「笑止ッ!

 口を慎め、下賎の者!!」


 黒き疾風と白き剣閃が結界の外へ踊り出す。


 神速の跳躍を見せたアーリヤは一瞬、その場の全員の視界から消えた。

 彼女は三角跳びの要領で天井を蹴り、げっ歯類の死角、ハムスターの完全な直上から猛禽の如く強襲する。

 しかしハムスターも然る者。

 野生の直感を発揮した彼は即座に『前へ』跳んだ。

 敵後方へ蹴りを繰り出していたアーリヤの読みは外れされる。

 刹那の攻防の最中に細長い尻尾へ伸ばされた彼女の手は空を切った。


「やるな、下賎の者!!

 我輩は些か貴様等を見くびっていた様だ!」


 ハムスターは迷わずドブネズミの群れに飛び込んだ。

 手のひらサイズの体は大柄なドブネズミの下に潜り込み、瞬時に見分けがつかなくなる。

 更に部屋に篭る濃密な瘴気が彼の気配を完全に覆い隠してしまった。


「伯爵を名乗る割りに敵に背を向けて逃げ隠れするのですね。

 所詮は臆病なネズミに過ぎないというわけですか?」


「フン! 真の誇りを持つ者は一時の恥など恐れぬ!

 最終的な勝利こそが矜持を守り!強者を強者たらしめるのだ!」


 結界の外へ出たアーリヤへネズミの群れが襲い掛かる。

 さしものアーリヤといえど、四方八方からまるで押し包むように『面』で襲い掛かるネズミの群れはかわしきれない。

 風のように舞う彼女は殆どのネズミを吹き飛ばしたが、その内とりわけガッツのある十数匹のレッサーヴァンパイアネズミは彼女の体にひしとしがみ付いた。


「このっ」


 アーリヤは主人お手製の衣服にまとわりつく汚らしいケダモノを払い除けようとする。

 しかしネズミ達はその手を巧みにかわし、アーリヤの肌に牙を立てようとした。


「アーリヤ殿ッ 動くな!」


 部屋中に轟く声がアーリヤを硬直させる。

 直後、彼女の肌の紙一重上を滑るように白刃が走った。


 アーリヤ取り付いていたネズミ達はバラバラと床に落ちる。

 不思議と刃が掠めただけのネズミ達もぐったりと力を失って動かなくなってしまった。


 ネズミ達は物言わぬネズミの死骸に戻っている。


 アーリヤの肌を撫でるように剣を振り払ったのは言わずもがな、剣士ハルディーンであった。


 『払う』は『祓う』に通じる。


 元教会騎士の聖なる剣は正に、ネズミの死骸を操る邪悪な力を断ち、斬り祓ったのであった。


 背中合わせになった二人は果敢にネズミの群に挑んだ。


 メアリとグリムも彼らを援護し続けていた。


 メアリは祈りを唱え続けて身を守り、グリムはその結界の中から手を伸ばしてネズミ達へ次々に強烈な呪いを飛ばす。

 金縛り、恐慌、死毒。ありとあらゆる悪辣な呪いを投げかける。


 しかし、いかんせん数が多かった。

 アーリヤとハルディーンが叩けど潰せど、後から後からネズミ達は沸いて出た。

 アーリヤは目敏くハムスターの黄金の毛並みを見つけて攻撃を仕掛けるが、常に間一髪ハムスターの俊足が勝った。

 これが通常の吸血鬼であれば早々にアーリヤが胸を貫いて勝負は決していただろう。

 的が小さいというのは厄介なものである。


 ところがネズミ達のほうも決め手にかけた。


 シスターの結界は一向に途切れる気配が無い。

 剣士も強烈な聖別効果を全身に纏っており、鎧にしがみ付くのが精一杯で肌に触れることすら出来ない。

 黒衣の少女に至っては、そもそも白魚のような肌に全く歯が立たなかった。

 ネズミ達は必死になってギイギイと噛み付いたが掠り傷一つつかないうちに跳ね飛ばされる。


 事態は早くも泥仕合の様相を呈してきた。


「おのれぇ……!

 下賎ではあるが、勇敢なる戦士でもあるようだな!

