空になりたい
私の愛する彼。
彼はとても変わった人だった。
中学校のころの彼は、先生に将来の夢を聞かれてこう言ったそうだ。
「僕は大きくなったら青空になります」
先生は頭の上に大きなハテナマークを出しながら、首をひねって見せた。
「あれかね、青空みたいに大きく澄んだ人になりたいって事なのかな?」
「いいえ、本当に青い空になりたいんです」
そう言って、彼は本に描かれた青空を指差した。
そこにはとても綺麗な青空が描かれていた。
「はぁ、君は人間なんだよ。人間が空になるなんてことが出来る訳がないじゃないか。そんな事はもっと小さい子供でもわかっていることだよ?」
「はい、そうかもしれません。でも、僕はこの青空になりたいんです」
彼は真摯な眼差しで教師を見据えた。
それに対し、教師は何かあきらめた様な溜息を一つつくと、スタスタと彼の席から離れ、教壇に戻り授業を続けた。
彼は窓から見える空を見上げた。
そこには、赤さびた色をした空が広がっていた。
西暦2250年、人類は荒廃した地球を捨て、火星へと移住をしていた。
彼との出会いは、私の働いている花屋だった。
彼はちょくちょく店にやってきては、何を買う訳でもなく、あちらこちらの花を眺めては、嬉しそうな顔をしていた。
「お花がお好きなんですか?」
私は営業トークで彼に話しかけた。
「あ、あ、はい。いやぁ、なんていいますか、花は綺麗でいいですよね、いろんな色があって」
彼は私の声に身体を少しビクッとのけぞらせながら、たどたどしい口調で語り始めた。
「そうですね。綺麗ですよね。これで造花じゃなければもっといいんでしょうけど」
「ですね。でも、自然の花なんて私達には高価すぎて手にはいる物じぁないですから」
いまだ開発が進んでいない火星では、自然の植物はとても貴重で高価なものなのだ。
この店に並んでいる物だって、全ては人工的に作られた造花なのだから。
「でも造花でも花は綺麗ですよね」
彼は一本のコスモスを見つめながらそう言った。
「はい、花は見ているだけで心が和みますから。私もその花大好きですよ」
私と彼はコスモスの花をはさんで微笑みあった。
それから彼は、数日置きに店に訪れては、コスモスを一本買っていくようになった。
会話も毎日と言うわけでもないけれど、いくらか自然に交わすようにはなっていた。
彼はこの近くの研究施設で働く科学者の一人だった。
彼は自分の研究の話をたまにしてくれるのだけれど、専門的な言葉が多くて、無学な私にはチンプンカンプンだった。
そんな私を察してくれているのか、彼は少し笑っていつもこう言う。
「あははは、綺麗な花がいっぱい咲く研究をしてるんですよ」
そして、店の花を一本手に取り、研究所に戻っていく。
ある日、いつものように彼は店にやってきた。
ううん、いつもより頬を上気させ、視線も定まらない様子だった。
どうかしたんだろか? と私は心配して声をかけようとした時。
「あ、あ、あの、花束を下さい。で、できるだけ大きな花束を下さい」
彼は目の前にいる私に言うには、あまりにも大きな声で話しかけてきた。
「はい。どのような花で花束をおつくりしましょうか?」
「えっと・・・・・・あなたの好きな花で作ってください。お願いします!」
「えっ、私の好みでいいんですか?」
「いいんです!」
私は彼の勢いに流されるままに、自分の好きな花を何種類か集め、色合いなどを考えながら花束を作った。
もちろんちゃんとコスモスもいれておいた。
そうして出来上がった花束を彼に手渡す。
「こちらはどなたかへの贈り物ですか?」
私はプレゼントカードでも添えるものなのかと、彼に尋ねてみる。
「はい! 贈り物です!」
彼は直立不動の姿勢で答えた。
「あなたへの贈り物です!」
