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第三章『三人の冒険者』
第一話『「『あなたって、本当に最低の屑だわ!』くらい言ってもらえばよかった」とか何とか。もう許さねえであります』
宮廷魔術師レイシアニル・ノルガラードは扉の前で首を傾げた。
『面会謝絶』
流麗なチョークの白文字で確かにそう書かれていた。
◆◇◆
王宮に仕える死霊術師グリム・レッドハートの首には黄金のチョーカーが嵌められている。
嵌めたのは王国である。
チョーカーには数十種の魔術が絡み合う複雑怪奇の封印が施されており、万が一グリムが王国へ反旗を翻した時の保険となっているのだ。
チョーカーは魔神をも封印しうるアーティファクト級の逸品である。更にその封印は一月毎に魔術暗号が更新される。
更新作業を担うのは他でもないレイシアニルの師匠、王立魔術院長“古狼”ヴォルフガング・ジルバーシュタインその人であった。
幸いにして、今のところグリムが王国に逆らう気配は微塵も無い。
しかし、いざ死霊術師が邪な企てをもくろんだ時には眼光炯炯たる魔術院長殿が呪文を唱え、ギュ―ッと縮まったチョーカーが死霊術師の断末魔と共にブチッと首を切断するという……些かスプラッタな噂が王立魔術院の一部でまことしやかに囁かれていた。
もちろんレイシアニルは尾ひれどころか羽が生えて空を飛翔し始めたようなヨタ話など信じてはいない。
しかし代わりに別の疑問があった。
本当に効いてるのかしら……?
ジルバーシュタインは結界魔術と封印魔術の第一人者である。その膨大な知識と精緻極まる術式構築は直弟子たるレイシアニルが誰よりよく知っている。
その彼女をしてさえ、グリムの異次元的な魔力を目の当たりにしてからは若干懐疑的にならざるを得なかった。
ともあれ今日は王国の安全を担保するための、大事な大事な、決して外せない封印更新儀式の日である。
だと言うのに約束の時間になってもグリムは一向に魔術院の工房へ現れなかった。
痺れを切らしたジルバーシュタインはレイシアニルを向かわせたのだった。
◆◇◆
王城の地下迷宮に居を構える死霊術研究室。その正面扉には暗緑色のボードが掛けられ、縁には赤白のチョークが置かれている。
そして繊細美麗な書体で『面会謝絶』とボード一杯に大きく記されていた。
ちなみに以前レイシアニルが訪れた時は『ただいまトレーニング中。御用の方は備え付けのベンチでお待ち下さい』と荒っぽい字体で殴り書きされていた。
そして彼女はそれを無視した。
レイシアニルの脳裏にクモの糸でぐるぐる巻きにされた忌まわしい記憶がよぎる。
思わずぶんぶんと頭を振った。
軽くノックをしてみるが返事は無い。
再び強めにノックをしてみるが、やはり返事は無い。
再三、力いっぱいドアノッカーを打ち付けてみるも、さっぱり返事が無い。
数秒悩み、ええいままよと決心したレイシアニルはドアノブに手を伸ばした。
「しつこいですっ! 黒板の文字が読めないのですかっ!!」
手はスカッと空を掴み、つんのめったレイシアニルの体はそのまま唐突に開いた鉄扉の向うへ倒れこんでしまった。
「きゃあっ わっ ご、ごめんなさいアーリヤちゃん!」
躓いたレイシアニルを抱き止めたのは死霊術師グリムの従者、フレッシュゴーレムのアーリヤである。
「レイシアニル様? 何故ここに?」
美しい灰銀の髪の少女はレイシアニルと抱き合ったままきょとんと首を傾げている。
レイシアニルは軽く事情を説明した。
しかし話し終えないうちに部屋の奥から甲高い叫び声が轟く。
「女史っ!? その声はノルガラード女史ですなッ!?
タァァァアアアアスケテェェェエエエ!!!」
「……アーリヤちゃん?」
「最近の隙間風は喋るのですね。安普請でお恥ずかしい限りです」
「タスケテー!タスケテー!」
アーリヤは涼しい顔である。しかしその叫び声は間違いなくグリムのものだった。
「アーリヤちゃん、ミスターレッドハートは……一体?」
「お休みになられています。ここ最近、少しご無理をなされましたので……」
「ぅぅぅううそだああああああぁぁぁぁ!