 貴様等の武勇に敬意を表して、些か姑息な策を取らせてもらうぞッ」


 ハムスターの微妙に迫力に欠ける決意の声が響く。


 先手を取ったのはネズミ達だった。

 彼らはハルディーンとアーリヤの全身に取り付くと、戸にも角にも歯が立てられるところに立て始めた。


「わぁっ! ひゃっ! この! ややや、やめなさい!!」

「むっ!? むむむっ! こ、こら! そんな所に潜り込むなぁ!」


 ネズミ達は齧り付いた。

 布に、皮に、紐に、ベルトに。


 アーリヤのお気に入りの衣服に穴が開き、破れ目はハシからどんどん広がっていく。

 ハルディーンも鎧の隙間に潜り込んだネズミ達に鎧の留めベルトを食い千切られ、ガチャガチャと装甲を床に落とす。


「やだ! やだあ! 止めなさい!!」

「むぅ!! 卑劣な!! 貴様に正義は無いのか!!」


「貶すが良い! 謗るが良い!

 我輩は勝利のためなら甘んじてその汚名に耐えよう!

 敗北を喫する以上の恥辱など無いのだから!!」


 二人はあっという間にあられもない姿となる。

 アーリヤは極薄ローブを穴だらけにされた上、ホットパンツを非常に際どいところまで食い千切られた。曝け出された桃のようなお尻と瑞々しく輝く太ももの付け根が目に悩ましい。

 ハルディーンは甲冑を剥ぎ取られた上、下に着込んだ衣服をズタズタにされた。特に胸元の生地を下から食い破られ、白く見事な双丘がまろび出る寸前である。


「ぜっ……絶景……!」


 ローアングラーよろしく床に這い蹲りながら荒く溜息を吐くグリムを、シスター・メアリはゴミを見る目で見下ろした。


 ところがその痴漢寸前の変態行為も長くは続かない。


 アーリヤがボロボロと大粒の涙を零して泣き出してしまったのである。


 流石にハルディーンも胸元を庇いながらでは思うように剣が振れず(そんな羞恥が残っていたのか!とグリムは驚愕した)、たまらず二人揃ってメアリの結界内に避難した。


「ひっぐ、ぐすっ、わぁぁああああん!! マスター殿ぉーっ!」


 主人から貰った大事な服をズタボロにされたアーリヤはグリムに縋りついて大泣きした。


 グリムは慌てて彼女を膝の上に抱き上げてマントを羽織らせる。

 彼はアーリヤの頭を優しく撫でながら、「大丈夫だよ」「また縫ってあげるから」「今度はもっとアーリヤに似合う奴を作るから」等と声を掛けるが彼女はまるで泣き止まない。


 グリムから貰った服は、一着一着がアーリヤの宝物なのだ。

 それ以外は身に付けたくない、かけがえの無い服なのだ。


 愛らしい顔をぐしゃぐしゃにして泣くアーリヤを見て、グリムは己の下劣なスケベ心を心底後悔した。

 まあ、後悔したところで喉元過ぎればまたムクムクと鎌首をもたげるのが男のサガというものだが。

 とにかくその時だけは心から後悔した。


「フン! 勝負は付いた様だな!

 貴様等の矛は砕いた!