彼はそう言うと、ぎこちない動きで花束を私に手渡してくれた。
「えっ? わ、わたし?」
私は訳がわからないまま、差し出された花束を受け取ってしまう。
「はい! あ、あの出来ましたら、僕と交際をしてもらえないでしょうか!」
彼は真っ赤な顔で私を見つめる。
よく見ると、両足がガクガクと震えている。額だって汗でいっぱいだ。
私はこの唐突な出来事に、なんて答えればいいのかわからずに、頭の中がパニックになってしまう。
「ど、どうなんでしょうか! や、やっぱりだめなんでしょうか!」
ひきつった声。
「そんなに急に言われても。私、困ります・・・・・・」
私は正直な気持ちを相手に伝えた。
「やっぱり・・・・・・・だめですよね。そうですよね。僕みたいな男じゃダメですよね。あはははは」
彼は今にも泣きそうな声で、がっくりとうなだれる。まるで飼い主がいなくなった子犬みたいに。
私は彼のそんな姿が見ていられなくなる。
「だ、ダメじゃありませんよ!」
「えっ?」
「あの、いきなり交際ななんて唐突過ぎますよ。まずはどこか・・・・・・お食事でも行きませんか?」
「は、はい! よころんで!」
これから一ヵ月後、私たちは正式に付き合う事になった。
付き合うまでに一ヶ月かかったのはお互いがとても不器用だったからだ。
私は花の話しか出来ないし、彼は彼で研究の話しか出来ないのだから。
そんな不器用な二人だからこそ、波長が合ったのかもしれないけれど。
彼はデートする時は火星の地表に出たがる。
火星の大きな都市は地下に作られていて、地表にはさびれた都市しか存在しないというのにだ。
それに大気の状態のせいで、マスクを着用しなければならない。
これじゃ、キスの一つも出来やしないのに。
「あはははは。私ね。空が好きなんですよ。今はこんな真っ赤な空ですけどね、私の研究が完成すればいつか綺麗な青空にしてみますよ」
彼は胸をボンと叩いて、私に力説して見せた。
「そのまえにマスクしないでもいいようにしてくださいね。これじゃキスも出来ないでしょ」
私はそう言って胸に腕を回し、彼を抱きしめた。
「あ、あはははは」
一瞬だけ私たちはマスクを外しキスをした。
数年の月日がたち、私たちは結婚した。
彼の望みは空の下での結婚式だったのだけれど、勿論そんな事は無理だった。
マスクをつけて純白のウェディングドレスを着る姿なんて想像したくもないからだ。
「もう少し! もう少しで青空に出来るんですよ!」
彼はとても悔しがっていた。
「はいはい、じゃ私たちに子供が出来るくらいには青空にしてあげてくださいね」
「約束します!」
「そんなことより、今は永遠の愛を約束してくださいよね」
「そ、それは勿論約束しますよ。僕は生まれ変わってもあなたを永遠に愛し続けますよ」
そう言って彼は私に優しくキスをしてくれた。
結婚生活が始まり数年が過ぎた。
空は相変わらず赤かった。
生まれたときから同じ色の空しか見ていないわけだから、私にとって見ればなんとも思わない光景なのだけれど、彼にとって見れば、それは耐えられない事らしかった。
「絶対、絶対に青空にしてみせる。昔の地球と同じような青空に!」
地球、それは私たちの先祖が住んでいた場所。
それはそれは綺麗な場所だったらしい。
けれど度重なる戦争と環境汚染により、人間が住める環境ではなくなってしまったらしい。
今でも地球に憧れを持つ人は、結構な人数がいると言う話を聞いた事がある。
でも、私にとって見ればこの火星が生まれた星だし、愛着だってある。
「はいはい、期待しないで待ってるわよ」
私はいつものように彼をなだめる。
「あはははは、少しは期待してくださいよ」
彼はいつものように情けなく笑って返す。