アーリヤは俺を監禁してるんだぁぁああああああ!」
「……アーリヤちゃん、その」
「隙間風です」
「不当拘束だ! 官憲横暴だ! 人権侵害だぁぁああああ!」
部屋の奥からドンドンと何かを叩く音と騒々しい喚き声が引っ切り無しに聞こえてくるが、アーリヤは眉一つ動かさない。
レイシアニルを中へ通す気も無いようだ。
グリムへの面会を求める彼女に対し、『主が病気の発作で』『中も散らかっておりますし』『何のお構いも出来ませんから』などなど。
言葉は丁寧だが玄関から先には一歩たりとも上げようとはしない。
『断固会わせんぞ』という鋼の意思を感じる。
「アーリヤちゃん……本当に、彼に何かあったの?」
「……」
「騙されるなああああ!
アーリヤは俺をベッドに縛り付けて足首をハンマーでブチ折ったんだ!
雪山で遭難した小説家を監禁した看護婦と一緒だああああ!!」
「デタラメ抜かすんじゃねえであります!!
本当に足首を斧でぶった切られてえかであります!!」
「ミスターレッドハート!! うるさいからちょっと黙ってなさい!!」
しん、と静かになった。
さしものグリムと言えど、二人の美女に本気で怒鳴られてはショックだったのだろうか。
「ねえ、アーリヤちゃん。今日は彼にとっても大切な日なの。彼の立場が危うい物なのはアーリヤちゃんも分かるでしょう?」
「……」
「いくら彼が得難い人材でも、あのチョーカーが無ければ議会はすぐにでも彼の『処断』を議題に上げるわ。それとも……やっぱり、この間の任務で何か……?」
「何も、ありません。あの方は大変お疲れでいらっしゃいます。どうかお引取り下さい」
頑なである。
しかしレイシアニルも引き下がるわけにはいかない。
その後二人は暫く『グリムを出せ』『いや、出さぬ』を慇懃に言い回した応酬を続けたが、小半時ほど経っても決着は付かなかった。
しかし、ふとレイシアニルは妙な事実に気付いた。
「ねえ、アーリヤちゃん」
「?」
「あの四六時中やかましい男が……私達に怒鳴られた程度でこんなに大人しくなるかしら?」
アーリヤはバッと踵を返して研究室の奥へと駆け込む。
「マスター殿ッ!」
レイシアニルも即座に後を追った。
魔術師のアトリエにしては非常に整然とした研究室を通り抜け、一番奥まった寝室に辿り付く。
もぬけの殻になったベッドの前でアーリヤがワナワナと震えていた。
『ワハハハハ、おれは魔法使いだ。手錠をはずすなんて、朝めしまえだよ。アーリヤ君、せっかくのきみの苦心も、水のあわだったねえ。おれはけっしてきみには、つかまらないよ。ワハハハハハ……、ワハハハ……』
どこか遠くから怪人めいたグリムの高笑いが聞こえてくる。
地団太を踏んだアーリヤは「ムガーッ」と叫び、ベッドの枕を引っ掴んでビリビリビリィッと力任せに引き裂いた。
部屋中に雪のように舞い散った羽毛の中で、ひらりひらりと一枚の紙きれがレイシアニルの前に落ちて来る。
『おかげ様で脱出の時間が稼げました。先に院長殿の工房に伺いますので、ついでで申し訳ありませんがアーリヤも連れて来てやって下さい』
あの男、押し付けやがった!