 盾も構える手にもいずれ痺れが走ろう!」


 結界内で蹲る四人の前に、ハムスターが現れた。

 一際大きなドブネズミに馬のように跨った彼は正に高貴の佇まいだ。

 勝利を確信した彼はピンとヒゲを高く伸ばし、赤い瞳を勝勢の興奮に光らせている。


 結界はドブネズミの群に完全に包囲された。


 ハムスターは再び「フンッ」と荒い鼻息を吐く。


「だが我輩は貴様等の健闘を称えようではないか。

 我輩への無礼を心から詫び、忠誠を尽くすと誓うのであれば我が軍門に下ることを許すのもやぶさかではないが……」


 グリムの胸に顔を埋めて泣いていたアーリヤが得意満面のハムスターを睨んだ。

 彼女は大きな瞳を刃の切っ先のようにギラつかせながら呟き始める。


「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…」


「ヒェッ…! アーリヤちゃんステイステイ!」


 肝を冷やしたのは彼女を抱きかかえる主人の方である。

 アーリヤが見境を失くせば恐ろしい目に合わされるのはハムスターだけではない。


 グリムはアーリヤを抱きしめて必死に宥めた。


 ハムスターの方も何やら感じるものがあったらしい。

 赤い瞳から余裕の色が消えた。


「では死ぬしかないな! 今から貴様等に完全なる止めを……刺す!」


 突如としてネズミ達は一斉にその場から退いた。

 波が引くように部屋のスミの穴へ駆け込み、一匹残らず姿を消す。


 グリム一行はネズミ達の唐突な行動に唖然とした。


「む……?」


「ハルディーン様、どうかされましたか」


「『様』は余計だ。いやな、グリム殿……何か床が……暖かい……ような」


「ふえぇ? 下水道ってお風呂みたいに床暖房があるんですかぁ?」


「メアリ様、足りない頭なら足りないなりにもう少し振り絞ってから発言して頂けませんか?」


「ひ、ひどい! アーリヤさん、あんまりですよぅ!」


「いや、ちょっこの状況マズ――」


 グリムが言い切らぬ内に床下が爆発した。

 四人は崩落する床ごと階下の空間に落下する。


 咄嗟にアーリヤがグリムを抱え、ハルディーンがメアリを抱え、一行は瓦礫に囲まれながらも無傷で着地に成功した。


 そこは柱ばかりで何も無い、だだっ広い空間だった。

 広い壁には大きな四角い穴が幾つも開いている。


 見上げれば落ちたばかりの破れた床が見えた。

 二階建家屋くらいの高さがありそうだ。


 そこへヒョコッとハムスターの小さい頭が覗いた。


「勇者達よ。貴様等は強い……

 ここで無用の情けをかければ、必ずや我輩の歯道を妨げる障害となろう。

 我輩の城を傷つけたくはなかったが……

 貴様等にはその代償を支払う価値があるッ」


 ハムスターが甲高い鳴き声を挙げた。

 すると次第に重々しい水音が四人の下へ近づき、どっと壁の穴から大量の水が流れ込み始めた。


 慌てて四人は瓦礫の上に避難する。

 しかし流れ込み続ける水量から長くは持たないのは明らかだ。


 アーリヤがまずグリムを逃がそうと抱えて跳躍を試みる直前、上で二回目の爆発が起きた。

 見れば天井の破れ目が完全に瓦礫で塞がれている。


「なんてぇハムスターだよ……火も瘴気の爆発も水流も瓦礫の崩落から下水道の構造に至るまで、完全にコントロールしてやがる……」


「ずっ…ズルいですよぅ! ネズミさんはズルい!!

 私達は全部ガマンしたのにぃ~っ!」


 シスター・メアリの抗議の声へ、ハムスターの応答が木霊する。


「フン! それは貴様等(ヒト)の法であって我輩の掟ではないッ

 汚水の底へ沈めぃッ! 勇敢なる戦士達よッ!」


 水流は加速度的に勢いを増す。

 既に瓦礫のすぐ下まで水かさは迫りつつあった。


「マスター殿! 小生にお任せ下さい!

 あんな薄っぺらな天井など、一撃でブチ破ってみせます!」


「待てアーリヤ殿!

 下手な崩落を起こせば我々は全員生き埋めだぞ!」


 アーリヤは凄まじい顔で歯軋りした。


 しかも状況の悪化はそれだけではない。

 瓦礫で埋まった破れ目からも水が滴り落ている。

 どうやらハムスターは早くも上の部屋を下水で満たし始めたらしい。


 迅速且つ徹底的である。


 この用意周到ぶりは、上で些か間抜けな戦闘をこなしている間にも準備を進めていなければ説明が付かない。


 グリムは伯爵を自称する小さなハムスターに奇妙な尊敬の念を抱いた。


 しかし、感心してばかりもいられない。

 自分とアーリヤだけならばどうとでもなるが、巻き込まれた二人は守らねばならない。



 悪いな……ヴォルフ……――――



 彼は心の内で親友へ詫び、懐へ手を伸ばす。


 その腕を白魚のような手が掴んだ。


「駄目であります!

 まだ危険であります!」


「大丈夫だよ、アーリヤ。

 俺はいつだって大丈夫さ」


 グリムは笑った。

 心から、本当に何でもない風に笑った。


 その微笑みを見て、アーリヤの胸に鋭い痛みが走る。


 嫌だ。


 嫌だ、嫌だ、嫌だッ!!


 この人をこんな風に笑わせるのも、

 あんな風に無理をさせるのも、

 この人のために、何も出来ないのも、


 嫌だ!!!


 絶対に!


 絶対に!!


 嫌だッッッ!!!!


「うっ…うぅ……っ!」


「アーリヤ、時間が無い。

 お願いだから手を離し…って、ちょっとおおおおお!!??」


「わああぁぁあああああッ!!」


 アーリヤはグリムの腕を掴んだまま汚水の海へ飛び込んだ。

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