私はそんなやり取りが嫌いではなかった。
いつの頃からだろうか、彼は研究所に泊まる事が多くなり、なかなか家に帰ってこられなくなった。
「あはははは、ちょっと仕事が忙しくてね。ほんとごめん」
そう言って彼は頭を下げた。
「お仕事なんだから仕方ないわよね」
私はそう言って納得した振りをしてみせたけれど、本当は寂しくて仕方がなかった。
「行って来ます」
彼はいつものように玄関から出勤していった。
帰ってきたのは10日後だった。
「どうしてなのよ! どうして10日間も帰ってこれないの? 仕事が大事なのもわかるよ、でも私だって寂しいんだよ! どうして帰ってこれないのよ」
私の忍耐は限界を超えはちきれてしまい、ついに彼に向かって暴発してしまった。
「あはははは、ごめん、ごめんよ」
彼はいつものように情けなく笑い、下を向いたままだった。
「あともう一つ、君に言わなければならない事があるんだ」
「私もあなたに言わなきゃいけないことがあるのよ!」
「じゃあ、僕のほうから先に言ってもいいかな?」
彼は後ろ頭をボリボリと書きながら、すまなさそうに話し始めた。
「実験がついに最終段階になってね、僕は空になる事になったんだ」
彼の言葉の意味を、私は理解できなかった。
「それでね、僕はもう人間の形を保つ事が出来なくなってしまうんだ。だからこうして会えるのはこれが最後になってしまうかもしれない。でも、大丈夫だよ。僕は空になっていつでも君を見守っていられるんだから」
わからない、彼の言葉が何ひとつわからない。
「何よ、なに意味のわからないこと言っているのよ。あなた頭がどうかしちゃったんじゃないの?」
「ああ、ごめんごめん。説明も無しにこんなこと言ったんじゃ、君がわかってくれるわけもないよね」
そして彼はゆっくりと丁寧に私に説明を始めてくれた。
テラフォーミング、それはこの火星を地球と同じ環境にするための研究。
それの最終段階として、火星の大気の成分を変えなければならない。
その為には大量のナノマシン(ナノマシンとうのはとってもとっても小さな機械)
それを使って火星の大気をコントロールしなければならないと言う事。
けれどナノマシンのコントロールはとても難しく、それを行う為に人間そのものをナノ単位に分解し、その人間の思考を持ってコントロールしなければならないと言う事。
その実験に彼が選ばれたと言う事。
「わかってくれたかな?」
彼の問いかけに、私は反応することが出来ずに、ソファーに座ったまま虚空を見つめていた。
頭が混乱してどうにかなってしまいそうだった。
「この実験が成功すれば、火星に青空が広がるんだよ。しかも、僕はその青空そのものになることが出来るんだ。凄いだろ! 僕の小さい頃の夢がかなうんだよ」
上機嫌で語る彼の姿を、私は視界にいれたくなかった。
「・・・・・・あなたが空になったら、私はどうなるの。私はこれからずっと一人で生きていくの?」
「そんな事はないよ、僕は空になってずっと君の傍に――」
「うるさいッ!」
私は近くにあったクッションを彼に向かって投げつけた。
「じゃあ、空になったあなたは私とお話をしてくれるの? 私にキスをしてくれる? 優しく頭を撫でてくれるの?」
「あはははは、それは・・・・・・ちょっと無理かなぁ。でもね、この火星に――」
「産まれてくる赤ちゃんを抱きしめてあげることが出来るの?」
「えっ・・・・・・」
私はお腹を撫でながら、彼に向かって詰め寄った。
「私、妊娠しているの。三ヶ月なの。だから、それをあなたに伝えようと思っていたのに、なのになのに・・・・・・」
私の頬には涙が伝う。