アーリヤはボロきれになった枕を振り回し、更にベッドのシーツをズタズタにして暴れている。
レイシアニルは頭を抱えた。
◆
その後、アーリヤとレイシアニルは魔術院長ジルバーシュタインの工房でグリムを発見した。
なんと彼は面倒ごとを人に押し付けておきながら、自分は優雅に薬草茶とクッキーを楽しんでいた。
アーリヤは臆面も無くクッキーを勧めてくる主へニコォと微笑み返して近づき、無言で薬草茶が入った湯飲みを掴んだ。
掴むなり薬草茶はボコボコと泡を立てて漆黒の粘液へと変じ、『オアー アウアア~』と地獄の亡者の如き呻き声を発し出した。
アーリヤは即座に逃げ出そうとしたグリムの胸倉を掴み、押し倒し、力づくで顎を開いて薬草茶スライムを流し込んだのだった。
「ごばばばばっ」
「え?『不味い』?」
グリムは泡を吹きながらガクガクと首を縦に振る。
アーリヤは牙を剥くように笑った。
「なるほど。『不味い! もう一杯!』でありますね。流石は小生のマスター殿であります」
「!!!!」
アーリヤは床で暴れるグリムの上に馬乗りになって二杯目を流し込んだ。
必死に吐き出そうとするグリムの涙ぐましい努力を踏みにじり、おぞましい薬草茶スライム達は耐え難い悪臭と苦み渋みエグみを放ちながらゾルゾルと喉の奥へ流れ込んでいく。
「『良薬口に苦し』であります。頑張って下さい」
「げふぁっ がへっ ごふっ」
アーリヤはマウントポジションを崩さない。
グリムがビクンビクンと痙攣し始めてもニタニタ笑いながら三杯目、四杯目と注いでいく。
惨状を前にして魔術院長は目を覆った。
「レイシアニル、止めてやってくれんか」
「嫌です」
即答であった。
◆◇◆
レイシアニルとアーリヤの前に淹れ直された薬草茶が置かれた。
顔中を粘液まみれにしたまま白目を剥いているグリムは床に放置されている。
「すみません、先生」
「構わんよ、茶を淹れるのは嫌いじゃない。それに……随分と面倒をかけたようだからな」
銀髪の老人は顔中に深く刻まれたしわを悪戯っぽい笑みに歪めた。
レイシアニルは感情的な口答えを思い返して少し顔を赤くする。
「遅れて申し訳ありませんでした。封印更新のお手伝いを…」
「ああ、そっちはもう終わった。封印錠を組み替えるだけだから大した手間ではない」
レイシアニルは目を見開き、感嘆の溜息を吐いた。
黄金のチョーカーは並大抵のマジックアイテムではない。
例えばジルバーシュタインはチョーカーの完成後『試験だ』と言ってレイシアニル以下、魔術院の精鋭達へチョーカーの解呪に挑戦させた。しかし魔術師一同総出で取り組んだにも拘らず、封印は丸一月かけてもビクともしなかったのである。
作った本人とは言え、それを一旦解除して組み直すには尋常ならざる労力が必要なはずだ。
結界術と封印術にかけては王国中の魔術師達が束になっても敵わない師の技量に、レイシアニルは畏敬の念を新たにした。
ところが師の笑みはすぐに消え去り、その顔はどこか浮かない。
「先生……?」
「うむ……お前さんにも事態を説明しておこう。そこで伸びている男だがね、このままだと死ぬ」
レイシアニルは唾を飲み込み、思わず横目でアーリヤを見る。
背の高い椅子にちょこんと腰掛けた少女の顔からは些かの動揺も読み取れない。
だが水面から底を見通すような目は、まるでジルバーシュタインを値踏みしているようだった。
「無論のこと、今の薬草茶攻めのせいではない。そもそもの原因はこの一年や二年で始まったことではないのだ。言わば……長年一滴ずつ水を注がれた壷がちょうど今になって溢れた……そんな所だ」
「先生、詳しく伺っても?」
「うむ……」
ジルバーシュタインは冷めかけた薬草茶の残りをぐいと一飲みにした。
「あの死霊術師が虹色の仮面を持っていることはお前さんも知っているな」
「……ええ。実際にこの目で」
「アレは……俺もまだ調査中なんだが……おそらく本物の神造遺物だ」
レイシアニルの心臓が跳ね上がる。
頭の奥が痺れたように、一瞬何も考えられなくなった。
神造遺物。神々の天地創造の忘れ形見。
普通『アーティファクト』と言えば、ジルバーシュタインが作り上げた黄金のチョーカーのように極めて強力な魔法道具の類を指す。
だが『本物の』『真の』という枕詞が付けば話は別だ。
通常のマジックアイテムは(当然ながら専門的知識を要するが)ある程度由来を判別することが出来る。
品物の用途、形状、材質、意匠様式や刻印された魔術形式などの情報を元にして、おおよその出自が類推可能なのだ。
魔術の歴史は人間の歴史である。
正しい見識があれば例え失われた歴史に取り残された遺物であっても周辺情報ぐらいは読み取れる。
だが、いかなる歴史の知識も博物学の造詣も一切意味を成さない強力無比のマジックアイテムも確かに存在した。
それこそが真の神造遺物である。
製作地域と年代は不明。
材質も不明。
魔術様式にいたっては解析行為そのものが発狂に繋がる。
まるで天地創造の時代に神が片付け忘れたとしか思えない異形の品々。
歴史の節目に時折現れるそれらは人々にとって恐怖の対象であった。
巨人の鉄鎚が人に振るえないように、真の神造遺物は正しく神がかり的な力を有しながら人の手に扱えるシロモノではない。
世界中の神造遺物についてのあらゆる逸話は、多くの場合は国を巻き添えにした、持ち主の破滅によって締め括られている。
財宝探索を生きがいとする冒険者達にとっても、極上の獲物はあくまで匠の技による人口魔法道具であって真の神造遺物ではない。
その厄ネタ加減ときたら、発見された途端に犬猿の仲である国家政府と聖十字教会と魔術師協会が恥も外聞も投げ捨てて一致団結して封印に乗り出すほどなのだ。
それはほんの僅かでも魔術を知る者達にとって共通の禁忌だった。
「だ、だいじょうぶ……なんですか?」
レイシアニルは掠れた喉から震え声で疑問を呈す。
「仮面もこの男本人も今すぐどうこうなるわけではない。元々この男は仮面に何重もの制約をかけているのだ。お前さんが目の当たりにした力も仮面が持つ真価の極小さな片鱗に過ぎん。もっとも……その安全を買うために、この男はそれ以上の制約と膨大な代償を背負うことになったのだがな……」
神造遺物に制約を掛ける?
本当にそんなことが可能なのか?
そもそもこの男は一体……?
レイシアニルは脳裏でめまぐるしく行き交う情報の整理に必死である。
ジルバーシュタインはティーポットを手に取り、レイシアニルの湯飲みへお代りを注いだ。
そこでレイシアニルはやっと、舌が張り付いて痛いほど口の中が乾いていることに気付く。
「さっ…す、すみません。先生」
「構わんよ。俺も初めて知らされた時は椅子からひっくり返ったわ。それより本題に移ろう」
レイシアニルは口を湿らせるだけ茶を含み、姿勢を正した。
「この男の命を保たせる為にチョーカーを強化する」
「え? ですが先生、チョーカーは彼を封じる為の……」
「方便だ、レイシアニル。元々チョーカーは奴自身ではなく、仮面の力と悪影響を抑制するために拵えたのだよ。なあに、死霊術師の力を封じると言う意味では嘘は吐いとらんさ」
悪戯小僧のような笑みを浮かべる師を見ながら、レイシアニルは少しドキドキしていた。
下手に誰かの耳に入れば反逆罪に問われかねない内容である。
「その効果を増す上で必要な触媒があるんだが、幾つか入手難度が高いものがあってな。余り公にするわけにもいかん。そこでレイシアニル、お前さんに調達を任せたい。費用はこちらで負担する」
「承知しました。何を調達すれば?」
「七色水晶。出来れば拳大のサイズだ」
レイシアニルは椅子ごとひっくり返った。
「どうした。大丈夫か?」
全然全く大丈夫ではない。
七色水晶は魔法道具の触媒となる魔石の中でも最も希少な石の一つだ。
虹色の輝きの美しさから宝石コレクターの間でも垂涎の的であり、輝度や純度によっては小指の先ほどのサイズでも革袋一杯の金貨が動く。
それをなんと拳大のサイズ!
「お前さんは確か……冒険者のメダルを持っていただろう? こう、適当なダンジョンに潜ってパッと取ってこれたりはせんのか?」
「そ、そんな! 無理を仰らないで下さい!」
ジルバーシュタインは市場価値的な意味での金銭感覚に非常に疎い。
基本的にはつましい生活を送っているのだが、時々途方も無い魔術触媒を予算に計上して経理の度肝を抜くのである。
師のたっての願いと言うことで信頼に応えたいのは山々だったが、無い袖は振れない。
レイシアニルはひたすら頭を下げながら如何に希少で高価かを説明した。
「ふむ…ではどうするかな。代えの触媒となると」
「ご心配は無用です」
りん、とガラスの鈴のような声が響いた。
二人の視線を集めたフレッシュゴーレムの少女は、それまでの沈黙を取り返すようにとうとうと語り出す。
「ご指定の品は既に我が主が手配を進めております。近日中に入手する予定でしたので直ちに私が直接受け取ってまいります。差し当たり、外出のご許可を頂けないでしょうか」