「知らなかった・・・・・・。けれど、もう実験を辞める訳にはいかないんだよ。そうしないとこの火星が・・・・・・。いや、何を言っても僕のわがままにしかとられないかも知れないね。けれど、僕は生まれてくる僕らの子に青い空を見せてあげたいんだよ。その夢がかなうんだよ」
「あなたの命と引き換えにね!」
「・・・・・・」
私の吐き捨てた言葉に彼は沈黙した。
そして無言の時間が流れた。
「ごめん。でも、僕は行く」
彼は私を抱きしめようと腕を伸ばす。
「空なんかどうでもいいじゃない。青空なんてなくても私達は幸せに暮らしていけるわ」
「ごめん、それじゃダメなんだよ。ごめん」
「あなたは自分の夢だけを追いかけているだけなのよ! 私の事なんてどうでもいいのよ!」
私はその腕を跳ね除けた。
「ごめん、ごめんよ。・・・・・・行ってきます」
彼は寂しげな後ろ姿を浮かべ、家を出て行った。
私は彼を見送ることも出来ずに、部屋の隅にうずくまったまま泣いていた。
そして、彼はそのまま帰ってくる事はなかった。
一ヶ月ほどして、研究所から一人の男が訪ねてきた。
その男は彼の研究の助手をしていたと言った。
「こんにちは奥さん。あなたのご主人は立派に研究を果たしました」
その言葉の意味を私は理解した。
彼が死んだと言う意味だという事を。
「許してくださいとはいいません。けれど、あなたのご主人の犠牲なくしてこの火星に住む人々を守る事はできなかったのです」
その男は言葉を続けた。
「火星の環境コントロールは限界に来ていました。あのまま放置していればいずれはこの火星も地球と同じように人間が住むことの出来ない星になるところでした。それを救ったのがあなたのご主人なのです」
救った? 彼がこの星を?
「何も話を聞いていらっしゃらないのですか?」
そうだ、私は彼の話を聞きもしないで、ただ拒絶していた。
なぜ? なぜあなたが死ななければならないの? あなたの夢のために私と産まれてくる赤ちゃんが犠牲にならなければならないの?
そう思っていただけだった。
「ご主人はこの火星に生きる全ての人たちの命を守る為に、自分を犠牲にしたのです。それは誇って良いことなのですよ」
私は何も知らないで、彼に酷い事を言った愚かな女だ。
彼はただ自分の夢の為に、私たちを捨てたんだと、そう思っていた。
「帰ってください・・・・・・もうお話を聞きたくありません」
何も聞きたくなどなかった、聞いても彼は帰ってこないのだから。
「そうですか。――そうだ」
男は小さな鉢植えを取り出して私に渡してくれた。
「これをあなたに渡そうと、ご主人は毎日世話をしていました。残念ながら生前の間に花を咲かせることは出来なかったのですが・・・・・・」
そこには綺麗な花を咲かせたコスモスが・・・・・・造花ではない自然のコスモスが。
「それでは、私はこれで」
男が去ったあと、私は地べたに座り込み、手の中にあるコスモスの花を見つめ続けた。
頬からこぼれた涙が、花びらを伝い、輝いていた。
一年の月日が過ぎた。
今はもう地下で暮らす人はほとんどいない。
そう、私の頭上には美しい青空が広がっているからだ。
私は子供を抱きかかえながら、空を見上げている。
『ソラ』
それが生まれた私の子供の名前だ。
きっと彼が生きていてもそう名付けた事だろう。
この空の下で、ソラはすくすくと育ってくれるに違いない。
だってこの青空は彼そのものなのだから。
「パパー」
眩しそうに青空を見上げ、何かをつかむような素振りでソラはそう言った。
『パパ』と確かにそう言ったのだ。
きっと彼は私たちを見守っていてくれる。
今も、これから先もずっと。
「ソラ、パパにご挨拶しましょうね」
私はソラの手をとり、青空に向けて大きく手を振った。
耳を澄ますと、あの『あはははは』と、情けない彼のお決まりの笑い声が聞こえるような気がした。
おしまい☆